文献名1霊界物語 第16巻 如意宝珠 卯の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎(一)よみ(新仮名遣い)たまのいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ霊界には、神界、中界、幽界の三大境域がある。神界とは、神道で言う高天原であり、仏教の極楽浄土、キリスト教の天国である。中界は神道で言う天の八衢であり、仏教で言う六道の辻、キリスト教の精霊界である。幽界は神道で言う根の国底の国、仏教で言う地獄、キリスト教の地獄である。天の八衢は高天原と根底の国の中間状態である。人が死後にただちに至る中有である。中有にしばらくあって後、現界での行いに応じて天国に昇り、または根底の国へ行くのである。高天原の情態は真善美が相和合した時である。根底の国の情態は、邪悪と虚偽が人間にあって合致した時である。霊魂中の真善美が和合するとただちに高天原に昇り、邪悪と虚偽が合致するとただちに根底の国へ落ちる。これは八衢にあるときに行われる。八衢に在る人霊は多数である。八衢は一切のものの会合所であり、霊魂の試験準備がなされる所でもある。八衢に居る期間はさまざまである。すぐに天国に昇る者、地獄に落ちる者、また数日数年居る者もあるが、三十年以上居る者はない。人間の内分・外分に相応して、八衢に居る時間が決まるのである。人間が死ぬと、神は直ちにその善悪正邪を審判する。地獄界に行くのは、その人間が世にあるときに愛していたものが地獄界に所属しているからである。善き人が高天原に赴くのは、世に在りしときにその人の真善美がすでにして天国の団体に加入していたからである。生前の知己は、八衢にていったん邂逅することが許される。同一の信仰、愛、性情に拠る者は、天国において再び相知ることができる。しかし八衢でいったん別れてしまうと、二度と相見ることはできないのである。八衢にて、高天原または根底の国に行くまでに、外分、内分、準備の三つの状態を経る。自己の凶悪を装うために善を標榜した偽善者や、神の存在を認めなかった者は、ただちに根底の国に至る。生前、世を捨てて肉を離れて霊に住み、功徳を積んでも、高天原に昇れるわけではない。このような悲哀の生涯を修得しても、高天原の歓喜は得られない。むしろ現世において世間的な業務を採りその職掌を尽くし、道徳的民文的生涯を送り、その後に初めて霊的生涯を受けなければならないのである。これ以外に霊的生涯を為し、高天原に昇る準備をする方法はないのである。内的生涯を清く送ると同時に、外的生涯を営まないのは砂上の楼閣の如きものである。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年04月05日(旧03月09日)
口述場所
筆録者藤津久子
校正日
校正場所
初版発行日1922(大正11)年12月25日
愛善世界社版286頁
八幡書店版第3輯 510頁
修補版
校定版292頁
普及版
初版
ページ備考
OBC rm169902
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