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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第3篇 洮南より索倫へよみ(新仮名遣い)とうなんよりそーろんへ
文献名3第19章 仮司令部よみ(新仮名遣い)かりすーりんふ
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/19出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-01-19 02:56:09
あらすじ
公爺府に仮司令部をおいて進軍の準備をする間、日出雄は和蒙作歌字典を著作した。また、奉天からは坂本広一が、ついで井上兼吉がやってきて、救援軍の司令部に加わった。

四月十五日、いよいよモーゼル銃や機関銃が洮南を出発したとの報告があった。日出雄が渡満してからわずか二ケ月ばかりにして、軍の編成ができるようになるとは、人間業ではないと喜んだ。

老印君はわざわざ日出雄を訪ねて先日の無礼を詫びに来た。神軍の初陣にあたって、まず公爺府の最高将官である老印君を従わせたのは、幸先がよいといって喜んだ。

四月二十日、神勅により、日出雄と真澄別には、次のような蒙古人名が与えられた。

出口王仁三郎源日出雄

弥勒下生達頼喇嘛[みろくげしょうターライラマ]

素尊汗(言霊別命)[すーつーはん]

蒙古姓名:那爾薩林喀斉拉額都[ナルザリンカチラオト]

松村仙造源真澄

班善喇嘛[ハンゼンラマ]

真澄別(治国別命)

