文献名1霊界物語 第74巻 天祥地瑞 丑の巻
文献名2第2篇 真鶴新国よみ(新仮名遣い)まなづるしんこく
文献名3第20章 松下の述懐〔1888〕よみ(新仮名遣い)しょうかのじゅつかい
著者出口王仁三郎
概要
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データ最終更新日----
あらすじ玉野の聖所を汚したことを悔い、従者神たち一行は、森の中に点在する玉泉の清水に、ひとつひとつ言霊歌を詠みながら進んでいった。
先頭に立つ真言厳の神は、自らの行為を宣りなおす歌を歌う。
途中、松の木の下で一夜を明かすこととなった。翌朝、神々はそれぞれ、悔悟の述懐歌を歌い、東雲の空に礼拝して再び玉野の丘に向かって進んで行った。
主な人物
舞台
口述日1933(昭和8)年10月27日(旧09月9日)
口述場所水明閣
筆録者白石恵子
校正日
校正場所
初版発行日1934(昭和9)年1月5日
愛善世界社版
八幡書店版第13輯 247頁
修補版
校定版325頁
普及版
初版
ページ備考
OBC rm7420
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本文
遠見男の神一行は、玉野の丘の麓より聖所を汚せしことを悔い、一目散に駒の蹄の音いそがしく、玉野の森を駆け出だし、道の辺の並木に駒を繋ぎ置き、素跣足となりて恐る恐る再び玉野の森に潜り入り、道の両側に木洩陽を写して輝く清泉の前に立ち、各も各も生言霊を宣り、天津祝詞を奏上し、歌を詠みつつ進ませ給ふ。
遠見男の神の御歌。
『主の神の天降りますなる玉野森の
この美味水よ月の鏡か
月も日もうつらす清き真清水を
蹄に汚せしことを今悔ゆ
この清水わが魂線を洗へかし
身体の汚れは言ふも更なり』
圓屋比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『常磐樹のかげをうつして永久に
月日かがよふ清水真清水
この水の清きが如くわが魂を
洗ひすまして神に仕へむ』
多々久美の神は御歌詠ませ給ふ。
『知らず知らずわが魂線は傲ぶりて
この真清水をよそに見しはや
大神の御前に詣づる道の辺の
清水真清水尊くもあるか
月も日も星もうつらふ水鏡
うつせば吾の魂のきたなき』
宇礼志穂の神は御歌詠ませ給ふ。
『真清水にわが魂線を洗ひ澄ます
神業うれしく仕へまつらな
神代より主の大神の生ませます
この神森の尊さ清さよ』
結比合の神は御歌うたひ給ふ。
『千早振る神の御霊と湧き出でし
この真清水の清くもあるかな
目のあたり清き鏡を見ながらも
禊のわざを怠りしはや
真清水に霊を洗ひて主の神の
みもとに詣づる思へば嬉しも』
美波志比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『晴れ渡る空の蒼みを写しつつ
底まで青く澄める泉よ
わが姿うつして見れば恥づかしも
神にまみえむ術なかりける』
産玉の神は御歌詠ませ給ふ。
『産玉の神と現れ産水の
清きを知らず通り過ぎける
玉野比女生れます時ゆ湧き出でし
この真清水はうぶだらひかも』
魂機張の神は御歌詠ませ給ふ。
『たまきはる生命の清水湧き出づる
この神森は常世にもがも
朝夕に月日の浮ぶ真清水を
かがみとなして御魂洗はむ』
結比合の神は御歌詠ませ給ふ。
『火と水を結び合せて湧き出づる
玉の泉の澄みきらひたるも
吾は今玉の清水に影うつし
きたなき心をはぢらひにけり』
美味素の神は御歌詠ませ給ふ。
『和き水甘き清水よ美味素の
神の心のうつる真清水
この水は主の大神の乳房より
滴る水かうまし玉水』
真言厳の神は御歌詠ませ給ふ。
『滾々と湧きてつきせぬ真清水の
甘きは神の心なるかも
白駒に跨り咽喉を渇かせつ
この真清水を知らざりしはや』
一行の神々は、彼方此方に点々せる玉泉の真清水に、一々言霊歌を詠み御魂を洗ひつつ、慎ましやかに進ませ給ふ。
