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文献名1霊界物語 第68巻 山河草木 未の巻
文献名2第1篇 名花移植よみ(新仮名遣い)めいかいしょく
文献名3第1章 貞操論〔1725〕よみ(新仮名遣い)ていそうろん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-06-05 19:54:01
あらすじ
昔、左守の職を追われたシャカンナは、政敵の一掃と国政への復帰を胸に、山奥に部下を集めて山賊の棟梁となり時宜を狙っていたが、天命を知り塞に火を放ち、部下を解散し、今は一人娘のスバールを老後の力となして暮らしていた。

今年十五を数えるスバール姫は、スダルマン太子の来訪より、密かに太子に恋心を抱いていた。

シャカンナはある日、スバールに尋ねる。太子がここに踏み迷って来られた際、スバールに思し召しがあったように見受けられたが、もし太子から迎えが来たら、その気があるだろうか、と。

スバールは、実は太子が「きっと迎えに来る」と約束したこと、また自分も太子のことを思っていることを明かす。

シャカンナは、娘の恋愛によって自分が再び政界に復帰することができると喜ぶ。

スバールは、父に対する孝養と、夫に対する恋愛では道が違う、と釘をさす。

曰く、今回の恋愛が成就することによって、結果的に、父に対する孝養もできるかもしれないが、恋愛は流動的なものであり、恋愛を主とする限り、父への孝養を保障することはできない。

恋愛は理知・道徳と相容れないものであるから、「父への孝養のために太子と結婚する」というような、倫理に恋愛を従属させるようなことでは、恋愛が成り立たない。

倫理や道徳にとらわれて、女の一生を霊的に抹殺されることは耐えられない。「神聖な霊魂を男子に翻弄される事は、女一人として堪えられない悲哀」

人格と人格との結合によって、初めて完全な恋愛が行われる。

恋愛は恋愛として、どこまでも自由でなければならない。

だから、もし他にもっと好きな相手ができたら、そちらに恋愛を移すのが自然の成り行きであり、結婚を理由に貞操を守れ、というのは不合理である。

倫理の観点から結婚を見るなら、女子に貞操を強要するのであれば、当然夫に対しても貞操を強要しなければならない。

しかし、恋愛の観点から結婚を見るなら、夫は女房が他の男に恋するのを押さえつけてはいけないし、妻は妻で、夫の他の女に対する恋愛を遂げさせてあげるのが、真に夫を愛するということになる。

また、一夫一婦制に対しての反論

男女が平均に生まれないため、一夫一婦制ではない国も、世界にはたくさんある。

むしろ君子的人格者はたくさんの妻を持ち、その子供を四方に配ることが、国家にとって利益になる。

道徳と恋愛を別のものとして考えることで、家庭は家庭としてうまくいき、恋愛は恋愛として自由に行われる。
主な人物【セ】シャカンナ、スバール姫【場】-【名】スダルマン太子、アリナ、左守、トンク、大国主 舞台 口述日1925(大正14)年01月28日(旧01月5日) 口述場所月光閣 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1926(大正15)年9月30日 愛善世界社版7頁 八幡書店版第12輯 151頁 修補版 校定版7頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  樹々の緑も浅倉山の嫩芽、巻紙を拡げて一枚々々楕円の舌をはみ出し、晩春の風に揺られて無言の囁きをつづけて居る。