伊忽薩林伯勒額羅斯[イボサリンポロオロス]
主な人物【セ】源日出雄、真澄別、名田彦【場】50歳くらいの蒙古婦人、公爺府の鎮国公、【名】盧占魁、坂本広一、佐々木、大倉、唐国別、井上兼吉、揚成業、老印君、賈孟卿、張作霖、張華宣、曼陀汗、揚巨芳、出口王仁三郎、素尊汗(王仁三郎)、言霊別命(王仁三郎)、那爾薩林喀斉拉額都(王仁三郎)、松村仙造、源真澄(松村仙造)、治国別命(松村仙造)、伊忽薩林伯勒額羅斯(松村仙造) 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版172頁 八幡書店版第14輯 611頁 修補版 校定版172頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm19
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本文  寒風吹き荒ぶ黄塵万丈の蒙古の住居は、実に惨澹たるものであつた。洮南以来二十日間も湯に入らないので、顔は鍋墨の如く、鼻の穴や耳の穴は細かい土埃に埋まつて居る。日出雄一行のみならず、蒙古人の顔は年が年中入浴しないのだから、実に垢まみれになつて醜しい。蒙古人は生れた時一度水で身体を洗つたきり、終身湯水で体を洗ふと云ふ事はない。夏になると暑さ凌ぎに河中に唯の一回位飛び込むこともあるが、決して体の垢を落さうとはしないのである。蒙古の婦人の歩行する様は何れも外輪に大手を振つて歩き、遠方から見てゐると男女の区別が判らない。唯耳に環が下つて居るのと頭に宝石が光つてゐるので、其女たるを知るのみである。或時日出雄が屋外に出て望遠鏡をもつて曠原を望んでゐると、二町許り向ふから五十許りの色の黒い、ポロを下げた蒙古婦人が日出雄の方に向つて進んで来た。日出雄は男か女か老人か、但しは妙齢の美人かと一生懸命にのぞいてゐると、其女は日出雄の望遠鏡でもつて覗いてゐるとは少しも気がつかず、忽ち裾を捲つてウツトコを現し、無造作に道の中央でシエスアンテイナをやりプイプイと二三度尻を振つて着衣の裾でウツトコをこすり、平然として日出雄の前にやつて来た。日出雄が望遠鏡で覗いてゐる時真澄別が傍へやつて来て、『一寸其望遠鏡を私に貸して下さい』と頼む、日出雄は笑ひ乍ら『ナニ今が肝心要の正念場だ。蒙古婦人のウツトコを実見してゐるのだ、こんな機会は又とないから先づ御免蒙りませう』と云つてゐる間にシエスアンテイナの行事は済んで了つた。後で日出雄と松村は大声を上げて芝草の上に倒れて笑つた。
 公爺府の鎮国公から日本の大先生にと云つて、大きな豚を一頭割つて其肉を贈つて来た。日出雄一行は其厚意を謝し、直様之を煮て食膳に上した。所が公爺府の豚は梅毒患者のひつた糞を食つてゐるので豚までが梅毒性になつてゐると見え、日出雄は其毒に当てられて面部を除くの外身体一面に泡のやうな痒疣が発生し、夜も昼もガシガシとかいて苦しんだ。二先生の真澄別も亦豚の毒にあてられ顔一面に疣が発生した。其かはりに日出雄とは反対に首から下はどつこも犯されなかつた。あまり痒いのでガシガシと爪で掻きむしつたから堪らない、忽ち顔面脹れあがり、澄みきつた液汁がボトボトと雨の如くに落ちるやうになつた。さうして日出雄が鎮魂して癒さうとすれども、真澄別は寝てゐる間に知らず識らず顔を掻くので、益々顔が破れただれ、牡丹餅のやうな面相になつて了つた。されど真澄別は何事も神の御心だといつて意に介せず自然に任してゐた。漸く一ケ月の後に元の如く綺麗な顔になつたのは幸である。一時は到底元のものにならないだらうといつて、盧占魁初め日本人側も非常に心配したのである。
 公爺府の天空には数百の鶴の群が前後左右に舞ひ遊び、雪の原野を飛び交ひ妙な声を出して鳴き渡つてゐる。到底内地ではこんな事は見られないだらうと云つて、日出雄は其前途の幸運を祝した。此辺は楊柳の木や錦木及び杏の木などが、山や野に沢山生えてゐる。雀はチユンチユンと鳴き、鶏は澄み切つた声でコケコツコーと長く謳ひ、牛はモウモウ、馬はヒンヒン、猫はニヤンニヤン、犬はワンワン、日本並に声を放つて鳴いてゐる。名田彦はこれを聞いて『鳥、獣は偉いものだ、蒙古の奴は日本語を些とも知らないが、鳥、獣は日本語を使つてゐる』と云つて笑つた。
 日出雄は公爺府滞在中、記憶便法和蒙作歌字典の著作に着手し、数千の蒙古語交りの和歌を作つた。さうして其外に数百の述懐歌を詠んだ。左に其一部を紹介する。
    ○
 容貌は日人に似て逞ましき人の住むなる蒙古楽しき
 冬籠りのみに月日を送るより外にすべなき蒙古人かな
 十年の知己に遇ひたる心地してきよく交はる蒙古人かな
 牛馬や犬豚驢馬の糞攻めに遇ひて一日を今日も送りぬ
 朝戸出に四方の山々見渡せばいづれも雪の薄絹よそふ
 今日も亦つめたき粉雪ちらちらとふりつつ吾顔なめてとほるも
 人見れば三つ四つ五つ寄り来りしきりに吠ゆる蒙古犬かな
 蒙古犬吠ゆる声きき朝まだき窓をのぞけば騎馬兵来る
 公爺府のしげこき小屋にラハンテルハ破れしを敷きて一人寝しかな
 蒙古女耳にかけたるスイハ(耳環)見れば印度の国の昔偲ばゆ
 蒙古路に日は照り渡り真白なる山野の雪はとけそめにけり
    ○
 奉天から坂本広一が轎車に乗り手紙を持つてやつて来た。それは総ての計画の進行を報告の為である。坂本は熱心な日蓮宗の信者であつた。一時は僧籍に入り満州に日蓮宗の宣伝を企てた男である。坂本は暗夜に日出雄の身体から黄金色の光が放射してゐたのを霊眼で認めて、日出雄の神格を知り、俄に大本信者となつた。彼は佐々木や大倉等の総ての行動を熟知してゐるので邪魔者扱ひをされ、唐国別の口を通じて唯一人入蒙を命ぜられたのである。次で永らく支那、満州、西比利亜方面に或事業の為め活躍して居た井上兼吉が奉天からやつて来た。此男は盧占魁の命によつて、危険を冒し、綏遠や張家口方面に哥老会の楊成業其他馬賊の頭目に密旨を伝へに行つた剛胆な男である。支那の革命戦争等にも加はり、巴布札布の戦争にも参加して其名を轟かし、満州や蒙古の馬賊の頭目に沢山の知己を持つてゐる。彼は盧占魁の仮司令部に入つて金銭出納係を勤める事となつた。
 老印君から洮児河で捕獲した、トーラボーと云ふ長さ二尺許りの魚を四尾送つて来た。名田彦の巧妙な料理法で一同は舌鼓を打ち賞玩した。今年に入つて初めての魚獲だから、先づ第一に日出雄に進呈したのであつた。
 四月十三日馬隊の頭目賈孟卿と云ふ男が日出雄を訪うた。彼は二千人の部下を有してゐるが、盧占魁の義軍に参加すべく単身此地まで忍んでやつて来たのである。彼は新しい思想の男で、其論旨も極めて明晰である。背の高い逞しい男で、年齢二十九歳である。
 四月十五日張作霖の副官、張華宣がやつて来て盧占魁を伴ひ日出雄の住居を訪うた。彼は支那人で明治三十八年東京の早稲田大学を卒業した男で日本語を良くするので、大変話が面白かつた。元の蒙古王曼陀汗も訪ねて来て蒙古独立の人気の良い話を交換して二人司令部へかへつていつた。日出雄が奉天を自動車で出発の際、何くれと世話をして見送り守つて呉れた楊巨芳氏が来訪し、種々面白き話を交換して居ると、前方原野に当つて牛車、馬車数十台に食糧、寝具等を積み込み、数十人の騎馬の兵卒が前後を守つて来るのが見えた。さうして弥々本日十連発のモーゼル銃や機関銃が洮南を発すると云ふ報告があつた。日出雄が渡満以来僅か二ケ月許りにして軍の編成の端緒を開くに至つたのも全く人間業ではないと云つて喜んだ。日夜四方の山々に山火事があり、雲の焼けてゐる光景は実に壮観である。日出雄は毎夜戸外に出で楊の枝を地上に敷き、横臥して大きな声で音頭を取りながら、蒙古の真赤な月を眺めてゐる。
 老印君は支那の将校馬鵬挙と共に日出雄の住宅を訪ひ、『先日は誤解より不行届の事を致しました。私もこれから総司令に従つて索倫に参りますから、何分にも宜敷願ひます。今迄の無礼をお詫びに参りました』と打つてかはつた挨拶をした。日出雄が神軍の初陣に当つて公爺府最高将官、協理、老印君を従はしたのは実に幸先がよいと云つて喜び、神明に感謝の辞を捧げた。
 盧総司令が公爺府に着いてからは日々夕方になると口令が発布された。これは敵味方を暗夜に悟るべき合言葉であつて、軍探警戒の為である。
 四月二十日神勅により、日出雄、真澄別は左記の如き蒙古人名を与へられた。

 出口王仁三郎源日出雄
  弥勒下生達頼喇嘛
  素尊汗(言霊別命)
 『蒙古姓名』
  那爾薩林喀斉拉額都
 松村仙造源真澄
  班善喇嘛
  真澄別治国別命
  伊忽薩林伯勒額羅斯
(大正一四、八、筆録)
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