番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1801 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 精乳館・上田牧牛場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ... つぎには、喜三郎は船井郡桐の庄村垣内の上仲儀太郎の宅で搾乳販売業をいとな......とになった。 この事業には、喜三郎のほか村上信太郎と上田正定(小幡神社宮司)の二人......いうから、非常に高価なものであった。 農村での搾乳業が、当時においては、とびきり新......垣内第20番地)勘定帖の一部 p137○左よ村上信太郎、2人おいて上田正定 p137... | 1801 |
1802 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 家族の心配 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...葉書が来るから安心せよ」という。また、篠村の弘法大師をまつる「立枝の地蔵さん」は「... | 1802 |
1803 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 喜楽天狗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...「自信がある」と答えた。すると斎藤は、近村の農家の婦人で岩森八重という歯痛患者をつ......に死別した失明寸前の婦人で、貧苦のはてに村を追われて流浪しようとしていた人であった......顔をして、飯綱か管狐※を使っているのだと村中にふれまわったという。当時、この地方で... | 1803 |
1804 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 布教活動と警察の干渉 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...狗の評判がますます高くなったので、曽我部村の巡査駐在所も無視することができなくなり... | 1804 |
1805 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 稲荷講社と本田親徳 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...ようとした。そのとき、静岡県安倍郡不二見村下清水、月見里神社に附属する稲荷講社総本......雄楯を訪問しようと決意し、親族である佐伯村の大石友吉に旅費の工面をしてもらった。喜......とさとしたと伝えられる。また、船井郡鳥羽村八木嶋の......村はずれで開祖とも出会し、開祖の身上につい... | 1805 |
1806 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖との対面 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...的ではなかったようである。 この日、位田村から四方すみ・黒田キヨが参拝に来ており、......るな」と四方すみを叱りつけ、世話係りの中村をよんで、「上田を追い返せ」と命じた。足......のみならず、金光教の世話係りをしている中村竹蔵らも、若くて有能な喜三郎を排斥しなけ......うくなる、と直感したようである。足立と中村は開祖のもとに行き、開祖に喜三郎の追放を......その夜開祖のもとに泊った。翌日は、東八田村大安(現在は綾部市)から、一人の娘が病気... | 1806 |
1807 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 霊学指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...動を開始した。まず最初に、園部上本町の奥村徳次郎が熱心な信者となった。また、菓子屋... | 1807 |
1808 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖の使者 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...お婆さんが店番をしているようじゃ」と鷹栖村の平蔵の家を目の前に見ているように視とお... | 1808 |
1809 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明会の発足 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/村=6 | ...に着手した。当時の世話人は、四方平蔵・西村文右衛門・西......村庄太郎・西......村弁太郎・四方与平治・四方祐助・四方伊左衛......・四方与平治・四方祐助・四方伊左衛門・中村竹蔵・竹原房太郎・西......村喜市・四方甚之丞・四方安蔵・四方すみ・塩......すみ・塩見じゅん・四方与平・四方藤太郎・村上清次郎の一七人であった。この世話係りは... | 1809 |
1810 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 十曜の神紋 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...九九(明治三二)年七月五日には、本町の中村竹蔵の家を借りて、そこを金明会の広前とし... | 1810 |
1811 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明霊学会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...二五〇円を基にして、同年一二月一日、本宮村本宮下三二番地・大島景僕の家(現在綾部の... | 1811 |
1812 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 神々の登場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/村=11 | ... 上田会長は、中村の家の広間時代、あるいは、修業場を東四辻......あり、役員の希望によるものでもあった。中村の家では、参拝者の目の前で、修業者が発動......、また猿田彦命の神示もあって、何鹿郡山家村字鷹栖(現在綾部市内)の四方平蔵宅に移さ......年八月一九日(旧七月一四日)何鹿郡西八田村字上谷(現在綾部市内)の四方伊左衛門宅へ......へ約六キロの山峡にある農家ばかりの小さな村で、ここで一ヵ月間、上田会長の指導のもと......甚之丞・四方すみ・大槻とう・塩見せい・中村きく・田中つや・四方ひさ・野崎篤三郎・西......きく・田中つや・四方ひさ・野崎篤三郎・西村まき・西......村こまつ・村上房之助・黒田きよ・上仲儀太郎... | 1812 |
1813 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 霊憑りの発動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...があき、床は落ちるという騒ぎを再演した。村人がめずらしがって、弁当もちで見物にくる......と、会長追放の運動にのりだした。また、中村竹蔵・四方春三らは、出口家の養子をねらっ... | 1813 |
