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文献名1霊界物語 第64巻上 山河草木 卯の巻上
文献名2第3篇 花笑蝶舞よみ(新仮名遣い)かしょうちょうぶ
文献名3第16章 天消地滅〔1645〕よみ(新仮名遣い)てんしょうちめつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-12-02 13:44:06
あらすじ
主な人物ブラバーサ、マリヤ、ヤコブ、サロメ 舞台橄欖山の山頂 口述日1923(大正12)年07月12日(旧05月29日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年10月16日 愛善世界社版185頁 八幡書店版第11輯 447頁 修補版 校定版185頁 普及版62頁 初版 ページ備考
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本文 『晴れもせず曇りも果てぬ橄欖山の
   月の御空に無我の声する
  行先は無我の声する所まで
  無我の声あてに旅立つ法の道
  父母の愛にも勝る無我の声
    ○
 ほんに可愛しいあの人の
 恋しなつかし此手紙
 涙で別れた其夜から
 どこにどうして御座るかと
 寝た間も忘れず居つたのに
 なんぼなんでも余りな
 今更切れとは何かいな
 情ないやら悔しいやら
 無情いお方になりました
 ほんにいとしい彼方と
 思へば泣いても泣き切れず
 諦められぬこの手紙
 いとしいとしと思ふ程
 憎い言葉のあの人が
 妾はほんとに懐かしい』
と云ひ乍ら橄欖山の頂上をウロついて居る一人の女がある。これはアメリカンコロニーの牛耳を取つて居るマリヤであつた。ブラバーサはマリヤの女難を避けむ為、逸早くも僧院ホテルを立ち出てシオン山の渓谷に草庵を結び隠れて居たのである。マリヤは斯の如く歌つて恋に憔れ乍ら、ブラバーサの後を探して居るのである。かかる所へ橄欖山上の木の茂みから優しき女の歌ひ声が聞えて来た。
『緑の風に花は散り  逝く春の宵歎きつつ
 己が心に夏は来ぬ  夕胡蝶の床に臥し
 晨輝く花思ふ  悩ましの夢今さめぬ
 現実の月空高く  青葉は光る橄欖の山に
 せめて憩はむ吾が心』
と歌ひつつ静々朧の月夜に浮いたやうに出て来たのはサロメであつた。折々両人は此山上で月下に出会すのである。されど互に余り心易くもせず、又沁々と話した事もない。双方とも期せずして同情の念にかられ、何物にか惹かるる如く二人は朧月夜にもハツキリ顔の分る所迄近づいた。
マリヤ『行水の帰らむよしもなし
 散る花を止めむよしもなし』
サロメ『桜の花の盛りこそ
 君と睦みし月日なり
 月は幾度かはれども
 日は幾日か重なれど
 君に遇ふべきよしもない』
マリヤ『涙の中に夏は来ぬ
 夜毎に飛び交ふ螢こそ
 こがるる吾身に似たるかな』
サロメ『今は悲しき思ひ出の
 夜毎に飛び交ふ螢こそ
 焦るる吾身に似たるかな』
 かく両人は意気投合して何れも恋の敗者となりし述懐を打明け歌つた。是よりマリヤ、サロメの両人は姉妹の如く親しくなり、互に心胸を打ち明けて語り合ふ事となつた。
『マリヤ様、貴女の今のお歌によりまして妾の境遇とソツクリだと云ふ事を悟りました。ほんたうに世の中は思ふやうにならないもので御座いますなア』
『ハイ、有難う御座います。もはや此世の中が嫌になつて参りました。思ひ込んだ男に捨てられ、もはや此世に何の楽しみも御座いませぬ。オリオン星座よりキリストが現はれたまふとも人間として恋に破れた以上は、もはや何の楽しみも御座いませぬ。キリストの再臨なんか物の数では御座いませぬわ』
と半狂乱の如くになつて居る。
『あなたは永らく独身生活を続けなさつたのも、キリスト再臨を待つ為では無かつたのですか』
『妾の待望して居るキリストは左様な高遠な神様では御座いませぬ。妾の愛の欲望を満して下さる愛情の深い清らかな男子で御座います。妾の一身に取つてキリストと仰ぐのは日出の島からお出になつた、ブラバーサ様で御座います』
『妾だつてキリストの再臨を待つて居るのですよ。併し乍ら自分の心を満して呉れる愛情の深い方があれば、其方こそ妾に対して本当のキリストで御座いますわ。乾き切つたる魂に清泉の水を与へ、朽果てむとする心に生命を与へて下さる方が所謂キリストですわ。さうしてブラバーサ様は何処へお出になつたか分らないのですか』
