文献名1幼ながたり
文献名2思い出の記よみ(新仮名遣い)
文献名31 料亭づとめよみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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私市から帰って間もない頃、月見町の「花月」という料亭に手伝いに行ったこともあります。
花月という料亭は今でも月見町にありますが、それが初め本町に小さな料理屋を開いていた頃のことであります。
ここの主人の大槻の熊さんと言う人のこと、お内儀さんのお松さんについては、先にちょっと書きましたが、お松さんは、私の子供のころ、隣にあった研屋の娘さんで、大柄で色白の大変利口な人でした。昔のよしみから、ちょうど私が私市から帰っているというので「おすみさんの手が空いているなら、チョット貸してくれ」と手伝いを頼みに来たのであります。
そのおり、教祖さまが神様にお伺いされますと、「あまり小さい時分から苦労さしたから、しばらく楽な奉公をさしてやれ」ということでありました。
七つの頃から福知山、八木、王子、私市と遊びざかりの十年間をつらい奉公をつづけて来ましたので、神様も可哀そうと思われたのでしょう。すこし楽なことをさせてやれという思召しだったのでしょう。教祖さまは、
「おすみや、しばらくの間、花月のお松さんの所で奉公するんやでよ」
と言って、私を連れて行って下さいました。
この花月における一年半程の奉公が、私の少女時代の中で一番面白い、また愉しい期間でありました。今でもよう忘れませんが、此処で最初にご膳をいただいた時、お茶碗には湯気のあがるまぶしいような白いご飯が盛ってあるし、お鉢にはトウロク豆の煮たのが入っています。その上、砂糖で甘く煮つめたキンカンのおいしかったこと、私には全く食べたことも見たこともないものばかりです。王子や八木にいた時分はもち論、私市の百姓奉公の期間中も、ふだんはもち論、盆、正月すらも白いご飯など食べさせて貰えることはなかったのでした。
「町という所は、なんと美味しいものばかり食べているのやなア」と私はまったく夢見るように思えたのでした。それからの毎日は、三度々々の食事も周囲の雰囲気も、まったく別天地に移り住んだような気持ちで働いておりました。
私が行ってからの店はますます繁昌するようになってきましたので、お松さんは月見町にあった宿屋を買い受け、そこへ引越すことになりました。今度は前に比べて家もずっと大きく、旅館兼料理屋として店も立派になり、二、三人の芸者すら置くようになりました。その中の一人である吉弥という綺麗な妓の名前を今でも覚えております。それから私のほかにお竹というオチャボの女の子がおり、私が此処ではお梅という名前で呼ばれておりましたので、お内儀さんのお松さんを加え、松竹梅になりまして、店はどんどん忙しくなる一方でした。多忙になるに従い、お膳の持ち運びや使い走りで、夜のあとじまいを終わる頃になると身体はグッタリ疲れますが、気分は張り合いがあって面白く、一層まめに立働いておりました。
そこへ刑期を終えた熊さんが、監獄から帰って来ました。熊さんは先にも言いましたように道楽者でしたので、帰って来ると間もなく、女中のお竹さんに手を出しました。するとこのお竹さんというのがなかなかのしたたか者で、一かたならずお松さんの世話になっていながら、待っていたように熊さんの意を迎えたばかりでなく、あべこべに主人であるお松さんにきつく当たったりして、どちらが主人か分からないように思えるくらいでした。私は時々、お竹さんの鋭い浴びせるような罵言に、お松さんがヒステリーのようにわめき返している声を、この世の声でない怖ろしいもののように思って聞いておりました。
ある日教祖さまがお見えになって、
「おすみや、神様がそなたの奉公をやめさせて、早く神の御用の見習いをさせるようにとおっしゃるから迎いに来た」
とお話になりました。
しかし私は、花月の奉公がこれまで一番のん気で面白い最中でしたし、それにまた、神様の有難いことも充分わからなかった頃でしたので、神様の御用なんてしん気くさいような気がして、内心気が進まぬまま、
「神様の御用を見習うて、どんなことするのです」と尋ねますと、
「ただ御神前に朝夕のお仕えすればよい」とのことでした。
私が花月をやめてから、お松さんはよく私の家に来て、
「熊さんとお竹がグルになって自分を追い出さんばかりの仕打ちをする」と熊さんの無情や、お竹の人非人なやり方を、訴えたり嘆いたりしておりましたが、とうとう間もなく気違いになって死んでしまいました。お竹さんは今でも生きておりますが、老後は惨めな状態でくらしているようです。
家に帰って来ましても、私にはこれという仕事はなく、御飯を炊いたり、時に教祖さまのお使いをしたりして退屈な日々を過ごしていますと、また何処か奉公へ出かけたいと思うようなことも時々ありました。そんな時よく新町のすもさんという友達と、「京か大阪へ奉公にでも出かけようか」など秘かに話し合ったものでした。しかし思い切って飛び出す勇気もなく、綾部近在のあちこちへ家事の手伝いや、お茶よりの手伝いをしているうちに、先生が四方平蔵さんに迎えられて園部からやってこられました。この時が、先生の二度目の綾部入りであります。
先生を迎えに行く使者となった四方平蔵さんと教祖さまとの間に、一つの神秘な挿話があります。