 春の終りとは云へ、高地帯の山奥では都路に比して一ケ月ばかり木の芽の生立ちも遅れてゐる。
 虎、狼、獅子、熊の哮り声、小鳥の百囀り、春風の木々の梢をもむ音、それより外に聞くものもなき此山奥に、其昔タラハン国の左守の司と仕へたるシャカンナは年老いたりと雖勇気は昔に衰へず、一朝、時を得れば潜竜の淵を出でて天に躍るが如く、天下国家の為に昔とつたる杵柄の逞しき両腕を国政の上に試みむとし、数百の部下を人跡稀なる山奥に集めて回天の神策に身心を傾けて居たがフトした事より、行く年波と共に天命を知り山寨に火を放ち、数多の部下を解散し、今年十五の春を迎へた最愛の一女スバール姫を老後の力となして一陽来復の時を待ちつつあつた。
 恰も天から降つて湧いたる如く思ひがけなきタラハン国のスダルマン太子が吾政敵なる左守の悴、アリナと共に雨露を凌ぐに堪ゆべき茅屋の破れ戸を叩くに会ひ、仮寝の夢を破られ十年振りにて主従の対面をなしたる数奇極まる運命に、大旱になやんで萎れかかりし木の葉の雨露の恵みに遭ひて、生々と復活したるが如き心地し、日夜腕を扼してタラハン城の空を眺めて再生活躍の希望を漲らしつつあつた。
 日頃淋しく感ずる猛獣の声も、悲哀に満ちた百鳥の囀りも此頃は何となく生気溌溂として己が出盧を促すものの如く、谷川のせせらぎの音にも梢を亘る風の音にも、希望の声が満ちて居るやうに感じられた。
 俗臭紛々として罪悪に満ちたる暗黒の社会、人面獣心の化物共が白昼を横行濶歩する都大路の塵にも染まぬ天成の美人スバール姫が、浅倉山の山奥、玉の川の上流、清く流れて激潭飛沫をとばす岸の片辺、千畳の岩石を以て区劃された川の淵、淋しげに立てられた、掘り込み建ちの茅屋に鬼をも挫ぐ父のシャカンナと共に、無心の生命を保ち、千歳の苔に玉の肌を包まれて、今まで社会に落伍した人間の屑小盗人共に、女帝の如く、王女の如くもてはやされ、人生の春を過ごすこそ、せめてものスバール姫が心の誇り、もし此ままにして世に出でずば獣臭き山男の妻となるか、泥棒の妻となつて女盗賊の頭目として一生を終るか、但は見るべき花として時の力に散り失せ実を結ばず、木の根の肥料となるか、さもなくば可惜美人の生涯を真黒の毛脛に抱き通され、果敢なき一生を送るより外に道なき姫の運命、人間としては余りに艶麗に過ぎたる其容貌、諺に云ふ美人の薄命、結縁の神に憎まれて此山中に葬らるべき可惜もの。さりながら、父の権威と吾身の年若きに過ぎたるを幸ひ、悪性男の暴力に木の根を枕の犠牲にもならず、今日十五の春まで身を犯されず、霊を弄ばれず、春秋を送り迎へして来たのは、せめてもの彼の少女にとつては幸である。六才の春より父親の手に育てられ浅倉谷の清流、岩にせかるる谷の淵瀬の水鏡はあり乍ら、地を撫でる如き長き頭の黒髪を無雑作にクルクルとまきつけて結び、浮世の風の響さへ知らず、もし人あつて此美人を都大路の真中につき出さうものなら、万金を費しても見られぬ筈の玉を伸べたる如き腕も脛も露に惜気もなくタニグク颪に散り来る木の葉の屑に弄ばれ、一片の人工も施さず、天成そのままの玉の肌を此山奥に横たへ、暇ある時は、獅子、兎の安息所たる山林に別け入つて、薪を背負ひ、炊事万端まめまめしく父の労苦を助けて居た。紅白粉香油等の補助的粧飾品は生れて以来、見た事もなく、身につけた事もない、只惟神のままに生立つた。原野に咲き匂ふ花の粧を此山奥に人知れずさらすのは、宛然造化の技巧をこらして作り上げた天真の美貌、どこへ転がしても玉は玉、如何に粗末でも蘭麝は蘭麝の香を備ふる道理、どこともなく云ふに云はれぬ床し気がある。