王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献検索

キーワード: 綾部 で王仁三郎文献を検索した結果を表示しています。
見つかったレコード数: 全 1026 件
検索の方法とオプションの説明
検索オプション
検索書籍 全部 霊界物語だけ 霊界物語以外
検索項目 全部 本文だけ
表記ゆれ 含む 含まない

番号 文献名1 文献名2 文献名3 著者 発表年 詳細 本文内のヒット件数 プレビュー(最大 8 件まで表示) 番号
501 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >1 帰神 発動と霊感 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...栗柄の田中伊之介の絹糸工場で糸引きをし、綾部へ帰ってきた。 ついで六月中旬には亀岡へ......(雨)は風を出して吹きあげてしまうから、綾部へ帰れ」との神示をうけ、王子を出発すると......た。そのとおり園部で雨はやみ、きげんよく綾部に帰った。 このころ、となりの本田彦吉の... 501
502 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >2 筆先のはじまり 放火の嫌疑 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...。この年一八九三(明治二六)年正月から、綾部では、たびたび、原因不明の火事があった。... 502
503 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前の成立 出牢後の動静 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...で衣類をととのえ、すみをつれて九月一三日綾部に帰った。大槻鹿造の宅に泊り、賃仕事など......ると病気がなおり、また、病気になった人が綾部の方をむいて手をあわせ「......綾部の金神さん」ととなえると、すぐ平癒すると......うな、おかげが立つようになった。こうして綾部の近在では、開祖を信ずる人々が、しだいに... 503
504 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前の成立 外国行き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...と思い、わずかの路銀を用意して、ただ一人綾部を出発した。八木に着くと、戸倉の吉五郎の......津で人助けをしながら糸引きをして、九月に綾部へ帰った。この年五月、韓国に東学党の乱が... 504
505 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前の成立 広前のはじまり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ... 教会長大橋亀次郎は、大いによろこび、「綾部に役員を一人おくるから、おなおさんといっ......家の借入れを依頼した。ほどなく、奥村は、綾部新宮に住む何鹿郡長大島の裏座敷の六畳を月......からおかげをいただいた人々の名を聞いて、綾部近在をかけまわり、その中から一一名の役員......に鎮祭をした。 この時の一一人の役員は、綾部=四方源之助・出口寛太郎・西岡弥吉・西村... 505
506 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前の成立 広前の移転 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...当時の入信者に竹原房太郎があった。竹原は綾部から一二キロほどはなれた志賀郷村の人で、......いうさそいには耳をかさず、七月、八木から綾部に帰って、西村忠兵衛方に身をよせ、東四辻......才の還暦をむかえた。四月初旬には開祖は、綾部の裏町(現若松町)の定七の木屋を借りて住......祖が戻ると、再び信者があつまってきたが、綾部警察署から「金光教の布教師がいなければ、......流失など少なくなかった。このとき、開祖は綾部にいて、この悲惨な状態を霊眼で手にとるよ......がやかましく布教に干渉してきた。 当時、綾部における公認の教会には、金光教のほか、天......をつくっていた。キリスト教も一八九一年、綾部町区に講義所を設け、一八九六(明治二九)... 506
507 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 精乳館・上田牧牛場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...であったことはいうまでもない。そのころの綾部でも、牛乳は病弱の旦那衆でさえ手に入らぬ......那衆でさえ手に入らぬほどであったという。綾部における当時の状況をみると、医師から牛乳......から牛乳を飲んで栄養を摂れとすすめられた綾部の金持が、牛乳を求める方法がないので、乳......明治二四、五)年ごろの話であるが、事実、綾部地方においてもまだ搾乳業はほとんどなかっ... 507
508 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 布教活動と警察の干渉 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...読んでもよいと思ったのであるが、のちに、綾部にきてから開祖の筆先で「おにさぶろう」と... 508
509 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 稲荷講社と本田親徳 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...し、丹後の元伊勢、比沼真奈比にも参拝し、綾部にも足跡を残したといわれているが、この年... 509
510 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 初参綾への道 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...おりいってたのみがございます。わたくしは綾部生まれのものですが、実家の母に神憑きがお......三年も待っているのです」という。そして、綾部へ行って、母に憑いている神を判けてもらい......車をひいて通る八木の福島と出あい、「早く綾部に行ってくださらんか」というさいそくをう......すぐ思い立って、その日のうちに桧山をへて綾部に向かった。〔写真〕○〝かみのしぐみ〟(... 510
511 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 開祖との対面 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 6 件/綾部=6 ... 一〇月八日(旧八月二三日)、綾部の裏町(現在の若松町)で、喜三郎は、はじ......た。足立は「手ごわい相手だ、こんなものを綾部におくと、自分の足元が危ない」と思って、......よ」(明治31・8・27)という喜三郎が綾部を去った直後の筆先が、そうした開祖の立場......年前の明治三〇年旧六月二七日の筆先には「綾部大望が出来るによりて、まことの者を神が綱......とに泊った。翌日は、東八田村大安(現在は綾部市)から、一人の娘が病気平癒の祈願をたの......、開祖にいとまをつげ、滞在わずか三日間で綾部を引上げた。 喜三郎は園部にもどると、そ... 511
512 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 霊学指導 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ... 綾部から帰ると、喜三郎は、とうぶん園部に落ち... 512
