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文献名1霊界物語 第74巻 天祥地瑞 丑の巻
文献名2第3篇 玉藻霊山よみ(新仮名遣い)たまもれいざん
文献名3第21章 玉野清庭〔1889〕よみ(新仮名遣い)たまもすがにわ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
天界にも栄枯盛衰があり、神々にも若境と老境がある。神々は若返り甦りつつ、永遠に若さを保って各々の職掌に生きるのである。

玉野比女は、主の神の宣旨を受けて長い年月、神生みの業を待っていたが、適齢を過ごしてしまった。そこに再び主の神の宣旨あり、より大きな国生みの神業を任されたのであった。

顕津男の神を迎えた玉野比女は、ともに真鶴国の国生みをし、造り固めようと歌いかける。

顕津男の神は、凡神の目を恐れて神業を始めるのが遅れたことを悔い、玉野比女に詫びるが、玉野比女、本津真言の神、待合比古の神は、これからの国生みに希望を託す歌を歌う。

一同は主の神に面会するため、白砂を敷き詰めた玉野丘の庭を歩んで行く。玉野比女は、年老いた松の影に顕津男の神を導いた。

そこに、鏡のように木漏れ日を映した、深く青く輝く清泉があった。

玉野比女は清泉の傍らに立って、この泉は主の神の御霊が現れたものであり、主の神にご面会する前には、必ずここで禊をする場所だと説明する。

顕津男の神は泉の清清しさをたたえる歌を歌い、七度禊をした。そして玉野比女に手をひかれ、本津真言の神を先頭に、待合比古の神を殿にして、白砂の庭をそっと歩いて玉の宮の聖殿をさして進んで行った。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年10月29日(旧09月11日) 口述場所水明閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年1月5日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 256頁 修補版 校定版359頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  天人の五衰ありとは仏典の示す所である。宜なり、神々の永久に住み給ふ天界にも、亦栄枯盛衰あり、若境あり老境あり。故に天界の神々は若がへり若がへり甦りつつ、永遠に其若さを保ちて、各も各もの職掌に生き栄え給ふなり。茲に玉野比女の神は神生みの神業を勤むべく、主の神の御宣示をうけて、長き年月を待たせ給ひけるが、可惜其適齢を過ごし給ひたれば、神生みの神事に相応ず、再び主の神の御宣示により、層一層大なる国土生みの神業を任けられ給ひたれば、玉野山の清丘に永久の住所を定め、時を待たせつつありける。
 顕津男の神は漸くにして、玉野森に着かせ給ひければ、永の年月待ち佇び給ひし玉野比女の神は、折から降臨し給ひし主の大神に謹み待りつつ、御許しを得て寸間を窺ひ、丘の麓まで本津真言の神、待合比古の神の二神と共に出迎へ、待ち佗びたる瑞の御霊との初対面を悦び給ひつつ、聖所に導き給ひける。

玉野比女の神『岐美待ちて気永くなりぬ吾は今
  神生みの業に仕へむすべなし

 さりながら主の大神の神言もて
  岐美と生まなむこの国原を

 真鶴の国土はまだ稚し玉野森の
  聖所に立ちて造り固めむか』

 顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『高地秀の山を立ち出ではろばろと
  我は国土生むと此処に来つるも

 御依さしの神生みの業仕へつる
  今日より公と国土生まむかも

 果しなき稚国原に立ちのぼる
  狭霧深しもほの暗きかも

 主の神の天降りますと聞きて我は今
  神業をへぬを恐れみ思ふ

 ためらひの心に我は年を経て
  神生みの神業に後れけるかも

 主の神の御心うけて凡神の
  言葉に心をかけしを悔ゆるも

 本と末上と下との差別をば
  守りて国土生み神生みは成るを

 主の神の神言畏み凡神の
  囁き外にいざや尽さな』

 玉野比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『何も彼も主の大神の御水火より
  現れし御魂ぞ謹しみ仕へむ