前に立たせる真言厳の神は、悠々と御歌詠ませ給ふ。
『ああ有難し有難し
天と地との中空に
清しく立てる常磐樹の
玉野の森の聖所
瑞の御霊に従ひて
駒に跨り進み行く
礼なきわざも知らずして
玉野の比女の永久に
鎮まりいます山麓に
意気揚々と着きみれば
玉野の比女は瑞御霊
生代の比女のみ導きて
黙しています不思議さに
よくよく思ひめぐらせば
智慧証覚のまだ足らぬ
吾々一行神々は
瑞の御霊と諸共に
この聖所を悠々と
駒の蹄に汚しつつ
玉の清水に魂線を
洗ひて禊の神業を
いそしむ事を忘れ居り
主の大神の御神慮に
叛きまつらむひがごとと
始めて悟りし恥づかしさ
面ほてりつつ引き返し
前非を悔いて玉野森
もと来し道にぬけいだし
駒を並木に繋ぎおき
素足のままに白砂を
さくさく踏みて進み来る
道の行手に輝ける
右り左の玉清水
清くすがしく湧き出でで
月日のかげを宿すなる
永久の泉に魂線を
各も各もが洗ひつつ
白梅かをる神森を
辿りて行けば松上の
鶴の鳴き声勇ましく
わが魂線を引きたつる
ああ惟神々々
神の依さしの神業に
仕ふる吾等は朝夕に
天津祝詞を奏上し
玉の清水に禊して
進み行くべき慎みを
暫し心のゆるみより
忘れ居たるぞうたてけれ
小鳥は歌ひ蝶は舞ふ
常世の春の神の森
吹き来る風も芳しく
四方に薫ずる梅が香の
清きは神の心かも
尊き神の御心に
包まれながら愚なる
吾等は少しも悟り得ず
轡を並べて堂々と
主の大神の天降ります
聖所に進みし愚さよ
吾等は心を改めて
罪過ちを悔いながら
再び禊の神業に
仕へまつりてとぼとぼと
松間の木漏陽あびながら
彼方此方に湧き出づる
清水にことごと禊して
やうやう此処に着きぬれど
まだ行く先は道遠み
心の駒ははやれども
二つの足の如何にして
聖所に達し得べけむや
この神森の黄昏を
星は御空にきらめきつ
夕の風は冷やかに
吾等が肌を浸すなり
ああ惟神々々
今宵は松の太幹の
樹下に一同休らひて
朝日の昇るを待ちあかし
再び清水に禊して
進み行かばや惟神
御霊幸倍ましませよ』
斯く歌ひながら進ませ給ふ。
さしもに広き神森の白砂に脛を没し、容易に進むべくもあらねば、神々は天津祝詞を奏上し松下に一夜を明し給ひぬ。
遠見男の神は御歌詠ませ給ふ。
『黄昏の闇は迫れど月読の
神は御空に輝き給ひぬ
真清水に清しくうつらふ月光を
吾拝みて面恥づかしも
風はらむ梢のそよぎ止まりて
田鶴の声のみ高く聞ゆる
白梅の露にかがよふ月光は
わが魂線をよみがへらすも
百鳥は塒定むるこの宵を
罪にしづみて眠らえぬかな
瑞御霊さぞや歎かせ給ふらむ
吾等が魂の曇れるを見て
これといふ神柱なきをわが岐美は
朝な夕なに歎かせ給はむ
神業に朝な夕なを仕へしと
思ひしことは夢になりける
わが智慧も亦証覚も充たざるを
知らずに仕へし恥づかしさを思ふ』
圓屋比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『天伝ふ月の鏡も圓屋比古の
神の御魂を照らして笑ませる
小夜更けの泉の波に浮びます
月の面を見ればはづかし
夜の鶴子を育みて寝もやらず
守りゐるかも愛の強さに
白梅の露に御空の月照りて
かをり清しき玉野森の夜半
神業に遅れし御魂集りて
今新しく禊するかも
天界は気ゆるしならぬ神国と
知りつつもなほ怠りにける
智慧証覚足らざる為に要なる
禊のわざを忘れ居しはや
瑞御霊と同じにわが魂清まりしと
思ひし事の愚さを恥づる
一言も宣らさぬ岐美の御心を
汚しまつりし事の悔しも
生代比女心清しくましますか
玉野の丘に導かれ給ひて』
多々久美の神は御歌詠ませ給ふ。
『小夜更けて常磐の松の下かげに
わが過を歎かひにけり
常磐樹の苔むす松の下かげに
吾は悔悟の涙に暮れ居り
愚しきわが御魂かも要なる
神業忘れてひた進みけるよ
真清水の池にうつらふ月見れば
わが愚さを微笑みますかも
