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文献名1霊界物語 第78巻 天祥地瑞 巳の巻
文献名2第3篇 葦原新国よみ(新仮名遣い)あしはらしんこく
文献名3第15章 聖地惜別〔1971〕よみ(新仮名遣い)せいちせきべつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
葦原の島に潜んでいたグロノス、ゴロスの邪神は、鷹巣山の谷間深くに逃げ潜み、隙を見ては黒雲を起こして寒冷の気を四方に散布して万物の営みを妨害していた。

葦原比女の神は、朝香比女より賜った真火の燧石によって邪神の潜む山野を焼き払った。そしてようやく、グロノス、ゴロスの邪神は葦原の国を捨て、遠く西方の国へと逃げ去っていった。

朝香比女の神は、朝夕神前に神言、天の数歌を宣りあげ、葦原の国土の天地を清めた。四季の順序はよくなり、国津神の生活を安らかになった。

朝香比女の神は、いよいよ桜ケ丘を出立する時が来たと別れを歌い、もしも曲津見に再び襲われるときが来たら、真火の力で払うように歌い諭した。

葦原比女の神を始め、桜ケ丘の従者神一同は、感謝と惜別の歌を歌った。朝香比女の神の従者神たちも、もてなしへの感謝と別れを惜しむ述懐の歌を歌った。

葦原比女の神は浜辺まで見送ることとし、一同駒に乗って進んだ。忍ケ丘の麓まで送ったところで日が暮れたので、その日はここに一夜の宿をとることとなった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月22日(旧11月6日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者谷前清子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年5月5日 愛善世界社版 八幡書店版第14輯 97頁 修補版 校定版262頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  広袤五千方里ありと言ふ葦原の島根は、朝香比女の神の生言霊の光りと真火の功に、曲津見の棲処は焼き払はれ、再び潜める鏡の沼の永久の棲処は打破られて、グロノス、ゴロスの邪神の巨頭も苦しさに堪へず、雲を起して鷹巣山の谷間深く忍び入りければ、一時は平穏無事に治まりたれども、時ありて黒雲を起し天日を覆ひ、寒冷の気を四方に散布しければ、万物の発生に大害を及ぼし、再び元のグロスの島に帰らむとしたるを、この度は葦原比女の神も朝香比女の神の賜ひし燧石の真火の功によりて、諸神等を率ゐ邪神の潜む山野を焼き払ひ給ひければ、遂には葦原の国土をふり捨てて悪魔は遠く西方の国土に逃げ去りにける。
 朝香比女の神は桜ケ丘の聖所に、三日三夜月花を賞しつつ安く過させ給ひ、神々に別れを告げて再び海路の旅を続け給ふ事とはなりぬ。
 朝香比女の神は朝夕神前に神言を宣らせ給ひ、天の数歌を宣り上げ給ひて、葦原の国土の天地を清め給ひければ、四季の順序よく、春は花咲き、夏は植物繁茂し、秋は五穀果実みのり、ここに国津神の生活を安からしめ給へり。
 朝香比女の神は桜ケ丘の聖所を立ち去らむとして、御歌詠ませ給ふ。

『掛巻も畏き神のもてなしに
  三日の春日を遊びけるかも

 したはしき神に別れを告げてゆく
  今日の朝の名残惜しきも

 花匂ふ桜ケ丘は吾が為に
  永久に忘れぬ記念となりぬ

 百神の厚き心に囲まれて
  一日二日三日と過ぎぬる

 曲津見の再び襲ひ来るあらば
  真火の力に払はせ給へ

 御樋代の神に贈りし燧石こそ
  吾神魂ぞや吾生命ぞや

 国土生みの旅に出で立つ道の隈を
  安く守れる燧石なりけり』

 葦原比女の神は別れ惜しみて御歌詠ませ給ふ。

『なつかしの公は立たすか悲しもよ
  長く侍らむ願ひなりしを

 この丘の梅も桜も散り初めて
  公が出でまし惜しむがに見ゆ

 公去らば桜ケ丘の百花も
  小鳥の声もとみにしをれむ

 願はくは今一夜の旅枕
  許させ給へこれの聖所に

 御空ゆく月日の駒のその如く
  止まらぬ公を惜しまるるかな

 御光の公の恵に葦原の
  国土は常世に栄えゆくべし

 万世に伝へて公の功績を
  たたへ奉らむ宮居を仕へて

 御樋代神贈り給ひしこの燧石は
  神実として斎きまつるも

 曲神の伊猛り狂ふ時しあらば
  この神実に祈りて防がむ』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『いざさらば桜ケ丘の神々に
  別れて行かむ西方の国土へ

 葦原比女神の愛しき御心に
  ひかれて立つ身は苦しくなりぬ』

 真以比古の神は別れの御歌詠ませ給ふ。

『天津日の如く天降りし御光の
  神に別るる今日ぞ悲しき

 言霊の限りつくして御光の
  神を止むる術もなきかな

 曲神の醜の曲業ことごとく
  治め給ひし光の公はも

 御光の神の出でましし葦原は
  又も曇らむ曲津の邪気に

 月も日も御空に輝き給ひしは
  公の光の功なりけり

 永久に公の御魂をいつきつつ
  葦原国土の鎮めと為さむ

 御光の神の御魂をいつかひて
  朝な夕なを吾仕ふべし

 顕津男の神の出でます吉日迄に
  御舎造り待ち侍るべし

 顕津男の神の御霊の御前に
  この有様をたしに伝へませよ』

 成山比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『七八年花を見ざりしこの丘も
  公のお成りに咲き出でにける