513 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 開祖の使者 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 11 件/綾部=11 ... そのころ綾部では、開祖と、足立ら金光教側との対立がま......一八九九(明治三二)年二月一〇日、かねて綾部の動向を察知し、道への確信をいだいていた......と、喜三郎が園部川で魚とりをしていると、綾部からやってきた四方平蔵に声をかけられた。......。川から上がって扇屋旅館に行き、平蔵から綾部の様子や開祖の気持をくわしく聞き、喜三郎......や開祖の気持をくわしく聞き、喜三郎は再び綾部にでかけようと決意した。平蔵を扇屋に泊め......復約三二キロの道を穴太に帰り、祖母や母に綾部行きの決心を報告して、産土の小幡神社に祈......、静岡の長沢雄楯に手紙を書くなど、手早く綾部行きの準備をととのえた。 喜三郎は、平蔵......は雨になり、桧山の樽屋旅館に一泊、あけて綾部に向かう道でのことを、四方平蔵は次のよう... 513
514 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 金明会の発足 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...った。この世話係りは、ほとんどが農民で、綾部周辺に住み、開祖からおかげをうけた人たち... 514
515 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 十曜の神紋 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...の大もうなお世話ようできたぞよ。そなたが綾部へまいりたのは、神の仕組がいたしてあるこ......のちに裏紋は㊉と定められた。九曜の紋は、綾部藩主の九鬼家の家紋でもあったが、大本でい... 515
516 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 金明霊学会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 5 件/綾部=5 ...れた。上田殿にたいもうなご用いたさして、綾部に結構をいたさすぞよ。小さいことを申して......な神様ばかりざぞよ。金明会が開けるぞよ。綾部を元といたして三千世界を一つにいたして、......木支部長・土田雄弘、信者の福島寅之助らが綾部にきて、「金明霊学会をやめるように」と足......内藤半吾らが入信して霊学の研究をした。 綾部周辺では、「本宮の金神さんはよくきく」と......本宮村本宮下三二番地・大島景僕の家(現在綾部の神苑内・金明水のあたり)を買入れた。一... 516
517 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 神々の登場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...の神示もあって、何鹿郡山家村字鷹栖(現在綾部市内)の四方平蔵宅に移された。これも二、......旧七月一四日)何鹿郡西八田村字上谷(現在綾部市内)の四方伊左衛門宅へ移された。 上谷......ちがうぞよ……皆の落ち神が出てくるから、綾部と上谷の修業場は大変騒がしゅうなるのざぞ... 517
518 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 吉崎仙人のこと 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 5 件/綾部=5 ...在天派の世界はすんでしまった。これからは綾部の大本へ世を渡して、神界の一切の権利を艮......の因縁により、この世一さいの神界のことを綾部の大本へ引きつがねばならぬから、霊学の先......みよう」といっているやさき、用事ができて綾部へ帰らなければならなくなった。それをさい......まずしい上田家の前途を案ずれば、ふたたび綾部に帰ることは心しぶる思いであったが、神の......族の引きとめるのをふり切って穴太をでた。綾部に帰ってみると、上谷の修業場から、四方春... 518
519 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島と沓島 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...かったので、みんなに調べさせた。すると、綾部の人で建部という者が、その島に行ったこと... 519
520 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島開き・沓島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...という。 八月二日(旧七月八日)、開祖は綾部をたち、会長・すみほか一行九人、大丹生屋......長は真っ先に上陸して舟を縄で結びつけた。綾部より組立ててきた神祠を解体し柱を一本ずつ......、四日舞鶴の京口町で記念撮影をしたのち、綾部へ帰り、こうして神命をはたすことができた......すまいであったとされている。冠島・沓島は綾部から東北(艮)の方角にあたるが、そこに世... 520
521 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 会長排斥と内部の対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...四方平蔵・四方春三を舞鶴まで迎えにだし、綾部では一同が祈願していた。会長はこのとき鎮......本の宣伝に従事することとなった。 会長が綾部に帰ってみると、会長の荷物一さいが荒縄で......ある。上田は、のちに西田の病気を見舞って綾部にもどってきたときのことを追憶して、〝わ......して、〝わからずやの金光教の信徒のみゐる綾部をば去らむと思へり〟と詠っている。上田は... 521
522 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 鞍馬山まいり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...、四方春三は竹の杖をついて、深夜の一時に綾部を出発した。あとに残る役員らは心配したが......方で守護しておれた守護神も、間に合う神は綾部の大本に引寄せるから」(明治33・閏8・... 522
523 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 元伊勢お水のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...られていた。 元伊勢における水の信仰は、綾部市田町の区民が、明治初年まで毎年四月二三......りたなれど、こんどの世の建替えについて、綾部の大本から因縁のある身魂に大望な御用をさ......った)。元伊勢の水をくみとってきたことは綾部へ帰着するまで知らなかった者が多く、井戸... 523
524 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 出雲の火のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 8 件/綾部=8 ...、とくにそろいの浅黄のかみしもを着用して綾部を出発した。開祖は六十五才の老齢であった......信者二百数十人の出迎えをうけ、二〇日無事綾部に帰着した。 ......綾部は、このころ日清戦争後の景気の影響をうけ......は活気づいていたが、小額紙幣不足のため、綾部貯蓄・明瞭の二銀行が私製の不換小額紙幣を......たので買い求め、それに納めてもち帰った。綾部では、火を点じて祭典をおこない、火を絶や......が建つと予言していた。 また、神諭には「綾部町本宮神宮坪の内は、神に昔から因縁のある......で集会していたが、明治二五年の神定以来、綾部の大本で集会するさだめになっていたといわ......述の場所ともなった) p227○賀露の浜 p228綾部では私製の不換小額紙幣が濫発された p229... 524
