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文献名1霊界物語 第77巻 天祥地瑞 辰の巻
文献名2第2篇 十一神将よみ(新仮名遣い)じゅういちしんしょう
文献名3第10章 樹下の雨宿〔1942〕よみ(新仮名遣い)じゅかのあまやどり
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
山跡(やまと)比女の神は馬上の歌にあたりの様子を詠み込んだ。

白馬ケ岳の山頂には紫の雲が横なびき、南の深い谷間には、曲津の水火(いき)であろうか、黒雲が立っている。

霧を通して望む魔棲ケ谷に、虫の音も悲しき霧の野路。笹の葉には白露が置き、冷え冷えと冷気が背に襲い来る。

久方の天の高宮を立ち出でて、はるばるとやってきたのは、曲津神の猛り狂う万里の島を、生言霊で照らすため。田族比女に従い、曲津見の征途に上る今の楽しきことよ。

続いて、千貝(ちかい)比女、湯結(ゆむすび)比女、正道比古、雲川比古が行進歌にあたりの様子、征途の由来と決意を歌いこんだ。

そうするうちに、白馬山麓の雲霧はようやく晴れてきた。一行は行く手にあたって、楠の大樹が茂る、やや広い森があるのを見つけ、しばしこの森に息を休めることとなった。楠の樹下に湧き出る珍しい清泉に禊の神事をおのおの修しながら、一夜をここに宿り、明日の準備と天津祝詞を奏上し、英気を養った。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月13日(旧10月26日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者林弥生 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月30日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 631頁 修補版 校定版165頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  山跡比女の神は馬の背に跨りながら、御歌詠ませ給ふ。

『仰ぎ見れば白馬ケ岳の頂に
  紫の雲横なびきつつ

 南の深き谷間に群がりて
  立つ黒雲は曲津の水火かも

 この島に生きとし生けるもの皆を
  そこなひ破るも醜神の水火は

 魔棲ケ谷の辺りに群れたつ黒雲を
  吹き払ふべき時は近めり

 われは今御樋代神に仕へつつ
  魔神の砦に勇み進むも

 久方の御空は黒雲塞がりて
  荒金の地に霧籠むるなり

 霧の幕透して見ゆる魔棲ケ谷の
  南の谷間の雲は怪しも

 御樋代神旅にたたせる今日の日は
  湧き立つ霧も稍薄らげり

 科戸辺の風よ吹け吹け公がゆく
  道にさやれる霧吹き払ひて

 草の根にひそみて鳴ける虫の音も
  一入悲しき霧こむ野路なり

 笹の葉に置く白露の冷え冷えと
  襲ひ来るかも駒の背まで

 久方の天の高宮立ち出でて
  はろばろわれは此処に来つるも

 この島を𪫧怜に委曲に清めつつ
  生国原とひらきまつらむ

 御樋代の神の天降りし無かりせば
  万里の島根は永久に亡びむ

 曲津神の伊猛り狂ふ万里の島を
  生言霊に照らさむ旅はも

 田族比女神の神言に従ひて
  曲津の征途に上る楽しさ』

 千貝比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『駒並めて曲津の征途に上りゆく
  今日の生日に幸よあれかし

 仰ぎ見れば空を包みし黒雲も
  公の出でましに稍薄らぎぬ

 薄らげる雲の帳を押し開けて
  ほのかに見ゆる天津日の光

 次ぎ次ぎに御空の雲も散りゆきて
  天津日の神吾等を照らせり

 曲津見を言向け譴責め斬り放る
  今日の出で立ちを守らせよ日の神

 万里の島を日並べて包む黒雲の
  怪しき水火は総てを悩ませり

 言霊の水火に生れし吾等はも
  水火の濁れば苦しかりける

 曲津神の怪しき水火を科戸辺の
  風の力に伊吹き払はせ

 東の空に聳ゆる牛頭ケ峰の
  頂ほのかに日光は照るも

 牛頭ケ峰白馬ケ岳の中をゆく
  吾等が旅路に永久の幸あれ

 万里の丘老樹の茂る清森も
  遥けくなりて霧籠むるなり

 万里の島の大川小川悉く
  魔神の水火に濁らへるかな

 清らけき泉しあれば禊して
  われは進まむ魔棲ケ谷に

 玉の緒の命の限りわが公に
  仕へまつりて生きむとぞ思ふ

 山と海諸々越えてわが公の
  御後に従ひ此処に来つるも

 千早振る神も守らせ給ふらむ
  わが行く旅の言霊の幸を

 霊幸はふ神の御水火に守られて
  猛き曲津見を言向け和さむ

 太刀膚の猛き竜神醜の大蛇
  群がり棲むとふ魔棲ケ谷かな

 力無きわれにはあれど十柱の
  神を力に進みゆくなり』

 湯結比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『御樋代の神に従ひ十柱の
  言霊神は征途に上るも

