古来、文学者たちが神世の物語を著すのに、史詩(シャンソン)と伝奇物語(ロマン)の二種類の様式を使ってきた。
史詩は歴史と空想の混じったものであり、伝奇物語は、史実を踏まえつつ、それをより濃厚な空想で味付けした物語である。
古今東西、神界に言及した多くの歴史物語が存在してきたが、『天祥地瑞』のように言霊を取り扱った書物はいまだかつてなかった。なぜなら、言霊学は深遠微妙、玄妙な学理であるから、並大抵の学者では理解することができなかったのである。
私(=王仁三郎)は大胆不敵にも、大宇宙の極元である言霊の活用に基づいて、宇宙の成立から神々の活動について、史詩の形式を借りて、その大要を述べようとしているのである。
天地茫漠として修理固成がまだなされていない時代、言霊のはたらきから発する意思想念の世界のことを説明すると、現代人には奇妙に感じることが多い。一定不変の形式をもたないので、神々の姿も、竜体・獣体・山岳など、さまざま違っている。なぜなら、意思想念そのものが現れているからである。
一方今日では、人間の形態が定まってしまったので、かえってその人の意思想念がどのようなものか、外から観察することが難しくなってしまった。正しい神の道により知恵正覚を得た人は、精神を看破することができるが、大多数の人には難しい。
そこで、主の大神は、ミロクの神柱を地上に下して、正しい教えを天下に施して人類の眼を覚まさせ、光らせ、悪魔の跳梁を絶滅させることで、ミロクの御世を樹立しようとなさっているのである。
さて、玉藻山に二人の女神を残して真鶴国を旅立った顕津男の神は、宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神の四柱神を従者として、玉藻山の千条の滝が集まる大滝川に禊をした。そして、主の大神を伏し拝み、西方の国の国土造り・神生みの神業の完成を祈る歌を歌った。
従者神たちもそれぞれ、真鶴国の造営を省み喜びつつ、西方の国への旅立ちの決意を、それぞれ歌った。
宇礼志穂の神が案内に立ち、顕津男の神、そして残り三柱の従者神たちがそれに続いた。