『ハイ百日の行をすると云つて聖地を巡覧遊ばして居られましたが、百日も立たない中にお姿が見えなくなつたのですよ。あの方は雲に乗つて来たと云つて居られましたから、竹取物語の香具耶姫様のやうにオリオン星座へでもお帰りになつたのではあるまいかと、毎晩々々空を仰いで其御降臨を待つて居るので御座いますよ。本当にあの方は普通の人ではありませぬ、きつと神様の化身ですわ』
『何程これと目星をつけた男でも、神様の化身では仕方無いではありませぬか。どれ程あなたがモウ一度下つてほしほしと毎日天を仰いで居たつて駄目で御座いませう。そんな遠い天の星を望むよりも間近にオリオン星座があるではありませぬか。この地も天に輝く星の一つでせう。ドンと四股を踏んでも直ぐと答へて呉れるのは地球と云ふこの星ぢやありませぬか。きつと此星の中に貴女の恋人は隠れて居ませう。どこ迄も探し出してユダヤ婦人の体面を保つて貰はねば、妾だつて世界へ合はす顔がありませぬわ。妾も一旦相思の恋人が御座いましたが、花はいつ迄も梢に留まらぬが如く、夜の嵐に吹かれ、たうとう生木を裂くやうな悲惨な目に会ひ、それからと云ふものは恋に狂ふて、この霊地にお参りするのをせめてもの心慰めとして居るので御座います。貴女の恋人と仰有るブラバーサ様は、三四回も此お山でお目にかかりましたが、ほんとに神様の様なお方でした。妾だつて貴女の恋人でなければキツト捕虜にして居るのですけれども、人の恋人を取つたと云はれてはユダヤ婦人の体面にかかると思ふて、どれだけ恋の悪魔と戦つたか知れはしませぬわ。自分の好く人、又人が好くと云ひまして、男らしい男は誰にも好かれるものですなア。さうかと云つて今後ブラバーサ様を発見しても、決して妾は指一本さえない事を誓つておきますから安心して下さいませ』
『あなたの恋人と仰せらるるのはヤコブ様ぢや御座いませぬか。薄々噂に承はつて居りました』
『ヤコブ様と妾の中には何の障壁もなく、極めて円満に清い仲で御座いましたが無理解な両親が中に入つて引き分けてしまつたので御座います。かうなつて別れると妙なもので恋の意地が募り、どこ迄も添ひ遂げねばおかないと云ふ敵愾心が起つて来たのですよ。貴女もユダヤ婦人としてどこまでも奮闘なさいませ。妾も此儘泣き寝入るのでは御座いませぬからなア。かうして二人も失恋の女が、橄欖山上に出遇はすと云ふのも何かの因縁で御座いませうよ』
『サロメ様、妾は夜も更けましたから、今晩はこれで帰らうと思ひます。コロニーのスバツフオード様が余り遅くなると大変矢釜しく仰有いますから、又明日ここで貴女と楽しくお目にかかりませう』
『左様ならば一歩先へ帰つて下さいませ。妾はもう暫く祈願してお山を下る事と致しませう』
と別れをつげ、サロメはシオン大学の基礎工事の施してある傍の作事場に行つて腰を下ろし、暫く身体をやすめ、再び祈願にかかつて居た。
 シオンの谷に恋の鋭鋒をさけて隠れて居たブラバーサは、もはや夜も深更になつたればマリヤがよもや来て居る筈は無からうと高を括り橄欖山上に於てキリストの無事再臨を祈るべく登つて来た。作事場の中に優しい女の祈り声が聞えて居る。ブラバーサはもしやあの声はマリヤであるまいか、もしマリヤであつたら又とつつかまへられて五月蠅い事であらう、併しあれだけ慕ふて来る女をむげに捨てるのも残酷のやうであり、さればとて彼の意志に従へば罪悪を犯したやうな心持がするなり、大神様の御化身からは叱られ、吁どうしたらよからう、辛い事だな。マテマテ世界万民を救ふのも一人の女を救ふのも救ひに二つはない、一人の女を見殺しにして世界の人民を助けたつて最善の行方で無いかも知れない。吁、私は自己愛に陥ちて居たのかも知れない、仮令あの女を助けるために地獄に陥ちてもあの女を助けるが赤心だ。エーもうかうなれば善も悪もない、シオンの谷に身を隠し女に罪を作らせるよりも自分が罪人となつて、マリヤを助けてやらう、それが男子たるものの本分だ。自分が居なくても、又失敗つてもウヅンバラチヤンダーの再臨の邪魔にはなるまい。キリストは万民のために十字架に、おかかりなされたのだ。国に残した妻には済まないが、妻だつて宣伝使の妻だ。その位の犠牲は忍ぶだらう、エーもう構はぬ、これだけ熱烈の女を見殺しにするのも余り善ではあるまいと心の中に問ひつ答へつ思案を定め、作事小屋の中に進み入つた。
