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文献名1霊界物語 第75巻 天祥地瑞 寅の巻
文献名2第2篇 国魂出現よみ(新仮名遣い)くにたましゅつげん
文献名3第7章 瑞の言霊〔1901〕よみ(新仮名遣い)みずのことたま
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ御須麻留(美須麻琉) データ凡例 データ最終更新日2020-06-21 15:32:24
あらすじ
国土生み・御子生みの神業が成ったので、顕津男の神は大前に跪いて座り、神人すべてのために祝詞を奏上し、天界永遠の無事を祈った。

その祝詞、

高天原の紫微宮にまします天之峯火夫の神、高鉾の神、神鉾の神をはじめとする、天津神国津神八百万の神たちの前に申して言う、

神々の身体の大本源とは、大きく集まり結びあって円となった最上の産霊(むすび)である。神々の身は、その大本源によって「ムスビ」の極み限りを尽くして霊妙にして霊瑞にムスビ成ったものなのである。

その地水火風空(すべての元素)は円く備わり、争うことなく、片寄ることなく、止まることなく、滞ることはない。身魂は澄み渡り、赤く照り輝いている。

そして、大いなる結び合った円には極みがなにので、底につくことはなく、高天原の限り存在しないところはなく、あらゆる所がすなわち自分の身である。また、自分の身が「自分」と限られることすらない。

だから、天も地も我が身の内にあり、日は心の内から世界を照らして落ちることなく、潮・風は廻る。

だから、羽ばたきのように心を起こすだけで、たちまち神と顕れ、身がわずかでも働けば直ちに森羅万象を形づくる。八百万千万の神々は、すべて心の内に現れたものなのである。

一つ心に思うところが即、億兆無量の神の心となり、無量無辺の神の心が、ひるがえって我が為となる。自分のために心を起こすことはまったくないし、我が身のために行うこともまったくないのである。

だから、神のことごとく、一柱も漏れる神はないのである。神々の司る世界それぞれ、天空だろうと、地中だろうと、海中だろうと、神の護り幸はい恵みがあるのであり、正しい身で行えば、たちまち成るのである。だから、億兆の祈りもすべてが成り、億兆の業もすべて遂げられるのだ。

無から現れて現世に形をむすんだすべてのものは、一つも欠けることなく、夜昼の活動に仕え、朝夕の活用にはたらくので、少しも身に乏しいことも煩わしいこともないのだ。

ヒト=神人と言うのであり、煩い病苦悲しみといった災いは、すべて神人(ひと)の道を失って禽獣虫魚のレベルに落ちてしまっているのである。穢れた道を行けば、終に神人の身を失ってしまうのである。

比類なく貴い神人(ひと)の身を産霊(むすび)得ながら、卑しき身魂に落ちてしまう道理を明らかに悟れば、これを畏み思って、我が身の過ちを清め祓い尽くそう。

そして神人の道に進み入って、私の思いを起こさず、我が身のために行うのでなく、神人の名のままに行う。迷うことなく欲することなく神人の道に入れば、紫微宮の⦿(ス)の大神二柱も、夜昼の守りに幸を賜う。

真言為す神人の道は、自ら願うがままになり、天界の本から備わった大いなる真の道は永遠に伝わって、天の日がすべてを照らすようである。

雲のごとくすべてを潤し世界の隅々を知る⦿(ス)の大神の大御倉は、天地日月と共に永遠に連動して少しも失われることがなく、諸々の神たちは子を産み継いで、それぞれの位のままに永遠に助け合いお仕えになっている。

神人たちが、それぞれの神業を守って⦿(ス)の大神に仕え奉り楽しみつつ、神人の道にそむくことがなく、僻地の小さな神でさえ餓えや暑さ寒さの悩みを知らず、上中下各位の神人が共に一つの歓びを受ける。

このような、真の大⦿(ス)の御国となりますよう、お願い奉ることを、高天原の紫微の宮居の三柱の神、百千万の神たち共にお聞き届けますよう、畏み畏みも拝み申します。

そして、御歌を歌って静々と大前を退き、居間へと帰っていった。

玉野比女、生代比女も顕津男の神について、一間へ退いた。

遠見男の神は玉藻山の頂上から国見をし、圓屋比古の神を三笠山の国守と任命し、国中比古の神を真鶴国の稚国原の守りとする歌を歌った。

すると国中比古の神が、玉藻山の新生と神々の功を喜び祝おうと、天の斑駒に乗ってやってきた。そして、稚国原を治めるにあたっての抱負を歌った。また、圓屋比古の神も、三笠山の国守としての決意を歌った。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年11月17日(旧09月30日) 口述場所水明閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年2月3日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 320頁 修補版 校定版119頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  爰に太元顕津男の神は大前に跪座して、国土生み御子産みの神業成りたれば、万神人の為に生言霊の太祝詞を奏上し、天界永遠の無事を祈らせ給ひぬ。

