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キーワード: 聖師 で王仁三郎文献を検索した結果を表示しています。
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501 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 地方組織の拡大 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 8 件/聖師=8 ...者・会員にもっとも魅力であったのは、出口聖師が中心に立つということであった。「いよい......中心に立つということであった。「いよいよ聖師が立ちあがられるのだ」という信仰的情熱が......かつて一度も公衆の前に立つことのなかった聖師が、統管として壇上にあがり、......聖師みずからによる昭和神聖会結成の決意がひれ......踏らの講演がおこなわれた。 八月二一日、聖師六四回の生誕祭にあたっての、信者総会の席......の生誕祭にあたっての、信者総会の席上で、聖師から、「東京及び横浜に七ヶ月間程尻を据ゑ......隊は昭和青年会に担当させることになった。聖師生誕祭にあたって昭和青年会の総会が開かれ......動する統管の身をあんじているのをみても、聖師の活動にはめざましいものがあった。当時の... 501
502 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 内外の反響 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/聖師=3 ...なったら問題であるとして大国が派遣され、聖師の構想をとりやめるようとの進言がなされた......たことがある。こうした空気を察知してか、聖師は、「私は大本の出口王仁三郎ではない、天......だ、私は治教を説き実践する」といっていた聖師の行動を、わりきれぬ気持で批判的にみまも... 502
503 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 指導精神の統一 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...千歳一遇天業之時、神剣発動して大命降る、聖師身を挺して陣頭に在り、言霊の勇士火の如く... 503
504 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立一周年 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...発展に寄与した。 こうした実践の背後に、聖師の信念と指導があったことはいうまでもない......信念と指導があったことはいうまでもない。聖師の立場は「回顧四十年」(「神聖」昭和10... 504
505 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 聖師の巡教と歌碑 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 54 件/聖師=54 ... 一九三一(昭和六)年一〇月一日に聖師は二代教主とともに、寿賀麿・岩田久太郎を......〇坪・付属宿舎建坪六四坪余を有していた。聖師によって神殿は松風閣、前庭は金鷄苑、道場......は福島県の白河分所に入った。この巡教中、聖師は疲労のためたびたびかるい脳貧血をおこし......一七日亀岡に帰着している。一一月二一日、聖師・二代教主は兵庫県抻美の但州別院開院式に......、本館を鶴遊殿と命名し、翌月一三日には、聖師は高木鉄男・平松福三郎・寿賀麿を随行とし......東高津北ノ町に大阪分院が開設されたので、聖師はその開院式に出席した。この地域は、仁徳......静岡県湯ケ島の伊豆別院で入湯静養していた聖師は、七月一日焼津にむかい、綾部より焼津駅......山神社に参拝して亀岡へかえっだ。一一日、聖師・二代教主は大国以都雄・加藤明子を随行と... 505
506 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 日出麿師の宣教と教化 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 8 件/聖師=8 ...り九月二日まで別院で講話がなされた。五日聖師の神生歌碑除幕式には直日夫人と列席した。......また一九日には喜界島の宮原山にたてられた聖師の歌碑除幕式に参列し、帰途種子島や鹿児島......、一八日佐世保分所についたが、二〇日には聖師の生母上田よね刀自の訃報にせっし二二日亀......九日亀岡へかえった。なお一〇月二七日には聖師の代理として神島に参拝し祭典をおこなった......。二八日岡山県倉敷市の生家に入り、三〇日聖師・二代教主を同家にむかえ、五月一日には中......有力者の面接で多忙をきわめた。三〇日には聖師がパインタラで遭難した満十周年目にあたる......二〇日には大分県速見郡中山香村にたちより聖師歌碑の除幕式に臨席している。 一一月九日......的につづけられた 沖縄県那覇公会堂 222○聖師入蒙の当時をしのび犠牲者の霊をなぐさめた... 506
507 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 本部での動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 12 件/聖師=12 ...一八日、亀岡天恩郷の緑生館に愛善幼稚園が聖師の命によって開設された。亀岡町には幼稚園......京都府庁に正式の認可手つづきをとったが、聖師・二代教主をはじめ日出麿夫妻も幼児教育に......四(昭和九)年二月には節分大祭とあわせて聖師入蒙十周年記念祭が執行された。本部からは......のうちの二日間を予備講座として「開祖伝・聖師伝・筆先と物語」などの講座をもうけること......者が昭和五、六年頃から試作していた。また聖師によって「農は国本なり」といわれており、......した。 一九三五(昭和一〇)年四月八日、聖師は穴太の水上館で「大本教旨」の一部をあら......旨・三大学則・四大綱領・四大主義、裏には聖師の歌が、昭和一〇年にきざまれてたてるとこ......訓話した。 八月九日の主会長会議において聖師は、「もし外国と日本が戦争を起すやうなこ... 507
508 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 神苑の造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 16 件/聖師=16 ...二(昭和七)年二月一日には、更生館北側に聖師の画室が更生館付属建物としてたてられ、み......て七月三〇日には瑞月庵が完成した。ここは聖師の休養所にあてた。建坪五〇坪、六室で中二......だてである。この完成祭が挙行されたとき、聖師は「従来落成式とか竣成式とか称してきたか......砂利運びと地搗がおこなわれた。くり石は、聖師の命によって天恩郷内より掘りあつめたもの......東雲社と改称し、『天祥地瑞』の筆記および聖師の著述や作品を整理する機関がおかれ、一一......こなった。建坪一二〇坪、木造二階だてで、聖師の応接用をかねて昭和神聖会の統管部にあて......ては、八月の主会長本部長合同会議の席上、聖師によってつぎのようにのべられている。「皇......大祭は節分大祭、春のみろく大祭、瑞霊真如聖師生誕祭、秋の大本大祭で全国の信者全体が奉... 508
509 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 文書宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 19 件/聖師=19 ...道大意』『記紀解説』が再刊され、また別に聖師の教説をあつめて『惟抻の道』が発行された......春は呼びかける」「空にとけ入る」の題名で聖師伝が連載され、また「天恩郷だより」「満州......の大本に経営を移譲した。翌七年二月八日、聖師が社主、出口宇知麿が社長となり、土井三郎......新聞」は一九三三(昭和八)年八月二九日、聖師が名誉社長に推挙され、出口宇知麿が最高顧......)、第一次大本事件によって頓挫したため、聖師は一九二三(大正一二)年三月一日一切の権......ようになった。 第六回全国雄弁大会には、聖師は「誠の言、心、行の一致でなければならぬ......ゴ)」「気をつけろ」などがあり、いずれも聖師の作歌で音楽部の作曲演奏になったものであ......で音楽部の作曲演奏になったものである。 聖師によるレコードは『霊界物語』の吹き込みが... 509
510 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 二代教主と鶴山織 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ...っていた。また明治四二年には湯浅小久が、聖師の命によって、北桑田郡周山から綾部に移住......」と語られている。 昭和六年八月一九日、聖師の五女尚江は中野貞四郎と結婚し、貞四郎は......江は中野貞四郎と結婚し、貞四郎は三千麿と聖師から命名された。昭和八年一一月一四日、六......江は高橋義衛と結婚し、昭和一〇年一月二日聖師によって義衛は五十麿と命名された。〔写真... 510