 万里の島を荒び破りし曲津神は
  魔棲ケ谷にひそみゐるとふ

 言霊の水火を清めて白馬ケ岳の
  魔棲ケ谷にわれ進むなり

 久方の御空の雲は次ぎ次ぎに
  散り失せにつつ日光はさしけり

 四方八方を深く包みし雲霧も
  いや次ぎ次ぎに晴れ渡りつつ

 いやらしき冷たき風もをさまりて
  肌ぬくとき水火の満つるも

 大空に円を描きて隼は
  今日の門出を祝ひつつ舞へり

 真鶴は翼を揃へてわが伊行く
  空高々に舞ひ遊び居るも

 百鳥の声勇ましくなりにけり
  御空の雲の吹き散りしより

 草も木も蘇りたる心地かな
  葉末の露は日にかがやきて

 公が行く生言霊の旅なれば
  御空晴るるも宜よと思ふ

 この島は田族の島と聞くからは
  白馬の山は七宝満つらむ

 白馬山雪と見えしは白駒の
  伊寄り集ひし影なりにけり

 白駒は猛き獣の牙の剣
  神の恵みに逃れたりけむ

 牛と馬の群がり棲めるこの島は
  田族の島よ穀物生らむ

 魔棲ケ谷の醜の竜神曲津大蛇
  言向け和して生国とせむ

 御樋代の神と諸共十柱の
  力合せて国土を浄めむ

 谷深く黒き煙の立ち昇る
  魔棲ケ谷は峻しかるらむ』

 正道比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『勇ましや駒を並べて曲津見の
  征途に上る今日の旅路は

 御樋代の神に従ひ言霊の
  軍進めむ魔棲ケ谷に

 天も地も生言霊になり出でし
  言霊の国土よ何をおそれむ

 天地の正しき道を踏みてゆく
  われの真言にさやるもの無し

 白馬山麓を包みし雲霧は
  漸く晴れて光充ちけり

 天津日の光直刺し白馬ケ岳は
  今新しくよみがへりける

 わが行かむ道を照して天津日は
  大空高くかがやき給へり

 昼月の光の白けて久方の
  御空かすかに渡らひ給ふ

 山も野も雲霧はれて隈もなく
  目路の限りはよみがへりたる』

 雲川比古の神は御歌詠ませ給ふ。
『御樋代神の出でませる
 曲津の征途を守らすか
 科戸の風の御水火にて
 空に塞がる黒雲は
 跡形もなく散り失せて
 青き御空の奥深く
 天津日の神月読の
 神の光は冴え冴えに
 これの島根を隈もなく
 伊照らし給ひ百草の
 露を照して荒金の
 地は隈なくよみがへり
 常世の春の光景を
 忽ち現じ給ひけり
 今まで萎みし百草の
 花は香りを競ひつつ
 白赤黄色紫の
 花は地上に隈もなく
 開き初めたり惟神
 ああ天国か楽園か
 この美しき島ケ根に
 さやらむ曲津は悉く
 生言霊の剣もて
 言向け和し斬り放り
 天地の災除くべく
 御樋代神の出でましを
 天地の神は嘉しまし
 四方の雲霧吹き払ひ
 月日の光を地の上に
 隈なく照し給ひける
 ああ惟神々々
 生言霊の功績に
 勇み進まむ吾等が旅路
 道の隈手も恙なく
 魔神の妨げあらずして
 千峡八百峡集めたる
 流れ激しき八十の滝
 隈なく越えて竜神の
 永久に潜みてわざを為す
 魔棲ケ谷にいち早く
 進みてゆかむ楽しさよ
 ああ惟神々々
 生言霊に命あれ
 わが言霊に幸あれよ』
 かくして一行十一柱の神々は、白馬ケ岳の南麓、魔棲ケ谷の竜神の巣窟指して進ませ給ふ。行手に当りて楠の大樹の茂れる稍広き森の横はれるを見給ひ、暫しこの森に息を休めて樹下に湧き出づる珍しき清泉に禊の神事を各自に修し給ひつつ一夜を此処に宿らせ、明日の準備と天津祝詞を奏上し、無限絶対的の英気を養はせ給ふぞ畏けれ。
(昭和八・一二・一三 旧一〇・二六 於大阪分院蒼雲閣 林弥生謹録)
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