蔭裏の豆も時節が来れば花を開き果を結ぶ道理、今年十五の春を迎へたスバール姫も天極紫微宮より降らせ給ひしエンゼルにも等しきスダルマン太子の、どこともなく雄々しき男らしき床しき容貌と其謦咳に接してより、時ならぬ顔に紅葉を散らし、梅花一輪春陽に遭うて綻び初めし心地、子供心にも恋てふものの怪しき魔物に捕捉さるるに至つた。雨の朝、風の夕、少女は浅倉谷の清流に向つて両手を合せ、激湍飛沫の猛り狂ふ有様を見てはスダルマン太子の雄々しき御心と崇め、清き溪流を眺めては太子の御心の清き鏡と拝し、小鳥の声、梢を亘る風の音も太子の甘き言葉の如く思はれ、林に咲き匂ふ緑、紅、白、赤、黄色の花を眺めては太子の御顔を偲び、満天の星光を圧して昇る月影に対しては、あの円満なる月の顔は正しく太子の清き、やさしき御姿、吾生命の綱と憧がれ、物に接し、事に触れ、森羅万象悉く、一として太子の声ならざるはなく、太子の姿ならざるはなき、深くも恋の暗に滝津瀬のおちくる如く強度の勢を以て千尋の深き底に沈み行くのであつた。
 シャカンナはスバール姫の此頃の様子の、如何にも腑に落ちぬに心を悩ませ、娘の親として、あらむ限りの思索を廻らし、時々溜息を吐く事さへあつた。或時シャカンナはスバール姫に向ひ、少しく声を潜め、姫の顔を覗くやうにして頬杖をつき乍ら、
シャカンナ『スバール姫よ、お前も今年は十五の春を迎へた年頃の娘、此親として自分もお前の身を見るにつけ、可惜名玉を此山奥に埋め度くはないのだ。俺は一旦左守の司の職掌を退き君側に蟠る奸邪侫人を打払ひタラハン国城下の安寧秩序を保ち、一は王家のため、一は国家万民のため時節を待つて一臂の力を揮つて見むと此山奥に山賊共を呼び集め、捲土重来の時期を待つて居た。待つ事殆んど十年、されど数多の部下は集まつて来ても一人として心の底を打明かし、大業遂行に対し片腕の力になるものも出て来ない。それがため父はホトホト世の中が嫌になり、お前も知る通り、タニグク谷の山寨に火を放つて、玄真坊の後を追つて居た部下の不在中、此浅倉谷の隠れ家に、お前と二人の佗住居、味気なき余生を送らむものと覚悟を定めて居たが、雄心勃々として脾肉の嘆に堪へず、一層のこと此世の思ひ出にタラハン城へ只一騎乗り込み、君側に蟠まる悪人輩を打亡ぼし、国家の災を除き、俺はその場で自殺をなして罪を謝せむかと、幾度かとつおいつ思案はして見たが、天にも地にも親一人、娘一人の其方を後に残して先立たむも、其方に対して不憫であり、大悪人の娘と、其方が世の人に後指さされるのも心苦しく、それ故、男らしき働きも得なさず、躊躇逡巡女々しくも今日迄、可惜光陰を空しく費して来たのだ。然るに天の恵みか、地の救ひか、ゆくりなくも先月の今日今頃、夢見る如きスダルマン太子が吾茅屋に踏み迷つて来られ、金枝玉葉の御身を以て、此茅屋に一夜を過ごされたのも何かの神の御引合せであらう。つらつら思ふに、神様は此シャカンナに一時も早く山を出で都に上つて、国家の危急を救へとの暗示のやうにも考へられる。それについては、其方は幸ひに世にも稀なる美人、万々一冥加に叶つて太子様のお心に召したならば、それこそ父の大望にとつても国家にとつても之位都合の良い事はない。然しながら何事も人間は運命に左右されるものだから、窮極する所は到底人間力ではいかないだらう。そして又男女の関係と云ふものは実に不可思議のもので、何程太子様がお前を寵愛遊ばしても、お前の心に太子を恋慕する心がなければ、無理に親の権威を以て結婚を強ひる訳にも行かず、父の眼より観察すれば、どうやら太子様は、其方に思召があるやうに感ぜられた。然し乍ら結婚は恋愛によつて成立するものだから、何程少女だと云つても、吾娘だと云つても、之許りは父の自由にはならない。お前の考へはどう思つてゐるか、遠慮会釈は要らぬ。切つても切れぬ親娘の仲だ。そして、お前の一生一代の大事件だ。予め、お前の心を此父に聞かしてくれ。お前の心を聞いた上、此父にも亦劃策する所があるから』