511 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 諸団体の活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 17 件/聖師=17 ...本をおとずれたさい、亀岡天恩郷をたすね、聖師と面会し、「人類愛善会即ち大本と紅卍字会......であることを私は深く信ずる」と挨拶した。聖師は張を人類愛善会の宣伝使に任じ亜細亜本部......香洲大佐がその代理として天恩郷を訪問し、聖師に面会している。一九三三(昭和八)年七月......をります」と海外への活動方針を指示した。聖師も「この人類愛善の精神は、皇道大本の精神......ーマ字の夕べを亀岡天恩郷で開催したさい、聖師によって「世界中をいろは四十八文字を使っ......マ字採用を要請した。そして記念出版の出口聖師著『四季誌満』や「日本」の特別号、ローマ......れることとなり、また亀岡天恩郷中之島には聖師の命で弓道部道場が完成された。 同年五月......調に発展した。一九三三(昭和八)年からは聖師の歌日記のつづきをすべて「明光」に掲載す... 511
512 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 海外での発展 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/聖師=7 ...〈満州(中国の東北)〉 満州事変直後聖師はただちに日出麿総統補を満州へ派遣したが......させている。 一九二九(昭和四)年以来、聖師夫妻の巡教、四度にわたる日出麿師の巡教が......行し、第二会館ならびに付属建物を増設して聖師をむかえる準備をすすめた。本部所在地は、......ート島全島の愛善化に努力した。こうして、聖師をむかえるべく南洋宣教に一層の拍車がかけ......ありさまとなった。リオ市の葡語新聞は出口聖師の紹介記事をかかげ、愛善会の発展に祝福を......ガル語による祝詞が奏上された。この神殿は聖師によって「愛神殿」と命名された。こうした......デイア」紙は、人類愛善会の趣旨をかかげ、聖師を絶讃し、ブラジルにおける石戸らの活動状... 512
513 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 昭和一〇年ごろの教勢 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...の他 306○5、教碑 p306○6、出口王仁三聖師の歌碑 p306... 513
514 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 大本記事の報道 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...・解説などが主要記事となっている。とくに聖師の地方巡教・遊説にあたっては、その行動を......ついての抱負と意見など、時局にともなった聖師の具体的な見解を求めたものが大きく報道さ... 514
515 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 内部における予感 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/聖師=13 ...座祭がおこなわれたとき、大吹雪のなかで、聖師は参拝の会員にたいし、「この大吹雪は神聖......らはかんがえていたのである。こえて三月、聖師が台湾における昭和神聖会の発会式にのぞん......念頭から消えていった。 台湾からかえった聖師は、それ以来各地から要望があるにかかわら......らず亀岡からうごかなくなった。九月下旬、聖師は幹部・職員にたいし、長髪のものは長髪を......みる必要があるとの提言もなされていたが、聖師は「それを恐れて運動を中止することはでき......ことはできない」とした。しかしそれからの聖師の日課は、映画・神劇・歌祭り・神苑の整備......島の開島二十年記念参拝があったが、この時聖師によって「神島参拝は今年で最後かもしれな......国以都雄・大谷敬祐が派遣された。このとき聖師の「特派はこれで最後である」という言葉が... 515
516 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 弾圧の背景 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...の注意を引くこともなく、彼王仁三郎は当分聖師様でおさまつて居れたかも判らない。 これ... 516
517 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 軍部・右翼との関係 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/聖師=9 ...州との往復の途次、亀岡天恩郷にたちより、聖師に面談したことがあった。彼らの情報から、......ていた。一九二四(大正一三)年の入蒙以来聖師によって、アジア経綸はまず満蒙問題の解決......で、軍人・財界人たちがしばしば来訪して、聖師の意見をきいていたのは事実であり、満蒙に......きいていたのは事実であり、満蒙に関しての聖師の意見は重視されてもいた。 満州事変がお......は重視されてもいた。 満州事変がおこると聖師は日出麿総統補を急派した。待ちかまえてい......構想がつくられるにあたり(五編三章)出口聖師をまじえて、代議士長島隆二やその他愛国団......成の運動費としてでたことは事実であって、聖師によって、のちに、「いろいろの団体の人と......大日本生産党の結成(昭和6・6・28)に聖師が援助し、また頭山満・内田良平と聖師が山... 517
518 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 昭和神聖会と国家改造運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...昭和一〇年節分大祭の各会連合会議の席上、聖師から言動に注意せよといましめかだされ、ま......広一郎のことが書いてある。この石原は出口聖師と数回会見し、国家改造につき意見を交換し......。その石原の紹介で斎藤が横浜の大本別院で聖師に会ったということを書いている。「躍る者......ればなるほど、まず資金ルートの背後に出口聖師を想定する傾向があった。久原房之助が亀岡......た。久原房之助が亀岡天恩郷をたずね、出口聖師と皇道経済について論じあった当時も、資金... 518
519 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 国家改造請願運動の流言 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ...「大本教の方の直訴計画」というのは、出口聖師が一九三四(昭和九)年春ころ、伊豆湯ケ島......題する記事か掲載されている。それには出口聖師の経歴から昭和神聖会結成の事情など、虚実......和青年会員を貸してくれ」といってきたが、聖師は「金はない、宗教団体が人殺しの手伝いを......精神に共鳴するものがおおかったので、出口聖師はそれら軍人を教化するため接触したもので... 519
520 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 大津会議 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...教団はますます発展していった。五月以降、聖師は昭和神聖会の運動には表面にたたず、地方......あるとしたのである。〔写真〕○鶴山山上の聖師 昭和10年秋 三女の八重野とともに 綾... 520
521 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 閣議決定 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...おりであるから詳述をさける(五編一章)。聖師が五六才七ヵ月に達し、みろく菩薩として下... 521
522 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 その前日 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 23 件/聖師=23 ...ろ当局側がもっとも苦心したのは、その後の聖師および幹部の行動日程を正確につかむことに......の注意がなされたことはいうまでもない。 聖師が居住していた亀岡天恩郷には、杭迫特高課......配置して、専属に内偵させていた。そして、聖師はちかく 一、大連に行く 二、一二月八日......に迫られていたことがわかるし、また松江で聖師を検挙する方針をとったことが知られる。 ......月三〇日、東尾は宇知麿に書簡をおくり、「聖師様は来月二日綾部に御帰り、綾部より松江の......つの余裕をもつて御出発相成るべく……」と聖師の日程を報告した。これによれば......聖師の松江行が最終的にきまったのは一一月末ご......でなかった。当局は内偵をさらに強化して、聖師の行動を逐一報告させた。 一二月一日、大... 522
523 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 出口聖師と幹部らの検挙 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 8 件/聖師=8 ...ぬ非常警戒のなかで、三六亭に就寝中の出口聖師を検挙した。......聖師は衣服をあらため、二代教主出口すみ子が火......和10・12・8)とすみ子に伝言された。聖師は自動車で松江署に送られ、小憩ののち、午......迎えたが言葉をかわすこともできなかった。聖師は中立売署の新築された独房に留置された。......な静けさには、感謝の涙が出るほどでした。聖師さんも平気の平左で、何ごともないやうに松......出しほどは見ることが出来る。ここで初めて聖師も松江で検挙を受けられたこと、大本に対す......未明警官約300人が島根別院を包囲し出口聖師を検挙した ①三六亭②対岳亭④歌碑④松風......岳亭④歌碑④松風荘④開明殿⑤安生館 p389聖師は二条駅から中立売署へおくられた ひとめ... 523