 ブラバーサは斯く決心をきめた上は、もはや宇宙間に何者も無くなつて了つた。此広い世界にマリヤの姿が唯一つあるのみである。今迄聞えて居た山鳩の声も虫の音も無く、一切万事何処かへ消えて了ひ、天もなく地もなく心にうつるものはマリヤの姿のみとなつて了つた。それ故サロメの姿がすつかりマリヤと見えて了つて、どうしても他の人と考へ直す暇は微塵も無かつた。
 一方サロメはヤコブの事を思ひ乍ら祈願をこらして居たが、心の中に思ふやう、
『たとへ両親が何と云はうとも、世間の人が堕落女と譏らうとも、そんな事に構ふものか。自分の恋を自分が味はふに何の構ふ事があるものか。あの人の為には天も無く地も無い。森羅万象をすべて葬り去つても吾心を生すものはヤコブさまより無いのだ、地位や、名誉が何になる、貴族の生が何だ。鳥や獣でも自由に恋を味はつて居る。万物の霊長たる人間が恋を味はふに何の不道理があらう筈がない。草を分けても捜し出し、ヤコブ様を見つけ出して、地位や名誉を投げ出して今迄のお詫をせう。妾の意志が弱かつた為ヤコブ様に思はぬ歎をかけた……。ヤコブ様許して下さいませ。仮令地獄に堕ちた所で貴方との約束を実行致しませう。それが女の本領で御座いますから……』
と傍に人無きを幸ひ、知らず知らず大きな声を出して了つた。
 ブラバーサは、サロメがヤコブのことを云つて居るのを聞いてゐながら、やつぱりマリヤとしか思へなかつた。二人の男女は一所に集まつて互にかたく抱き締めた。そして天も地も、橄欖山も自分の体もどこかへ消滅したやうな無我の域に入つて了つた。暫くあつてサロメは、ホツト気がついたやうに、
『あゝヤコブ様、ヨウ来て下さいました。妾の一念が貴方の魂に通じたので御座りませう。もう此上は身も魂もあなたに捧げまして決して外へは心を散らしませぬから可愛がつて下さいませ』
 ブラバーサはヤコブと云ふ声を聞いて大に怒り、
『こりや不貞腐れのマリヤ奴、よう私を翻弄して呉れたなア。お前の熱愛して居るヤコブの代理に己を使ふとは、馬鹿にするのも程があるではないか。己はマリヤより外に愛する女は無いのだと思つて居たのにエヽ汚らはしい、勝手にどうなとしたがよからう。俺もこれで胸の迷ひが取れた。あゝ惟神霊幸倍坐世』
 サロメはやつぱり現になつてブラバーサをヤコブと思ひつめて居た。マリヤより愛する女が無いと云ふのを聞いて、
『エヽ悪性男のヤコブ奴、ようもようも此サロメを馬鹿にしよつたなア。命を捨てた此体、もう此上は破れかぶれ思ひ知つたがよからう』
と護身用の短刀を抜いて切つてかかる。ブラバーサはマリヤ待つた待つたと作事小屋のぐるりを逃げ廻つて居る。かかる所へ疑ひ深いマリヤは、サロメがアンナ事をいつて、ブラバーサを隠して居るのでなからうかと、中途より引返し来り、此体を見て打驚き、
『もしサロメ様、マア待つて下さいませ』
と腕に食ひつく。サロメは夜叉の如くに怒り狂ひ、
『エヽ恋の敵マリヤ奴、ヤコブを取りよつた恨だ、覚悟を致せ』
と猛り狂ふ。其処へ又現はれて来たのはサロメの後を追ふてやつて来た失恋男のヤコブであつた。ヤコブは大声をあげて、
『これこれサロメさまお気が狂ふたのか一寸待つて下さい。私はヤコブで御座います』
 サロメは此声に勢抜け茫然として短刀を握つたまま衝立つて居る。月は皎々として山の端を照らし初めた。四人の顔は一度にハツキリして来た。マリヤは慄ふて居るブラバーサの手を固く握り、
『聖師様何処へ行つてゐらしたの。妾どの位たづねて居たのか分りませぬのよ』
『ウンお前がマリヤであつたか。夜中の事とて甚い人違ひをしたものだ。あの活劇を見て居つたであらうなア』
マリヤは、
『ホヽヽヽヽ』
サロメも、
『ホヽヽヽヽ』
『何だ人違ひか、サア、サロメさま、ヤコブはどこ迄も貴女と離れませぬから覚悟して下さい、命がけですよ』
『妾だつて命がけですわ。ブラバーサ様があなたに見えたので甚い間違ひを致しました。マア無事で怪我が無くて何より結構で御座いました。皆様茲で神様に感謝を致しませう』
と男女四人は地上に端座し、恋の成功を感謝した。ヨルダン川の流れも峰吹く風の音も天も地も漸く四人の前に開展して来た。あゝ惟神霊幸倍坐世。
(大正一二・七・一二 旧五・二九 加藤明子録)
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