 草も木も公の御行をゑらぎつつ
  一度に花の咲き出でしはや

 この島の森羅万象はなげくらむ
  光の神のいまさずと聞かば

 言霊の限りつくせし御光の
  神は月日と共に去りますか』

 霊生比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『葦原の国土の曲神を打ち払ひ
  功しるけき光の公はも

 久方の天津空より天降り来て
  光の神は闇を照らせり

 四柱の御供の神のはたらきに
  この稚国土は光り満ちつつ

 中野河の河底までも乾かせて
  渡り来ませし功を思ふ

 草も木も公の現れましありし日ゆ
  若芽萌えつつ息づきてをり

 御空ゆく天津日光も止まりて
  今朝の別れを嘆かせ給へり

 なげくとも詮すべなけれ御樋代の
  光の神の今日の御行は』

 初頭比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『この島に公に仕へて上り来つ
  やさしき神のもてなしに会ひぬ

 別れゆく今朝を惜しけく思ふかな
  花も実もある神をのこして

 はろばろと荒野を渉り海を越えて
  出でます公に仕ふる吾なり

 いざさらば御樋代神よ百神よ
  安くましませ吾は帰らむ

 濠の面にあぎとふ小魚の影見えて
  春陽はゆたにさしそひにけり』

 栄春比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『仰ぎ待ちし光の神は悲しくも
  別れて旅に今日立たすかも

 永久の春の栄を祈りつつ
  公にいそひて守り仕へむ

 花匂ふ桜ケ丘の聖所に
  公の御行の幸を祈らむ

 輝ける御樋代神の御姿に
  吾魂線も清まりしはや』

 起立比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『朝香比女神にまつろひここに来て
  ゆたけき春に吾あひにける

 ゆたかなる神の真言に包まれて
  思はず知らず日は経ちにけり

 吾は今春の光のただよへる
  聖所を惜しく別れむとするも

 今日よりは又も進まむ焼野ケ原を
  駿馬の背に鞭を打ちつつ

 野辺を吹く風に鬣くしけづり
  浜辺をさして進む今日かな』

 八栄比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『たまさかに天降りし光の神等を
  見送る今日の涙ぐましも

 まめやかに出で立ちませよ曲神の
  伊猛り狂ふ闇世なりせば

 葦原の国土の宝を賜ひつつ
  出で立ちますも光の神は

 せめて吾を浜辺に送らせ給へかし
  又まみゆべき時のなければ

 吾のみか葦原比女の神司も
  送らせ給へ御舟の側まで』

 立世比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『種々の清き心のもてなしに
  吾は心も足らひけるかな

 情深き神々等に別れゆく
  今日の旅路の惜しまるるかな

 そよと吹く春風さへも香りつつ
  吾ゆく旅をゆたに守らむ』

 天晴比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『大空の醜の黒雲吹き散りて
  天津日照らふ葦原清しも

 なつかしき清しき国土を立出でて
  曲神にくもる国土に渡らむ

 種々の神の親しきもてなしに
  あひし吾身の幸は忘れじ』

 ここに朝香比女の神は三日三夜の宿りを重ね百神等に別れ、これの聖所を立出で給ふや、葦原比女の神はせめて浜辺まで見送らせ給へと乞ひつつ、以前の神々を従へまして御後より駒を打たせ進ませ給ふ。
 真以比古の神は道の案内といや先に駒を打たせ給ひつつ、御歌詠ませ給ふ。

『久方の天津月日に比ぶべき
  光の神の御行尊き

 吾は今光の神の御前を
  守りてゆかむ御舟のかたへに

 草も木も蘇りたる大野ケ原を
  見つつ楽しも吾駒勇みつ

 見渡せば醜の醜草ことごとく
  焼き払はれて目路はろかなり

 天津日は焼野ケ原を照らしつつ
  吹き来る風も春の香ただよふ

 一片の雲霧もなき蒼空の
  下びを進む公の供かも』

 成山比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『見の限り荒野ケ原は清らけく
  真火の功に払はれにけり

 醜草の中に潜みし曲津見の
  影消え失せて天津日照らふ

 春の野に駒を並べて進みゆく
  今日の旅路の悲しさゆたかさ

 七重八重十重に二十重に包みたる
  雲も御稜威に晴れ渡りける

 御光の神のこの地に天降りしゆ
  風塵もなくをさまりしはや

 鷹巣山は白雲の上にぬき出でて
  公の御行をはろかに送るも』

 霊生比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『天地の中に悲しき極みこそ
  光の公を送る朝なり

 今日よりは光の神の御姿を
  拝むよしなき葦原の国土

 さびしさの限りなるかも地稚き
  この国原に公のまさずば

 さりながら葦原比女の神の厳
  今日よりますます輝き給はむ』

 葦原比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『いや貴き御樋代神を送りゆく
  焼野ケ原の風はさみしも

 悲しさとさみしさ一度に迫り来ぬ
  公の御行を駒に送りて

 天地の開けし思ひは忽ちに
  大地の沈みし心地となりぬ

 雄心の大和心をふりおこし
  吾は仕へむ御樋代神と

 葦原の国土稚けれど言霊の
  水火の光に造り固めむ

 急げども道遠ければ今宵こそ
  忍ケ丘に露宿りせむ』

 神々は御歌詠みつつ一行五柱の神を忍ケ丘の麓まで送らせ給ふ。折しも春の日は黄昏れければ、ここに一夜の宿をとらせ給ひ、忍ケ丘の月を賞めつつ、一夜を起きつ眠りつ明し給ひける。
(昭和八・一二・二二 旧一一・六 於大阪分院蒼雲閣 谷前清子謹録)
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