524 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ 信者の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...挙された。この年の九月に、関由太郎らが「聖師登極の日近し」という言葉を記した建白書を... 524
525 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ 暴行と「自白」の強要 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...び、起訴の段階にはいってゆく。〔写真〕○聖師は6年8ヵ月をとらわれの身となった 京都......べにはげしく抵抗した p418○断髪直後の出聖師 京都中立売警察署 p421○田辺光夫 玉沢... 525
526 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 くずれゆく教団 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...に最後の断をくだした p428○林頼三郎 p429聖師は起訴とともに五条署から中京区刑務支所へ... 526
527 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 海外へも波及 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...あり、ポナペ島では昭和一〇年一二月に出口聖師の渡島があるというので、特派宣伝使や信者......ろかさと狼狽ぶりがうかがえる 台湾 p458聖師の巡教をねがう信者の努力もむなしくなった... 527
528 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 冷たい社会の風 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...ろかさと狼狽ぶりがうかがえる 台湾 p458聖師の巡教をねがう信者の努力もむなしくなった......一枚の手紙にも干渉と制限がくわえられたが聖師は信者や家族に丹念にかきつづけた p468○... 528
529 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 起訴と起訴猶予 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/聖師=3 ...ものにあらず」等の言辞を漏らし、或は又「聖師様(王仁三郎)に限つて不敬等のことあるべ......あらざれば信仰を捨て難し」と称し、又は「聖師は現神なれば必ずや無罪の判決を得て出獄し......これらの報告書も物語っている。神を信じ、聖師を敬愛し、さらに身の潔白を確信している信... 529
530 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >1 予審 未決の生活 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ... 京都五条警察署 p497○不屈の信念にもえ聖師の胸中にはすでにあらたな構想がえがかれて......にはすでにあらたな構想がえがかれていた 聖師の書簡にしるされた歌 p498... 530
531 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) 検事の論告 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...を待ちかねて信者は廊下につめかけ出廷する聖師に面会した p529... 531
532 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 信仰の護持 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ...てられようとも、信者の心には聖地がいき、聖師・二代教主・三代教主への信仰的熱情が脈う......のである。未決にあって幽囚の月日をおくる聖師・二代教主の身をあんじて、朝夕陰膳や好物......ていた人々もあったし、また大本の各霊場や聖師が参拝された神社に参拝して、信仰をあたた......をあつめた歌集『山ほととぎす』をつくり、聖師の保釈運動をおこなっている。だがその後山... 532
533 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 弁護活動への献金 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...壁をぬらないで献金にあてた信者もあった。聖師・二代教主の出所まで毎月差入れをつづけた... 533
534 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 出口家の動静 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...におくられたが、新発足後の紀州巡教のさい聖師夫妻が染筆され、のち本部に献納された。昭... 534
535 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) 判決 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...さった 判決書副本 p608○大阪にうつされ聖師ら3人は2年4月の間 北区刑務支所に拘禁... 535
536 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 保釈にいたるまで 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...のたのしみがふえた。のちに当時を回顧した聖師の歌には、〝愛とし子や知るべの人の送る文......ぶりであろうか 中矢田農園にくつろがれた聖師夫妻 p622... 536
537 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 中矢田農園 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 27 件/聖師=27 ... 保釈出所後の聖師は中矢田農園で、大検挙以来の第二次大本事......なかで悠々自適の日々をおくった。しかし、聖師らの帰った中矢田農園にたいする警察の監視......た。しかし信者はかくれしのんでつぎつぎと聖師への面会にかよってきた。......聖師は訪ねてくる信者にはすすんで面会し、短冊......けられる。 八月二三日(旧七月一二日)は聖師七一才の誕生日であった。この日は家族一同......熊野神社に参拝した。ついで九月二三日には聖師が二代すみ子とともに綾部をおとずれ、熊野......つされていた開祖の墓前にもうでた。これは聖師にとって保釈出所後はじめての他出であった......釈出所後はじめての他出であった。その後、聖師・二代すみ子は未決生活でいためた歯の治療... 537
538 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 1 再建への動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ... 保釈出所後、出口聖師は中矢田農園における悠々自適の日々のなか......法違反事件は全員無罪となり、八月七日には聖師らがながく押込められていた拘置所(昭和一... 538
539 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 戦局の転回 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/聖師=9 ... たしかに聖師らの保釈出所は、大本にとって画期的な出来......合軍の対日総反攻の火蓋がきられていた。 聖師はこのころ、「上陸とか占領とか景気のよい......のソロモン海戦においても敗れ、八月七日、聖師保釈出所の日に、連合軍は日本軍の南方前線......前途に不吉な予感をもったものもあったが、聖師はすでに、日本および独・伊の敗北を確言し......統制されていたときだけに、側近の人々は、聖師の言動に憂慮したという。大本七十年史編纂......・中国の信者たちにも、日本の敗戦に関する聖師の言葉がゆきわたっていたということがわか......爆撃・日本焦土作戦が開始されたのである。聖師によって、「日本はいま『古事記』の伊邪那......を制圧しているものと信じこまされていた。聖師はすでに、昭和一八年に「連戦連勝と報道し... 539
