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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第5篇 雨後月明よみ(新仮名遣い)うごげつめい
文献名3第39章 入蒙拾遺よみ(新仮名遣い)にゅうもうしゅうい
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/2/20出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-02-20 17:27:03
あらすじ
張作霖は、第二次奉直戦が意外に早く始まったので、いまさらのごとく盧占魁を処刑してしまったことを悔いたと伝えた。

パインタラの前夜に身をもって逃れた劉陞山は奉直戦のさなかに大連に逃れ、さらに日本に渡って綾部に身を寄せていた。その後奉天の日本租界に身を潜めて使命が下るのを待っている。隆光彦が支那にわたった際に訪問すると、たいへんな歓迎を受けたとのことだ。

真澄別が北京に滞在中、王昌輝、揚巨芳、包春亭、金翔宇らがたずねてきた。いずれも、索倫の司令部に参じていた人々である。

王昌輝は河南軍に身を投じていた。盧占魁の最期の様子を伝え、またパインタラの結果について悔しがり、必ずいつか目覚しい結果を照覧するからと、日出雄への取り成しを願ったという。

揚巨芳は索倫で盧の配下・揚萃廷と衝突して引き上げてから、奉天軍の憲兵少佐に任じられていた。そして、張作霖は盧を処刑するつもりはなかったのだが、現場の長の越権行為であのような結果になり、揚萃廷や劉陞山が遭難の遠因を作ったと言って非難した。

包春亭は包金山の代理として訪ね、今は奉天軍の顧問をしていると消息を明かした。彼らは岡崎と共に奉天に救援軍を組織しに出立した後、パインタラの遭難を知ったのであった。

金翔宇は、日出雄の近くに仕えた白凌閣、温長興、秦宣、王瓚璋、王通訳らはみな、難を逃れて命を助かったと伝えた。

真澄別はいずれの人たちにも、これは神様の深い思し召しのあることで、単純な失敗ではないこと、世界的神劇の序幕であることを説明した。その証として世界宗教聯合会の成立を伝えると、各人一様に感嘆の声を漏らし、前途の祝福を忘れなかった。特に蒙古人は、章嘉活仏との提携を非常に喜んだ。
主な人物 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版346頁 八幡書店版第14輯 674頁 修補版 校定版349頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm39
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本文  日出雄が洮南の平馬邸にて微笑し乍ら真澄別に示した、

