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番号 文献名1 文献名2 文献名3 著者 発表年 詳細 本文内のヒット件数 プレビュー(最大 8 件まで表示) 番号
1801 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 精乳館・上田牧牛場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ... つぎには、喜三郎は船井郡桐の庄垣内の上仲儀太郎の宅で搾乳販売業をいとな......とになった。 この事業には、喜三郎のほか上信太郎と上田正定(小幡神社宮司)の二人......いうから、非常に高価なものであった。 農での搾乳業が、当時においては、とびきり新......垣内第20番地)勘定帖の一部 p137○左よ上信太郎、2人おいて上田正定 p137... 1801
1802 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 家族の心配 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...葉書が来るから安心せよ」という。また、篠の弘法大師をまつる「立枝の地蔵さん」は「... 1802
1803 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 喜楽天狗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...「自信がある」と答えた。すると斎藤は、近の農家の婦人で岩森八重という歯痛患者をつ......に死別した失明寸前の婦人で、貧苦のはてにを追われて流浪しようとしていた人であった......顔をして、飯綱か管狐※を使っているのだと中にふれまわったという。当時、この地方で... 1803
1804 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 布教活動と警察の干渉 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...狗の評判がますます高くなったので、曽我部の巡査駐在所も無視することができなくなり... 1804
1805 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 稲荷講社と本田親徳 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...ようとした。そのとき、静岡県安倍郡不二見下清水、月見里神社に附属する稲荷講社総本......雄楯を訪問しようと決意し、親族である佐伯の大石友吉に旅費の工面をしてもらった。喜......とさとしたと伝えられる。また、船井郡鳥羽八木嶋の......はずれで開祖とも出会し、開祖の身上につい... 1805
1806 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 開祖との対面 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ...的ではなかったようである。 この日、位田から四方すみ・黒田キヨが参拝に来ており、......るな」と四方すみを叱りつけ、世話係りの中をよんで、「上田を追い返せ」と命じた。足......のみならず、金光教の世話係りをしている中竹蔵らも、若くて有能な喜三郎を排斥しなけ......うくなる、と直感したようである。足立と中は開祖のもとに行き、開祖に喜三郎の追放を......その夜開祖のもとに泊った。翌日は、東八田大安(現在は綾部市)から、一人の娘が病気... 1806
1807 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 霊学指導 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...動を開始した。まず最初に、園部上本町の奥徳次郎が熱心な信者となった。また、菓子屋... 1807
1808 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 開祖の使者 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...お婆さんが店番をしているようじゃ」と鷹栖の平蔵の家を目の前に見ているように視とお... 1808
1809 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 金明会の発足 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/村=6 ...に着手した。当時の世話人は、四方平蔵・西文右衛門・西......庄太郎・西......弁太郎・四方与平治・四方祐助・四方伊左衛......・四方与平治・四方祐助・四方伊左衛門・中竹蔵・竹原房太郎・西......喜市・四方甚之丞・四方安蔵・四方すみ・塩......すみ・塩見じゅん・四方与平・四方藤太郎・上清次郎の一七人であった。この世話係りは... 1809
1810 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 十曜の神紋 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...九九(明治三二)年七月五日には、本町の中竹蔵の家を借りて、そこを金明会の広前とし... 1810
1811 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 金明霊学会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...二五〇円を基にして、同年一二月一日、本宮本宮下三二番地・大島景僕の家(現在綾部の... 1811
1812 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 神々の登場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 11 件/村=11 ... 上田会長は、中の家の広間時代、あるいは、修業場を東四辻......あり、役員の希望によるものでもあった。中の家では、参拝者の目の前で、修業者が発動......、また猿田彦命の神示もあって、何鹿郡山家字鷹栖(現在綾部市内)の四方平蔵宅に移さ......年八月一九日(旧七月一四日)何鹿郡西八田字上谷(現在綾部市内)の四方伊左衛門宅へ......へ約六キロの山峡にある農家ばかりの小さなで、ここで一ヵ月間、上田会長の指導のもと......甚之丞・四方すみ・大槻とう・塩見せい・中きく・田中つや・四方ひさ・野崎篤三郎・西......きく・田中つや・四方ひさ・野崎篤三郎・西まき・西......こまつ・村上房之助・黒田きよ・上仲儀太郎... 1812
1813 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 霊憑りの発動 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...があき、床は落ちるという騒ぎを再演した。人がめずらしがって、弁当もちで見物にくる......と、会長追放の運動にのりだした。また、中竹蔵・四方春三らは、出口家の養子をねらっ... 1813