540 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 暗黒の世 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/聖師=13 ...う狂歌は、その間の事情を物語っている。 聖師は信者に、「闇のあとには恐怖時代がくる。......かぶさっていた。こうした非常時のなかで、聖師は信者の指導と国民大衆のすくいについて心......民大衆のすくいについて心をくだいていた。聖師の身辺には、一般的思想統制のうえからと、......る監視の目が、とくにひかっていた。しかし聖師はこれを黙過していたることができなかった......社会の一部有識者や軍人の間には、かつての聖師の予言警告を思いだして、教示をもとめよう......時々刻々流動してゆく戦局の推移のなかで、聖師は局面の戦闘についてはもちろんのこと、太......識し、冷静に事態に対処することができた。聖師の言葉はただ予言のための予言ではなく、信......って、悲惨な現実が具体化してきた。信者は聖師からきびしい戦争体験のなかで、「今度の戦... 540
541 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 荊棘をこえて 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/聖師=9 ...者はつぎつぎと中矢田農園をおとずれ、直接聖師に面会しては教示をもとめた。そしてその感......ぎつぎと献金を送りとどけていた。ところが聖師から宮本が聞知したという時局関係の話が、......にも数おおくある。 また信者の一部には、聖師の保釈運動や裁判費用の献金にかこつけて一......山口・四国・北九州などで顕著であったが、聖師の保釈出所によってその実態があきらかとな......話題もあった。昭和一八年一二月一二日には聖師の許しをえてはやくも、もと九州別院に伊都......ていた。けれども事件はなお上告中であり、聖師は保釈の身柄であったから、表向き教団の再......き教団の再建はゆるされなかった。しかし、聖師の言葉が全国の信者につたわり、信者の心は......の言葉が全国の信者につたわり、信者の心は聖師を中心に信仰的にたかまっていった。〔写真... 541
542 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 海外の信者 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 18 件/聖師=18 ...なわれていたが、ことに責任会長の李春楊の聖師にたいする信仰はあつく、大本信者を終始よ......すべし」との壇訓があった。土屋はその後、聖師・出口日出麿師関係の壇訓もあわせて謄写し......(昭和一八)年の夏、土屋は帰国し中矢田で聖師に面会した。そのとき土屋は、......聖師から自筆の色紙八六枚をあずかり、各地の道......口むめのが渡満したとき、奉天の瀋陽道院で聖師に関する壇訓があり、希望をいだいて帰国し......界紅卍字会満州国総会会長)は未決勾留中の聖師の身を案じ、伊藤栄蔵に名刺と伝言を託した......か、張海鵬に面会したとき、「我々は尋仁(聖師)の弟子である。ご健康は如何か」とたずね......は、内地から出席していた伊藤にたいし、「聖師が解放されなければ、こんどの戦争はおさま... 542
543 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >2 事件の解決 戦争の終結 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 12 件/聖師=12 ...従長であった鈴木貫太郎が内閣を組織した。聖師によって冗談のように「ソロモン戦からソロ......略爆撃隊B29による本土空襲は日常化し、聖師の言葉どおり七月までには国内主要都市の大......さにおおきくかかったのである。 この間、聖師の信者にたいする教示と指導はつづけられて......にたいする教示と指導はつづけられていた。聖師の言葉はすでに、「火の雨がふる。火の雨と......にみまわれたのである。 終戦についても、聖師ははやくから信者につたえていた。アンケー......皆神山は安全地帯でB29の不安はない」と聖師からきかされているし、昭和一九年には「来......のうえにものしかがってきた。しかし信者は聖師の力づよい言葉によって、将来にたいする希......こされた信者の苦難はさらに深刻であった。聖師はソ連の参戦と満州・樺太の占領をはやくか... 543
544 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >2 事件の解決 大審院の判決 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/聖師=7 ...運動」と「皇道宣揚運動」の実情を解説し、聖師が、「役員信徒ニ対スル指導」に苦慮した様......部や信者は、「この事件は一〇年かかる」と聖師からもらされており、昭和一七年の控訴院の......せをおこなうことにした。この席にのぞんだ聖師の言葉は「こんどの事件は神さまの摂理だ。......ら、それは膨大な額になったにちがいない。聖師の一言によって訴訟をとりやめたことをきい......度について心痛していたことはいなめない。聖師らが保釈出所した直後の昭和一七年八月一三......として長期勾留された信者たちの大多数は、聖師にならって刑事補償の請求をとりやめた。し......。しかしそのなかで生活に窮した人たちは、聖師にゆるしをうけて昭和二〇年一一月七日、大... 544
545 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >2 事件の解決 土地返還訴訟の解決 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...問題は両者合意のうえで全部解決したので、聖師夫妻と伊佐男・桜井の四人は、一一月二四日... 545
546 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >3 新生への準備 3 新生への準備 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 34 件/聖師=34 ...本の新生にあたってまず注目すべきことは、聖師による楽焼の手造りであろう。......聖師が精魂をこめたその強烈な意欲と色調の潤沢......吹きと情熱をあたえずにはおかなかった。〈聖師の楽焼〉 楽焼は大正一五年からはじめてい......、亀岡の下矢田に転居していることを知った聖師は、一九四四(昭和一九)年暮の一二月二八......約六〇個の楽茶盌ができあがった。それ以来聖師の楽焼の作業はほとんど連日のようにつづけ......はこんだ。その後石川県小松の瀬領貞通は、聖師から九谷焼の釉薬をもとめられた。しかし統......をなし、山川日出子は絵の具皿を担当した。聖師の仕事は深夜の一二時、一時にもおよぶこと......五月以降は楽焼の作業はすくなくなった。 聖師はこの楽茶盌つくりに精魂を集注した。それ... 546
547 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 第一次大本事件 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...粛ならびに禁止を示達してきた。そこで出口聖師は、当局との不要な摩擦をさけるために、役......信者が、離脱していったにすぎない。 出口聖師と浅野は不敬罪・新聞紙法違反、吉田は新聞......では三人とも有罪を言いわたされた。とくに聖師にたいする「懲役五年」は、不敬罪として最......への準備をととのえるのである。 他方出口聖師は、事件の解決をみないままに禁をおかして......ばそうと努力した。やすむ間もない破天荒の聖師の活躍によって、国内において邪教視された... 547
548 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 第二次大本事件 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...もとに、検挙以来の既定方針によって、出口聖師に無期懲役、全員に有罪の判決を下した。無... 548
549 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 事件の意味するもの 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...郎とを直接政治的にむすびつけられ、しかも聖師のつかまえどころのないような人格と魅力、......神業であり、『霊界物語』は瑞の神霊による聖師の神業である。この二大教祖を立教の根幹と... 549
550 大本七十年史 下巻 第7編 >第1章 >2 大本事件解決報告祭 新生のまつり 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 12 件/聖師=12 ...ぐりきた春にあうようなよろこびにあふれ、聖師夫妻が起居する山水荘へと殺到した。 山水......た。それを背に、面会する信徒一人々々に、聖師からこころをこめて染筆された短冊がわたさ......てい参拝者を収容しきれなかった。殿内には聖師夫妻に面会をおえた信徒がぞくぞくとつめが......も祭員もいない、実に簡素な祭りであった。聖師夫妻の先達で参拝者一同による天津祝詞が斉......たちの胸は、ふかい感動にみちみちていた。聖師夫妻と各代表の玉串奉奠があって、一同は、......われ、とどこおりなく祭典を終了した。なお聖師によって、保釈出所後ただちに、中矢田農園......。 つづいて挨拶がおこなわれた。まず出口聖師は、立って参拝者に一礼し、すみ子夫人から......つよくひびくものがあった。出口伊佐男は、聖師夫妻にかわってあいさつにたち、事件を回顧... 550
