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文献名1霊界物語 第72巻 山河草木 亥の巻
文献名2第1篇 水波洋妖よみ(新仮名遣い)すいはようよう
文献名3第7章 鰹の網引〔1816〕よみ(新仮名遣い)かつおのあみひき
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ常磐丸の船中では、玄真坊、コブライ、コオロのけんかも済み、船中では皆がそれぞれ歌を歌っている。幻真坊は船頭の歌う、恵比須祭の欸乃(ふなうた)を聞いて、自分も改心のふなうたを面白く歌う。ようやく常磐丸はスガの港に到着する。宣伝使一行は、浜で漁師たちが引き網漁をしているのを見物する。照公別は、漁師たちが魚を一網打尽にするように信者を集めるには、人の集まる公会堂、劇場、学校などで宣伝をしたらどうか、と提案するが、照国別は、「神の道の宣伝は一人対一人が相応の理に適っている」と諭す。照公別は師に、これまで何人の信者を導いたのですか、と質問するが、照国別は、まだ一人もいない、と答える。つまり、照公別もまだ、「信者」の数には入っていないと、逆に諭されてしまう。また、玄真坊の方が、照公別よりも信仰が進んでいると説く。大なる悪事をしたものは、悔い改める心もまた深く、真剣身がある。そこに身魂相応の理が働き、たちまち地獄は天国となる。一方、悪いことはしないが良いこともしない、という人間は逆に、自分は善人だからと慢心が働き、知らず知らずに魂が堕落して地獄に向かってしまう。それというのも、人間は天地経綸の主宰者として神様の代理を現界で務めるために生まれてきたのである。だから、たとえ悪事をしなくとも、自分が生まれてきたそもそもの理由であるその職責を果たせなければ、身魂の故郷である天国には帰りようがないのである。照公別は師の戒めに心を立て直す歌を歌う。
主な人物 舞台 口述日1926(大正15)年06月29日(旧05月20日) 口述場所天之橋立なかや別館 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1929(昭和4)年4月3日 愛善世界社版80頁 八幡書店版第12輯 635頁 修補版 校定版83頁 普及版33頁 初版 ページ備考
OBC rm7207
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本文  常磐丸の船中に於ける玄真坊、コブライ、コオロの直接行動的争ひも無事に済んで船端に皷の波を打たせ乍ら水上静かに辷り行く。
 船中の無聊を慰むるため彼方此方に面白き国の俗謡が聞えて来た。中にも最も著しきは恵比須祭の欵乃である。船頭は舷頭に立ち乍ら海に馴れたる爽かな声で節面白く唄ひ出した。
『正月のー朔日二日の初夢に  如月山の楠の木を
 舟に造り今おろす  白銀柱押し立てて
 黄金の富を積ませつつ  綾や錦を帆にかけて
 宝の島へと乗り込んで  数多の宝を積み込んで
 追手の風に任せつつ  思ふ港へ馳せ込んで
 これのお倉に納めおく  ヨーン、デー、ヤール
 神の昔の二柱  金輪際より揺ぎ出でたる此島を
 自転倒島と云ふとかや  山には常磐のいーろいろ
 黄金白銀花咲いて  お山おろしが吹くとても
 散らぬ盛りに国々は  浦々迄も豊かにて
 五穀草木不足なく  七珍万宝倉に満ち
 とざさぬ御代の恵みより  長命無病と聞くからは
 四方の国より船寄する  綾や錦の下着より
 縞に木綿の紅までも  唐に大和を取りまぜて
 商ふ店の賑やかさ  猟、漁りの里々は
 山に雉鴨鶴もある  裏の港の磯つづき
 あけて恵比須の浪塩は  ヤンサ、目出度やお鉢水
 ヨーン、デー、ヤール』
 玄真坊は此歌を聞いて飛び上り、自分も一つ負けぬ気になり、貧弱な頭から、こぼれ出した欵乃は一寸変ちきちんなものである。
玄真坊『春の海面よく光る  大島小島数々と
 碁石のやうに並ぶ中  海賊船が右左
 彼方此方と横行し  宝を積んだ船見れば