1814 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 吉崎仙人のこと 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...樵りをしているうちに仙人となった、東八田於与岐に住む吉崎謙吉であることもわかった......ってみると、上谷の修業場から、四方春三・上・黒田・塩見らが広前へ帰ってきて、また... 1814
1815 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 神定の結婚 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...うものがあいついで出てきた。四方春三・中らの野心もそれで、かれらは、共同の敵とし... 1815
1816 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 日清戦争の社会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...。ごく少数のすぐれた思想家、たとえば、内鑑三などは、明治の末まで、圧倒的に強い国... 1816
1817 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島と沓島 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...である。 両島近海の漁業権は、東・西大浦の野原・三浜・小橋三部落の共同管理になっ... 1817
1818 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島開き・沓島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...草履で舞鶴をさして出発した。 途中東八田大石の木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ご......ち、木下慶太郎・福林安之助・四方祐助・中竹蔵の四人を冠島に残して、境内の掃除を命... 1818
1819 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 会長排斥と内部の対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...を祈って、八月二二日(旧七月二八日)、中竹蔵ら二一人で冠島・沓島の参拝にでかけた......一一・一三)をあと釜にすえようと、位田の上新之助の宅で相談していることがわかった... 1819
1820 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 元伊勢お水のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...とになった。 元伊勢は京都府加佐郡河守上字内宮(現大江町)にあって、天照皇大神を......一二キロの道を徒歩でゆき、以久田・志賀郷をへて、その日の夕刻に内宮の松代屋に到着......宅に立寄り、医者がみはなした信者の子供・上吉之助の腹膜炎をなおし、夕刻に帰綾した......ンプが落ちたり、風呂場から火が出たり、中竹蔵の背へランプが落ちかかるなど、三回ま... 1820
1821 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 出雲の火のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/村=7 ...崎宗長・福林安之助・杉浦万吉・内藤半吾・上房之助・四方甚之丞らの一行一五人で、出......堀畑(二四銭)、三日は関の宮をへて但馬の岡町に宿泊(二五銭)、ここでは宿屋荒しに......温泉駒屋に宿泊(三〇銭)、五日鳥取県の米字平方で宿泊(三五銭)、六日は鳥取市市川......賃七五銭、宿泊料三七銭)、米子をへて逢坂下市で泊り(二五銭)、赤崎から乗船して船......た。ふたたび岩井温泉の駒屋に泊り、ついで岡、八鹿の宮田(二七銭)、福知山(三五銭......宮屋敷とりをした。第一班は木下慶太郎・中竹蔵が、大本から和知川に沿って下流位田渡......中筋をへて帰ってきた。第二班は四方平蔵・上房之助で、大本から和知川に沿って上流に... 1821
1822 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 弥仙山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 14 件/村=14 ...部旧市街地より東北一二キロ、何鹿郡東八田字於与岐(現綾部市東八田区)にある霊山で......の三十八社には水分の神がまつってあり、近の者はこれらの神々を子授けの神として崇敬......祖は綾部を出発した。山まで後野市太郎と中竹蔵がお供をしたが、「だれもくることはな......あったが、開祖の老体を案じて、内々に大石から様子をうかがっていた。 四方平蔵は開......の中で筆先をかいていたが、その後四日目、人が宮の掃除に登山して礼拝する気配がした......もよらぬ白髪の老婆が、突然顔を出したので人は驚き、社内にヒヒ猿がはいっているとい......いっているといいふらして大評判になった。人はヒヒ退治だと竹槍をかつぎだし、巡査ま......でが出張してくるという大騒ぎになったが、人が宮へ押し寄せてきたとき、おりよく後野... 1822
1823 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...祖・会長・すみ・直日のほかに四方平蔵・中竹蔵・福島寅之助・木下慶太郎・......上房之助・後野市太郎・福林安之助・四方与......た。そこで、大阪の松本留吉から、園部の奥徳次郎方に滞在中の会長に「種痘の件警察よ... 1823
1824 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり 4 沓島ごもり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...どけるやら丹後の浦々は大騒ぎ、ついに大浦のいのち知らずといはるる船頭二人もて、取... 1824
1825 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 御嶽教に勤務 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...教の理事に任ぜられた。このさい、京都の中保次郎を、大本教会の受持教師とした。こう... 1825
1826 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 金明霊学会の苦況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...とこれを比較してみると、綾部近郊の『中筋誌』によれば、一九〇七(明治四〇)年には......いた明治三九年当時の役員は、四方平蔵・中竹蔵・木下慶太郎・四方与平・田中善吉・竹......之丞であった。これについで塩見じゅん・中小松らが奉仕していた。かれらは、ほとんど... 1826
1827 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 祭事の継承 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...、日露戦争直後の好景気をうけ、これまで農色の濃い集散地であったのが、商業と産業の... 1827