551 大本七十年史 下巻 第7編 >第1章 >2 大本事件解決報告祭 「世界平和の先駆者」 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 8 件/聖師=8 ... 奉告祭をおえた翌々日の一二月一〇日、聖師は鳥取の吉岡温泉に清遊した。二女むめの・......・山本石太郎その他があつまって奉仕した。聖師によって色紙や短冊、屏風や半折などへの揮......信徒たちにわたされた。吉岡温泉で越年した聖師は、一月六日吉岡を出発、鳥取市外浦富海岸......えり、さらに一月一四日亀岡にかえった。 聖師の吉岡温泉滞在中に、「大阪朝日新聞」の記......岡温泉滞在中に、「大阪朝日新聞」の記者が聖師をたずね、......聖師に、敗戦日本の冷厳な姿についての感想、神......大本の平和主義に立脚した、確信にあふれた聖師の発言であった。〔写真〕○呵々哄笑 鳥取......呵々哄笑 鳥取の吉岡温泉で静養される出口聖師 p734... 551
552 大本七十年史 下巻 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 愛善苑の設立 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/聖師=9 ...実のともなった大本の新生にしたいという、聖師の意図がこめられていた。 神諭には、「世......九ヵ月後の九月八日におわっている。 また聖師らの未決勾留が満六年八ヵ月であったが、日......善苑」という名で新生すべきであるとする、聖師のふかい意図がこめられていたのである。「......をまとめた。二月七日、亀岡の中矢田農園の聖師居宅で愛善苑設立者会合をひらき、......聖師の意向によって、設立趣意書・定款および役......部事務所・出口栄二 愛善苑の提唱者である聖師によって、役員は統率され、各役員には基本......呵々哄笑 鳥取の吉岡温泉で静養される出口聖師 p734○出口......聖師は更生車を愛用され何かと多忙であった p73... 552
553 大本七十年史 下巻 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 両聖地の整備 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 18 件/聖師=18 ...すめられた。〈綾部〉 綾部鶴山の山上では聖師の指揮のもとに、破壊された長生殿の基礎の......士には主神を鎮祭されたが、あわせてこの日聖師によって、〝今日はしも陰暦五月の五日なり......まつりたりけり〟とよまれている。祭典には聖師夫妻が参列し、各地より約三〇〇人の参拝者......ぎ松」が移植された。この松は、大正のころ聖師の命によって、もとの五六七殿のかたわらに......がもちかえってひそかに育てていたものを、聖師の保釈出所後に献木して、中矢田農園の......聖師宅(現出口うちまる宅)の庭に植えられてい......明の五時すぎまでつづいた。 四月三日には聖師夫妻の一行八人が、舞鶴湾内を小艇でわたり......には綾部に帰着した。この葦谷の遥拝所を、聖師は国見山と命名し、ここにいたる登山道を国... 553
554 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 1 出口聖師夫妻の巡教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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555 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 出雲路の旅と鉢伏山 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 10 件/聖師=10 ...四六(昭和二一)年には、山陰と紀州へ出口聖師夫妻の巡教の旅がおこなわれた。夫妻は五月......島根別院に入った。ここを松楽苑と命名し、聖師夫妻をむかえるために新築された居館が新静......された居館が新静館と命名された。このとき聖師によって、〝別院は見るかげもなく壊たれて......ぶりにおとずれられたのである。一二日には聖師夫妻臨席のもとに松静館で祭典がおこなわれ......その六〇%が二〇才台の青年子女であった。聖師はつぎつぎと色紙・短冊に染筆して面会者に......った地恩郷の吾郷勝哉宅に二泊した。その間聖師は信徒の面会のほか、絵絹に綾部大観・富嶽......ちよって信徒約六〇〇人に面会した。滞在中聖師によって襖四枚に出雲路の風景のほか色紙・......館(安田悦彦宅)で休養した。 翌二二日、聖師夫妻は城崎をたち、自動車で八鹿から福岡ま... 555
556 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 紀州路の旅 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 22 件/聖師=22 ... 聖師夫妻は出口委員長・森慶三郎・松浦くに子の......大潮ノ岬をめぐる海岸の眺望はことによく、聖師は興のつきぬ面もちであった。海路つつがな......農園の大谷平一郎が準備した山荘に入った。聖師は色紙に染筆し、委員長は林間テントで約五......が来訪した。染筆は毎日つづき、一九日には聖師は、三高農園の一帯を快山峡、この山荘を梅......約八〇人が委員長の愛善講話をきいたのち、聖師夫妻に面会した。二〇日にも約一二〇人が受......した。二〇日にも約一二〇人が受講したのち聖師夫妻に面会している。テントを張った高台は......妻に面会している。テントを張った高台は、聖師によって大観望と命名された。 二一日、......聖師は二枚屏風二双に綾部および鉢伏山の風景を... 556
557 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 本部と地方のうごき 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 12 件/聖師=12 ...じめられ、五月二〇日に完成した。つづいて聖師の居館にあてられていた鶴鳴殿の再建に着工......大されつつあるなかで、ついに八月二六日、聖師は脳出血症状で床につくことになった。 あ......同行した。 八月二七日は旧七月一二日で、聖師はこの日第七七回(満七六才)の誕生日をむ......からは「喜寿慶祝祭」として発表されたが、聖師の言葉にもとづき急拠変更して、このときか......言葉にもとづき急拠変更して、このときから聖師の生誕祭を「瑞生祭」と称することになった......拝した。その間庭前から、瑞祥館で静養中の聖師に面会がゆるされたが、一般信徒としてはこ......〉 ご神体は、一九四二(昭和一七)年八月聖師の保釈出所以来、......聖師によって「神」「大天主太神」のご神号が短... 557
558 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 出版活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...創刊号一万部を発行するにいたった。題字は聖師の筆である。 創刊の辞では「平和な民主主......印刷・発行することができるようになった。聖師は昭和二一年三月一五日から歌日記をふたた......た。製本については、創刊号は中矢田農園の聖師の居宅、第二号からは東風荘で信徒の奉仕に......行本出版であった。『愛善の道』は、かつて聖師によって詠まれた数おおくの歌のなかから、......なできばえに、このころすでに病床にあった聖師は、手をうってよろこばれたという。ついで... 558
559 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 芸術への精進 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...いた。一九四五(昭和二〇)年の春からは、聖師によって「楽天社」の名をあたえられ、さら... 559
560 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき 愛善苑にたいする社会の反響 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ...道した。六月下旬には「大阪朝日新聞」が、聖師の田植・麦刈りなどを写真で紹介し、同月二......照法主が、中戸内室部長をともなって農園に聖師を訪問した。牧野顧問もこれにくわわり、あ......記者は「日本はこれで立直るでしょうか」と聖師に質問した。......聖師は「大丈夫です」とこたえ、「日本がこんな... 560
561 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき 国際宗教懇談会の開催 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...昭和一七)年秋以来、中矢田農園にしばしば聖師をたずねて感銘するところがあった。一九四......私が国際宗教懇談会を催す構想も、翁(出口聖師)の薫陶が影響していた。私は此の会議の青... 561