吾ながらあきれはてたり魂線の
くもりし事を気づかずに居し
多々久美の神の司名を持ちながら
かかる神業を忘れし愚さ
梢吹く風の響も愚なる
吾を笑へる如く聞え来
真鶴は松の梢にとどまりて
ただ一声に吾をいましむ
かくならば鶴にも劣る御魂かと
今更悔し多々久美の神は
今よりは心の駒を立て直し
誠を一つに道に仕へむ』
宇礼志穂の神は御歌詠ませ給ふ。
『小夜更けの松の樹蔭にうづくまり
恥ぢらひにつつ月を仰ぐも
にこにこと笑ませる月の面見れば
わが魂線を抉らるる如し
国土生みと神生みの神の御供して
岐美をなやませし事を恥ぢらふ
瑞御霊わが魂線のくもれるを
見透し給ひて歎きましけむ
御供に仕へまつると雄々しくも
進みしことの恥づかしきかな
さりながらわが魂線の穢をば
早く悟りし事の嬉しさ
よき事に曲事いつき曲事に
よき事いつく神代なりにけり
よしあしの差別も知らに進みてし
宇礼志穂吾の浅間しさを思ふ
時じくに白梅かをる神の森を
蹄に汚せしことの畏き
玉泉右と左に湧きてあるを
禊もなさで進みし愚さ』
産玉の神は御歌詠ませ給ふ。
『大空の青海が原を渡りゆく
月読の舟はいとも美し
冴え渡る御空の月に照らされて
吾恥づかしく打ちふるふなり
真清水の永久に湧く神の森を
禊忘れて進みし愚さ
何事も神の心に宣り直し
見直しませよ吾等の過を
神直日大直日の神聞き直し
見直しまして許させ給へ
主の神は玉の宮居にましまして
わが愚なる業覧はすらむ
瑞御霊生代の比女の二柱
淋しみまさむ吾等がくもりに
玉野比女の御顔見るも恥づかしく
なりにけらしな凡神吾は
主の神のウ声の言霊鳴り鳴りて
生れ出でたる神吾恥づかし
真鶴の山に言霊奏上し
しるしなかりしも宜よと思ふ』
魂機張の神は御歌詠ませ給ふ。
『瑞御霊生言霊の功績を
塞ぎまつりし吾恥づかしも
生代比女神の曇れる魂線を
瑞の御霊は生かし給へり
証覚の未だ足らはぬ吾にして
生言霊のしるしあるべき
いや広き玉野の森に小夜更けて
月のしたびに悔い心わく
常磐樹の梢御空をかくさずば
ただに月見る顔なかるらむ』
美波志比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『恥づかしき吾にもあるか大道に
仕へて禊のわざ忘るとは
禊せよと右と左に真清水の
照れる泉を知らず過ぎけり
魂線のいたく曇りて道の辺の
禊の泉も見えざりしはや
禊より尊きものは世にあらじと
吾は常々語らひ居しを
わが駒は榛の並木に繋がれて
主を恋ひつつ淋しみ嘶くらむ
駿馬の蹄そろへて真砂地を
やうやう進みし愚なる吾よ
知らぬ神に祟なしとは誰かいふ
汚れし御魂に神はまみえず
小夜更けて淋しくなりぬわが心
あまり曇りの深くありせば
真清水に浸し洗へどなかなかに
魂の汚れの清まらぬかな
天津祝詞時じく宣れど如何せむ
わが愚なる魂は洗へず』
結比合の神は御歌詠ませ給ふ。
『瑞御霊御供にはろばろ仕へ来て
吾恥づかしき宵にあふかな
わが心いゆきつまりて玉野丘の
麓に歎かひ引き返しける
朝夕に生言霊を宣りつつも
禊の神業忘れ居しはや
国土を生み神を生ませる御供なれば
魂を清めて仕ふべき吾
神業の妨げなせしを今更に
悔いつつ泉に魂洗ふかな
しんしんと夜は更け渡り真鶴は
漸く声をひそめ眠れり
やがて今東の空はしののめて
この神森も明るくなるべし
東雲の空ほのぼのとあからみつ
わが魂線もよみがへりけり
東の空にわきたつ紫の
雲美しみ神言宣らむ』
真言厳の神は御歌詠ませ給ふ。
『東雲の空おひおひに明らみぬ
やがて天津日昇り給はむ
月にさへ恥づかしきものを天津日の
昇り給はばわれ如何にせむ
村肝の心清めて魂洗ひ
新しき日を拝みまつらむ』
斯く神々は述懐歌を述べ、悔悟の涙を浮べながら、東雲の空に向つて礼拝久しうし、再び真砂地を素足にきざみながら、玉野丘を指して畏る畏る進ませ給ひぬ。
(昭和八・一〇・二七 旧九・九 於水明閣 白石恵子謹録)