『謹み畏み敬ひも白さく、高天原の紫微宮に大坐します天之峯火夫の神、高鉾の神、神鉾の神を始め奉り、天津神国津神八百万の神等の御前に白さく。此産霊に成れる神々は、其身体の大本源なる大御須麻留の上無き産霊に依りて産霊の極み極み尽し、産霊の限り限り尽して、此も霊妙く此も霊端に産霊成れる身にしあれば、そが地水火風空円く備はり、秋田の刈穂仮初にも競争ふ事なく、些少群竹聊も一方に片寄る事の無ければ、深山の葛懸り止る事無く、おどみにおどみ滞ることなくして、身魂永久に白玉なす伊澄み渡り、赤玉なす赫らひ照らひて、此一の身大御須麻留が中に充塞り塞り満て、大御須麻留の極み別らざる所しなければ、殊に底る事なく、高天原の限り我身の在らざる所なく、更に此身に有らざる処なし。更に此身を吾身と限る思ひ無し。此故に久方の天は我身体の中に伊澄み渡り、荒金の地は我身体の中に堅身同身を顕はして動く事なく揺ぐ事なく、天に照る日も心の内より六合に伊照り貫通り、世の中を照らし明めて落つる隈なく、大和田の潮水も我身の内に底を深めて潮を六合に廻らし、風の共白浪を立て起して嶋の崎々伊せき廻る。故れ羽叩きも心を起せば、その心即て神と顕はれ、僅少にても身活用けば、立所に森羅万象の妙体を現し、八百万千万諸の神、一つも心の内に現はれずと言ふ事なし。此故に一つの心に思ふ所、直に億兆無量の神の心となりて、無量無辺の御子の為となり、無量無辺の神の心は亦立返りて我為となる。一つの身動く所、億兆の神の行となりてその幸ひを得、億兆の人の行ひ我身に帰りて亦その幸ひを受く、微塵程も吾為に心を移す事なく、且くも身の為に行ひ為す事なし。此故に天津神国津神八百万千万の神、大き小さき神てふ神の悉々、樫の実の唯一柱も碗の水の漏るる神なし。空飛ぶ塵の半分も天津水影遺る神なく、現身を顕はし荒魂和魂を幸へ、常に来りて藤葛の木を纒ふが如く、目蓋の目を守るが如く、茜刺す昼の守り烏羽玉の夜の護りと、弥守りに護り弥幸ひに福ひ、其が神の御名のまにまに、そが神の道の任々、久方の空に天翺翔り、荒金の地に入り、海中に潜き入り潜き出て、愛しみ玉ひ、憐み玉ひ、扶け玉ひ、幸ひ玉ひ、恵み玉ひ、福ひ玉へば、真心に思ふ所、立所に成り、正身に行へば直ちに成る。是故に百千万の願ひ、億兆の祈り事一つも成らずと言ふ事なく、億兆の業微塵程も遂げずと言ふ事なし、無に形体を顕はせるものは、神を始め人の身、獣類、禽鳥、魚介、昆虫、木草の螻虫、萱草の片葉に至る迄、其現身の世に産霊て、形体なせる物てふ物は一つだも遺る物なく、飛ぶ塵の塵の半分も欠くる物なく、夜の仕へ昼の仕へに来たり仕へ、朝の活用夕の活用に来たり活用けば、且くも身に乏しき事なく、身に残るも煩ふ事なし。故れ此故に其が名を自ら神人となむ言ふなる。折々の諸の煩ひ病苦の悲しみの如き災は、禽獣虫魚等が道の内に備はれる事方にして、貴き霊き神人の道には更に更にその影だにも有る事なきものを、紫微天界の神人の病み悶へ苦しみ悩む事あるは、禽獣虫魚に均しき道を行きて神人の道を失へるより、諸の災難五月蠅如す皆湧き起るになむある。抑も爰に水腐り果つれば昆虫湧き、木の葉茂れば自ら鳥集り来たる。如此て其が穢き道を歩みぬれば、遂に其が獣鳥虫魚の身としも成果てて、永く獣鳥虫魚と成らむ。畏きかもよ、比類なき貴き霊しき神人の身を産霊得ながら、おどみの水のおどみ帰りて、卑しき身魂と成らむ神理を、真玉如す深く知り明に悟り極めぬれば、是をしも恐み畏み深く思ひて、身震ひ恐懼く迄に畏み恐み過ちて、今日まで起しつる獣鳥の心、虫魚の行ひは朝津日の露霜を消し尽す如く、朝の深霧夕の深霧を志那戸の風の吹攘ひ清むるが如く、清め尽し攘ひ極めて、照り渡ります陽の一進みに神人の道に進み入り、空飛ぶ塵の塵の半分も私の思ひを起す事なく、吾身の為に行ふ事なく、神人の名のまにまに行ひ澄まし、獣鳥虫魚の心を持たず、行ひを為さず、迷ふ事なく欲りする事なくして神人の道に入りぬれば、紫微宮に坐す⦿の大神二柱の神も、そが神名のまにまに神の道のまにまに、夜の守り日の守りに幸ひ玉ひて、真言為す神人の道自ら思ひ願ふがまにまに、天界の本より備はれる自らなる大真道永久に伝りて、天津日蔭普く照らし、天雲の普く潤ひて八隅知し⦿の大神の惟神の大御座は、天地日月と共に常永に八十連に伊継ぎ給ひて、且くも失はせ給はず、諸の神達おのもおのも生みの子の八十継きいや継ぎ伊継ぎて、己が位のまにまにいや遠永に麻柱ひ仕へまつり、神人等が各自々々仕さしの神業を守り仕へて、⦿の大神に仕へ奉り楽しみつ、神人の道に背く事なく、奥山の深山の奥、海の草、塩焼き漁る小さき神も飢餓に苦む事なく、暑さ寒さの悩みを知らず、上中下の各位の神人は、共に一つの歓楽を受け、真の大⦿の御国と成し玉へと願ぎ奉る事の由を、高天原の紫微の宮居の三柱の神、百千万の神等共に聞召し玉へと、畏み畏みも拝み白す。