525 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 立替え立直しの切迫 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...らない。だからこそ「水晶のお水を頂きて、綾部の屋敷の内には、その結構なお水で身魂の洗......〇一(明治三四)年にはいると、つぎつぎに綾部に移住してくるようになった。そのなかには......業を放棄し移住してきたのである。こうした綾部の空気を反映してか、出雲まいりののちには... 525
526 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸がくれ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...殿の内へこもってしまった。のちに筆先で「綾部の大本は世界の大本になるところであるから......ころであるから、どこの下にもならん、この綾部の大本を下にいたして、稲荷講社でやろうと... 526
527 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 弥仙山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 5 件/綾部=5 ...高五九九メートル)は丹波富士ともいわれ、綾部旧市街地より東北一二キロ、何鹿郡東八田村......東北一二キロ、何鹿郡東八田村字於与岐(現綾部市東八田区)にある霊山である。『於与岐区......一〇月一九日(旧九月八日)午後三時開祖は綾部を出発した。山まで後野市太郎と中村竹蔵が......たので手続きができず、木下に印形を取りに綾部に帰らせ、会長は京都にしばらく滞在して布......分の山田重太郎(祇園会合所の社長)の供で綾部へ帰ってきた。すると上田会長の荷物は、ま... 527
528 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 大本神諭の展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...のは、そののちのことと考えられる。 また綾部の神苑が大本で根本の聖地とされているのは......本で根本の聖地とされているのは、筆先に「綾部には竜門館があるから、こんどの大もうの経......いることにもとづいている。 したがって、綾部の神屋敷は「地の高天原」と定められ、天地......のである。 そのことによって、大本では、綾部の神苑を根本聖地とし、沓島・冠島・弥仙山... 528
529 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 開祖と会長との対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...立場は出修が進むにつれて、しだいに「この綾部の大本を下に致して、稲荷講社でやろうとは......た状況を回顧して、後年の聖師は〝開教十年綾部本宮の大本は迷信頑愚の集ひなりけり〟〝大......神界では神と神との大戦争であるぞよ。この綾部の大本は世界に出てくる事を、前に実地の型......わす仕組みであるから、日本と外国の戦いが綾部の大本にはして見せてあるから、男子(開祖... 529
530 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 8 件/綾部=8 ...)年五月二四日(旧四月二八日)丑の刻に、綾部の竜宮館(大本)を出発し、列を正して粛々......の守護となるというのである。そのため深夜綾部出立のときから持参した提燈は、夜が明けて......れた。 その後開祖は、福知山の一宮神社と綾部の産土神社に、岩戸開きのお礼参拝をした。......同社前で禊祓と大祓を奏上し、祈願をおえて綾部に帰った。翌日夕方には熊野新宮社と若宮神......れた天神馬場の大杉にも立ちよっている。 綾部市旧市街地には産土神社が七社ある。それは......白藤を境内に手植えし、この白藤が栄えると綾部は神都になると筆先に示されている。境内大......〔写真〕○三代直日の産湯の井戸 金明水 綾部・梅松苑 p246○金峰神社(山頂) 三十八......開祖の産土神・一宮神社(福知山市) p251綾部・七社の配置略図 p251○上 熊野新宮社 ... 530
531 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり 4 沓島ごもり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...を供とし、午後一〇時役員・信者に送られて綾部駅(一九〇四年一一月福知山-舞鶴間の鉄道......〇四年一一月福知山-舞鶴間の鉄道が開通し綾部駅が設置された)を出発した。一行は、舞鶴......、また「この先は毎年ご恩を忘れんために、綾部の竜宮館の高天原から、身魂の洗濯のでけた......少のころ、機工場につとめた経験から、後年綾部の神苑内で機織場の指導にあたった。一九三... 531
532 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 著作と布教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...・内藤正照らが信者となったが、そのころ、綾部からこっそり抜けだして園部で布教していた......する計画がたてられた。発起人たちは、まず綾部の本部の様子をみてくることになり、発起者......くることになり、発起者の一人高谷理太郎が綾部にでかけた。高谷が......綾部にいってみると、役員らは会長をののしり、......客をはじめ多くの入信者をえたが、ここでも綾部の役員たちの妨害はたえなかった。やむなく......帰ってきた。 このように、当時の会長は、綾部をぬけだしては、園部と大阪を中心に懸命の......ように、教説を平易に仮名書にしてこっそり綾部の大槻の家で渡し、宣伝させていたが、それ... 532
533 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 悪の世批判 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...人々が多く、交通・文化も開けていなかった綾部の地方では、社会の事情や国際的な知識につ... 533
534 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 2 会長の研鑽と綾部の苦況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 0 件/綾部=0   534
535 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 皇典講究分所入学 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...うとう一九〇五(明治三八)年三月二八日、綾部をとびだし桧山の坂東宅・園部の浅井宅・南......病で入信者を得ることはできたが、しかし、綾部から来た役員に先き回りされて布教を邪魔さ......動は思うにまかせず、ほどなくしてふたたび綾部にもどった。 そこで、一九〇一(明治三四... 535
536 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 御嶽教に勤務 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...、同年六月四日には大成教とも連絡をとり、綾部に直霊教会本院を設置するため規約を作り、......日には、大成教直轄直霊教会本院の開院式が綾部でおこなわれ、東京からは大教正・井上信義......義が来院し、柴田・藤井の随員も同行して、綾部の亀甲屋旅館に投宿している。 さらに六月... 536