1814 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 吉崎仙人のこと | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...樵りをしているうちに仙人となった、東八田村於与岐に住む吉崎謙吉であることもわかった......ってみると、上谷の修業場から、四方春三・村上・黒田・塩見らが広前へ帰ってきて、また... | 1814 |
1815 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 神定の結婚 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...うものがあいついで出てきた。四方春三・中村らの野心もそれで、かれらは、共同の敵とし... | 1815 |
1816 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 日清戦争の社会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...。ごく少数のすぐれた思想家、たとえば、内村鑑三などは、明治の末まで、圧倒的に強い国... | 1816 |
1817 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島と沓島 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...である。 両島近海の漁業権は、東・西大浦村の野原・三浜・小橋三部落の共同管理になっ... | 1817 |
1818 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島開き・沓島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...草履で舞鶴をさして出発した。 途中東八田村大石の木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ご......ち、木下慶太郎・福林安之助・四方祐助・中村竹蔵の四人を冠島に残して、境内の掃除を命... | 1818 |
1819 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 会長排斥と内部の対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...を祈って、八月二二日(旧七月二八日)、中村竹蔵ら二一人で冠島・沓島の参拝にでかけた......一一・一三)をあと釜にすえようと、位田の村上新之助の宅で相談していることがわかった... | 1819 |
1820 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 元伊勢お水のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...とになった。 元伊勢は京都府加佐郡河守上村字内宮(現大江町)にあって、天照皇大神を......一二キロの道を徒歩でゆき、以久田・志賀郷村をへて、その日の夕刻に内宮の松代屋に到着......宅に立寄り、医者がみはなした信者の子供・村上吉之助の腹膜炎をなおし、夕刻に帰綾した......ンプが落ちたり、風呂場から火が出たり、中村竹蔵の背へランプが落ちかかるなど、三回ま... | 1820 |
1821 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 出雲の火のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/村=7 | ...崎宗長・福林安之助・杉浦万吉・内藤半吾・村上房之助・四方甚之丞らの一行一五人で、出......堀畑(二四銭)、三日は関の宮をへて但馬の村岡町に宿泊(二五銭)、ここでは宿屋荒しに......温泉駒屋に宿泊(三〇銭)、五日鳥取県の米村字平方で宿泊(三五銭)、六日は鳥取市市川......賃七五銭、宿泊料三七銭)、米子をへて逢坂村下市で泊り(二五銭)、赤崎から乗船して船......た。ふたたび岩井温泉の駒屋に泊り、ついで村岡、八鹿の宮田(二七銭)、福知山(三五銭......宮屋敷とりをした。第一班は木下慶太郎・中村竹蔵が、大本から和知川に沿って下流位田渡......中筋をへて帰ってきた。第二班は四方平蔵・村上房之助で、大本から和知川に沿って上流に... | 1821 |
1822 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 弥仙山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 14 件/村=14 | ...部旧市街地より東北一二キロ、何鹿郡東八田村字於与岐(現綾部市東八田区)にある霊山で......の三十八社には水分の神がまつってあり、近村の者はこれらの神々を子授けの神として崇敬......祖は綾部を出発した。山まで後野市太郎と中村竹蔵がお供をしたが、「だれもくることはな......あったが、開祖の老体を案じて、内々に大石村から様子をうかがっていた。 四方平蔵は開......の中で筆先をかいていたが、その後四日目、村人が宮の掃除に登山して礼拝する気配がした......もよらぬ白髪の老婆が、突然顔を出したので村人は驚き、社内にヒヒ猿がはいっているとい......いっているといいふらして大評判になった。村人はヒヒ退治だと竹槍をかつぎだし、巡査ま......でが出張してくるという大騒ぎになったが、村人が宮へ押し寄せてきたとき、おりよく後野... | 1822 |
1823 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...祖・会長・すみ・直日のほかに四方平蔵・中村竹蔵・福島寅之助・木下慶太郎・......村上房之助・後野市太郎・福林安之助・四方与......た。そこで、大阪の松本留吉から、園部の奥村徳次郎方に滞在中の会長に「種痘の件警察よ... | 1823 |
1824 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり | 4 沓島ごもり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...どけるやら丹後の浦々は大騒ぎ、ついに大浦村のいのち知らずといはるる船頭二人もて、取... | 1824 |
1825 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 御嶽教に勤務 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...教の理事に任ぜられた。このさい、京都の中村保次郎を、大本教会の受持教師とした。こう... | 1825 |
1826 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 金明霊学会の苦況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...とこれを比較してみると、綾部近郊の『中筋村誌』によれば、一九〇七(明治四〇)年には......いた明治三九年当時の役員は、四方平蔵・中村竹蔵・木下慶太郎・四方与平・田中善吉・竹......之丞であった。これについで塩見じゅん・中村小松らが奉仕していた。かれらは、ほとんど... | 1826 |
1827 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 祭事の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...、日露戦争直後の好景気をうけ、これまで農村色の濃い集散地であったのが、商業と産業の... | 1827 |
