文献名1幼ながたり
文献名2獄中記よみ(新仮名遣い)
文献名3ぼっかぶりの夫婦よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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未決では洗面も排便も監房の中ですますことになっています。
狭い監房の部屋のすみに水道のセンをひねって水を出し、暗い光の中で朝の顔を洗うのです。
それは、しばらく経ってからのある朝、顔を洗うところに、黒いものがチョロチョロと動いているのに気がつきました。黒い虫が二匹遊んでいるのであります。
「まあ、有りがたい、虫がいるわ」と思って近よると二匹の“ぼっかぶり”でした。
「まあ、お前どこから来たんじゃ、こんなところへ。ここはな、虫一匹来るところじゃないのに……お前何しに来たんじゃ」
私は喜びのあまり思わず、大きな声で話しかけますと、ボッカブリは両手をひざの上に置くような格好をして、首を傾けて、私の顔をじっと見ていました。
それから決って朝の八時になると、毎日洗面のところに来てチョロチョロと遊んでゆきました。それで私も毎日々々の弁当のご馳走をとっておき、ボッカブリにもやることにしました。ボッカブリは私のやるご馳走を嬉しそうに二匹並んで食べてゆきました。初めのうちは、はにかんでいましたが、だんだん私に馴れなじんで、ご馳走がすんでも私の坐っている周囲をぐるぐる廻ったり、膝の上に上ってきたりしました。ボッカブリは大へん行儀作法のよいもので、私がポッカプリに話しかけると、いつもきちんと前足をそろえて、首をちょっとかたむけて、私の話を聞きます。ボッカブリのその格好はいまだに忘れることのできん印象の深い懐かしいものです。今でも時々思い出しては、あの時のボッカブリはどうしているやろう、いちど訪ねてみたいものだと思うのです。
ボッカブリは又、頭の上に登ったりします。壁を自由自在に走り歩き天井をはいまわり、時には空中で遊んだり自由自在の虫です。私は毎日ボッカブリと遊んでいるうちにボッカブリの芸のうまさに感心させられました。ボッカブリは得意になって演じてくれるので、
「おゝ、お前はえらいのう、そんなことも出来るのか」と賞めてやると、意気ようようと、また私の膝の上に来て、二人で一服しています。しばらくすると又、変わった曲芸をして見せてくれます。
虫も人も心の通じ合うことでは同じです。ある時、私は二人のボッカブリが夫婦であることを知りました。二匹は天井に上って交わっていました。それが長い時間でありました。二十分間もつるんでいたと思います。私はちょっと見た時つるんでいるので、待っていてやりましたが、いつまでも上を見るたび同じところにじっとしていました。しばらくして二匹が酔うたようになって、ぽろりんと落ちてきて、まだ酔うたようになって、落ちたまま動きもしません。しんどうてかなわんようにじっとしています。それは面白いものです。
初め、顔を洗うところの水溜りに遊んでいるのを私が、
「こっちへ来い、こっちへ来て遊べ」と頭をなぜてやったので、ちょいちょいと近寄って来たボッカブリは今はすっかり馴れて、私の部屋に私の同居人のようでありました。ボッカブリはことさらに果物が好きで、私も、果物をご馳走して話をするのが楽しみでした。私が、
「ボッカブリ、ボッカブリ」と呼ぶと、いつでも私の顔をのぞきに来ました。私はボッカブリに唄を歌ってきかせました。歌を唄ってやると、ボッカブリは何時でもキチンと両手をそろえて、つつましげに、いっかどスマシこんで聴いてくれました。その生真面目な様子がおかしくて、私は笑いこけたことがあります。ボッカブリは行儀のよいものでした。規則正しく、毎日やって来る時間もきまっていました。
「人間はなあ、お前たちを馬鹿にしているが、お前はなかなか偉いのう」といってやると、ちょっと恥ずかしげにうつむいていましたが、また得意になって、元気よう部屋中を走りまわって遊びました。感心なことに、まことに夫婦仲のよいもので、いつも一しょにつれだっています。食べものなども、競り合って食べることがなく、いつも上品に楽しんで食べているのは、見ていて気持ちのよいものでありました。
ところが或る日、いつも夫婦で元気よくでかけてくるのに、一匹だけ来て、いかにもションボリとしています。いっこう後の一匹が来る様子がありません。どこを探がしてもおりません。私は、
「お前は、今日は一匹だけか、どうかしたのか、えらい元気がないやないか」と言うと、ちょろちょろと私の前に歩みよって来ました。見ると婿さんのボッカブリです。
「お前の嫁さんは今日はどうしたのや」と聞いてみましたが、しょぼしょぼとしているばかりです。いつも二匹で遊びに来ていたので、後の一匹を連れずに一匹だけが、しょぼしょぼとしているのを見ると、私も淋しくてなりません。それにボッカブリにとっては嫁さんのことですから、私は心配になりました。
「どうしたんやいな、ほんまに」と、いくら尋ねてみても、こういう時には不自由なものでハッキリしたことは分かりません。また次の日もボッカブリは一匹だけで、元気なげにやってきました。これは今でも目に浮かびますが、見ておられるものではありません。二、三日して担当の看守が廻ってきました時、