 瑞御霊おくれ給ひし神業の
  悔しけれども今は是非なし

 吾は今年老いにけりさりながら
  国土生みの業を難しと思はず

 岐美在さばまだ地稚き真鶴の
  国土も𪫧怜によみがへるべし』

 本津真言の神は御歌詠ませ給ふ。

『玉野比女に吾は仕へて気永くも
  岐美待ち佗びし本津真言の神よ

 いでませし岐美の姿を拝みて
  尊さあまり涙にくれける

 嬉しさの涙は滝と迸しり
  恵の露と輝きにけり

 百日日はあれども今日の生日こそ
  神国を生ます目出度き日なるよ

 朝夕に主の大神を祈りてし
  功は今日の喜びにあひぬ

 久方の冴えたる月を仰ぎつつ
  岐美の出でまし幾年待ちしよ

 この丘は主の大神の御手づから
  水火を固めて生ませる聖所よ

 未だ稚き国土なりながらこの森に
  千歳の松は繁りあひたり

 想念の天界なれば千年の
  常磐の松も生れ出でにける』

 待合比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『年月を忍び忍びて岐美待ちし
  吾いつの間にか老いにけらしな

 玉野比女の神の心を押しはかり
  月を仰ぎて涙せしはや

 盈ち虧くる月読のかげ夜な夜なに
  仰ぎて吾は心痛めし

 盈つる日は岐美の幸思ひ虧くる日は
  岐美の御身を思ひなやみし

 待ち待ちて今日のよき日をこの丘に
  迎へし岐美ぞ夢かとぞ思ふ

 主の神の生ませ給へるこの丘に
  鎮まりまして国土造りませ

 玉野比女如何に雄々しくいますとも
  一柱神にてせむすべなからむ

 女男の水火合せ給ひて真鶴の
  稚き国原生かしましませ』

 顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『主の神の生ませ給へる玉野丘に
  のぼりて我は心栄えぬ

 村肝の心栄えつ生き生きつ
  畏み思ふ主の神の降臨を

 智慧証覚未だ足らねど願くは
  主の大神を仰ぎ度く思ふ』

 玉野比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『瑞御霊此処に来ますと主の神は
  先に天降らす今日のかしこさ

 いざさらばこの丘の上の清泉に
  御魂清めて拝みまつらむ』

 比女神はいとも淑かに、玉野丘の広庭の白砂を刻みながら、老松の影に導き給へば、鏡の如き清泉は樹漏陽の影をうつして、広く深く青く輝けるあり。玉野比女の神は、清泉の汀に立ちて、

『主の神の御霊とあれし玉泉の
  水面の光尊からずや

 朝夕にこの真清水に魂線を
  洗ひて吾は年を経にけり

 主の神に見えまつらむ吾にして
  この玉泉のぞまぬ日はなし』

 顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『畏しや玉野の比女の御言葉
  我諾ひて禊つかへむ』

 折から吹き来る涼風に、玉泉の青き水面は魚鱗の波を湛へ、樹漏陽にあひて金銀色に映えながら、涼味深々として身に迫り来る。顕津男の神は、生けるが如き水面の波のそよぎを見やりつつ、威儀を正して御歌詠ませ給ふ。

『清々しこの真清水は玉野比女の
  清き心と拝みまつるも

 青々と底ひも見えず湛へたる
  深き真水は公の心よ

 澄みきりて底ひもわかず深き水は
  公の雄々しき真心なりけり

 主の神の恵の露かこの水は
  一目見るさへ心よみがへる

 常磐樹の松の繁みに鎖されし
  玉の清水の青くもあるかな

 この水の精より出でし比女神なれば
  その御姿の清しきも宜よ』

 玉野比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『この泉玉野の池と称へられ
  朝夕吾は鏡と拝みぬ

 真鶴の国土をつくると朝夕に
  玉の泉にみそぎせしはや』

 本津真言の神は御歌詠ませ給ふ。

『玉野丘玉の泉に月も日も
  浮びて清しき朝夕なりけり

 百度の禊をなして主の神の
  宮に朝夕御饌奉る吾

 瑞の御霊岐美は七度禊して
  主の大神を拝ませ給へ』

 顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『有難し本津真言の神言を
  我諾ひて禊につかへむ』

 待合比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『七度の岐美の禊を待ち合せ
  御供に仕へむ大宮居まで』

 茲に顕津男の神は七度の禊を修し給ひ、玉野比女の神に御手を曳かれながら、本津真言の神を先頭に、待合比古の神を殿に、白砂の庭を蹐しながら、除ろに玉の宮の聖殿をさして進ませ給ふぞ畏けれ。
(昭和八・一〇・二九 旧九・一一 於水明閣 加藤明子謹録)
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