 スバール姫は少女に似合はず、性質怜悧で山の奥に育ち乍ら、人情の機微に比較的通じてゐた。そして十二三才の頃より、恋愛と云ふ事に趣味を感じ、数百の部下の面貌を一々点検して、顔容や、性質や起居振舞等に注意し、男子に対する一種の批評眼を備へて居た。然し乍ら、どの男を見ても心性の下劣な、容貌の野卑な山猿的人間許りで、スバールが一生を任す夫として選むべき玉は一つも見当らなかつた。六才の時、タラハン城を後に、此山奥に父の手に育てられ、荒くれ男の奇怪な面貌をした小人輩許りを眺めて居た彼は……世の中の男と云ふものは凡て此様な獣めいたものだらうか。何れの人間を見ても左右の目が不揃ひであつたり上下になつてゐたり、鼻柱が右へ曲つたり左へ曲つたり、口の形から歯の生え具合、起居振舞迄見て、……実に男子てふものは情ないものだ。此世の中は何故、こんな化物許り棲んでゐるのだらう。あゝ情ない浮世だな……と、いつも落胆失望の淵に沈んでゐたが、フトした事からタラハン城の太子の君に巡り合ひ、其気高き姿に憧がれ、又左守の悴アリナの容貌も捨て難き所がある。之を思へば、……今迄十年間眺めて居たやうな屑男許りではあるまい、世の中には百人に一人や二人は人間らしい面をした男もあるだらう。太子様がお帰りの時、自分の手を固く握つて、『これ、スバール、屹度迎へに来るよ』と耳の側で囁き遊ばした時の嬉しさ。然し、かやうな山奥に育つた世間知らずの妾をば、どうして永遠に寵愛して下さる道理があらう。地位と云ひ容貌と云ひ、名望と云ひ、比稀なる若君なれば都大路には立派な女も沢山あるだらう。そして太子様の権威と富力によらば、いかなる天下の美人も、引寄せ給ふ事が出来るであらう。太子様は、どこ迄も恋しい。寝ても覚めても忘れられぬ。何だか此頃は吾心さへボンヤリとして来たやうだ。然し乍ら都大路に出て、幸ひに太子様の御寵愛を蒙つた所でさへ、夢の間の朝顔の花、朝の露が乾けば夕に萎るる道理、可惜罪を作るよりも一層の事、吾恋ふる心を太子様に奉り、一生の操を守つて父と共に此山奥に朽ちむか……と、雄々しくも恋の焔を自ら消してゐた。そこへ父のシャカンナが意味ありげな言葉を聞いて、スバール姫は何とはなしに前途有望のやうな感じがムラムラと湧き出で、俯向き乍ら、顔を紅に染め、恥かしげに云ふ。
『お父様、遠慮会釈なく思つてゐる事を云へと仰いましたから、今日は妾の一生の一大事、何もかも思つてゐる事を申上げます。どうか叱らないやうにして下さい』
シャ『何、叱るものか。どんな事でも思つた事を父の前で云つて見るがよい』
ス『そんなら申上げます。もうかうなつてはお隠し申すも及びませぬから、太子様がお帰りの時、妾の手を固く握り「スバール姫よ、暫く待つてゐよ。屹度迎へに来てやる」と仰有いました。自惚かは知りませぬが、太子様は……あの妾にラブしてゐらつしやるでせう。そして妾も……』
シャ『アツハヽヽヽ、さうだらう さうだらう、やつぱり父の睨んだ通りだ。そして太子様が迎へに来て下さつたら、お前は喜んで行くだらうな』
ス『ハイ、それは参らぬ事も厶いませぬが、何と云つてもラブは神聖なもので厶いますから、余程考へさして頂かねばなりませぬ』