 一目散にやつて来て  否応云はさずぼつたくり
 テ言へば命まで  貰つて帰る凄い船
 こんな手合に出会つたら  ヨーン、デー、ヤール
 金鎚さまの川流れ  一生頭が上るまい
 俺も昔は山賊の  大頭目と手を組んで
 オーラの山に天降り  杉の梢をからくりに
 数多の火影を輝かし  天から星が下りまし
 天帝の御化身救世主  玄真如来の説法を
 聴聞なさると触れ込ませ  彼方此方の村々ゆ
 善男善女を誑かし  もう一息と云ふ処へ
 三五教の梅公別  女房をつれて出で来り
 二人の女と諸共に  蛸の揚げ壺喰はされた
 実にも甲斐なき蛸坊主  今から思へば恐ろしや
 ヨウマア天地の神々は  この悪僧をいつ迄も
 生かしておいて下さつたと  思へば冥加がつきるやうだ
 ヨーン、デー、ヤール  彼方此方とさまよひつ
 よからぬ事のみ企みて  三百人の不良分子
 彼方此方に振り向いて  自分は一人タニグクの
 山の岩窟にダリヤ姫  せしめんものと連れ込めば
 藻脱けの殻の馬鹿らしさ  それから愈やけとなり
 神谷村の里庄なる  玉清別の館にと
 忍び込みたるダリヤをば  奪ひ返して吾妻に
 無理往生にせむものと  思ふた事も水の泡
 まだまだ悪い事許り  やつて来た事思ひ出しや
 全身隈なく冷汗が  夕立の如くに湧いて来る
 ヨーン、デー、ヤール  今乗る船は常磐丸
 斎苑の館の神様の  御用を遊ばす宣伝使
 照国別の師の君に  危き所を助けられ
 心の底から立直し  お伴に仕へ侍り行く
 ヨーン、デー、ヤール  サア之からは之からは
 心の基礎をつき直し  神に刃向かふ仇あれば
 鬼でも蛇でも構はない  命を的に飛び込んで
 今まで悪を尽したる  その補ひをせにやならぬ
 あゝ面白や面白や  面白狸の腹皷
 打つ波の上をスクスクと  狸坊主の蛸坊主
 人が笑はうが謗らうが  そんな事には構はない
 これから世間に恥さらし  自分の罪の償ひを
 天地の神にせにやならぬ  玄真坊も之からは
 三五教の宣伝使  神の司の僕とし
 一生此世を送りませう  ダリヤの姫や其外の
 美人の事は思ひきり  一生懸命に神様の
 誠の道を伝へませう  ヨーン、デー、ヤール
 あゝ惟神々々  神は吾等と共にあり
 人は神の子神の宮  神に任せし此体
 虎狼も何かあらむ  上下揃うて世を円く
 治る時をまつの世の  弥勒菩薩の再来と
 仕へまつらむ斎苑館  神素盞嗚の大神の
 御前に誓ひ願ぎ奉る  御前に誓ひ願ぎ奉る
 ヨーン、デー、ヤール』
 常磐丸は漸くにして翌日の真昼頃スガの港に安着した。この港には鰹の漁が盛にある。丁度常磐丸の着いた頃、網引きが初まつて居た。一行は旅の憂さを慰むるため漁師に頼んで引網の中に加はり、ともに面白可笑く歌を謡ふこととなつた。
 幾艘の船は網の周囲に集つて音頭をとり乍ら陸上に向つて網を引き上げる。親船が先づ歌の節々の初めを謡うと他の船の漁師達は之に和して後をつぎ、以て力の緩急を等しくする、その調子は丁度木遣節のやうである。
『せめて此子が男の子なら
  櫂を持たせて
 ホラ、ホーオ、サツサア ヤツチンエエ
 イヤンホ、サツサー ヤツチンエエ。
 スガは照る照る太魔の島曇る
  あいの高山雨が降る。
 大高お岩は二つに割れて
  割れて世がよいヨヤハアサツサ。
 引けよ若衆、きれいな加勢
  十二船魂勇ませて。
 旦那大黒内儀さま恵比須
  中の小供がお船魂。
 船の艫艪へ鶯とめて
  明日は大漁と泣かせ度い。
 船は新造でも艪は新木でも
  船頭さまが無けれや走りやせぬ。
 ホラ、ホーオ、サツサ ヤツチンエエサツサ
 ヤツチンエエ ヨイヤハアサツサ』
照国別『これ照公さま、何と面白い網引ぢやないか、沢山の船頭衆が黒いお尻を出し、真裸の真跣で黒い鉢巻を横ンチヨに絞めて大きな網を海上一面に張り廻し、言霊を一斉に揃へて鰹を上げる処は何とも云へぬ壮観の感に打たれるぢやないか』