1828 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 王仁三郎の帰綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...く知られていた。たとえば、園部町に住む奥某の思い出話が、浅野和三郎の筆になる「出......盧」に紹介されているが、それによれば、奥は浅野に「あの方(王仁三郎)のいう世界統......すすものである。湯浅は京都府北桑田郡宇津字下宇津の地主で、材木業を営み、農会長な... 1828
1829 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 造営と宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...八五九(安政六)年に生まれ、何鹿郡以久田字上位田(現綾部市内)に住み一八九五(明......運びとなり、三月二八日には、北桑田郡大野肱谷字味曽淵の高見米次郎の事務所一棟と、......、西原や上谷など、綾部郊外の山間部にある落の熱心な信者たちから、連日のように献木... 1829
1830 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 明治の晩期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...もなった。 この年一一月一一日には、本宮上野の畑地五反ちかくがゆずりうけられ、二... 1830
1831 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 大本教の教規と信条 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...一八八〇(明治一三)年京都府何鹿郡東八田の木下亀次郎の長男として生まれ、一八九八... 1831
1832 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 浅野の入信 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...にいたった。一一月二八日には、王仁三郎は野滝洲をしたがえて、ふたたび横須賀へおも... 1832
1833 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 神島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...った。そこで、さっそくこの島をさがすよう野滝洲と大阪の谷前貞義に命じておいたとこ......は、王仁三郎をはじめとして、梅田・谷前・野・湯浅・榎本の一行六人がふたたび神島に... 1833
1834 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 昇天の前後 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...刊された旬刊紙「綾部新聞」は、全国の市町役場や、大・中・小学校ならびに実業家など... 1834
1835 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 予言の強調 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...綾部地方ばかりでなく、全国の各官庁・市町役場・各学校・各連隊・各艦船等にたいして... 1835
1836 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 情勢の深刻化 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...耐えがたいものになっていったのである。農も例外ではない。大戦前においては、米価は......にさかんとなった。だが好景気と裏腹に、農でも、富むものと貧しいものとの差が、きわ......ある。貧農層は生産工業の都市に流出し、農にあっては中農以上の大経営が重きをなすに......たかまってきた p408○大正期の農民運動 でも貧富の差がきわだってきた p409... 1836
1837 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 地方宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 17 件/村=17 ...の信者と連絡をとりながら、都市といわず農といわず、活発な宣教活動をくりひろげた。......陰営業部)がある。これらの人々についで奥芳夫(朝日新聞取次店)・室田勝三郎・湯川......日新聞取次店)・室田勝三郎・湯川貫一・梅隆保(医師)らが入信し、さらに藤原勇造・......上留五郎よりややおくれて綾部に移住し、奥芳夫も同じく綾部に移住した。 一九一八(......、一部には脱落する会員もあったという。奥芳夫はそのころの日記に、「迷信家連の中に......では、大正期の貨幣経済の膨張にともなう農の分解─中間層農民の没落と、下層農民の困......あった。若くして県農会の技手となり、農山の指導のため県下を歩く機会がおおく、困窮......のため県下を歩く機会がおおく、困窮する農の実態を身をもって体験していた。したがっ... 1837
1838 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 修業者の激増 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...修業も毎日二回にわたって実施された。 中純也は、一九一八(大正七)年一〇月二一日......ば、講師は浅野・森・小牧・岩田・今井・谷・友清・湯浅などの人々であり、講話の題目......の二月二五日、京都府警察部長藤沼庄平と中保安課長が綾部をたずね、それ以来きびしい... 1838
1839 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 本部の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/村=7 ...同二七日に福知山の一宮・金比羅・庵我の中八幡宮の各神社にまいり、六月六日に沓島・......一行九七人が、綾部を出発し、大和の上竜門の丸山貫長をたずね、同夜柳に宿泊した。翌......長上西信助、出版局長岩田久太郎・同副長谷正友、造営局長小牧斧助・同副長岡田熊次郎......このたびの改革にともなって青年隊長には谷正友、少年隊長には出口大二が就任した。 ......正恭、会長小牧斧助・副会長岩田久太郎・谷正友、教務局長森良仁・副長井上留五郎・吉......版局長江上新五郎・副長近藤貞二、工場監督野滝三郎、造営局長岡田熊次郎・副長上倉三......内政部長牧寛仁・近侍長小原稜威夫・副長中純也、弁務部長桑原道喜・副長栗原七蔵がお... 1839
1840 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 台湾の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...者に大本の立替え立直しを語り、台北では下民政長官を訪ね、台湾神社に参拝して、夜六......時から鉄道ホテルの広間で講演会を催し、下長官その他有識者約五○○人をあつめて宣教......ている。その間に浅野を主賓とする一行は下長官の同窓晩餐会に招待され、多数の名士と......宣教は禁止された p460○台湾総督府および古峡への反撥文 p461... 1840