シャ『ウン、それもさうだな。何と云つても一国の主権者におなり遊ばす御方、至尊至貴にして犯すべからざる王太子様の妃になるのはお前も女としては無上の出世だ。お前の為に此の父も枯木に花の咲く時節が来るのだから、どうか太子様の思召がお前をどこ迄も妃にすると云ふ考へが定つたならば、父の為にもなる事だから喜んで行つてくれるだらうな』
ス『父の為には孝養を尽すを以て子たるものの務めと致します。父の為と恋愛の為とは道が違ふぢやありませぬか。もし妾の恋愛が完全に成就したのならば、副産物としてお父様も幸運に向はれるでせう。お父さまの幸運はつまり此の恋愛が成就するからでせう。妾はお父様に対しては孝養を主とし、夫に対しては恋愛を主とするものです。それが至当の道理と考へてゐます』
シャ『アツハヽヽヽ、何時の間に、そんな理窟を覚えたのだ。夫が主で父が従とはチツとひどいぢやないか。それでは倫理学上由々しき大問題だ』
ス『そんならお父様の孝養を主として恋愛を一生葬りませう。その代り此山奥に一生朽ち果てる覚悟で厶いますから』
シャ『そんな、ならぬ事を云ふものぢやない。親の云ひ条について太子様のお妃になれば孝養も恋愛も完全に成就するぢやないか』
ス『孝養と恋愛が両方円満に成功すれば、こんな結構な喜びは厶いませぬ。然し乍ら世の中には、さう誂へ向に行かない事が沢山あるでせう。凡て恋愛なるものは愛情から来るものです。愛情はどこどこ迄も拡大すべきもの、又流動性を帯びてゐるものですから、倫理や道徳や知識を以て制縛し得るものではありませぬ。もし恋愛に理智が加はれば恋愛そのものは、千里の遠方に逃げ出してゐるぢやありませぬか。智性と意性即ち理智と愛情とは到底両立しないものでせう』
シャ『何時の間にか誰も教へないのに、こましやくれたものだな。ほんとに「油断のならぬは娘だ」と云ふが、此父もお前の話を聞いて荒肝を挫がれて了つたよ』
ス『お父さまは昔気質でお頭が少し古く出来てゐますから、恋愛問題等に容喙なさる資格はありますまいよ。どうか此問題は妾の意志に任して下さいませ。古い倫理や道徳説に囚はれて可惜女の一生を霊的に抹殺される事は堪へられませぬ。神聖な霊魂を男子に翻弄される事は女一人として堪へられない悲哀ですから、仮令太子様が妾を寵愛して下さるにした所で、妾が太子様以上に愛する男子が現はれたとすれば、その時はお父様はどう思ひますか』
シャ『これは怪しからぬ。「女は三界に家なし」と云つて、夫の家に嫁いだ時は、いかなる不幸も不満も堪へ忍ばねばならぬ。そして舅姑によく仕へ、親や夫の無理を平気で甘受せねばならぬものだ。それが女として最も尊い務めだ。その考へがなくちや到底女として立つ事は出来ないぞ。それが女の貞操だからのう』
ス『ホヽヽヽ、それだからお父さまは頭が古いと云ふのですよ。男女は同権ぢやありませぬか。男子が一個の人格者ならば、女だつてやつぱり一個の人格者でせう。人格と人格との結合によつて、初めて完全な恋愛が行はれ、結婚が成立するのでせう。恋愛は恋愛として、どこ迄も自由でなけれねば、結婚と云ふ関門を通過した女は殆ど奴隷的牢獄に投ぜられたやうなものです。男子は好きすつぽうに己が愛する女を幾人も翻弄し、女一人に貞操を守れと云ふのは不道理至極なやり方ぢやありませぬか。例へば太子様が妾をラブし、妾が太子様を此上なくラブしてる間は、互に貞操も保たれ、完全な結婚の目的も達するでせう。もし太子様に於て妾以上に愛する女が出来た時は、太子の恋愛は既に已に妾を去つて他の女に移つてるぢやありませぬか。それでも妾は恋の犠牲者として霊的死者の位置に甘んぜねばなりませぬか。そんな不合理な事が、どこに厶いませうぞ。之に反する場合即ち妾が太子様以上に恋愛する男子が現はれた時は、又其男子に恋愛を移すのは恋愛そのものにとり自然の成行でせう』