照公別『如何にも師の君の仰せの通り、壮絶快絶の極ですな。吾々宣伝使も、あの引網に倣つて一遍に少くとも数万人の信者を引き寄せ、うまく宣伝をやつたら面白いでせうな。どうです先生、これからスガの町へ行つたら、大公会堂でも借り込んで数万の町民に一度に聴かせてやつたら、大神の神徳に浴する信者が沢山に出来るかも知れませぬ。労少くして効多き、最も文明式の方法ぢやありますまいか』
照国『イヤイヤさうではないよ、公会堂なんかは神の道の宣伝には絶対に適しない。公会堂は政治家や主義者の私淑する処だ、そんな処で神聖な神様の教をした処で、身魂に相応しないから、労多くして功無しだ』
照公『そんなら先生、劇場は如何でせうか』
照国『尚々不可ない、劇場は遊覧客の集まる処だ。歌舞伎や浄瑠璃や浪花節、手品師、活動写真等やる処で、仮令聴衆が幾何やつて来ても、遊山気分で出て来るからチツとも耳へ這入らない。却つて神の御名を傷つけるやうなものだ』
照公『成程、さう聞けば仕方がありませぬな、そんなら学校の講堂は如何でせうか』
照国『学校の講堂は学問の研究をする処だ、深遠微妙な形而上の真理や信仰は、到底学校の講堂で話した処で駄目だ。何人も研究心を基礎として聞くから、何人も真の信仰には入れないよ。青年会館だの倶楽部だの公会堂だの、民衆の集まる処は凡て駄目だ。夜足で捕つた魚や網で捕つた魚は、同じ魚でも味が悪い。一匹々々釣の先に餌つけて釣り上げた魚は味が良い如く、神の道の宣伝は一人対一人が相応の理に適うとるのだ。止むを得ないなら五六人は仕方がないとしても、それが却つて駄目になる』
照公『成程さうすると仲々宣伝と云ふものは、容易に拡まらないものですな』
照国『一人の誠の信者を神の道に引き入れた者は神界に於てはヒマラヤ山を千里の遠方へ一人して運んで行つたよりも、功名として褒めらるるのだからなア』
照公『さうすると先生は入信以来、どれ位誠の信者をお導きになりましたか』
照国『残念乍ら、未だ一人も誠の信者を、ようこしらへてゐないのだ』
照公『ヘーエ、さうすると、梅公別や吾々は宣伝使の試補となつて廻つてゐますが、まだ信者の数には入つては居ないのですか』
照国『マアそんなものだな』
照公『何と心細いものぢやありませぬか』
照国『さうだから心細いと何時も言ふのだ』
照公『此玄真坊さまはさうすると、未だ信者の門口にも行かないのでせうね』
照国『ヤア此玄真坊殿は随分悪い事も行つて来たが、お前に比べては余程信仰が進んで居るよ、已に天国へ一歩を踏入れて居る』
照公『それや又どうした訳ですか。吾々は未だ一度も大した嘘もつかず、泥棒もせず、嬶舎弟もやらず、正直一途に神のお道を歩んで来たぢやありませぬか。それに何ぞや大山子の張本、勿体なくも天帝の御名を騙る曲神の権化とも云ふべき行為を敢てした玄真坊殿が天国に足を踏込むとは一向に合点が行きませぬ』
照国『大なる悪事を為したる者は悔い改むる心も亦深い。真剣味がある。それ故身魂相応の理によつて直に掌をかへす如く地獄は化して天国となるのだ。沈香も焚かず庇も放らずと云ふ人間に限つて、自分は善人だ、決して悪い事はせないから天国に上れるだらう等と慢心して居ると、知らず識らずに魂が堕落して地獄に向ふものだ。悪い事をせないのは人間として当然の所業だ。人間は凡て天地経綸の主宰者だから此世に生れて来た以上は、何なりと天地の為に神に代る丈けの御用を勤め上げねばならない責任をもつてゐるのだ。その責任を果す事の出来ない人間は、仮令悪事をせなくとも、神の生宮として地上に産みおとされた職責が果されて居ない。それだから、身魂の故郷たる天国に帰ることが出来ないのだ』
照公『天国に吾魂在りと思ひしに
  地獄に向へる事の歎てさ。

 今よりは心の駒を立直し
  神の任さしの神業励まむ』

玄真『身は仮令根底の国に沈むとも
  神の恵みは忘れざるらむ』

照国『千早振る神の恵みは世の人の
  夢にも知らぬ処にひそむ。

 暗の夜を照り明さむと宣伝使
  よさし玉ひぬ瑞の大神』

(大正一五・六・二九 旧五・二〇 於天之橋立なかや別館 北村隆光録)
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