537 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 金明霊学会の苦況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...年には、丹陽キリスト教会が成立し、その後綾部ではキリスト教が発展したが、その丹陽教会......〇一九、歳出は五五四円七三五であった(『綾部町史』)。当時の米相場とこれを比較してみ......)。当時の米相場とこれを比較してみると、綾部近郊の『中筋村誌』によれば、一九〇七(明......なくなったものも多く、ことに、上田会長が綾部をでてから、一時はまったく火の消えたよう... 537
538 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 祭事の継承 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...たちはその意義を深く感じた。 そのころの綾部は、日露戦争直後の好景気をうけ、これまで......たのが、商業と産業の町に転換していった。綾部におけるキリスト教派、日露戦争がおこると... 538
539 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 創立の状況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...えていった。王仁三郎は、御嶽教大本教会は綾部から宮津に移させ、一一月二三日には、御嶽... 539
540 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 王仁三郎の帰綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 6 件/綾部=6 ...。とくに、開祖からは「今後他出相成らぬ、綾部に居るように」と、きびしく申渡され、会活......ているものが相当にあった。 王仁三郎は、綾部に口丹波に、あるいは京都・大阪にと、道の......し、一九〇八(明治四一)年一二月の下旬、綾部に帰って教団づくりに専念することとした。......つつあることであった。王仁三郎がみずから綾部にかえって、真剣に教団の組織化に専念しだ......先生、宮内省掌典長宮地先生等に面会之上、綾部丑寅金神の神勅委敷物語り致侯処、上聞に達......簡である。したがってそのときは、すでに、綾部では大日本修斎会がつくられ、着々と準備を... 540
541 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 「直霊軍」の創刊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ... 一九〇九(明治四二)年をむかえると、綾部に帰った王仁三郎の直接指導によって、大本......た。 「直霊軍」の第三号からは、印刷所も綾部町南西町「塩見活版印刷所」に移された。編......と改められている。丹波の片田舎でしかない綾部の、それも民家の二階に、ささやかに祭壇を... 541
542 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 造営と宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 15 件/綾部=15 ...。一八八八(明治二一)年に生まれ、その後綾部に移住し一九四六(昭和二一)年に帰幽した......)年に生まれ、何鹿郡以久田村字上位田(現綾部市内)に住み一八九五(明治二八)年妻トミ......た。一九〇三(明治三六)年一家をあげて旧綾部町に転居、一九三三(昭和八)年七四才で帰......には、王仁三郎と四方与平・大工の三人が、綾部町味方にあった黒住教の神殿を参考にするた......れを解体していかだに組み、和知川に流し、綾部の並松から現場に運んだ。そして、五月には......、弥仙山の頂上にまいり、神霊を迎えて翌朝綾部に帰着。その夜の二二日(旧一〇日)の一一......当時を回想して「うちの婆さんが病に倒れ、綾部で死ぬのやというて......綾部に来たのやが、医者は見はなし、近所の人は... 542
543 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 明治の晩期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 5 件/綾部=5 ...之辻に生まれ、青物商などをいとなむ。翌年綾部に移住。一九一一(明治四四)年祖霊社の主......大正三)年には、出雲大社教管長千家尊福が綾部をおとずれ、大本に一泊して、さらにそのつ......(三九才)と出口すみ(二七才)の婚姻届が綾部町役場に出された。この日から王仁三郎は出......。前歴既述。一九〇九(明治四二)年一〇月綾部に移住。王仁三郎の信任あつく、教団最高幹......日をはじめ役員・信者ら一二四人の一行は、綾部を出発して、山田市におもむき、翌二五日、... 543
544 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 大本教の教規と信条 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...ろに入信し、一九〇三(明治三六)年一一月綾部に移住、一九〇九(明治四二)年「金竜餅」......至る事を信ず第七条 我等は地球の中心たる綾部の本宮を以て天神地祇の神集ひに集ひ給ひて... 544
545 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 「敷島新報」と直霊軍部隊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...ら五年後の一九一三(大正二)年四月には、綾部の本宮町一七番地に印刷所を設け、印刷事業......一月には、神饌のための供田をさだめ、また綾部の上野には、約三五〇〇坪を植樹園として、......近くに設けられていた祖霊社もまた、当時の綾部町役場前(上野)の元金光教教会の建物をゆ......九月二五日には本部で旗上式をし、ただちに綾部附近の大道布教にのりだした。ついで同月二......食住に関する誓願は上に稟申す第七条 日本綾部本宮に永住す第八条 言霊に基き常に善言美......が大本の話をしたのが動機となって、飯森は綾部にきて入信した。八月二八日には新舞鶴に出......冠島・沓島の鎮座祭 p333○祖霊社の遷座祭綾部上野町の元金光教会あと p334○興国合名会... 545
546 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 改称の理由 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...大正五)年になると、皇道大本と改称した。綾部在住の大本役員・信者は、当時出口家関係の... 546
547 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 浅野の入信 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...三郎・多慶子の夫妻が、横須賀からはじめて綾部へやってきた。浅野は一八七三(明治六)年......る。 王仁三郎は四月二八日、浅野夫妻らと綾部を出発、二九日横須賀の浅野の宅につき、海......郎は同年八月、暑中休暇を利用して約一ヵ月綾部に滞在することになる。その滞在期間中に鎮......ている。一二月一〇日、王仁三郎は、さきに綾部移住を決意した浅野夫妻と、その家族あわせ......五人らとともに横須賀を出発し、一一日あさ綾部に帰着した。浅野の一家は......綾部並松の和知川ほとりに居をかまえることとな......ある正恭(海軍中将)の入信となり、浅野が綾部に移住すると秋山真之(海軍少将)がまっさ... 547
548 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 神島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...、二八日京都の梅田宅に立ちよって、その後綾部に帰着した。そして竜宮館に神島の大神を奉......め、王仁三郎夫妻・直日ほか出口家全員が、綾部を出発して二条駅に下車、梅田教統の宅で少......に神島への団体参拝がなされている。 一方綾部では、一九一六(大正五)年には、造営関係......島に生い茂る矢竹 p344○神島 p345○尉と姥綾部梅松苑の大八洲神社に納められている p346... 548