1828 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 王仁三郎の帰綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...く知られていた。たとえば、園部町に住む奥村某の思い出話が、浅野和三郎の筆になる「出......盧」に紹介されているが、それによれば、奥村は浅野に「あの方(王仁三郎)のいう世界統......すすものである。湯浅は京都府北桑田郡宇津村字下宇津の地主で、材木業を営み、農会長な... | 1828 |
1829 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 造営と宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...八五九(安政六)年に生まれ、何鹿郡以久田村字上位田(現綾部市内)に住み一八九五(明......運びとなり、三月二八日には、北桑田郡大野村肱谷字味曽淵の高見米次郎の事務所一棟と、......、西原や上谷など、綾部郊外の山間部にある村落の熱心な信者たちから、連日のように献木... | 1829 |
1830 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 明治の晩期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...もなった。 この年一一月一一日には、本宮村上野の畑地五反ちかくがゆずりうけられ、二... | 1830 |
1831 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 大本教の教規と信条 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...一八八〇(明治一三)年京都府何鹿郡東八田村の木下亀次郎の長男として生まれ、一八九八... | 1831 |
1832 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 浅野の入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...にいたった。一一月二八日には、王仁三郎は村野滝洲をしたがえて、ふたたび横須賀へおも... | 1832 |
1833 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 神島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...った。そこで、さっそくこの島をさがすよう村野滝洲と大阪の谷前貞義に命じておいたとこ......は、王仁三郎をはじめとして、梅田・谷前・村野・湯浅・榎本の一行六人がふたたび神島に... | 1833 |
1834 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 昇天の前後 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...刊された旬刊紙「綾部新聞」は、全国の市町村役場や、大・中・小学校ならびに実業家など... | 1834 |
1835 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 予言の強調 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...綾部地方ばかりでなく、全国の各官庁・市町村役場・各学校・各連隊・各艦船等にたいして... | 1835 |
1836 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 情勢の深刻化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...耐えがたいものになっていったのである。農村も例外ではない。大戦前においては、米価は......にさかんとなった。だが好景気と裏腹に、農村でも、富むものと貧しいものとの差が、きわ......ある。貧農層は生産工業の都市に流出し、農村にあっては中農以上の大経営が重きをなすに......たかまってきた p408○大正期の農民運動 村でも貧富の差がきわだってきた p409... | 1836 |
1837 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 地方宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 17 件/村=17 | ...の信者と連絡をとりながら、都市といわず農村といわず、活発な宣教活動をくりひろげた。......陰営業部)がある。これらの人々についで奥村芳夫(朝日新聞取次店)・室田勝三郎・湯川......日新聞取次店)・室田勝三郎・湯川貫一・梅村隆保(医師)らが入信し、さらに藤原勇造・......上留五郎よりややおくれて綾部に移住し、奥村芳夫も同じく綾部に移住した。 一九一八(......、一部には脱落する会員もあったという。奥村芳夫はそのころの日記に、「迷信家連の中に......では、大正期の貨幣経済の膨張にともなう農村の分解─中間層農民の没落と、下層農民の困......あった。若くして県農会の技手となり、農山村の指導のため県下を歩く機会がおおく、困窮......のため県下を歩く機会がおおく、困窮する農村の実態を身をもって体験していた。したがっ... | 1837 |
1838 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 修業者の激増 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...修業も毎日二回にわたって実施された。 中村純也は、一九一八(大正七)年一〇月二一日......ば、講師は浅野・森・小牧・岩田・今井・谷村・友清・湯浅などの人々であり、講話の題目......の二月二五日、京都府警察部長藤沼庄平と中村保安課長が綾部をたずね、それ以来きびしい... | 1838 |
1839 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 本部の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/村=7 | ...同二七日に福知山の一宮・金比羅・庵我の中村八幡宮の各神社にまいり、六月六日に沓島・......一行九七人が、綾部を出発し、大和の上竜門村の丸山貫長をたずね、同夜柳に宿泊した。翌......長上西信助、出版局長岩田久太郎・同副長谷村正友、造営局長小牧斧助・同副長岡田熊次郎......このたびの改革にともなって青年隊長には谷村正友、少年隊長には出口大二が就任した。 ......正恭、会長小牧斧助・副会長岩田久太郎・谷村正友、教務局長森良仁・副長井上留五郎・吉......版局長江上新五郎・副長近藤貞二、工場監督村野滝三郎、造営局長岡田熊次郎・副長上倉三......内政部長牧寛仁・近侍長小原稜威夫・副長中村純也、弁務部長桑原道喜・副長栗原七蔵がお... | 1839 |