562 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 第三章 出口王仁三郎聖師の昇天 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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563 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >1 昇天 1 昇天 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 31 件/聖師=31 ...の勤労奉仕によって順調に進捗していた。 聖師は毎日のごとく、中矢田農園から更生車で天......に進んだが、八月にはいってからはさしもの聖師にも、疲労の色がみえはじめ、孫の曙(出口......する時間もおおくなった。しかもその間も、聖師によって、〝遠近のまめ人あまたおしよせて......の輪台の石垣積みが完了した二五日の午後、聖師から「今日はみな早うやすんでくれ、わしも......の言葉があり、更生車にゆられて農園に帰る聖師を奉仕者らは見送った。その翌二六日のあさ......安静加療されるうちには、神の加護のあつき聖師のことであるから、かならず快復されるもの......ものと、周回では希望的楽観をしていた。 聖師発病の報は全国の信徒につたわりつぎつぎと......恩郷の瑞祥館は九月八日にほぼ完成したが、聖師が病床にあったので、完成式は延期し、また... 563
564 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >1 昇天 招魂祭と通夜 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 25 件/聖師=25 ... 聖師昇天のしらせは、全国の信徒に深刻な衝撃を......一〇年間の苦難をしのぎ、まちにまっていた聖師の指導で敗戦国家の多難をのりきり、みろく......にとっては、まったく晴天の霹靂であった。聖師を唯一の光明と信じ、みろくの救世主神とあ......きこまれたといってよい。信徒のなかには、聖師はかならず復活しよみがえられると信ずるも......にかけつけだ。よべどもこたえられぬ慈顔の聖師に面会した信徒は、万感胸にせまり、あるい......をつくるのかせきのやまだった。偉大なりし聖師の霊前をかざるには、あまりにもつつましい......りなく声がいつまでもつづいた。 瑞霊真如聖師の神霊のひもろぎ松は、月の輪台に実生して......ゃまになるから、掘りおこそうとしたとき、聖師はそのままにしておけと大切にいたわられた... 564
565 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >2 葬儀 告別式と遷柩 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 10 件/聖師=10 ... 一月二八日は聖師の十日祭当日である。霊枢を綾部へ移動しな......の内外は参列した人でうずまった。斎場には聖師昇天の部屋があてられた。亀岡町からよせら......らゆる人からしたしまれ、うやまわれていた聖師の偉大さが、いまさらのようにしのばれた。......、いつまでもうずくまっていた。 瑞霊真如聖師の霊柩を綾部へ移動するについて、最初汽車......寒中に徒歩することは容易ではない。だが、聖師が若かりしころ綾部・亀岡間を往来された思......人・婦女子までが、熱烈に希望を申しでた。聖師を追慕するまごころは、「途中で死んでも悔......年前、福島久子が茶店をひらいていたとき、聖師と対面ができ、綾部の開祖と面会することが......雪の路となった。三ノ宮の北村家は、かつて聖師が、綾部・亀岡間を往来の途次休息された家... 565
566 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >2 葬儀 埋葬祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 10 件/聖師=10 ...は共同墓地にうつされていた(六編二章)。聖師の奥都城としては、開祖の奥都城跡にのこっ......ートル)の高さに玉石をつんだものである。聖師昇天の翌日、一月二〇日に地鎮祭を執行し、......ていた。天王平に、「愛善苑主出口王仁三郎聖師之御柩」の銘旗が着いたころ、行列の最後尾......に二週間にわたる墓前の通夜をおこなった。聖師にささげる信徒のまごころが、このような墓......ながく大本史上にのこるであろう。 一方、聖師が昇天された日から霊前にともしつづけられ......式の食膳のものをつくり、開祖昇天のとき、聖師が道統をひきつがれた行事にならって、「ひ......年五月一三日には二代苑主の指示によって、聖師史実編纂会(会長出口伊佐男、部長大国以都......大国以都雄・出口光平)が組織され、広大な聖師の行跡を記録にとどめることになった。作業... 566
567 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >2 葬儀 一般的反響と信徒の動向 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 30 件/聖師=30 ...く世間には浸透していなかった。そのなかで聖師の昇天をみたのである。識者やマスコミ関係......天をみたのである。識者やマスコミ関係者が聖師の昇天を知って、......聖師なきあとの「大本」にたいし、非常な関心を......非常な関心をしめすようになる。とりわけ、聖師の昇天をめぐる信徒の熱烈な信仰の凝集が、......昇天」の見出しで、感激的な遷柩の模様や、聖師の昇天にいたるまでの経歴などを記事として......人々にふかい感銘をあたえた。ことに信徒か聖師によせていた信頼のおおきさが見なおされ、......の機関紙、キリスト神霊主義の機関紙等々に聖師の訃報と愛善苑の近況が紹介された。......聖師の存在が偉大であっただけに、その昇天の反... 567
568 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >3 人間 出口王仁三郎 3 人間 出口王仁三郎 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 23 件/聖師=23 ... 瑞霊真如聖師に神がかりをみた神の因縁や神格、その使命......各人各様の見かたがなされていた。神諭には聖師のことを、「大化物」とか「人民では手にあ......少年時代から地獄耳と評されていたように、聖師の記憶力は万人に卓絶したものがあった。し......いう言葉で理解しようとした。少年時代から聖師とつながりのあった郷土の近くにすむ大石老......曲げなかった人です」とかたっている。また聖師と友人関係であった人は「おもしろい楽天家......まで気のつく几帳面な一面があった。 また聖師は、面接する人の心を直感的に読みとること......別なく、まことの愛情をもって接触した。 聖師の高熊山修業後は、神霊との接触が不断にお......混然一体とおりなされていた感があった。 聖師にはおおくの逸話がのこされている。聖師の... 568
569 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >1 道統の継承 二代の継承 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 12 件/聖師=12 ...された。そこで愛善苑初代苑主出口王仁三郎聖師の昇天による教統継承規定についての協議が......ように決定された。「第三条 本会は開祖・聖師の教統の継承者を以て苑主とする。第三条の......ある。(委員会公示第一号) 出口王仁三郎聖師昇天に伴い、昭和二十三年一月二十七日夜委......御意志にもとづき、第二代の苑主には開祖・聖師の教統の継承者たる出口すみ子氏が御就任下......の役割はますます重要になっていた。ことに聖師の病臥をみてからは、ご神体のご用、重要祭......べられている(「愛善苑」昭和23・3)。聖師さまのご一生は、ほんとうにご苦労と艱難の......けても、有難い、尊いことでございました。聖師さまのご昇天は、いくら悲しんでも、悔んで......中心として考えさせていただきますならば、聖師さまはお亡くなりになったのではなく、神界... 569
570 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >1 道統の継承 二代苑主の指導精神 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/聖師=7 ...す。……まず幹部の人や講師が、開祖さま、聖師さまの御精神を十分腹に入れておいてもらい......「元来わたくしは固くるしい気性でしたが、聖師さまの昇天後は、なぜか気性が変って、......聖師さまによく似てきました。......聖師さまが、つきまとうて守護されていることが......私にはよく分ります。……私は、教祖さまと聖師さまとすみ子のご用を、三位一体となってや......うに、二代苑主の指導精神の特徴は、開祖・聖師の道統を皮膚で感ぜしめるような生き生きと......抜の信念 出口すみ子筆 p831○開祖(右)聖師の奥都城 昭和23年 綾部 天王平 p833... 570
571 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 大本愛善苑 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ...善苑が新発足してから、わずか二年たらずで聖師の昇天をむかえ、ここに二代苑主の時代とな......の重点としては、「神観の確立」と「開祖、聖師、二代教主の神格と使命を正しく明らかにす......りだもうことを信奉する。第四条 われらは聖師が瑞霊の神格に充たされて愛善信真の大道を......五条 われらは二代苑主が教御祖たる開祖、聖師の道統を継承し、救いとむすびの使命を成就... 571