549 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 創刊の辞と檄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...郎が意図するところでもあったので、浅野が綾部に移住してきたのを機として着手された。し......ことがうかがえる。 「神霊界」の発行所は綾部であるが、これをひろく世にだすために、東... 549
550 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 神諭の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...祖神の命に従ひ、神律神則を恪守し……丹波綾部の皇道大本は先づこの時運の到来を天下に警... 550
551 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 海軍関係・知識層等の参綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...宮守子らの一行一一人で、四月二四日の朝に綾部を出発し、大和の上市に泊り、二五日には柏......状態に入った。神事をおえて一行は二七日に綾部に帰着した。王仁三郎はじめ男子は、当時に......内藤正照(大阪)・車末吉(肝川)はじめ、綾部・福知山・大阪などから数人が出動して、肝......一二月二一日「神霊界」誌の姉妹紙として「綾部新聞」を創刊した。タブロイド版で月三回発... 551
552 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 皇道論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...クの世」にほかならないとした。〔写真〕○綾部新聞 p364○王仁三郎の居室 1919-大... 552
553 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 大正維新論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...学上)日本神国の中心なる下津磐根の丹波国綾部本宮の里に出せしは、実に太古よりの神誓神... 553
554 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 昇天の前後 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...六)年の一二月二一日に創刊された旬刊紙「綾部新聞」は、全国の市町村役場や、大・中・小......活発化にともなって、その年の春ころから、綾部へ、......綾部へとおもむく人たちがしだいに全国的ひろが......州からも来綾する人があいついだ。こうして綾部金竜殿の修業者も、おおいときには毎日五、......五、六十人をかぞえるようになった。そして綾部へ移住する人々も増加し、豊本景介・森慶三......久太郎(三井物産台湾支店長)なども続々と綾部に来往してくる。 そればかりではない。地......されている。 開祖は、前年の九月一九日に綾部上町の出口慶太郎宅(金竜餅屋)の新築の祝... 554
555 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 葬儀 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...、神苑を西南にさる約二粁のところにあり、綾部市田野町才ヶ首九番地の二・拾番地の二およ... 555
556 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >2 開祖の人柄 2 開祖の人柄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...に格調の高いものであったとおもわれる。 綾部に広前ができて間もないとろ、......綾部の近隣にある台頭(現天田郡三和町)という......たりしたこともたびたびであったという。 綾部は製糸産業のさかんなところであったので、... 556
557 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統の継承 世継ぎ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...三代の直霊が世の元の水晶の胤であるぞよ。綾部の大本の御世継は末代肉体が婦女であるぞよ... 557
558 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 予言の強調 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...しい宣教活動であった。その口火は、月刊「綾部新聞」の大正七年八月号によってきられた。......、正神界の神々は悉く神定の中心霊府である綾部に神集いし、国祖の立替え立直しに参加し、......、そのことが証明される。 さきにのベた「綾部新聞」は、当時一部一銭の購読料で発行され......購読料で発行され、郵税は五厘であった。「綾部新聞」は一九一八(大正七)年二月四日創立......月四日創立された「皇道普及会」によって、綾部地方ばかりでなく、全国の各官庁・市町村役......どこされ、福岡連隊のごときは、青年将校を綾部に派遣して研修せしめた実例まである。宗教......り 太鼓あり…… p396○時節の切迫をつげ綾部新聞 p398○神と人との世界改造運動 p399○... 558
559 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 地方宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 16 件/綾部=16 ...(大正六)年一二月、大本の主張にひかれて綾部に参拝した。そして、鎮魂帰神に感動し、松......、岡田につづいて一九一八(大正七)年一月綾部に参拝した。その動機も岡田とほとんど同じ......国のために微力を尽して活動せんため丹波国綾部に転住する」と発表するにいたった。そして......人望があったが一九一八(大正七)年八月、綾部にまいって王仁三郎に面会して入信し、一九......て入信し、一九一九(大正八)年の三月には綾部に転住した。 湯川貫一は、一八九五(明治......あった。湯川も井上留五郎よりややおくれて綾部に移住し、奥村芳夫も同じく......綾部に移住した。 一九一八(大正七)年五月五......めにかえって大本に興味をもち、研究のため綾部をおとずれるものがおおくなり、逆効果をま... 559
560 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 修業者の激増 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 8 件/綾部=8 ...人々や、修業者の数もふえ、それらの人々が綾部へ......綾部へと参集してきた。 大正八年七月一日号の......活動が活発になるにしたがい、修業のために綾部をおとずれる人々がにわかに増加してきたの......ではとうてい間にあわなくなった。そこで、綾部町の民家を買収することになり、これを改造......修業者で経営がなりたつほどであった。また綾部へ移住してきていた人たちは、その出身地域......どがうかがわれる。 しかし、修業の名目で綾部へきたものが、みながみなまで信者となった......、京都府警察部長藤沼庄平と中村保安課長が綾部をたずね、それ以来きびしい監視がくわえら......でにも、明治から大正初期にかけて、地元の綾部警察署がたびたび干渉がましいことをくりか... 560