1840 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 台湾の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...者に大本の立替え立直しを語り、台北では下村民政長官を訪ね、台湾神社に参拝して、夜六......時から鉄道ホテルの広間で講演会を催し、下村長官その他有識者約五○○人をあつめて宣教......ている。その間に浅野を主賓とする一行は下村長官の同窓晩餐会に招待され、多数の名士と......宣教は禁止された p460○台湾総督府および村古峡への反撥文 p461... | 1840 |
1841 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 内地宣教の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...して、九日に東京へ出向した。このときは中村純也が随行している。ただちに銀座の枝吉の......へ、桑原道喜をはじめとする西田・上西・谷村・篠原・木島らの一行は九州へ、吉原亨は四......体験を手記として発表する機会のなかった農村の人々は、現実には多数をしめているのであ......の全国的宣教は白熱化した 浅野・高木・谷村・吉原東北へ─仙台 王仁三郎・浅野・井上......・栗原・岩田山陰へ─鳥取 篠原・木島・谷村・深町九州へ─鹿児島 p463○東京確信会の... | 1841 |
1842 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 社会の反応 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...一九二〇(大正九)年の八月に刊行された中村古峡著『大本教の解剖』がある。中......村は東京警察学校の教官で『変態心理の研究』......る。私は大本教の厳正批判者として立った中村君が、宗教の進化及び堕落について、なるべ......辺霞亭などがあり、歌人では与謝野晶子・西村陽吉、評論家では野......村隅畔・石坂養平・三井甲之・松崎天民らがあ... | 1842 |
1843 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 日刊新聞の経営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...参加していた。社長は貴族院議員であった藤村義朗で、資本金は二〇〇万円であった。当時......・政治通信部長池沢原次郎・社会経済部長松村仙造・文芸部長栗原七蔵・弘道部長江上新五... | 1843 |
1844 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 抵抗と閉社 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...にある天満筋四丁目に移転するにいたり、西村光月を編集長とし、岡本霊祥・高見元男・萩......を維持した。一一月二四日には、社長に御田村竜吉がついたが、経済的ゆきづまりはいかん... | 1844 |
1845 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 事件の背景 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...そのことについて当時活躍した堺利彦は、中村古峡著の『学理的厳正批判大本教の解剖』の... | 1845 |
1846 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 民間諸宗教への政策 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...として官幣社、国幣社、府・藩・県社、郷・村社、無格社の社格を定め、歴代の天皇・皇族... | 1846 |
1847 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第一回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/村=7 | ...ちに大本にたいする攻撃の立役者となった中村古峡のいうところによると、早くも一九一八......の鑑定書を各府県警察部へ廻送している(中村古峡『迷信に陥るまで』)。各府県警察部が......一週間にわたっておこなわれた。保安課長中村安次郎と、警部岡田某とが綾部に出張して、......このときの調査の目的は、藤沼警察部長が中村らの出発にあたって、「検挙するのではあり......り、つまり大連大臣が一人づつでき、国郡町村にもそれぞれ此の二方面の機闘を設置するこ......都府警察本部の第一回調査にもとづいて、中村保安課長はその調査報告書を内務・文部両省......の後の指揮をあおいだ。 藤沼警察部長は中村の調査報告書や大本関係の著書・雑誌類をみ... | 1847 |
1848 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 言論界の攻撃 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...これとにたりよったりのものであった。 中村古峡は東京裁判所の求めに応じて、さきに「......げしく、かつ執劫に大本を攻撃した。この中村の学問的なよそおいをとった大本への批判に......ていた。〔写真〕○高芝羆 p539○言論界・村古峡の攻撃はさらにはげしさをくわえてきた... | 1848 |
1849 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 第二の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/村=6 | ...しくはそれ以上の法の執行にあうという、川村竹治警保局長の談話が報ぜられたりもしてい......るやも知れぬ。 当時の馬淵京都府知事や川村警保局長の談話によってみても、当局の関心......るものであった。 またこのころ、前述の中村古峡は、内務大臣の官邸で、二回にわたって......は、鎮魂帰神は催眠術であるという従来の中村の主張をくりかえしたものであったらしく、......、大本への弾圧を考慮しなかったらしい(中村古峡『迷信に陥るまで』)。 しかし、この......かめていったことは多言するまでもない。中村古峡の『学理的厳正批判大本教の解剖』が出... | 1849 |
1850 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 告発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...なった。その席上には新聞記者のほかに、中村古峡や河口慧海などが出席しており、警察官......本教の心理実験会をもよおしたり、さらに中村古峡をまねいてその意見をきいたりしている......ついて詳細な報告をおこなった。そのあと川村警保局長は、大本教にたいする監視を要望す......したかどうかはあきらかでない。二八日の川村警保局長の主宰する会議では、今後なお真相... | 1850 |
1851 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第二回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...ついて手入れをおこない、名古屋検事局の中村・三鳥その他の検事も出動して、一行一〇余......の翌二八日には、名古屋市外西春日井郡山田村小田井字南出の水谷清(名古屋市立第九高等... | 1851 |