1841 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 内地宣教の展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ...して、九日に東京へ出向した。このときは中純也が随行している。ただちに銀座の枝吉の......へ、桑原道喜をはじめとする西田・上西・谷・篠原・木島らの一行は九州へ、吉原亨は四......体験を手記として発表する機会のなかった農の人々は、現実には多数をしめているのであ......の全国的宣教は白熱化した 浅野・高木・谷・吉原東北へ─仙台 王仁三郎・浅野・井上......・栗原・岩田山陰へ─鳥取 篠原・木島・谷・深町九州へ─鹿児島 p463○東京確信会の... 1841
1842 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 社会の反応 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ...一九二〇(大正九)年の八月に刊行された中古峡著『大本教の解剖』がある。中......は東京警察学校の教官で『変態心理の研究』......る。私は大本教の厳正批判者として立った中君が、宗教の進化及び堕落について、なるべ......辺霞亭などがあり、歌人では与謝野晶子・西陽吉、評論家では野......隅畔・石坂養平・三井甲之・松崎天民らがあ... 1842
1843 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 日刊新聞の経営 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...参加していた。社長は貴族院議員であった藤義朗で、資本金は二〇〇万円であった。当時......・政治通信部長池沢原次郎・社会経済部長松仙造・文芸部長栗原七蔵・弘道部長江上新五... 1843
1844 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 抵抗と閉社 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...にある天満筋四丁目に移転するにいたり、西光月を編集長とし、岡本霊祥・高見元男・萩......を維持した。一一月二四日には、社長に御田竜吉がついたが、経済的ゆきづまりはいかん... 1844
1845 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 事件の背景 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...そのことについて当時活躍した堺利彦は、中古峡著の『学理的厳正批判大本教の解剖』の... 1845
1846 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 民間諸宗教への政策 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...として官幣社、国幣社、府・藩・県社、郷・社、無格社の社格を定め、歴代の天皇・皇族... 1846
1847 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 第一回調査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/村=7 ...ちに大本にたいする攻撃の立役者となった中古峡のいうところによると、早くも一九一八......の鑑定書を各府県警察部へ廻送している(中古峡『迷信に陥るまで』)。各府県警察部が......一週間にわたっておこなわれた。保安課長中安次郎と、警部岡田某とが綾部に出張して、......このときの調査の目的は、藤沼警察部長が中らの出発にあたって、「検挙するのではあり......り、つまり大連大臣が一人づつでき、国郡町にもそれぞれ此の二方面の機闘を設置するこ......都府警察本部の第一回調査にもとづいて、中保安課長はその調査報告書を内務・文部両省......の後の指揮をあおいだ。 藤沼警察部長は中の調査報告書や大本関係の著書・雑誌類をみ... 1847
1848 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 言論界の攻撃 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...これとにたりよったりのものであった。 中古峡は東京裁判所の求めに応じて、さきに「......げしく、かつ執劫に大本を攻撃した。この中の学問的なよそおいをとった大本への批判に......ていた。〔写真〕○高芝羆 p539○言論界・古峡の攻撃はさらにはげしさをくわえてきた... 1848
1849 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 第二の警告 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/村=6 ...しくはそれ以上の法の執行にあうという、川竹治警保局長の談話が報ぜられたりもしてい......るやも知れぬ。 当時の馬淵京都府知事や川警保局長の談話によってみても、当局の関心......るものであった。 またこのころ、前述の中古峡は、内務大臣の官邸で、二回にわたって......は、鎮魂帰神は催眠術であるという従来の中の主張をくりかえしたものであったらしく、......、大本への弾圧を考慮しなかったらしい(中古峡『迷信に陥るまで』)。 しかし、この......かめていったことは多言するまでもない。中古峡の『学理的厳正批判大本教の解剖』が出... 1849
1850 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 告発 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...なった。その席上には新聞記者のほかに、中古峡や河口慧海などが出席しており、警察官......本教の心理実験会をもよおしたり、さらに中古峡をまねいてその意見をきいたりしている......ついて詳細な報告をおこなった。そのあと川警保局長は、大本教にたいする監視を要望す......したかどうかはあきらかでない。二八日の川警保局長の主宰する会議では、今後なお真相... 1850
1851 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 第二回家宅捜査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...ついて手入れをおこない、名古屋検事局の中・三鳥その他の検事も出動して、一行一〇余......の翌二八日には、名古屋市外西春日井郡山田小田井字南出の水谷清(名古屋市立第九高等... 1851
1852 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 検挙の目的 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...をなすにいたったであろうか。警保局局長川竹治は、当局の検挙目的についてつぎのよう... 1852
1853 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 予審決定 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...みたのは友清九吾であったが、この主張は中古峡の『大本教批判』に採録されて、事件前... 1853