シャ『オイ、娘、何と云ふ馬鹿な事を云ふか。誰にそんな悪知恵をつけられたのだ』
ス『ハイ、妾の良心が、さう囁いてゐます。あのトンクだつて、妾に始終そんな話を聞かして呉れましたよ』
シャ『エー、トンクの野郎、碌でもない事を魂の据はらない愛娘に吹き込みやがるものだから、娘の心に白蟻がついて瑕物にして了ひやがつた。表面からは天成の美人も、腹の中からは悪魔が已に棲ぐつてゐる。こんなものを畏れ多くも太子の妻に奉る事は出来ない。エー、困つた奴だな』
と腕を組み、太き吐息をつく。
ス『ホヽヽヽ、お父さま、何でもない問題ぢやありませぬか。よく考へて御覧なさい。女子ばかりに貞操を強要して男子に貞操を強要せないのは家庭紊乱の基となり、惹いては国家の破滅を来す源泉となるものですよ。女子に貞操が必要なれば男子にも貞操が必要でせう。もし夫たるもの其妻の他に妻に勝つて愛する女子が出来、私かに恋愛を味ははむとする場合、その妻は、その夫に対して叱言を云つたり、悋気をしてはいけませぬ。真に夫を愛するのならば夫の意志に任すのが妻たるものの雅量ぢやありませぬか。女房の恋を夫が強圧的におさへ「自分を無理に愛せよ」と迫り打擲したりして「自分を絶対的に愛せよ」と云ふのは決して理解ある男子とは云へませぬ。それ位の雅量がなくては、どこに男子の価値がありますか。又、妻も妻で、自分の愛する夫が、その妻よりも愛する女が出来た時、夫の愛する恋愛を遂げさしてこそ、真に夫を愛すると云ふ事になるのでせう。夫は女の目より隠れ忍んで僅に恋愛を味はひ、妻は妻で又ヒヤヒヤビクビクし乍ら他の男と恋愛を味はふやうな事で、どうして家庭が円満に行きませう』
シャ『馬鹿云ふな、そりや畜生のする事だ。爺は勝手に女房以外の女を持ち、女は夫以外の男をもち、そんな不仕鱈な事して家庭が円満に保たれるか。家庭円満が聞いて呆れるぢやないか』
ス『ホヽヽヽ、お父さまの没分暁漢には困つて了ふわ。夫が妻の恋愛を嫉妬したり妨害したり、妻が夫の恋愛を嫉妬したり妨害する等は、実に卑怯未練と云ふべきものです。人格を備へたもののなすべき事ぢやありませぬ。此タラハン国は国が小さいから人間の心迄が小さい。それで恋愛の冷却した女でさへ、自分の方に恋愛が残つて居れば無理に抑へつけ、一方の恋愛を犠牲にしようとするやうでは、家庭が円満に行きませぬよ。又恋愛は倫理や道徳の範囲で律する事は出来ませぬ。お父さまは倫理や道徳を加味した恋愛論ですから、云はば偽の恋愛論です。社会の秩序だとか、家庭の円満だとか云つて、煩悶し焦慮し、却て狭苦しい道徳をふりまはして、益々家庭を紊乱し、社会の秩序を乱すやうになるのですよ。男子も女子も社会一般の人が雅量と理解とをもたねば国家も家庭も円満に治まるものぢやありませぬわ。妻が夫に対する貞操は妻以外の夫の恋愛者に対し少しの妨害もせず嫉妬もせず、むしろ好意を以て夫の恋愛を遂げさするのは、つまり夫に対する妻の貞操ですよ。又之に反する場合も同様で、夫が妻に対する貞操は妻の恋愛を遂げさせ、夫が妻に同情を寄せるのが、真に妻を愛する事になるのです。一夫一婦の制度を以て国家存立の大本となす政体もあり、一妻多夫、多夫一妻を以て国本となす政体も世界にあるぢやありませぬか。男女が平均に生れる国では一夫一婦の制も結構でせうが、女が男より多く生れる国、又は男が女より多く生れる国では、到底一夫一婦の制は守れますまい。それこそ却て不道徳になるのではありませぬか。女の多い国では女の恋愛抹殺者が出来、男の多い国では男の恋愛抹殺者が出来るでせう。こんな悲惨な事が何処にあるでせう』