561 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 本部の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 8 件/綾部=8 ... 修業者の急増とともに、地方から綾部へ移住するものもますますふえてきた。その......のために大正八年から大正九年にかけては、綾部にあっては信者の住宅に困るようになった。......務局は「公告」をだし、「近来信者にして当綾部(或は其近郊)に各自思ひ思ひに土地家屋を......のころ本部に奉仕していた役員・信者、また綾部に移住してきた信者は、謹厳・清楚であった......人たちを魅せられた「狂信者」と批判し、「綾部の長髪賊」とまで極言した。しかし信者は、......主王仁三郎は役員・信者の一行をひきいて、綾部の世継王山第二峰の頂上にのぼり言霊の実習......仁三郎教主輔をはじめとする一行九七人が、綾部を出発し、大和の上竜門村の丸山貫長をたず......は竜門岳の神秘を感じて上市に泊り、十日夕綾部に帰着した。 竜門岳の神事を転機として、... 561
562 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 綾部神苑の拡張と整備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...は昔丹波の泥海といって全部が湖水であり、綾部も亀岡も勿論その泥海のやうな湖水の中にあ... 562
563 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 亀岡大道場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...る契約が成立した。たまたま東尾吉三郎が、綾部へ参拝をかね献金するために持参していたの......山貫長らが講師となった。 九月一四日に、綾部の至聖殿落成式がおこなわれたのを期として......至聖殿落成式がおこなわれたのを期として、綾部での講座は亀岡へうつされることになり、教......ることになり、教務局は「至聖殿落成と共に綾部五六七殿に於ては御筆先の奉読及御神徳に関... 563
564 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 台湾の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 8 件/綾部=8 ...台湾を引上げ、明治製糖を辞して同年二月に綾部に移住した。 岩田久太郎(琥珀洞鳴球)は......同年の六月には三井物産を辞任して、九月に綾部へ移住した。 一九一九(大正八)年の一一......」と題して、「大本教という予言団が丹波の綾部に現はれ出で、世界統一を叫び廻っている。......をうけ、「世界改造、世界統一、祭政一致、綾部遷都説、......綾部が改造実行の中府、天変地異、国難来、最後......迫」という立場から続々と台湾を引きあげ、綾部へ......綾部へと移住しだした。これは一九一九(大正八......台南支部を初め新設の台北、嘉義支部からも綾部の本山へ寄附金少なからず、人心惑乱を惧れ... 564
565 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 内地宣教の展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...)年一〇月二日、教主王仁三郎は一行六人で綾部を出発した。そして三日未明には名古屋に到......点となるのである。 一一月五~六日には、綾部町で京都府下五郡の青年連合会が開かれたが......のである。一八九二(明治二五)年、丹波の綾部に誕生した大本は、こうして地方的な教団か... 565
566 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 教説の刊行と「大本時報」 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 6 件/綾部=6 ...『出蘆』・『冬寵』は浅野が入信の動機から綾部での五年間の信仰生活を書いたものであり、......本の書籍と神具の取次販売を専門にしていた綾部の西本町通りの神戸堂は、一九一九~二〇(......いる。 一九一九(大正八)年一〇月に、「綾部新聞」が改題されて週刊「大本時報」となっ......る十月五日より大本時報てふ題下に、従来の綾部新聞を拡大して週刊新聞を発刊(従来の......綾部新聞は九月二一日ちを終刊とす)すべく決定......に発展した p471○出版局販売科の専属売店綾部市上町 p472○1919~20─大正8~9... 566
567 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 教内の論争 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...の動きを示している。 皇道擁護団は本部を綾部町西本町に、支部を東京京橋区築地一丁目に......のである。ことに血気にはやる青年隊員らは綾部の金竜殿にあつまって、青年弁論大会に名を... 567
568 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 社会の反応 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...就いて何も知らないといってよい。私はまだ綾部といふ土地を踏んだ事もない。鎮魂帰神の術......物をつぶさにカメラにおさめ、のち「丹波の綾部」として、東京の明治座でこれを映写したく......川竜之介 p487○明治座で上映された 丹波綾部 p487○倉田百三 p488○しかし大本の主張へ... 568
569 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 日刊新聞の経営 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...を動員して、社屋の清掃整理にとりかかり、綾部の大日本修斎会のおもだった人々をほとんど......郎は大正日日新聞社の残留した旧記者一同を綾部へ招待し、みろく殿で「今年は神武天皇様が... 569
570 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 新聞と信者の立場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...どという要望が、新聞社に寄せられてきた。綾部で開かれた支部長会議でもそうした議論がお... 570
571 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 抵抗と閉社 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...れると、副社長高木鉄男以下の幹部はその後綾部へ引きあげてきた。残留していた旧社員も動......た前田久吉や、作曲家の服部良一らもいた。綾部では藤津進が、最後まで一枚売りを続行して... 571
572 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 事件のあらまし 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 6 件/綾部=6 ...初年における大本の信者数は干人にみたない綾部の一地方教団にすぎなかった。しかし、第一......その発展ぶりには目をみはるものがあった。綾部の本宮山に神殿を造営し、亀岡城址を購入し......〇〇人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における二〇数ヵ所が、......日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹......には王仁三郎は責付出獄し、一二六日ぶりに綾部に帰ってきた。だが弾圧の手がゆるめられた......ち六月二八日には、信者の歎願もむなしく、綾部天王平にある開祖出口なおの墓は、改修させ... 572