1854 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 内訌と凋落 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...士のみた大本事件観 p596○花井卓蔵 p596○古峡は大本攻撃の手をゆるめなかった 記事... 1854
1855 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 記事解禁と批判 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...たようにほとんど友清のいう大本攻撃や、中古峡の『大本教の解剖』、さらに加藤確治の......産的生活をすることが悪ければ、『新らしい』の人々にも制裁を加ふる必要があることに... 1855
1856 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 信者への迫害 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...長官に厳重な示達をだした。京都憲兵隊長中中佐は談話の形式で、「……この判決が不敬......(3)いたたまらず家出をしたもの、(4)八分にされ、商品の取引をたたれ、転宅をよ... 1856
1857 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 責付出獄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ...脇京都府警察部長は五月二〇日、綾部町長西源之助を通じて、開祖の墓地の一部をとりの......一部をとりのぞくように厳命した。そこで西町長は出口すみ子にその旨をつたえたところ......その間に、大本にかねて好意をよせていた西町長は、綾部警察署長をたずねたり、京都府......生課長は、小原高等課長立会いのもとに、西町長の懇請をはねつけ、六月中に改修を実行......常手段にでると言明した。そこでやむなく西町長ば、翌六月五日に出口すみ子を町役場に... 1857
1858 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 第一審 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...いると報道されていた松原京都憲兵隊長と中古峡らがまじっていた。そして以後の公判は......ほとんど連日報じられていた。そのなかで中古峡は、江木の弁論を公然と論難した。ある... 1858
1859 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 本宮山神殿破壊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...原道喜、副取締に出口慶太郎、同世話係に松仙造、農園世話係に植芝盛平、機械世話係に... 1859
1860 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 物語の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...ていえば、もっとも回数のおおかったのは松真澄である。※筆録者(第一巻より第七二巻......で─ただし総説・序文・跋文等をのぞく)松真澄・加藤明子・北......隆光・外山豊二・谷......真友・桜井重雄・井上留五郎・藤津久子・谷... 1860
1861 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 バハイ教徒の来綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ... 二代すみ子 王仁三郎 ルート 通訳・西 p694... 1861
1862 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 エスペラントとローマ字の採用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 8 件/村=8 ...組は天声社編集室で受講し、聖師をはじめ松・井上(留)・西......(光)・桜井(重)・北......・大深・加藤・出口(宇)・渡辺・横尾・寛......り、会場を天声社製本場に設けて、講師組西光月・B組─桜井重雄・C組─松......仙造の三人がそれぞれ担当することになった......さかんにおこなわれていった。大本内では西光月らが講師となって、エス語講習会が何回......。 一一月一〇日の大本秋季大祭の夜には、瀬伝一郎の「日本式ローマ字に就て」という......マ字講習会がひらかれ、講師には京大生の西博がなり、受講生は七五人にのぼった。さら... 1862
1863 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 道院・世界紅卍字会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...となった。そのため王仁三郎の意を体した北隆光は、侯延爽の帰国をおくって渡支した。... 1863
1864 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 新機運の動向 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ...杖立温泉にむかった。八日には熊本分所(奥貞雄宅)について二泊し、一二日には杖立温......温泉を出発した王仁三郎一行は、熊本市の奥宅に二泊、九月一日には山鹿に投宿し、翌二......、九月一日には山鹿に投宿し、翌二日、三玉の観音堂と不動岩に参拝した。ちょうどその......て災害地に派遣し、ついで岩田・高木・御田・植芝・宇城らをつぎつぎに派遣した。そし......出口大二とともに九州各地を巡教、随行は谷真友・加藤明子であった。一九二三(大正一... 1864
1865 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 下工作 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...人々は、どういう面々であったか。それは松真澄・植芝盛平・名田音吉の三人であり、松......真澄・植芝盛平・名田音吉の三人であり、松は法学士で、植芝は式術(合気道)の達人、... 1865
1866 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 奉天での準備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/村=6 ...そかに綾部を出発した。一行は王仁三郎・松真澄・植芝盛平・名田音吉の四人である。関......、三也商会で、準備のために先着していた北隆光・萩原敏明にむかえられ、さらに岡崎鉄......魁の代理として揚萃廷がたずねてきた。 北隆光は、まえにも若干ふれたように前年の末......、中国服を着用した。王仁三郎は王文祥、松は王文真、植芝は王守高、名田は超徹、岡崎......た王仁三郎はみずからダライラマを称し、松をパンチェンラマとなのらせて、「大本ラマ......一行 左より佐々木 王仁 岡崎 大石 松 名田 植芝 洮南にて p731○従軍の総司... 1866