1852 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 検挙の目的 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...をなすにいたったであろうか。警保局局長川村竹治は、当局の検挙目的についてつぎのよう... | 1852 |
1853 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 予審決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...みたのは友清九吾であったが、この主張は中村古峡の『大本教批判』に採録されて、事件前... | 1853 |
1854 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 内訌と凋落 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...士のみた大本事件観 p596○花井卓蔵 p596○村古峡は大本攻撃の手をゆるめなかった 記事... | 1854 |
1855 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 記事解禁と批判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...たようにほとんど友清のいう大本攻撃や、中村古峡の『大本教の解剖』、さらに加藤確治の......産的生活をすることが悪ければ、『新らしい村』の人々にも制裁を加ふる必要があることに... | 1855 |
1856 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者への迫害 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...長官に厳重な示達をだした。京都憲兵隊長中村中佐は談話の形式で、「……この判決が不敬......(3)いたたまらず家出をしたもの、(4)村八分にされ、商品の取引をたたれ、転宅をよ... | 1856 |
1857 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 責付出獄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...脇京都府警察部長は五月二〇日、綾部町長西村源之助を通じて、開祖の墓地の一部をとりの......一部をとりのぞくように厳命した。そこで西村町長は出口すみ子にその旨をつたえたところ......その間に、大本にかねて好意をよせていた西村町長は、綾部警察署長をたずねたり、京都府......生課長は、小原高等課長立会いのもとに、西村町長の懇請をはねつけ、六月中に改修を実行......常手段にでると言明した。そこでやむなく西村町長ば、翌六月五日に出口すみ子を町役場に... | 1857 |
1858 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 第一審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...いると報道されていた松原京都憲兵隊長と中村古峡らがまじっていた。そして以後の公判は......ほとんど連日報じられていた。そのなかで中村古峡は、江木の弁論を公然と論難した。ある... | 1858 |
1859 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 本宮山神殿破壊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...原道喜、副取締に出口慶太郎、同世話係に松村仙造、農園世話係に植芝盛平、機械世話係に... | 1859 |
1860 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 物語の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...ていえば、もっとも回数のおおかったのは松村真澄である。※筆録者(第一巻より第七二巻......で─ただし総説・序文・跋文等をのぞく)松村真澄・加藤明子・北......村隆光・外山豊二・谷......村真友・桜井重雄・井上留五郎・藤津久子・谷... | 1860 |
1861 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | バハイ教徒の来綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ... 二代すみ子 王仁三郎 ルート 通訳・西村 p694... | 1861 |
1862 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | エスペラントとローマ字の採用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/村=8 | ...組は天声社編集室で受講し、聖師をはじめ松村・井上(留)・西......村(光)・桜井(重)・北......村・大深・加藤・出口(宇)・渡辺・横尾・寛......り、会場を天声社製本場に設けて、講師組西村光月・B組─桜井重雄・C組─松......村仙造の三人がそれぞれ担当することになった......さかんにおこなわれていった。大本内では西村光月らが講師となって、エス語講習会が何回......。 一一月一〇日の大本秋季大祭の夜には、村瀬伝一郎の「日本式ローマ字に就て」という......マ字講習会がひらかれ、講師には京大生の西村博がなり、受講生は七五人にのぼった。さら... | 1862 |
1863 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 道院・世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...となった。そのため王仁三郎の意を体した北村隆光は、侯延爽の帰国をおくって渡支した。... | 1863 |
1864 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 新機運の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...杖立温泉にむかった。八日には熊本分所(奥村貞雄宅)について二泊し、一二日には杖立温......温泉を出発した王仁三郎一行は、熊本市の奥村宅に二泊、九月一日には山鹿に投宿し、翌二......、九月一日には山鹿に投宿し、翌二日、三玉村の観音堂と不動岩に参拝した。ちょうどその......て災害地に派遣し、ついで岩田・高木・御田村・植芝・宇城らをつぎつぎに派遣した。そし......出口大二とともに九州各地を巡教、随行は谷村真友・加藤明子であった。一九二三(大正一... | 1864 |
1865 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 下工作 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...人々は、どういう面々であったか。それは松村真澄・植芝盛平・名田音吉の三人であり、松......真澄・植芝盛平・名田音吉の三人であり、松村は法学士で、植芝は式術(合気道)の達人、... | 1865 |
