文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名325 不思議な人よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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データ最終更新日2021-11-06 02:04:28
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明治三十二年の梅雨もそろそろあけかける頃のことでありました。私は大原のお茶よりの仕事がすんで、裏町の教祖さまのもとに帰ってきました。
そのおり私は、不思議な人を見ました。その人は年齢は二十七、八ぐらい、男のくせに歯に黒くオハグロをつけ、もうそろそろ夏に入ろうとするのに、お尻のところで二ツに分かれているブッサキ羽織というものを着て、ボンヤリ縁側から空を眺めていました。私は変わったその姿をみながらも何処かで一度見たことのあるような気がして来ました。「安達ガ原」という芝居に出てきた、お公卿さんの姿の貞任に、そっくりの感じでした。
「うちに来ている人、芝居の貞任にそっくりやなア」
これが、初めて会ったときの、先生に対する印象でした。(註 私は夫─王仁三郎師─のことを、昔から先生、先生と呼び慣れてきました)
先生の様子は、本当に変わっていました。暇さえあれば、いつもボンヤリ空や、星ばかり見ている人でした。また、冬に単衣ものを着せても、夏に袷を着せても、知らん顔をしていましたし、紐のしめ方一つにしても、一回キュッとしめるだけで、下に長くブランと紐の端をぶら下げたまま、少しも気付かぬ様子でした。
ある日、教祖さまが私を呼んで、
「おすみや、お前はあの人の嫁になるのやで、そうして大望の御用をせんならんのや、神様がいつもそう私に言われるのや」
とおっしゃいました。しかし私は教祖さまに、そう言われましても、とりたてて別に、どう気持ちの動くということもありませんでした。
私の気性としては、どちらかというと、気の利いた、サッパリと男らしいような人が好きでしたが、そうかといって、先生に対する私の気持ちは、別に嫌いということはありませんでした。
ある時、私が使いに行きまして、町を歩いていますと、向こうから先生のやって来るのが見えます。よいお天気ですのに高下駄を履き、コーモリ傘をさして、しかもその傘のさし方がモッサリしたさし方で町の家並みの軒先を一軒一軒、じいーと、表札でも見るような恰好で、のぞきもって歩いて来ます。「何をしているんじゃろ、この人阿呆かしらん、きっと私の来るのが判らんやろう」とそう思いながら近づきますと、やっぱり知っていたとみえて、
「アヽ、おすみさんですかあ……どこ行きなはるう……」
と間のびした声で呼びかけました。
一面そうではありましたが、神様のことや、霊眼などの霊覚については大したものだと、みんなが噂しておりました。私はその頃、家にブラブラしておりましたので年頃の娘なみに、京か大阪へ家を飛び出して、奉公でもしに行こうかと、ひそかに思っていました。田舎者なので京や大阪というと、大そう珍しく、華やかなところというように憧れを抱いていたのです。そんなことを考えていましたが、あの人は眼をつぶると、十里先、百里先の出来ごとでも、手にとるようにわかるということだ、すると、いくらコッソリ抜け出しても、スグ見つかってしまうと思い直してやめたことがありました。
そうした先生に対する私の気持ちは、前と大して変わることなく、嫌いではないが、別に好きになるというところまでは行きませんでした。しかしおだやかな、温か味のある、何だかぬくい感じのする人だとは、何時も思っていました。
そうしているうちに、だんだんお参りに来る人達が増えて来まして、今までの倉の家では狭くなり、本町の中村竹蔵さんの家に移りました。そして更に新宮に移った頃、先生と結婚の式を挙げることになったのです。私の十八の時でありました。
○
すみこ
根も精もつかれ給ひしわが開祖
八十三でまかりたまへる
はゝきみに日頃ききたることごとが
いまめのまへにあらはれにけり
世のなかのたからは人のまことなり
まことにうちかつものは世になき