1867 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 蒙古へ出発 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...日、東蒙古への拠点である洮南に到着し、松・名田・井上は奉天から列車で着洮した。 ......だ。トール(洮児)河をわたり、途中三十戸をへて、七十戸......につき、牛馬宿に宿泊、翌二六日には王爺府......る。 四月にはいると、四日には洮南から松・名田・猪野敏夫が轎車に衣料と食物を満載... 1867
1868 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 索倫山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ... 王仁三郎と松は宗教家として武器をもたず、そのほかのも......仁三郎上将  パンチェンラマ 王文真 松真澄上将  総司令     盧占魁中将 ......くなっていたのである。そこで王仁三郎は松を指導し、トール河で潔斎修行をさせて、雨......影 前列右より猪野 小林 大石 岡崎 松 王仁三郎 盧 楊 蒙古王 後列右より温......哉神軍陣形 山河草木靡威風 左より何 松 中央が王仁三郎 一人おいて植芝 p741○... 1868
1869 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり パインタラ事件 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...三郎らにも銃殺の刑がまちかまえていた。松・王仁三郎・萩原・井上・坂本・植芝の順に......行は逮捕され足枷をはめられた 左より 松 王仁三郎 植芝 荻原 井上 坂本 p748... 1869
1870 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 再入監 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/村=3 ...々日、役員・信者を代表して、中野岩太・北隆光が見舞のため奉天へ出発することになる......四方繁吉らが発起人となり、町民をはじめ近の人々二一四人の連名で、横田司法大臣およ......いうのほかはない。入蒙の同行者であった松・植芝・名田の三人も、奉天出発から大阪ま... 1870
1871 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 普天教と回教徒との関係 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...て、大本との関係はしだいに密接となり、松真澄・安藤唯夫の両人が普天教に派遣される......たび二〇年ぶりに日本に帰国した機会に、谷真友が知人であった関係から王仁三郎に面会... 1871
1872 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 世界宗教連合会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 9 件/村=9 ...、季松年を先導とし、同年陰暦四月一二日松真澄に、世界宗教連合会についての全権をゆ......をゆだねて、その成立をうながすために、松を北京に派遣することにした。北京において......まっていた章嘉活仏は、北京へやってきた松と会見した。松......はその会見で、このさい中国において世界宗......めが話されていた(「宇知丸日記」)。 松が王仁三郎の命をうけて北京へむかったのは......した下準備の具体化をはかるためであり、松のほかに、北......隆光・岡崎鉄首そして頭山満と内田良平との......月北京郊外白雲観での記念撮影 背広姿が北 中央支那服が松村 右側が岡 2人目が岡... 1872
1873 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 発会と主旨 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/村=2 ...敬義・東尾吉雄・桜井重雄・井上留五郎・北隆光・河津雄次郎・筧守蔵らが選出されて、......師を派遣し、あわせて、海外宣伝のために西光月を欧州に派遣することに決定した。 八... 1873
1874 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 海外への発展 文書による海外宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/村=4 ...三部にわかち、エス語部と英語部の主任は西光月の兼任、支那語部の主任は北......隆光、監督は当分教主補佐宇知丸があたるこ......の志望の端を発したる瑞祥と云ひつ可し。西、北......両主任を始め一同の諸士の奮闘努力を希望し... 1874
1875 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 海外への発展 宣伝使の欧州派遣 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 35 件/村=35 ...されるようになる直接的な理由としては、西光月の欧州派遣とその活動をあげねばならぬ......ぬ。王仁三郎から、欧州派遣の命をうけた西宣伝使は、人類愛善会が設立された翌々日、......愛善の趣旨にもとづく海外宣伝にあった。西は渡欧のために、京都府庁にたいして海外渡......じめて許可された。出発する間ぎわまで、西やその周辺の人々は、ひそかにしかもねばり......しかもねばりづよく努力したのである。 西が大会に出席したところ、ただちに副議長に......だちに副議長に指名されることになった。西は麻の白地カスリの着物に紋付羽織袴で出席......席し、満座の注目をあつめた。そのおりに西は大本の特別講座をひらいて聴衆にふかい感......和主義者の会議が開催されることをきいた西は、仏文による宣伝パンフレット一〇〇〇部... 1875
1876 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 機構の改革と人事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/村=7 ...課長橋本亮輔・次長後藤康仁・出版課長御田竜吉・次長河津雄・海外宣伝課長西......光月・次長北......隆光・庶務課長山口利隆・次長前田満稲・会......五郎・中野岩太・出口宇知丸・桜井重雄・西光月・松......真澄・北......隆光・加藤明子・高木鉄男・四方平蔵・岩田......斎・小竹玖仁彦・上窪純堆・佐藤六合雄・中純也・吉原亨・内藤七郎・平松福三郎・東尾... 1876
1877 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 大審院の判決 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/村=1 ...定を申請し、これが受理されて、京都帝大今新吉博士が精神鑑定人となった。一九二六(... 1877