1866 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 奉天での準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/村=6 | ...そかに綾部を出発した。一行は王仁三郎・松村真澄・植芝盛平・名田音吉の四人である。関......、三也商会で、準備のために先着していた北村隆光・萩原敏明にむかえられ、さらに岡崎鉄......魁の代理として揚萃廷がたずねてきた。 北村隆光は、まえにも若干ふれたように前年の末......、中国服を着用した。王仁三郎は王文祥、松村は王文真、植芝は王守高、名田は超徹、岡崎......た王仁三郎はみずからダライラマを称し、松村をパンチェンラマとなのらせて、「大本ラマ......一行 左より佐々木 王仁 岡崎 大石 松村 名田 植芝 洮南にて p731○従軍の総司... | 1866 |
1867 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...日、東蒙古への拠点である洮南に到着し、松村・名田・井上は奉天から列車で着洮した。 ......だ。トール(洮児)河をわたり、途中三十戸村をへて、七十戸......村につき、牛馬宿に宿泊、翌二六日には王爺府......る。 四月にはいると、四日には洮南から松村・名田・猪野敏夫が轎車に衣料と食物を満載... | 1867 |
1868 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 索倫山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ... 王仁三郎と松村は宗教家として武器をもたず、そのほかのも......仁三郎上将 パンチェンラマ 王文真 松村真澄上将 総司令 盧占魁中将 ......くなっていたのである。そこで王仁三郎は松村を指導し、トール河で潔斎修行をさせて、雨......影 前列右より猪野 小林 大石 岡崎 松村 王仁三郎 盧 楊 蒙古王 後列右より温......哉神軍陣形 山河草木靡威風 左より何 松村 中央が王仁三郎 一人おいて植芝 p741○... | 1868 |
1869 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | パインタラ事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...三郎らにも銃殺の刑がまちかまえていた。松村・王仁三郎・萩原・井上・坂本・植芝の順に......行は逮捕され足枷をはめられた 左より 松村 王仁三郎 植芝 荻原 井上 坂本 p748... | 1869 |
1870 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 再入監 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...々日、役員・信者を代表して、中野岩太・北村隆光が見舞のため奉天へ出発することになる......四方繁吉らが発起人となり、町民をはじめ近村の人々二一四人の連名で、横田司法大臣およ......いうのほかはない。入蒙の同行者であった松村・植芝・名田の三人も、奉天出発から大阪ま... | 1870 |
1871 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 普天教と回教徒との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...て、大本との関係はしだいに密接となり、松村真澄・安藤唯夫の両人が普天教に派遣される......たび二〇年ぶりに日本に帰国した機会に、谷村真友が知人であった関係から王仁三郎に面会... | 1871 |
1872 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 世界宗教連合会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/村=9 | ...、季松年を先導とし、同年陰暦四月一二日松村真澄に、世界宗教連合会についての全権をゆ......をゆだねて、その成立をうながすために、松村を北京に派遣することにした。北京において......まっていた章嘉活仏は、北京へやってきた松村と会見した。松......村はその会見で、このさい中国において世界宗......めが話されていた(「宇知丸日記」)。 松村が王仁三郎の命をうけて北京へむかったのは......した下準備の具体化をはかるためであり、松村のほかに、北......村隆光・岡崎鉄首そして頭山満と内田良平との......月北京郊外白雲観での記念撮影 背広姿が北村 中央支那服が松村 右側が岡 2人目が岡... | 1872 |
1873 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 発会と主旨 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...敬義・東尾吉雄・桜井重雄・井上留五郎・北村隆光・河津雄次郎・筧守蔵らが選出されて、......師を派遣し、あわせて、海外宣伝のために西村光月を欧州に派遣することに決定した。 八... | 1873 |
1874 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 文書による海外宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...三部にわかち、エス語部と英語部の主任は西村光月の兼任、支那語部の主任は北......村隆光、監督は当分教主補佐宇知丸があたるこ......の志望の端を発したる瑞祥と云ひつ可し。西村、北......村両主任を始め一同の諸士の奮闘努力を希望し... | 1874 |
1875 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 宣伝使の欧州派遣 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 35 件/村=35 | ...されるようになる直接的な理由としては、西村光月の欧州派遣とその活動をあげねばならぬ......ぬ。王仁三郎から、欧州派遣の命をうけた西村宣伝使は、人類愛善会が設立された翌々日、......愛善の趣旨にもとづく海外宣伝にあった。西村は渡欧のために、京都府庁にたいして海外渡......じめて許可された。出発する間ぎわまで、西村やその周辺の人々は、ひそかにしかもねばり......しかもねばりづよく努力したのである。 西村が大会に出席したところ、ただちに副議長に......だちに副議長に指名されることになった。西村は麻の白地カスリの着物に紋付羽織袴で出席......席し、満座の注目をあつめた。そのおりに西村は大本の特別講座をひらいて聴衆にふかい感......和主義者の会議が開催されることをきいた西村は、仏文による宣伝パンフレット一〇〇〇部... | 1875 |
1876 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 機構の改革と人事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/村=7 | ...課長橋本亮輔・次長後藤康仁・出版課長御田村竜吉・次長河津雄・海外宣伝課長西......村光月・次長北......村隆光・庶務課長山口利隆・次長前田満稲・会......五郎・中野岩太・出口宇知丸・桜井重雄・西村光月・松......村真澄・北......村隆光・加藤明子・高木鉄男・四方平蔵・岩田......斎・小竹玖仁彦・上窪純堆・佐藤六合雄・中村純也・吉原亨・内藤七郎・平松福三郎・東尾... | 1876 |