「担当さん、おかしいこと言いますがよう、もうずっと、私のところへ二匹の虫が遊びにきますのやが、この二、三日はどうしたわけか、一匹より来まへんが、あんたご存じやありまへんか」と聞いてみました。看守は私の質問にびっくりした顔付きでいましたが、
「虫ってどんな虫ですか」
「黒い虫ですがな、綾部の方では“ぼっかぶり”といっていますが、この辺ではなんと言います。黒い小さいこがね虫のようなのです」というと担当は、
「なんという虫か知りませんが、二、三日前黒い小さい虫がこの部屋の前を二匹通るのを、一匹私が知らずに靴の先で踏み殺してしまいました」といいました。仕方ありません。交通事故で亡くしたことが判りました。一匹のヤモメのボッカブリは、毎日訪ねてきました。相変わらずションボリとしています。こういう虫でも夫婦の情というものは変わらないようです。
「ボッカブリ、お前の嫁さんは、人間の靴で踏まれて死んだというが、かわいそうなことやった。嫁さんに死なれて淋しいことやろう。しかし、お前は虫やでな、ちょっとも遠慮はいらんで、早う後添えをもろうて連れてきて見せてくれ」と言うてやりました。
ところが、次の日も次の日もボッカブリは一匹でやって来ました。私は、これは私のいうことが聞こえて居らんのだろうと思って、同じことをくり返しいってすすめてやりましたが、どう言うても、一匹で訪ねてきて、私の廻りを歩いたり、膝の上に登ってきたりして遊んでゆきました。私もそれ以上は無理にすすめませんでした。そうして、こういう淋しいボッカブリとの交遊は八カ月以上も続きました。あるいは九カ月か、十カ月も続いたかも知れません。
その或る日、いつも来る時刻になってもボッカブリは現われません。もう来るか、もう来るかと思って待っていると、しゅっしゅっと、いつにない威勢のよい歩きぶりでボッカブリが現われました。ああ来た来たと思ってみると、どうです、嫁さんを連れて来ています。ボッカブリが嫁さんをつれて威張って来ています。私の方を見上げて、──嫁さんをもらいました──というような顔で、そうして側の嫁さんをちょっと見よがしに首を動かしてみせます。
「お前さんカカアもらったのかい、よかったなあ、ハハハハ」とお祝いをいうてやりましたが、私はその時ボッカブリに感心してしまいました。
「お前はえらいのう、……人間はのう、万物の霊長とかいうて、口先きでは偉そうにいうておるけれども、嫁はんに死なれたら一人でよう居らん。嫁はんが死んだ時はわしは一生、一人で暮らすというているが、言うている舌のかわかぬうちに直ぐに他の女を入れるが、お前は人間から、虫けら、虫けらとさげすまれていてもお前の方がよっぽど立派やのう。今日までよう辛棒して来たな」というと、婿のボッカブリだけは前のように、私の体に登ったりして遊ぶが、一匹はちょんとしたような顔をして、こちらを見ているばかりではにかんでいます。私が、
「お前さん、よう来てくれたな、仲よう遊びなよ、早うこっちへおいで」といって呼んでやると、だんだん私の方に近づいてきて婿さんと同じように、私のまわりでちょろちょろと遊びはじめました。
ボッカブリは、朝の八時に来て、昼間を遊んで、夕暮れ早いうちに、どこかへ帰ってゆきましたのに、夜になっても帰ろうとせず、夜通し遊びました。私が寝てしまうと夜具の中にもぐりこんで来たりするようになりました。ボッカブリに、こういう変化が来たのは私に近く、ここを出ることが起こっているのではないかと想われてなりませんでした。いつも夕暮れには──さよなら──をして帰ってゆくボッカブリが夜になっても私のそばを離れません。私は、
「お前も、夜はねるのやろう。わしと一しょに寝てもよいけど、わしが夜中に寝返りして、お前を圧し殺すとこまるから、お前は、わしが睡ったら、どっか、あっちの方に離れておれよ」と言うてやりましたが、終日、どこもゆかず、私の部屋の中で暮らしておりました。
ボッカブリには私と離れともない心がありましたので、夜も私のところに来て、別れを惜しんでくれました。
私はボッカブリの予想通り、しばらくして弁護士が来てくれました。
「あなたは保釈で、出ることになりました」
「ああ、嬉しいことじゃ」私はそう思った次のしゅんかん、この虫を置いて出てゆくのはカナワンことやと思いました。そこでボッカブリにいいました。
「お前ら、こうして永う仲よく遊んで一しょに暮してきたけれど、わしは二、三日のうちに帰るさかい、わしがここを出ると、また別の人が来るやろうし、どんな人が来るか知らんが、後から来る人にも可愛がってもらいなよ」
しかし保釈は、ある事情で、急に取り止めということに変わってしまいました。私は再び同じ監房に戻ってきて、ボッカブリとずっと暮らすことになりました。
こうして京都では四年もの監房生活の間、ボッカブリと私は非常に因縁の深いものがありました。これは神様が私を慰めて下さるために遣わされたものと今でも思って居ります。私は今でも一度、ボッカブリを訪ねて、懐かしい当時の思い出ばなしを交わしたいものとよく思うのであります。
四年を馴れなじんざるぼっかぶり
妻はまめなか子等は増えたか
別れてから十年も経って、この間もこういう歌を詠んで、獄中の友、ぼっかぶりを懐かしんだのであります。