573 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 事件の背景 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...じて、多数の知識人や軍人などがつぎつぎに綾部へあつまるのをみて、「痛切に社会の動揺、... 573
574 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 第一回調査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...た。保安課長中村安次郎と、警部岡田某とが綾部に出張して、「神霊界」所載の記事について......同じく宗教たることを否認し、「天皇を戴き綾部を中心として古神道を実行す」といふ点にお......汰さるること信じます」と陳述せり。第三「綾部町が帝都たるとは如何」との質問にたいし、......東京が危険になるから、帝都が京都になり、綾部が御避難場即ち行在所になると信じ、万一の......ます。従って陛下は京都御遷都より続いて、綾部町に御遷りになる場合もあると私は信じます......じます」と陳述する。要之、所謂お筆先には綾部は「みやこ」となる。又は「十里四方は宮の......係の著書・雑誌類をみたあとで、単独私服で綾部におもむき、報告および民間に流布されてい... 574
575 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 第二回調査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...の為めに設けて居る修斎会で発行の雑誌及び綾部新聞の編輯主任をして居る友清九吾さんが書......だと解くのは嘘です。」と弁明し……第二、綾部の帝都に関し、「神諭に依れば、......綾部は『みやこ』とのみありて、帝都、遷都、又......謂ふのであって、都会とか、あるひは蚕都(綾部)とか、あるひは神都(宇治山田市)とか指... 575
576 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 最初の警告 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...復古の改造、世界統一、世界戦乱困難到来、綾部遷都、世界大家族制度、私有財産の否認、貨......革到来を唱へ、これが実行を期せむと称し、綾部を近く帝都となし変革経綸実行の策源地なり... 576
577 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 言論界の攻撃 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...言を流布して社会安寧を紊す」と題して、「綾部は世界の中心で未来の帝都であると遷都説を......大本は決して宗教に非ず教会に非ずと為し、綾部を地の高天原として神勅のまにまに経綸を遂......布するにつれて、各雑誌社や新聞社は記者を綾部へ派遣して、興味本位に取材にあたらせ、ろ......調」と題し、つぎのようにのべている。丹波綾部の大本教は創唱以来未だ幾年を出でざるに、... 577
578 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 第二の警告 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 3 件/綾部=3 ...、警察事務視察のために丹波方面へ出張中に綾部の大本を参観したが、それもなんらかの内命......神諭・善言美辞』を押収し、また京都府警も綾部署に命じて『大本神諭(火の巻)』一三二冊......たえることにした。八月一七日、王仁三郎は綾部署に召喚され、京都府警察部の小原高等課長... 578
579 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 告発 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...立替え立直しをさけび、日米戦争を予言し、綾部が都になるとか、皇室は惟神の御身にして民... 579
580 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 第一回家宅捜査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 6 件/綾部=6 ...洩がおそれられていたのである。午前八時、綾部駅に到着、そこで福知山署や......綾部暑の巡査約一〇〇人と合流した。京都地方裁......を掲載することを禁止した。検事局の一行は綾部に到着すると、まず郵便局にたいして、司法......と、まず郵便局にたいして、司法権をもって綾部からの電話電報の発信を中止させた。さらに......よび各建物は巡査によってかためられたが、綾部町の要所にも巡査が配置された。郵便局にた......、九日以後大阪の大正日日新聞社に出張中で綾部にはいなかった。二代教主すみ子をはじめ、... 580
581 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 検挙 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 8 件/綾部=8 ...剣十口・印形三箇を押収した。そして浅野は綾部署に連行された。 この日......綾部では、浅野のほかに湯川貫一・井上留五郎・......外の交通がはじめて自由となった。この日の綾部の町が大本の噂でもちきりとなったことはい......。このようにして、山とつまれた押収物品は綾部署および公会堂にはこばれ、夜を徹して押収......長室にとどめおかれたが、夕方の五時ごろ、綾部から帰ってきた藤沼から、「予審判事の命令......て、京都監獄の未決監に収容された。この日綾部暑から中川捜査主任に護送された浅野和三郎......」発行兼編集人であった吉田祐定も、一二日綾部で検挙され、京都に設送された。そして検事......監された。〔写真〕○押収品をはこびこんだ綾部警察署(上)公会堂(下) p572○京都監獄... 581
582 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 第二回家宅捜査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...挙はおわったのであるが、この第一回捜査は綾部のほか、京都市内では梅田信之(常次郎)、......のである。 二月二二日の午前八時四〇分、綾部に到着した加藤予審判事・中田検事ならびに... 582
583 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 予審決定 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...  理由被告王仁三郎和三郎ハ京都府何鹿郡綾部町出口直(天保七年生大正七年十一月死亡)......替立直ヲシ将来我天皇ノ治下ニ世界ヲ統一シ綾部ニ帝都ヲ遷シ出口家ガ祭祀長トナリテ神勅ヲ......鳴シ海軍機関学校ノ職ヲ辞シ大正五年十二月綾部ニ移住シ爾后王仁三郎ト共ニ皇道大本ノ首脳......仁三郎、和三郎ハ其ノ主義宣伝ノ機関トシテ綾部町ニ於テ大正六年一月ヨリ新聞紙法ニ依リ定... 583
584 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 大本教改良の意見 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...し居候一、皇道大本の名称は宗教的団体たる綾部大本教に対して不適当なるのみならず天下の... 584
585 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 記事解禁と批判 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...。併し今度幹部が投獄されても、信者の中に綾部が神聖地であることを承認している連中は、... 585