1877 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 大審院の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...定を申請し、これが受理されて、京都帝大今村新吉博士が精神鑑定人となった。一九二六(... | 1877 |
1878 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 暁天の機運 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...ン木・シダラ・トベラなどが繁茂しており、村人も神罰をおそれて斧を入れたことがないと......あり、枝葉がしげって金字ににておるので、村人によって金字松と称されていた。山口特派......とんど九分どうりくらいまで大本化している村落もあった。 聖師の渡台中、二代教主には......編纂所 松島栄一東京大学東洋文化研究所 村上重良東京大学教授 小口偉一立命館大学教......授 林屋辰三郎編集委員徳重高嶺木庭次守三村光郎山本荻江石地与一郎鈴木良前島不二雄安... | 1878 |
1879 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...─井上留五郎・高木鉄男・岩田久太郎・御田村竜吉・東尾吉雄・湯川貫一・四方平蔵・梅田......武英・湯浅仁斎・出口慶太郎・桜井同仁・西村光月・栗原白嶺らとともに至聖殿に昇殿した......内事部主事・高木鉄男、天恩郷主事補・御田村竜吉、同主事補心得・大国以都雄、大本瑞祥......会長補心得・橋本亮輔、天声社社長補・御田村竜吉、同社長補心得・瓜生潤吉 なお総務な... | 1879 |
1880 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/村=6 | ...郎・瑞祥会長に東尾吉雄・天恩郷主事に御田村竜吉を任命し、綾部の第一天声社(本社)社......郎、亀岡の第二天声社(支社)社長には御田村竜吉をすえて運営にあたらせた。〈月宮殿の......神体のみろく石を出口宇知麿、月照石を御田村竜吉、日照石を井上留五郎、三光石を東尾吉......者をつくったばかりでなく、稲倉・大江の両村では全......村がこぞって集団入会している。 運動の展開......祭文をささげた。 また三月一三日には、北村隆光は道院・世界紅卍字会本部の宗壇落成式... | 1880 |
1881 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 聖師巡教の旅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/村=7 | ...は北海道の中心部にあたる芦別山のふもとの村である。芦別山は聖師によって、喜界島の宮......にふたたび山形県にはいった。山形・高原・村山・天竜・蓮台・西......村山・大谷の白田邸・大沼・赤湯・置賜・漆山......師は二代教主とともに鳥取県の西伯郡日吉津村の神刕別院の開院式にのぞんだ。日吉津......村は松田盛政の努力によって、全......村がほとんど大本に入信していたから、......村をあげての歓迎ぶりであった。このとき聖師... | 1881 |
1882 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 巡教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...して地方の宣教を力づけた。 宇知麿も、西村光月とともに三月には北丹地方に出張し、舞......方、山陰地方には井上留五郎・湯川貫一・西村光月らが出張し、九州地方には東尾吉雄・深......行された。ついで四月一九日には滋賀県木戸村から献納申出があった別院候補地が検分され... | 1882 |
1883 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 満州巡教と世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/村=6 | ...である。随行は井上留五郎・岩田久太郎・北村隆光・加藤明子・宮沢澄江で、一行は帰国す......院とよぶことになった。また島根県簸川郡東村の吾郷勝哉邸は、素盞嗚尊にゆかりのふかい......いう。ついで別院の候補地として赤磐郡万富村の向山を検分し、二一日に帰郷した。 六月......おこなわれた。 九月一四日には、大国・上村照彦の随行で、島根別院・地恩郷・津和野な......は、出口宇知麿が人類愛善新聞社長に、御田村竜吉が副社長に就任し、一〇〇万読者獲得を......なったのである。そして九月一五日には御田村が東洋本部長に任命され、あわせて新聞の経... | 1883 |
1884 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 18 件/村=18 | ...西島佐一(宣道)が奉天に支部を新設し、北村隆光が本部から派遣されてその鎮座祭に参列......を経由して入満した。この当時、長春には西村秀太郎が満鉄にいて一二月一日長春支部を設......した。大連(旅大)では昭和三年四月三〇日村山盛吉が支部を設置し、長春駅長蓼沼泰一、......の発会式があった。その結果、大本側から西村秀太郎、人類愛善会からは浜田豊樹がその委......関として分会組織がつくられ、分会長には西村秀太郎が就任し、次長には西島宣道が任命さ......二)年の一一月には、筧守蔵が派遣され、川村釜山支部長をたずねて講演と病気お取次をし......に入満した。 一九二八(昭和三)年には奥村孝国、一九二九(昭和四)年のはじめには江......無事にその任務をはたすことができた。 北村隆光は一九二三(大正一二)年以来、世界紅... | 1884 |
1885 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...の国でなければならぬのに、唐国にならって村々も個人も八重垣を作ってゐる。その八重垣......備については出口宇知麿が委員長、補に御田村と岩田があたり、大国が連絡交渉と建設の主... | 1885 |
1886 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 本部の体制 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...事部主事高木鉄男・天恩郷(内事)主事御田村竜吉・同主事補大国以都雄・総務部主事東尾......本亮輔・大本瑞祥会長出口宇知麿・同補御田村竜吉・岩田久太郎が、それぞれ任命された。... | 1886 |
1887 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 10 件/村=10 | ...会次長)粟辻忠造、近畿第二=古市宣三・木村次之助、山陽=木下愛隣・藤原義男、山陰=......峨保二・大沢晴豊、関東=出口日出麿・御田村竜吉、奥羽=......村松山寿・中鉢玄策、北海=田中省三・斎藤長......朝鮮=松並高義・川崎勇、満州=深水静・西村秀太郎、ブラジル=近藤勝美・石戸次夫 そ......とし、班長一人をおいてさらに組にわけ、町村にもれなく宣伝する組織的な態勢がつくられ......、三味線や八雲琴を入れての読誦法など、松村宣子・津田冠月らを派遣し指導させたので、......へは河津雄と石丸順太郎、壱岐・対馬へは上村照彦と石田鎮彦、朝鮮・満州へは筧守蔵・深......深水静、田中省三、土井大靖、宇城省向、上村照彦、石田鎮彦特派宣伝使=大国以都雄、加... | 1887 |