1878 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 暁天の機運 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/村=5 ...ン木・シダラ・トベラなどが繁茂しており、人も神罰をおそれて斧を入れたことがないと......あり、枝葉がしげって金字ににておるので、人によって金字松と称されていた。山口特派......とんど九分どうりくらいまで大本化している落もあった。 聖師の渡台中、二代教主には......編纂所 松島栄一東京大学東洋文化研究所 上重良東京大学教授 小口偉一立命館大学教......授 林屋辰三郎編集委員徳重高嶺木庭次守三光郎山本荻江石地与一郎鈴木良前島不二雄安... 1878
1879 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ みろく大祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/村=4 ...─井上留五郎・高木鉄男・岩田久太郎・御田竜吉・東尾吉雄・湯川貫一・四方平蔵・梅田......武英・湯浅仁斎・出口慶太郎・桜井同仁・西光月・栗原白嶺らとともに至聖殿に昇殿した......内事部主事・高木鉄男、天恩郷主事補・御田竜吉、同主事補心得・大国以都雄、大本瑞祥......会長補心得・橋本亮輔、天声社社長補・御田竜吉、同社長補心得・瓜生潤吉 なお総務な... 1879
1880 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 大祭後の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/村=6 ...郎・瑞祥会長に東尾吉雄・天恩郷主事に御田竜吉を任命し、綾部の第一天声社(本社)社......郎、亀岡の第二天声社(支社)社長には御田竜吉をすえて運営にあたらせた。〈月宮殿の......神体のみろく石を出口宇知麿、月照石を御田竜吉、日照石を井上留五郎、三光石を東尾吉......者をつくったばかりでなく、稲倉・大江の両では全......がこぞって集団入会している。 運動の展開......祭文をささげた。 また三月一三日には、北隆光は道院・世界紅卍字会本部の宗壇落成式... 1880
1881 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 聖師巡教の旅へ 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/村=7 ...は北海道の中心部にあたる芦別山のふもとのである。芦別山は聖師によって、喜界島の宮......にふたたび山形県にはいった。山形・高原・山・天竜・蓮台・西......山・大谷の白田邸・大沼・赤湯・置賜・漆山......師は二代教主とともに鳥取県の西伯郡日吉津の神刕別院の開院式にのぞんだ。日吉津......は松田盛政の努力によって、全......がほとんど大本に入信していたから、......をあげての歓迎ぶりであった。このとき聖師... 1881
1882 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 巡教活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/村=3 ...して地方の宣教を力づけた。 宇知麿も、西光月とともに三月には北丹地方に出張し、舞......方、山陰地方には井上留五郎・湯川貫一・西光月らが出張し、九州地方には東尾吉雄・深......行された。ついで四月一九日には滋賀県木戸から献納申出があった別院候補地が検分され... 1882
1883 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 満州巡教と世界紅卍字会 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/村=6 ...である。随行は井上留五郎・岩田久太郎・北隆光・加藤明子・宮沢澄江で、一行は帰国す......院とよぶことになった。また島根県簸川郡東の吾郷勝哉邸は、素盞嗚尊にゆかりのふかい......いう。ついで別院の候補地として赤磐郡万富の向山を検分し、二一日に帰郷した。 六月......おこなわれた。 九月一四日には、大国・上照彦の随行で、島根別院・地恩郷・津和野な......は、出口宇知麿が人類愛善新聞社長に、御田竜吉が副社長に就任し、一〇〇万読者獲得を......なったのである。そして九月一五日には御田が東洋本部長に任命され、あわせて新聞の経... 1883
1884 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 海外の宣教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 18 件/村=18 ...西島佐一(宣道)が奉天に支部を新設し、北隆光が本部から派遣されてその鎮座祭に参列......を経由して入満した。この当時、長春には西秀太郎が満鉄にいて一二月一日長春支部を設......した。大連(旅大)では昭和三年四月三〇日山盛吉が支部を設置し、長春駅長蓼沼泰一、......の発会式があった。その結果、大本側から西秀太郎、人類愛善会からは浜田豊樹がその委......関として分会組織がつくられ、分会長には西秀太郎が就任し、次長には西島宣道が任命さ......二)年の一一月には、筧守蔵が派遣され、川釜山支部長をたずねて講演と病気お取次をし......に入満した。 一九二八(昭和三)年には奥孝国、一九二九(昭和四)年のはじめには江......無事にその任務をはたすことができた。 北隆光は一九二三(大正一二)年以来、世界紅... 1884
1885 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 宗教と芸術 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/村=2 ...の国でなければならぬのに、唐国にならって々も個人も八重垣を作ってゐる。その八重垣......備については出口宇知麿が委員長、補に御田と岩田があたり、大国が連絡交渉と建設の主... 1885
1886 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 本部の体制 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/村=2 ...事部主事高木鉄男・天恩郷(内事)主事御田竜吉・同主事補大国以都雄・総務部主事東尾......本亮輔・大本瑞祥会長出口宇知麿・同補御田竜吉・岩田久太郎が、それぞれ任命された。... 1886
1887 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 10 件/村=10 ...会次長)粟辻忠造、近畿第二=古市宣三・木次之助、山陽=木下愛隣・藤原義男、山陰=......峨保二・大沢晴豊、関東=出口日出麿・御田竜吉、奥羽=......松山寿・中鉢玄策、北海=田中省三・斎藤長......朝鮮=松並高義・川崎勇、満州=深水静・西秀太郎、ブラジル=近藤勝美・石戸次夫 そ......とし、班長一人をおいてさらに組にわけ、町にもれなく宣伝する組織的な態勢がつくられ......、三味線や八雲琴を入れての読誦法など、松宣子・津田冠月らを派遣し指導させたので、......へは河津雄と石丸順太郎、壱岐・対馬へは上照彦と石田鎮彦、朝鮮・満州へは筧守蔵・深......深水静、田中省三、土井大靖、宇城省向、上照彦、石田鎮彦特派宣伝使=大国以都雄、加... 1887