『呉佩孚をつかれ曹錕と逃げ出だし』

 てふ一句は、半年経つか経たぬ間に実現された。張作霖が盧占魁を利用しやうと企てた第二回奉直戦は、其予期に反して、意外に早く火蓋を切る事になり、今更の如く盧を追懐したとさへ伝へられた。幸か不幸か、○○人の従軍と、馮玉祥のクーデターのお蔭で、張作霖は戦に負けて、勝負に勝つた結果となり、呉佩孚は一時失脚し、曹錕は一旦は逃出し、今は捉はれの身となつてゐる。
 昨夏白音太拉に於ける惨劇の前夕、形勢非なりと感じ、部下を取纏めて逸出し、途中王府の兵に包囲せられ、数十名の部下を失ひ、身を以て免れたる劉陞山は、右奉直戦の混雑中大連に身を遁れ、更に自転倒島に渡り、暫し綾の聖地に身を寄せ再挙の時期をまつてゐたが、神の摂理を計りかね、今は奉天の日本租界に身を潜めて使命の降下を鶴首してゐる。隆光彦が渡支の途次訪問すると、劉は夫人と共に款待を極めたといふ。
 真澄別が北京に滞在せるを伝へ聞き、懐かしさと憧憬の余り、訪ね来た中に、王昌輝、揚巨芳、包春亭、金翔宇などがある。皆索倫山の司令部に参じてゐた人々で、各自思ひ思ひの述懐を語る。
 王昌輝は其後井上兼吉を伴ひ、胡景翼軍に顧問として馳せ参じ、胡の役後、岳維峻を輔けて、依然河南軍中に居る。彼は曰く
『実際あんな馬鹿な結果になつて、日出雄先生に申訳がありませぬ。私が胡景翼の許へ身を寄せると、胡が……君は何故日出雄先生を自分の処へ御案内せなかつたか、自分ならば飽く迄も安全に護衛し、且自由に活動して頂けるのに……と叱られました。本当に多数の犠牲者を出し、残念で堪りませぬ。兎に角暫時放任しておいて下さい。必ず目醒しい結果を招来して御覧に入れますから……日出雄先生に然るべく御取なし願ひます』
と腕を撫し、更に白音太拉事件を追懐し
『無事に免されて帰つた馬副官の話に依ると、盧占魁は就寝中用事ありとて二名の兵士に引起され、玄関口に待構へて居た四名の兵士に短銃を向けられ、悔しさに地団駄を踏み乍ら、営庭の露と消えたさうです。他の連中は身に寸鉄も帯びざる事とて何れも狼狽し、中には見苦しく逃げ惑うた者もあつたさうですが、例の賈孟卿は未だ寝もせで、手紙を認めてゐる最中だつた相ですが、取囲む兵士を睥睨し、……騒ぐな手紙を書き了る迄待てつ……と大喝し、悠々として銃殺を受けたさうです。惜しい男でしたなア。……それから盧占魁の奴、噂の如く御用金を隠して居つたと見え、昨秋鄒秀明が憲兵隊や警察署長と打合せ、北京の盧夫人の隠家を取調べ、数万円を没収し、入蒙の結果未亡人となつて、北京に佗しく寄食してる連中に夫れ夫れ、数百円宛分配し、残金は私したらしいです。其報いでせう、鄒は今年の正月、奉天軍の連長となつて居乍ら、仏租界にある武器を押収しやうとし、条約違反で銃殺された相です。云々』
と憮然たること久しかつた。また揚巨芳は索倫本営に於て、盧の参謀長揚萃廷と衝突し、恨を遺して引上げ、今は奉天軍の憲兵少佐に任ぜられ、奉直間の列車監督長となつてゐる。
揚巨芳『大先生は何して居られますか、昨年は苛い目にお会ひでしたなア。大体揚萃廷と云ふ奴は密偵同様で、盧司令が情実に絡まれ、あんな者を参謀長にしたのが破綻の大原因です。……張作霖は盧司令等を銃殺の意志は実際なかつたのです。あれは闞旅長の越権の処置でした。しかし劉陞山に対しては好感情を持つて居りませぬ。実際劉団の趙営長が部下を使嗾し、蒙古地内で強姦、掠奪などを逞しうして、討伐令の原因を作つたのですから仕方がありませぬ。種々の点から私は入蒙事業の破綻の責任者は揚萃廷、劉、趙、佐々木、大倉の五人だと思つてゐます。どうか日出雄先生に宜しく御取なしを願ひます。当方面で御用の節は何時でもお使ひ下さいませ』
と丸々した、そして脂切つた面に笑を湛へてゐた。
 包春亭は包金山の代理として金翔宇と共に真澄別を訪問したのである。包春亭は
『大先生外皆様御壮健で結構で厶います。二先生がお越しと聞き包金山が伺ふ積で居りましたが、拠所ない都合で、私を代理に寄越しました。包金山も一時は奉天側から疑の眼で睨まれ、困つてゐましたが、間もなく諒解され、今は黒竜江省督軍呉峻陞の顧問をしてゐます。併し御用とあれば、少くも三千の蒙古兵を率ゐて、何時でも立ちます。……包金山は昨年索倫出発以来、盧司令の方針が危険味を帯びてゐるのを気遣ひ、岡崎先生と相談して、応援軍を組織する為め、六月八日途中から手兵の大部を劉陞山に預け、奉天へ向つた折、私は其後護衛長として随行し、途中屡々危険に遭遇し乍ら、漸く奉天に着くと間もなく、あの悲報に接しましたので、包金山共々声をあげて泣きました』と今更の如く涙ぐむ。金翔宇は後を受けて
『私は索倫から、募兵の為め黒竜江へ派遣せられたのですが、盧司令の旅費手当が余り少額で困つてゐると、岡崎先生が別に心付けをして下さつた時の嬉しさは今に忘れませぬ』
と言へば、傍に居た岡崎は
『あれは皆大先生から頂いたのを、君方に取次いだまでだ』
と言葉を挟む。金翔宇は更に語を継ぎ
『あゝさうでせう、兎に角あれで漸く使命を達し洮南迄帰ると、既に討伐隊が索倫山へ向つた所なので、私も其一味として投獄せられ、危く銃殺せられる所を、予て洮南の旅長張海鵬と知合であつた為、首がつながりました。併し大先生のお側近く仕へてゐた者は皆助かりましたね。白凌閣は素より、温長興、秦宣、王瓚璋、王通訳等皆さうです。それが夫々危地を脱れたのは、畢竟大先生の特別の御加護としか思へませぬ。時に蒙古の青年も追々目醒めて来ますから、お役に立つ者も漸次殖えて参ります』
と意気軒昂たるものがある。真澄別は何れの人にも──昨年の蒙古入は君方の思ふ様、単純な失敗でない事、神様の方から云へば深いお思召のある事や、世界的神劇の序幕とも云ふべきもので、其後引続いての活動の結果、今回世界宗教聯合会が成立した事などを説明し、発起人連名簿や写真など見せると、各人一様に感歎の声を洩らし、前途の祝福を忘れなかつた。殊に蒙古人は章嘉との提携を非常に喜こんだ。
(大正一四、八、筆録)
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