1888 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 1 満州事変と大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...いた。 しかし社会は、そのころ都市でも農村でも不景気が深まり、社会不安にあえぐ民衆... | 1888 |
1889 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 満州事変の突発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...四日張作霖爆殺事件、昭和六年六月二七日中村大尉殺害事件・七月二日には万宝山事件など... | 1889 |
1890 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 大本本部の指導態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...滋賀県では大津・彦根をはじめとする各市町村で、大国・藤原両宣伝使を講師にむかえて時......大講演会からである。この時には深水静・北村隆光・大国以都雄・桜井重雄・出口宇知麿ら... | 1890 |
1891 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 宣統帝問題 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/村=5 | ...で一一月のはじめには恭親王の命をうけた吉村喜介が聖師に会いにきた。一方、一〇月二六......は、三井財閥関係者に招かれ、三井物産の大村俊太郎と会談した。大......村は「満州における関東軍内に、大本教の出口......ほしいと要請した。そこで出口宇知麿・御田村竜吉・大国伊都雄らに折衝させ、一方資金調......いは世界宗教連合のために中国の五台山に松村らを特派したこと、また満蒙の布教に力を用... | 1891 |
1892 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 非常時と愛国運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...た。そして本部から提案された「全国総市町村支部設置完成運動」を即決し、ひきつづいて... | 1892 |
1893 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 多彩な大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/村=4 | ...い会員も年配の婦人会員も、足にまかせて各村々を売りあるいた。したがって「人類愛善新......の標語は日出麿総統補の書で印刷され、市町村の戸毎にかかげるよう指示された。昭青・坤......とそれぞれあらためた。 坤生会専任幹事西村雛子は、節分の際の総会において会務を報告......積していた金を全部献金した。 疲弊した農村の更生・食糧問題についても、すでに各地の... | 1893 |
1894 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 挙国更生運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 8 件/村=8 | ...閣が倒れて斎藤内閣になった。 このころ農村恐慌が大きく国内をゆさぶって経済界は萎縮......・2)とのべているほどである。そのころ農村では娘が「五十金」くらいで盛んに売られる......た状況下において長野県からはじまった「農村モラトリアム即時実施」の請願運動は、たち......していった。「帝国軍隊」の供給源である農村の疲弊は、軍隊にとっても大きな問題となり......もに、農は立国の大本という立場から、「農村を救へ」という運動を全国的に展開していっ......て匡救費支出は国会で決議されたものの、農村土木事業につかわれたこの費用は、農民の手......の事を処するならば、期せずして一身一家一村一町、やがてこれを全国に及ぼして霊体一致......各地の国魂神や産土神社に集団参拝し、町や村での講演会・座談会を催して、まず神にめざ... | 1894 |
1895 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 昭和青年会と防空運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...確で決定的だ。爆弾投下は市街を焼き払ひ、村々に流れ込んだ毒ガスは完全に人々をおう殺......で、入場者七〇〇〇人以上一万人未満の市町村は一六、一万人以上が二八ヵ所となっている......以都雄が開会を宣し、芦田均(政友会)・中村三之丞(民政党)・内田良平(生産党)ら各... | 1895 |
1896 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 昭青・坤生会等の諸体制 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...なされた。昭和坤生会では、高木孝子・御田村卓子が常務幹事をつとめ、西......村雛子が専務幹事として事務を掌理することと... | 1896 |
1897 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 諸運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/村=1 | ...災害のさいには慰問使三人を派遣して、各町村へもれなく慰問の金品をとどけたこと、そし... | 1897 |
1898 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 内外多事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/村=3 | ...国道徳会・県農会などの斡旋で、県内五五ヵ村の......村長が......村民の意を代表して協議会をつくり、満場一致... | 1898 |
1899 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/村=2 | ...かれた。出席したものは宇知麿・大国・御田村竜吉・米倉嘉兵衛・米倉範治・土井靖都・広......原案を特別委員に付託し、準備委員長に御田村竜吉、副委員長に米倉嘉兵衛をあげ、専任委... | 1899 |
1900 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 声明・主義・綱領 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/村=7 | ...、内務大臣後藤文夫、衆議院議長秋田清、津村貴族院議員、安藤・佐藤・渡辺・貴志の各中......指導精神の確立を期す。一、国防の充実と農村の隆昌を図り、国本の基礎確立を期す。一、......達之輔、貴族院議員一条実孝・岩城隆徳・津村重舎、伯爵香川桜男、衆議院議長秋田清、衆......一郎・栗原彦三郎・小池仁郎・長島隆二・中村継男・赤松克麿・八田宗吾、陸軍中将安藤紀......板橋菊松、日大教授鈴木堯、国学院大教授中村至道、拓大教授満川亀太郎、専大教授吉田衛......満川亀太郎、専大教授吉田衛、早大助教授吉村正、上智大講師景山哲夫、早大講師関一雄・......、早大講師関一雄・高田集蔵、日医大講師中村康、専大講師吉川兼光、政治学博士五来欣造... | 1900 |