主の大神は、玉野森にご降臨したが、神々がまだ悟りを得ていなかったので、やむを得ず本津真言の神の姿を借りて、国造りの神業を助けていた。
神々は主の大神であるとまったく気づかなかったが、力充男の神がついに気づき歌に明かしたため、再び天津高宮にお帰りになったのであった。
玉野比女は、八十比女神に選ばれたものの、御子生みの資格が得られるほど悟りが深くなかった。そのため、神生みの神業はせず、国土生みの神業に仕えるように定められたのであった。
また、顕津男の神は神業のはじめにあたって、周りの神々たちに遠慮したことが勇猛心を欠き、神業の期を逃してしまった。
一方、真鶴山の御魂・生代比女は、八十比女神には入れなかったのだが、知恵と悟りに優れた賢女であったため、神生みの業をなすことを、大神はあえて許したのであった。生代比女の積極的な行動が、国生み・神生みの神策にかなったからである。
あえて生代比女の小さな過ちよりも大きな功を取ったのも、時代相応の処置であったと思われる。
本津真言の神が天に帰って行ったのを見て、神々はそれぞれ述懐の歌を歌い、国生みの神業への誓いを新たにする。
すると最後に、力充男の神は、実は自分は紫微天界の高鋒の神であり、主の大神の霊(チ)と体(カラ)が結合して生まれた神である、と明かす。
力充男の神は、国生みに従事する神々がそろった今、自分の役割は終わったと歌い、光となってあたりを照らしながら、紫の雲を呼び起こして天津高宮に帰って行った。