586 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 責付出獄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 7 件/綾部=7 ...天王平とよばれていた出口家所有の山林(旧綾部町字才ケ首丘陵)に壮大な墓をきずいた。当......築を命じてきたので、大本は共同墓地として綾部町に寄附を申しでた。町会は同年の一二月に......ない。 宮脇京都府警察部長は五月二〇日、綾部町長西村源之助を通じて、開祖の墓地の一部......大本にかねて好意をよせていた西村町長は、綾部警察署長をたずねたり、京都府庁に出頭して......木鉄男・桜井同吉とともに出頭したところ、綾部署川勝刑事ほか二人の立会いのもとに、改築......日、伊尻京都府建築課長は、高芝警部・遠藤綾部署長の案内で本殿を調査したが、社殿は伊勢......すぎ、信者にむかえられた王仁三郎と浅野は綾部に帰ってきた。夜一一時半、二人はみろく殿... 586
587 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 第一審 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...九月一五日、二〇〇余人の信者に見送られて綾部をたった王仁三郎の一行は、修斎会京都支部... 587
588 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 本宮山神殿破壊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...一八日には三代教主出口直日が祭主となり、綾部在住の役員・信者のみが参列して、本宮山神......は、篠山歩兵第七連隊の一個中隊が武装して綾部にあらわれ、見学と称して現場に休憩し、そ... 588
589 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 物語の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 4 件/綾部=4 ...ある。まさしくそのような状況下にあって、綾部並松の松雲閣で、神殿破壊の騒音を身近かに......他二〇人。 また口述をおこなった場所は、綾部並松の松雲閣にはじまり、一一ヵ所において......る。※口述場所(第一巻より第七二巻まで)綾部(松雲閣・竜宮館・錦水亭・月光閣)・亀岡......郎 松雲閣 p645○丹後由良・秋田別荘 p648綾部・松雲閣 p648○天橋立・掬翠荘 p649○王仁... 589
590 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 口述の由来 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...か、なぜ艮の金神国常立命が太古に隠退し、綾部の大本に再現をみるのか、「元の誠の神」・... 590
591 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 あらすじ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...、時節をまって隠棲されていた四ツ尾山麓(綾部)に錦の宮を造営し、玉照彦と玉照姫の神司... 591
592 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 発表の経過 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...、これをかならずみろく殿において音読し、綾部在住の役員や信者にきかしたうえで印刷にま... 592
593 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >1 一部の離反 社会への復帰 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...そのときを待望し、その日にそなえるために綾部に移住してきた人々であった。したがって、......かから、あるいは就職・転出したり、または綾部在住のまま実業に従事するものがしだいにで... 593
594 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >1 一部の離反 浅野和三郎 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...化し、ついに一九二五(大正一四)年には、綾部を最終的にひきあげることになる。その後の... 594
595 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >1 一部の離反 谷口正治 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...一八(大正七)年のことであり、翌年の春に綾部に移住した。大本時代の谷口は、きわめて特... 595
596 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 バハイ教徒の来綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...縁となって同年の九月九日、突然フインチは綾部にご代教主を訪問した。彼女は二代教主とし......継者となっていた。 バハイ教のフインチが綾部にきてから、約八ヵ月のちの一九二三(大正... 596
597 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 エスペラントとローマ字の採用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 2 件/綾部=2 ...七日には、天声社内に日本エスペラント学会綾部支部が設けられることになり、出口宇知丸が......マ字についての斎藤の講話をきき、ただちに綾部ローマ字会が組織され、出口宇知丸・外山豊... 597
598 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 道院・世界紅卍字会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...は東京の震災見舞をすますと、一一月三日に綾部をたずねて、まず二代教主と面会し、さらに... 598
599 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 新機運の動向 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 6 件/綾部=6 ...二・宇知丸・加藤明子・河津雄をともなって綾部を出発し、九州阿蘇杖立温泉にむかった。八......」にかわってきた。 王仁三郎は七日の夕刻綾部に帰着したが、その間一ヵ月にわたる巡教の......。一九二三(大正一二)年には、四月二三日綾部を出発し、関東・東北の各地をへて五月二日......の両人であった。 つぎに一一月二〇日には綾部を出発して、台湾にむかい、二五日には基隆......九二三(大正一二)年も暮れんとするとき、綾部在住の信者のあつまりであるみろく会の席上......ずれも春季大祭 p707○大正11~12年に綾部の神苑が整備された 左手前より受付・炊事... 599
600 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >1 蒙古へ 入蒙の決意 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 1 件/綾部=1 ...し、ただちに紋服に仕立てて着用し、さらに綾部に帰来した後、「宇宙紋章」として五個の徽... 600
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki