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文献名1霊界物語 第78巻 天祥地瑞 巳の巻
文献名2第4篇 神戦妖敗よみ(新仮名遣い)しんせんようはい
文献名3第24章 国津神島彦〔1980〕よみ(新仮名遣い)くにつかみしまひこ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
一行は歎きの島の浜辺に近い松の下に一夜を明かし、夜明けの朝日を拝みつつ、この島の再生への思いを歌った。

すると、二柱の国津神が駒を並べて進み来ると、朝香比女の前にひれ伏した。国津神・島彦と島姫は、朝香比女の神によって曲津見が鎮まったことを感謝し、さらに島に潜む邪神への懸念を歌った。

従者神たちは、国津神の訴えを聞き、真火の力によって曲津を焼き清めようと歌った。起立比古の神は、朝香比女の神の許しを得て燧石を取り出し、野辺に火を放つと、折からの風にあおられて、たちまち原野は一面の火の海と化した。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月25日(旧11月9日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者白石恵子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年5月5日 愛善世界社版 八幡書店版第14輯 147頁 修補版 校定版446頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  朝香比女の神の一行は、歎の島の浜辺に近き常磐の松の下蔭に、露の宿りの一夜を明させ給ひ、東の空を紫に照らしてのぼる天津日の光を伏し拝みつつ、御歌詠ませ給ふ。

『奴婆玉の夜は明け放れ月白み
  海原わけてのぼります日よ

 この稚き歎の島を生かさむと
  雲なき空に日は昇りたり

 百鳥の声騒がしく遠方此方の
  丘の辺りゆ響き来にけり

 向つ丘の常磐の森に集まりて
  黎明歌ふ鵲清しも

 見渡せば此島ケ根はあちこちに
  小丘浮びて高山はなし

 萱草の所狭きまで茂りあひて
  まだ拓けざる国形なるも

 葦原の島根にのぼりし時のごと
  所狭きまで雑草もゆるも

 いざさらば駒を並べて進み行かむ
  国津神等の住へる丘へ』

 初頭比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『東の空を晴らして日の神は
  のぞき給へり稚国原を

 グロノスやゴロスの輩此島に
  潜みて猛び狂へるらしも

 国津神の歎きの声は消え失せて
  迦陵頻伽の声はさやけし

 いざさらば光の公の御供せむ
  彼方に見ゆる小松ケ丘に』

 起立比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『此島に真火を放たせ給はずや
  行手に大蛇数多潜めば

 醜神の永久に潜める草の野を
  焼き払ひつつ安く進まばや』

 立世比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『見の限り草莽々の原野にて
  葦原の国土の始めに似たるも

 昨日まで閉ぢ塞ぎたる雲霧も
  あとなく散りて天津日照らへり』

 天晴比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『面白き今日の旅路を楽しまむ
  大蛇の潜む野を焼きにつつ』

 かく歌ひ給ふ折しも、二柱の国津神は駒の轡を並べながら草野をわけて進み来り、忽ち駒をひらりと飛び降り、朝香比女の神の御前にひれ伏しながら、

『久方の天津空より天降ります
  神迎へむと喜び来つるも

 昨日まで荒び狂ひし曲津見も
  公の光に鎮まりにける

 親は呑まれ子は喰はれつつ国津神は
  歎きのうちに日を送りたる

 御光の神は言霊響かひて
  醜の曲津は姿潜めたり

 此島の助けの神と現れましし
  公の恵を喜び泣くも

 吾こそは島彦といふ国津神よ
  今日蘇りたる心地しにけり

 夜も昼も醜の曲津見に襲はれて
  歎きの絶えぬ吾等なりしよ

 幾万の大蛇はこれの荒野原に
  光を恐れて潜みゐるなり

 今暫しかげ潜むれど天津神の
  いまさずならばまたも荒びむ』

 島姫は感謝の歌を詠む。

『背の君と朝夕べを歎かひし
  われは始めて安きを得たりき

 幾万の国津神等も今日よりは
  生きの命をとどめて歓ぎぬ

 此島は三千方里広けれど
  心安くて住む神なかりき

 天地を包みし雲霧晴れわたり
  はじめて月日の光を見たりき

 御光の神は此土に天降りまして
  吾等が命を守らせ給ふか

 昼も夜も歎きの声の絶えざれば
  歎の島と称へ来りぬ

 天津神の光を浴びて今日よりは
  歓の島と称へ奉らむ

 グロノスやゴロスの曲津見折々に
  輩率ゐて来り荒ぶも

 此頃は一入多くなりにけり
  国津神等の損はるるもの

 ありがたや救ひの神は現れましぬ
  吾等を救ふ光の神は

 此島に数多住へる国津神も
  公の天降りを歓ぎ迎へぬ

 黄昏の海を照らして寄り来ます
  救ひの神を闇に迎へつ

 天津神島に渡らしし夕より
  御空の黒雲晴れわたりける

 幾年か見ざりし御空の月光を
  はじめて昨夜は拝みつるかも

 天津日の光も久しく拝まざる
  吾には命の限り嬉しき

 曲神の姿一つさへなきまでに
  追ひ退け給へ御光の神』

 初頭比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『吾こそは光の神に仕へつつ
  汝等を救ふと渡り来つるも

 国津神心安かれ今日よりは
  醜の曲津を焼き払ふべし

 海原を渡り来る折此島に
  さやりし大蛇焼きすてにけり

 醜神の司の大蛇亡びたれば
  此島ケ根も蘇るらむ』

 起立比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『国津神の永のなやみを今聞きて
  吾は思はず涙にじむも

 今日よりは心安かれ御光の
  真言の神の天降りませば

 醜草を真火もてことごと焼きつくし
  曲津の棲処を吾は清めむ』

 立世比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『女神われ光の神に従ひて
  歎の島の歓ぎ見しかな

 今日よりはいよいよ歓の島ケ根と
  蘇りつつ永久に栄えむ

 果しなき大野ケ原に潜むなる
  百の曲津も生きの果なり』

 天晴比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『国津神の言霊聞きて吾心
  憤ろしもよ醜の荒びを

 今よりは起立の神の手をもちて
  曲津の棲処を焼き払ふべし

 国津神をなやます曲津を悉く
  真火の力に焼きて清めむ』

 ここに起立比古の神は、御樋代神の御許しを得て燧石を取り出で、枯草青草の雑る野辺に火を放ち給へば、折りからの疾風に煽られ、忽ち原野は一面の火の海と化しにける。
(昭和八・一二・二五 旧一一・九 於大阪分院蒼雲閣 白石恵子謹録)
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