572 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 14 件/聖師=14 ...ら、月に型どった円形の聖壇を設ける」との聖師の意志にそって造築にかかったものである。......、この井戸に官憲の手によって投げこまれた聖師作の楽焼や神具などが出土した。八月一四日......和二二年六月一〇日よりはじまったが、途中聖師の昇天にあって、二月に......聖師の奥都城が築造された。ついで開祖の奥都城......、その後建碑式がおこなわれた。 また出口聖師誕生の地である穴太の清掃整備も、昭和二五......とのえられていった。 ご神体については、聖師発病ののちは、二代苑主による「おほもとす......たびお宮を使用するようになった。肌守りは聖師・二代苑主によって下げられ、また「おひね......道弥広大出口国直日主命」の中には、開祖・聖師がふくまれているのであるが、特に聖師にた... 572
573 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 11 件/聖師=11 ...。一九四八(昭和二三)年一月一九日には、聖師昇天の悲運にみまわれたが、幹部・信徒は二......人宣伝・大衆宣伝・視聴覚宣伝・文書宣伝・聖師作品展の開催、地方道場の活用、本部講師の......展開した。七月には本部道場講座に「開祖と聖師、神について、まつりの本義、霊界と人生」......も大量に配布された。また後述するように、聖師作品展覧会の開催による社会的反響や、愛善......本愛善苑の信奉し宣布する教義は……開祖、聖師を教御祖とし、苑主の裁定された教典による......ばに刷新されて、「第一日大本出現の意義・聖師と救世の神業・懇親会、第二日神について・......教義・歴史・諸運動・大本事件の真相や出口聖師のプロフィル、人類愛善会・大本楽天社・愛......目的や活動、さらに「耀わん」をはじめ出口聖師の作品や宝物などの展観をおこなった。「大... 573
574 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 青年会・婦人会組織の確立 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...覚宣教にも重点をおき、幻灯フィルム「出口聖師の生涯」「恩愛の涙」(『霊界物語』)「狸... 574
575 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 社会福祉事業 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...までもない。この保育事業の背後には、出口聖師の遺志にもとづく二代苑主の積極的な教示と... 575
576 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 4 人類愛善会の再出発 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/聖師=3 ...とおりである。人類愛善会は故出口王仁三郎聖師の提唱により、大正十四(一九二五)年に創......全国各地の支部等を襲い、総裁出口玉仁三郎聖師、同夫人以下全幹部を強制収監し、建築物一......あります。ここにおいて故総裁出口王仁三郎聖師終生の大悲願たる世界平和、人類救済の道統... 576
577 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 「人類愛善新聞」の再刊と運動の展開 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...ひろむる第一の神器は愛善新聞なりけり〟(聖師の歌、昭和7年)との自覚と情熱がよみがえ... 577
578 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 楽天社の発足宣言とその活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 19 件/聖師=19 ...ものである。大本の芸術重視の立場は、出口聖師によってはやくから具体化されていたが、戦......術工芸」誌に掲載された加藤義一郎による、聖師手造りの楽焼茶盌讃美の一文にみいだすこと......部町の陶匠金重陶陽を訪問し、はじめて出口聖師の楽焼に接した。そのときの感激は、「日本......い恨を心深く抱き惧れる私である。 従来、聖師手造りの楽焼類は信徒のあいだにあっては、......手造りの楽焼類は信徒のあいだにあっては、聖師の手造りなるがゆえにありかたいものであり......うに記述している。楽天社の発足は、同時に聖師が「神業の片棒になう明光社」と宣言して興......文芸だけの分野であったのに対し、楽天社は聖師の開拓されたその基礎の上に立って、文芸は......約を発表した。大本楽天社は「出口王仁三郎聖師の意図に基き、地上和楽実現のため芸術の門... 578
579 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >1 巡教 1 巡教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 12 件/聖師=12 ...事務所に入った。県連事務所の前では、出口聖師の作品展を開催していた。苑主は夕食ののち......した。 五月八日、この日は満二年前に出口聖師の松江訪問があった記念の日である。島根支......赤山山上の神木をひもろぎとして「瑞霊真如聖師来松二周年記念祭典」が盛大におこなわれた......院であった。新発足後、いちはやく再建し、聖師から松水苑と命名され、もと鶴鳴殿跡に新築......築された建物は水明館と名づけられていた。聖師の九州分苑(現九州別院)への出向ははたさ......。参拝者は五〇〇人余であった。 二九日は聖師の遺髪を一〇〇人にわたした。会長は宗教者......の信徒に面会し、一泊した。七日は面会後、聖師作品展をもよおしている奈良粕太郎邸をおと......中で、加藤義一郎らもくわわった。一五日、聖師作品展覧会場である芝の美術クラブへおもむ... 579
580 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 招魂祭と遷柩 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ...(昭和二三)年一月、初代愛善苑主瑞霊真如聖師の昇天があり、いままたわずか四年にして、......松苑につめかけた。その夕、天王平の開祖・聖師の奥都城および熊野神社へ昇天の奉告をおわ......色の被布、鶴の模様がある白どんすの着物、聖師の葬祭のとき喪主として用いられた松の杖、......く感じられた。 極度に物資の窮乏していた聖師の葬祭のときとはちがって、霊前には美しい... 580
581 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 埋葬 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...らしていた。 二代教主の奥都城は、開祖・聖師の奥都城の中央後方に築かれた。昇天された......なっておりませんでしたが、それは開祖様、聖師様、二代様のお三方であるということが実に......た。これは「火つぎの神事」として開祖から聖師、......聖師から二代教主と伝承された神事である。 彰......まりますご三体の奥都城 前列左から開祖 聖師 手前中央 二代教主 前方つきあたりは社... 581
582 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >3 二代教主の面影 3 二代教主の面影 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/聖師=13 ... 聖師昇天の後、道統を継承してまもない二代教主......のぶ一文は、その面影をよくつたえる。私は聖師とのご縁は四十何年間にも及んで来たが、二......お受けし、時々中矢田農園にお引きこもりの聖師邸を訪問し、ご夫妻の謦咳に接する機会を得......できた。一切辺幅を飾らない所謂天衣無縫の聖師と、絶好の好一対と云わるる刀自の風貌は、......と、絶好の好一対と云わるる刀自の風貌は、聖師の内助者として、いかにも相応わしく拝見せ......い。つとに人類愛善と万教同根とを主唱せる聖師の達見は、戦後の世界平和問題にも、わが宗......ったものであった。いうまでもなく二代様は聖師様に随って朝鮮、満州、台湾方面を巡遊せら......大本教開基の始めより波瀾重畳の多事多端な聖師の内助者として、目の廻るような忙がしい内... 582
583 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 道統の継承 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...き三代教主はただちに、「教えは開祖さま、聖師さまにより至れり尽せりに示されており、教... 583
584 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 三代教主の人となり 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/聖師=4 ... 三代教主は、出口王仁三郎聖師と二代教主出口すみ子の長女として、一九〇......と一〇月(旧九月)の神島開きには、開祖・聖師・二代教主とともにこの神業にしたがい、一......う深刻な事態のなかにも、三代直日の心には聖師・二代教主をたすけ、確固たる信念がいきつ......年一二月には、第二次大本事件がおこった。聖師・二代教主・夫の日出麿をはじめ主だった人... 584