1888 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 1 満州事変と大本 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/村=1 ...いた。 しかし社会は、そのころ都市でも農でも不景気が深まり、社会不安にあえぐ民衆... 1888
1889 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 満州事変の突発 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/村=1 ...四日張作霖爆殺事件、昭和六年六月二七日中大尉殺害事件・七月二日には万宝山事件など... 1889
1890 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 大本本部の指導態度 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/村=2 ...滋賀県では大津・彦根をはじめとする各市町で、大国・藤原両宣伝使を講師にむかえて時......大講演会からである。この時には深水静・北隆光・大国以都雄・桜井重雄・出口宇知麿ら... 1890
1891 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 宣統帝問題 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/村=5 ...で一一月のはじめには恭親王の命をうけた吉喜介が聖師に会いにきた。一方、一〇月二六......は、三井財閥関係者に招かれ、三井物産の大俊太郎と会談した。大......は「満州における関東軍内に、大本教の出口......ほしいと要請した。そこで出口宇知麿・御田竜吉・大国伊都雄らに折衝させ、一方資金調......いは世界宗教連合のために中国の五台山に松らを特派したこと、また満蒙の布教に力を用... 1891
1892 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 非常時と愛国運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/村=1 ...た。そして本部から提案された「全国総市町支部設置完成運動」を即決し、ひきつづいて... 1892
1893 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 多彩な大本 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/村=4 ...い会員も年配の婦人会員も、足にまかせて各々を売りあるいた。したがって「人類愛善新......の標語は日出麿総統補の書で印刷され、市町の戸毎にかかげるよう指示された。昭青・坤......とそれぞれあらためた。 坤生会専任幹事西雛子は、節分の際の総会において会務を報告......積していた金を全部献金した。 疲弊した農の更生・食糧問題についても、すでに各地の... 1893
1894 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 挙国更生運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 8 件/村=8 ...閣が倒れて斎藤内閣になった。 このころ農恐慌が大きく国内をゆさぶって経済界は萎縮......・2)とのべているほどである。そのころ農では娘が「五十金」くらいで盛んに売られる......た状況下において長野県からはじまった「農モラトリアム即時実施」の請願運動は、たち......していった。「帝国軍隊」の供給源である農の疲弊は、軍隊にとっても大きな問題となり......もに、農は立国の大本という立場から、「農を救へ」という運動を全国的に展開していっ......て匡救費支出は国会で決議されたものの、農土木事業につかわれたこの費用は、農民の手......の事を処するならば、期せずして一身一家一一町、やがてこれを全国に及ぼして霊体一致......各地の国魂神や産土神社に集団参拝し、町やでの講演会・座談会を催して、まず神にめざ... 1894
1895 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 昭和青年会と防空運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/村=3 ...確で決定的だ。爆弾投下は市街を焼き払ひ、々に流れ込んだ毒ガスは完全に人々をおう殺......で、入場者七〇〇〇人以上一万人未満の市町は一六、一万人以上が二八ヵ所となっている......以都雄が開会を宣し、芦田均(政友会)・中三之丞(民政党)・内田良平(生産党)ら各... 1895
1896 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 昭青・坤生会等の諸体制 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/村=2 ...なされた。昭和坤生会では、高木孝子・御田卓子が常務幹事をつとめ、西......雛子が専務幹事として事務を掌理することと... 1896
1897 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 諸運動の展開 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/村=1 ...災害のさいには慰問使三人を派遣して、各町へもれなく慰問の金品をとどけたこと、そし... 1897
1898 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 内外多事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/村=3 ...国道徳会・県農会などの斡旋で、県内五五ヵの......長が......民の意を代表して協議会をつくり、満場一致... 1898
1899 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立にいたるまで 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/村=2 ...かれた。出席したものは宇知麿・大国・御田竜吉・米倉嘉兵衛・米倉範治・土井靖都・広......原案を特別委員に付託し、準備委員長に御田竜吉、副委員長に米倉嘉兵衛をあげ、専任委... 1899
1900 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 声明・主義・綱領 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/村=7 ...、内務大臣後藤文夫、衆議院議長秋田清、津貴族院議員、安藤・佐藤・渡辺・貴志の各中......指導精神の確立を期す。一、国防の充実と農の隆昌を図り、国本の基礎確立を期す。一、......達之輔、貴族院議員一条実孝・岩城隆徳・津重舎、伯爵香川桜男、衆議院議長秋田清、衆......一郎・栗原彦三郎・小池仁郎・長島隆二・中継男・赤松克麿・八田宗吾、陸軍中将安藤紀......板橋菊松、日大教授鈴木堯、国学院大教授中至道、拓大教授満川亀太郎、専大教授吉田衛......満川亀太郎、専大教授吉田衛、早大助教授吉正、上智大講師景山哲夫、早大講師関一雄・......、早大講師関一雄・高田集蔵、日医大講師中康、専大講師吉川兼光、政治学博士五来欣造... 1900
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