 玉野丘膨れ拡ごり真鶴の
  国土は固らに定まりにけり

 久方の空にのび立つ玉藻山の
  千条の滝は白絹の旗よ

 神々の生言霊の幸ひて
  玉野湖水はほしあがりたり

 玉野湖の湖水次第に高まりて
  玉藻の山の傾斜面に生ふる藻草

 カコクケキ生言霊にあかときを
  うたふ家鶏鳥生れ出でにけり

 家鶏鳥の晨を歌ふ声さやに
  真鶴の国はあけ渡りけり

 未だ国土稚くありせばもやもやと
  霧立ちのぼる六合のうち

 玉藻山霧立ちのぼり白駒の
  嘶き高し朝しづの庭に

 未だ国土は稚くあれども主の神の
  御稜威にここまで固まりしはや

 万代の末の末まで固めゆく
  この国原のさかえを思ふ

 主の神の生言霊の幸ひて
  森羅万象は日々に栄ゆくも

 天も地もわかくるすばら若くへに
  立ちて神国を固むる楽しさ

 やうやくに真鶴の国は固まりぬ
  やがて生れまさむ国魂の神は』

 かく御歌うたひて大前を静々と退き給ひ、我居間さして帰り給ひぬ。玉野比女の神、生代比女の神の二柱も、顕津男の神の御後に従ひ、大御前を退き一間に御姿をかくさせ給ひける。
 遠見男の神は御歌詠ませ給ふ。

『玉藻山頂上に立ちて国見すれば
  目路の限りは靄立ちのぼれり

 瑞御霊依さし給ひし南の
  稚国原の秀は見えにけり

 圓屋比古神はこれより三笠山の
  聖所に鎮まり国守りませ

 真鶴の稚国原は国中比古の
  神とこしへに依さしたまはれ』

 斯く歌ひ給ひし折しも、国中比古の神は玉藻山の新に生れたるを喜び、神々の功を言祝ぎまつらむとして、天の斑駒に跨り御歌終らぬに、早くもこの聖場につかせ給ひ御歌詠ませ給ふ。

『主の神の神言のままに国土造り
  国魂生ます瑞御霊はや

 遠見男の神の神言に従ひて
  われは治めむ真鶴国原

 玉野湖の底は膨れて玉藻山
  東の方の傾斜面となりぬ

 立ち昇る湯気もやもやと真鶴の
  国土の窪所はかわき初めにき

 生れまさむ国魂神を守り立てて
  千代万代に国土ひらかばや

 百神の貴の功に真鶴の
  国土の形は定まりにけり

 広々と果しも知らぬ国原に
  森羅万象もえ立ち初めたり

 鳥獣昆虫までも瑞御霊の
  スの言霊にわき出でにけり

 わき出でし総てのものは天地の
  御魂なりせばおろそかにせじ

 神人は神人獣類は獣類鳥は鳥
  虫にも魚にも道はありけり

 禽獣は禽獣の道ゆきてこそ
  この天界は永久に栄えむ

 神人にしてもし禽獣の道ゆかば
  この天界はただちに乱れむ

 禽獣の道はやすけし神の道を
  踏むは容易にあらずかしこし』

 圓屋比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『真鶴の国をうしはぐ国中比古の
  神の神業のただならぬを思ふ

 遠見男の神の神言に従ひて
  東雲の国を永久に守らむ

 南の国のすべてを治めます
  遠見男の神の功かしこし

 いざさらば生言霊を宣りあげて
  生れます御子の幸を祈らむ

 玉泉滝の清水にみそぎして
  玉野大宮に御子を祈らむ

 惟神神のよさしの神業と
  思へば楽し今日の禊は

 神と生れ獣と生れ御空とぶ
  鳥ともなりて神世を守らむ

 よしや身は獣の群に下るとも
  神国の為には惜まざるべし』

(昭和八・一一・一七 旧九・三〇 於水明閣 加藤明子謹録)
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