585 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >2 「大本」の名称復活 2 「大本」の名称復活 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...るためのある時期までの教団の名称として、聖師様が『愛善苑』と命名されたのでありますが......。第三章(教祖) 大本は、開祖出口なお、聖師出口王仁三郎を二大教祖と仰ぐ。開祖は厳霊......し救世の基を開き、顕幽両界を守りたまい、聖師は瑞霊の神格に充たされて愛善信真の大道を...... この教団は、大本といい、開祖出口なお、聖師出口王仁三郎を教御祖と仰ぎ、「おほもとす......事務所を綾部におくこととした。 また出口聖師出生の地である穴太の瑞泉郷別院も、信仰的... 585
586 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 大本入信 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/聖師=6 ...たしげに声をかけた。この黒紋付の人が出口聖師であった。 元男は綾部についたその日から......お筆先の浄写や分類にうちこんだ。また出口聖師からは霊学についてくりかえし教えられ、元......は霊学についてくりかえし教えられ、元男は聖師を慈父のようにしたった。そのころのノート......いたが、一九二一(大正一〇)年一〇月に、聖師による『霊界物語』の囗述がはじめられてか......三)年四月には正式に退学した。 この年に聖師の入蒙があり、一一月には......聖師が保釈出所して帰綾された。第一次大本事件... 586
587 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 結婚とその後 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...われ、その夜教主殿における内祝宴の席上、聖師から「日出麿」の命名があり、ここに高見元......もとより海外へもおよんだ。東奔西走される聖師の留守をまもって、東京愛信会会長・人類愛... 587
588 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 信徒の指導 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...り、小乗的には整ったものがございました。聖師様の時代には大乗的に飛躍しましたが、一面... 588
589 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 巡教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/聖師=7 ...祭典は島根別院が、一九四六(昭和二一)年聖師夫妻の全国初巡教をむかえた五月八日(新暦......本恒次郎の別荘(梅松館)に入った。ここは聖師の最後の巡教地となったところでもあった。......なったところでもあった。ちようどその日が聖師巡教の記念すべき日にあたっていたので、信......みがやどされていたし、その感懐は「開祖・聖師の労苦のおかげて、どこへいっても結構にし......した。式場で嵯峨保二社長は、出口王仁三郎聖師を終生の師とあおぎ、「......聖師なき現在は出口直日先生を師と仰ぎ、その導......(昭和三〇)年一〇月二三日、八千代分苑の聖師歌碑「大道」「新生」の再建除幕式および分... 589
590 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 みろく殿の完成 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...力の発揮であります。しかし、その確信力は聖師ご夫妻の胸裡に宿るとともに、これに共鳴同... 590
591 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 信行一致 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...諭(改訂版)』(昭和27)が頒布され、『聖師伝』『出口すみ子歌集』『宣伝使心得』『祝... 591
592 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 巡回講座と食糧自給国民運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...日開祖伝・神について・信仰と体験、第二日聖師伝・霊界の実在・冠沓句の作り方、第三日昭... 592
593 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 信徒の新生 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/聖師=3 ...一九五八(昭和三三)年は、開祖四十年祭・聖師十年祭にあたる年であるが、その年はまた大......て、つぎのように意義ふかい年でもあった。聖師がかつて、五六才七ヵ月をむかえた一九二八......で身霊の立替立直しをいたすぞよ」とあり、聖師の言葉にも「三十年を一区切りとして世の中... 593
594 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 信徒一〇万 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...するため、『霊界物語』二二~二五巻、出口聖師の道歌一〇六八首をおさめた『大本の道』、......教学院から『稿案大本教祖伝』(開祖の巻と聖師の巻)、『百千鳥・都鳥』(......聖師の歌)『出口......聖師を囲む座談会集』、『大本神覩』が頒布され......大祭をむかえたのである。 みろく大祭は、聖師が五六才七ヵ月にたっし、はじめてみろく大... 594
595 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >2 教団活動の確立 あらたな展開 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 11 件/聖師=11 ...たかめることに努力した。あたかもこの年が聖師十年祭・......聖師の高熊山入山六十周年にあたっていることを......の普及版は一九三五(昭和一〇)年までに、聖師みずからによって校訂された原本によったも......行会をとおして頒布された。二月には同じく聖師十年祭記念出版として、如是我聞集『月鏡』......さま時代のけだかく純真な教風を昂めつつ、聖師さまが生涯を捧げられました地上天国の実現......を展開しようとするもので、教会とは開祖・聖師の御教を取次ぐ神定の聖地をいい、天国の姿......ひつつ生誕祭露天の下に行ひにけり〟と出口聖師によって詠まれた、その......聖師八八回の生誕をいわうこの年の瑞生大祭が、... 595
596 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >2 教団活動の確立 節分大祓運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...、大本でおこなっている節分大祓い行事は「聖師さまが直接に神示を得て創始されしもの」で... 596
597 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >2 教団活動の確立 特別宣教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/聖師=2 ...五月一四日には出口総長が参列して、かつて聖師が別院建設の意向をもらされていた対島の南......ずられ、道路の石垣の根石とされていた出口聖師の歌碑が、喜界島の宮原山に再建された。 ... 597
598 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >3 諸団体の活動 社団法人愛善みずほ会 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...九、〇〇〇万石をこえ、米はあまる。さらに聖師さまの提唱された陸稲栽培法を畑地に普及す... 598
599 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >3 諸団体の活動 株式会社天声社 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/聖師=1 ...信仰雑話、信仰叢話。 ◎その他─開祖伝、聖師伝、宣伝使の心得、墨跡・水墨・陶芸作品集... 599
600 大本七十年史 下巻 第8編 >第2章 >4 神苑造営と祭儀 造営 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/聖師=5 ...である。一九三五(昭和一〇)年九月八日の聖師の筆になるもので、彫りあがって建碑の準備......は穴太の瑞泉郷に、事件によって破壊された聖師の神聖歌碑が再建された。この石摺は小幡神......でありますようにと念願いたしております。聖師さまのお心を実現いたしますことは、取りも......がすすめられたものである。また万祥殿は、聖師が、〝花明山に万祥殿の建つ時はわが大本の......雛型になるものと、ひそかに誇りを感じ……聖師さまのご理想であった芸術と宗教の一致とい... 600
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