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文献名1霊界物語 第65巻 山河草木 辰の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年07月15日(旧06月2日) 口述場所祥雲閣 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1926(大正15)年4月14日 愛善世界社版3頁 八幡書店版第11輯 609頁 修補版 校定版3頁 普及版1頁 初版 ページ備考
OBC rm650002
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本文  芸術と宗教とは、兄弟姉妹の如く、親子の如く、夫婦の如きもので、二つ乍ら人心の至情に根底を固め、共に霊最深の要求を充しつつ、人をして神の温懐に立ち遷らしむる、人生の大導師である。地獄的苦悶の生活より、天国浄土の生活に旅立たしむる嚮導者である。故に吾々は左手を芸術に曳かせ、右手を宗教に委ねて、人生の逆旅を楽しく幸多く、辿り行かしめむと欲するのである。矛盾多く憂患繁き人生の旅路をして、宛ら鳥謳ひ花笑ふ楽園の観あらしむるものは、実に此の美はしき姉妹、即ち芸術と宗教の好伴侶を有するが故である。若しも此の二つのものが無かつたならば、如何に淋しく味気なき憂世なるか、想像出来がたきものであらうと思ふ。人生に離れ難き趣味を抱かしむるものは、唯此の二つの姉妹の存在するが故である。
 抑も此の二つのものは、共に人生の導師たる点に於ては、相一致して居る。然し乍ら芸術は一向に美の門より、人間を天国に導かむとするもの、宗教は真と善との門より、人間を神の御許に到らしめむとする点に於て、少しく其立場に相異があるのである。形、色、声、香など云ふ自然美の媒介を用ゐて、吾人をして天国の得ならぬ風光を偲ばしむるものは芸術である。宗教は即ち然らず、霊性内観の一種神秘的なる洞察力に由りて、直ちに人をして神の生命に接触せしむるものである。故に必ずしも顕象界の事相を媒介と為さず、所謂神智、霊覚、交感、孚応の一境に在つて、目未だ見ず耳未だ聞かず、人の心未だ想はざる、霊界の真相を捕捉せしめむとするのは、宗教本来の面目である。芸術の対象は美そのものであり、而も美は神の姿にして、其心では無い。其衣であつて、其身体では無い。『神は霊なれば之を拝するものも亦、霊と真とを以て之を拝すべし』と云つたリストの言葉は万古不易の断案である。美を対象とする芸術は、能く人をして神の御姿を打ち眺めしむる事を得るも、未だ以て其心を知り、其霊と交はり、神と共にあり、神と共に動き、神と共に活る、の妙境に達せしむることは出来得ない。譬ば僅かに神の裳裾に触らしめる事は出来得るも、其温き胸に抱かれ、其生命の動悸に触れしむる事は、到底望まれない。芸術の極致は、自然美の賞翫悦楽により、現実界の制縛を脱離して、恍として吾を忘るるの一境にあるのである。それ故、その悦楽はホンの一時的で、永久的のものでは無いのである。其悠遊の世界は、想像の世界に止まつて、現実の活動世界でなく、一切の労力と奮闘とを放れたる夢幻界の悦楽に没入して、陶然として酔へるが如きは、即ち是れ審美的状態の真相である。若しそれ宗教の極致に至つては、遥に之れとは超越せるものがある。宗教的生活の渇仰憧憬して已まざる所のものは、自然美の悦楽では無く、精神美の実現である。その憧憬の対象は形体美ではなくて人格美である。神の衷に存する真と善とを吾身に体現して、永遠無窮に神と共に活き、神と共に動かむと欲する、霊的活動の向上発展は、即ち是れ宗教的生活の真相であらうと思ふ。芸術家が、美の賞翫もしくは創造に依つて、一時人生の憂苦を忘るるが如き、軽薄なものでは無い。飽迄も現実世界を聖化し、自我の霊能を発揮して、清く気高き人格優美を、吾と吾身に活現せなくては止まないのが即ち宗教家の日夜不断の努力奮闘であり、向上精進である。宗教家の悦楽は、単に神の美はしき御姿を拝する而已でなく、其聖善の美と合体し、契合し、融化せむと欲して進み行く途上の、向上的努力にあるのである。死せるカンバスや冷たき大理石を材料とせず、活ける温かき自己の霊性を材料として、神の御姿を吾が霊魂中に認めむとする、偉大なる真の芸術家である。故に宗教家の悦楽は、時々刻々一歩々々神の栄光に近づきつつ進み行く、永久の活動その物である。故にその生命のあらむ限りは、その悦楽は常住不変のもので、其慰安も亦空想の世界より来るに非ず。最も真実なる神の実在の世界より来るものである。
 『我与ふる平安は、世の与ふる所の如きに非ず。爾曹心に憂ふる勿れ、又懼るる勿れ』とは正しく這般の消息を伝ふるものである。美の理想を実現するには、先づ美の源泉を探らねばならぬ。其源泉に到着し、之と共に活き、之と共に動くのでなければ実現するものでは無い。而して其実現たるや、現代人の所謂芸術の如く、形体の上に現はるる一時的の悦楽に非ず、内面的にその人格の上に、その生活の上に活現せなくてはならないのである。真の芸術なるものは生命あり、活力あり、永遠無窮の悦楽あるものでなくてはならぬ。瑞月はかつて芸術は宗教の母なりと謂つた事がある。併し其芸術とは、今日の社会に行はるる如きものを謂つたのでは無い。造化の偉大なる力に依りて造られたる、天地間の森羅万象は、何れも皆神の芸術的産物である。此の大芸術者、即ち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かむとするのが、真の宗教でなければならぬ。瑞月が霊界物語を口述したのも、真の芸術と宗教とを一致せしめ、以て両者共に完全なる生命を与へて、以て天下の同胞をして、真の天国に永久に楽しく遊ばしめむとするの微意より出たものである。そして宗教と芸術とは、双方一致すべき運命の途にある事を覚り、本書を出版するに至つたのである。
   大正十二年七月十七日
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