シャ『理窟はどうでもつくものだ。然し乍らタラハン国は一夫一婦が制度だ。之を破るものは道徳の破壊者だ。恋愛等末の末だ』
ス『今日の世の中に大人物の現はれないのは一夫一婦の制度が行はれてゐる弊害から来るのですよ。昔の神代の神様を御覧なさい。大国主の神様は打みる島の先々、垣見る磯のさきおちず賢女奇女を娶り、国魂の神を生み、大人物を沢山お造りなさつたぢやありませぬか。スダルマン太子のやうな賢明な君子的人格者は、妾のやうな賢女奇女を、沢山娶ひ遊ばし、そして大人物を四方に配り遊ばしたら、屹度世の中はよくなるでせう。あんな大人物こそ沢山な女があつても生殖の方から見て国家の宝を産み出す事になるでせう。之に反して愚夫愚婦と云へど矢張一夫一婦とすればガラクタ人間許り世に拡まり、益々世は堕落するのみでせう。要するに社会道徳の上から考へて、立派な人間は天の星の数程沢山な怜悧子を生み、野卑下劣な半獣的人間は、なるべく子を産まないやうにするのが、国家存立の上にも個人経済の上にも有利でせう。お父さま、之でも不道理と聞えますかな』
シャ『ハヽヽヽ、まるで太子様を、種馬と間違へてゐるぢやないか。不都合千万な事を云ふ奴ぢや』
ス『その種馬におなり遊ばすのが、国の君たる方の御天職でせう。太子様のみならず、国の立派な人は皆種馬として社会に子を沢山産み落さなくては、社会の根本的改造はどうしても駄目です』
シャ『さうするとお前は太子様が沢山な女をおもちになつた時はどうするつもりだ。理論と実際とは大に違ふものだから、その時になつて悋気の角を生やしたり、嫉妬の焔をもやしたり、その時に辛い目を味はつて見ねば解るまい。今こそ理論では立派な事云つてるが実地になれば、さうは行かないよ。屹度悋気するに定つてゐるわ』
ス『オホヽヽヽ、そんな雅量のないスバールぢや厶いませぬ。妾だつて太子様以上に愛する男子が出来た時、太子様が故障を云はれるやうな事があつた時は、妾の方から御免を蒙る丈けの事ですわ。一方の恋を圧迫し、どうして円満に行けますか。夫婦は家庭の重要品です。家庭と恋愛は別物ですよ。家庭は家庭として円満に行き、恋愛は恋愛として自由に行ふべきものです。太子様の上つ方から、こんな手本を出して貰はなくては、悋気とか姦通とか不道徳とかの、忌まわしい問題が絶滅せないのです。一夫多婦のモルモン宗を御覧なさい。決して沢山の妻の中に、悋気や嫉妬や、怨嗟等の声はありませぬよ。兎に角、旧来の陋習を打破せなくては、家庭も国家も治まりませぬ。妾はスダルマン太子様こそは恋愛に対しても理解を持ち、又社会道徳に対しても完全に改良する資質をもつた方と伺ひました。それで恋愛は兎も角、国家社会のため必要のためと欣慕のあまり遂に恋愛に転嫁したのですわ、ホヽヽヽ』
と十五才の娘にも似合はず、おひおひと心の生地を現はし、父のシャカンナを烟にまいて了つた。
シャカンナ『アヽア、十年経てば一昔、此山の奥迄も思想界の悪風は襲うて来たのかな』
(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 北村隆光録)
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