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文献名1出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他
文献名2【随筆・其他】よみ(新仮名遣い)
文献名3九月八日の仕組よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例2022/05/21底本と照合し校正。 データ最終更新日2022-05-21 04:34:34
ページ457 目次メモ
OBC B121805c224
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本文  今日は九月八日という記念すべき日であります。由来大本では九月八日を非常に尊重するのであります。何故なれば九月九日は菊の節句であり、九月八日は之に先立つ事一日であつて、何事も世の中に先端を切り、来らむとする事を前つ前つに覚つて実行してゐるからであつて、之を九月八日の仕組といふのであります。
 又五月五日は菖蒲の節句でありまして、六菖十菊といつて六日の菖蒲は後の祭であり、十日の菊はもう時節が済んでゐるのであります。宗教家でも、政治家でも、教育家でも、悉く世の後端を行つてゐるのに反して、皇道大本は常に九月八日の仕組で先端を進むのであります。
 霊界物語を始めましたのは大正十年旧九月十八日でありましたが、御神命は九月八日に降つたのであります。その時は恰も大本事件、九月五日の第一審で懲役五年を言ひ渡された当時で、その日から三日目に神命が降つたのであります。
 それから九月十六日に私が並松の祥雲閣に居りますと開祖様が水色の羽織をお召しになつて目の前にお現れになり、坐つて竹の鞭にて畳を叩いて不機嫌なまどろしさうなお顔で何事か頻りに御督促のやうでありました。当時二十日から本宮山の神殿を当局の手で取毀す事になつてゐたので、私は之を立腹されたものと解し『吾々の不注意から神様のお宮を毀さなければならない事になりまして誠に済みませぬ』とお詫び申上げると『さうではない』と仰せられた。そこで九月八日の御神命の事だなと気付いて『御神命に随ひ明後日から霊界物語の発表に取掛ります』と申し上げると開祖様は非常に喜ばれ、十五六才の娘のやうな美はしいお顔になつて姿をかくされました。
 当時私は非常に健康を損じてゐたので自ら筆を執らず、身を横たへて口述し筆記して貰ふ事にしたのでありますが、二十日からは頭の上で本宮山のお宮の取毀しが始まつた。が私は神様から『今のは仮の宮である、之を一旦つぶして立直さねばならぬ』と伺つてゐた。しかしこちらから毀す事は出来ず、さりとて腐るまで待てば非常に年数がかかるし、自分が毀せば信者が承知しない。政府から毀されるのは却てこれ幸であつて、神の仕組であると嬉しい気持がした──お宮を毀されて嬉しいといふのは変なものであるが、より以上立派なお宮が早く建つ事を思へば、嬉しくて憤懣も何もなくなつたのであります。
 霊界物語の口述は最初筆録の慣れぬ間は中々捗らず、一巻に十日もかかつたが、第二十三巻頃からは余程慣れて、三日や二日で一巻を筆録し得るやうになりました。
 裁判の方は神様から『罪にはならない、何でもない事である、大丈夫だ』と聞かされてはゐたが、私の人間心では『神様が審かれるのでない、一寸先も見えぬ人間が審くのであるから、万一有罪にするかも知れない』と考へた。若しさうなつて三年も四年もすれば身体が保たぬ。自分は死んでもかまわぬ。生命のつづく限り教を書き残して置かうと思うたから、足も手もつづく限り、胸の上には焼ゴを当てなどしつつ口述したのでありましたが、だんだん筆録者が慣れて来るに随ひ口述も楽になりました。百二十巻の予定であつたが七十五巻で中止して、神様が『後は又先で口述さす事とする。あまり一時に出すと信者が食滞して了ふから止めたらいい』との事で中止めたのでありました。
 九月八日は大本にとつては不思議な日であります。本宮山は一名桶伏山と云つて、大本教旨を書いた大きな天然石があつて、彫刻したままで時期が来る迄ふせて置いて蒙古入をした。帰つて来ても未だ起す時期が来なかつたのでありますが、その石を本年の九月に入つて神様から初めて早く建てて呉れと言はれて建てた。うつかりしてゐたが後で気がついて見ると新の九月八日に建て上げてゐた。それから十日後の九月十八日には満洲問題が起ると予め言つて置いたが、その通り起りました。又本日が旧の九月八日であつて新の十八日に当つてゐるのも不思議であります。
 これから世の中は一転機を来すが、詳細は既に『瑞の神歌』に発表して置いた通りでありまして、お筆先に十年或は十二年延びると神示されてある通り、愈々十二年延びて本舞台に入つたのであります。信者の方は緊張して神様の御心を覚つて大活動をなし、これから来るべき世の大峠を易々越えるやうに努めて頂き度いと思ふのであります。
 満蒙の地はこしの国であつてもろもろこしの国と云つて日本のもとの国土である。もとの神代に戻すについては、之を一番先に、名は委任統治でもよい、日本のものとして置かねば、列強と伍して自主的に経綸を行ふことは出来ず、国家百年の悔を残すに至る事は明かであります。
 南船北馬といふことがある、北は馬でなければ行けない。私は大正元年から大本に四頭の馬を飼つていろんな馬を乗りこなしてゐたのはその為であつて、大正十年、私を待つてゐるものがあるので単身蒙古へ入らうと思つてゐた所を大本事件で妨げられ、三年後の大正十三年の大本事件の起つた当日を期して入蒙を決行した。それも其筋の目をぬけて脱出したのであります。
 大正十年紀元節の翌日私が空を見上げてゐると、太陽の横に月があり、その横に星があり、大空は一点の雲なく晴れて何とも知れぬ気持のよい日でありました。それを記念として更始会の徽章を作つたのであります。この異象は入蒙出発当日にもありました。これは愈々蒙古へ入る時節が来たと思つたのであります。蒙古入の事は出発三十分前迄は誰にも言はず、家内にも何も言はなかつた。しかし人間であるから或は万一帰れないやうになるかも知れない。それでは後の者が困るから、身体の苦しいのを忍んで、絵や字を書いて書いて書き倒してポイと出て行つたのでありますが、途中は神様のお守りのもとに──幾多の難関がありましたが──釜山でも奉天でも、其筋の重囲を易々と脱けて奉天の目的地に着きました。張作霖からは奉天城内へ入つて呉れと言つて来るし、愈々蒙古独立の計画を考へた。さういふ工合でこの入蒙は出来たのであります。入蒙は非常に意義ある事であります。私は今後の満蒙に対しても種々の考へを持つてゐる。私も随分忙しくなつて来ると思ふ。それで皆様もその考へで、何時迄も太平の夢を見ては居れぬ。国民悉くが非常な国難に遭遇する事は明かであり、この戦争がなければ治まらぬ、結局愈々これから世界の大混乱になるのであります。
 本年はナンセンス的に言へば西暦で一九三一であり、我が紀元では二五九一であると言つて置いたが、愈々その通りになつて了ひました。地獄の初めは、宗教打倒運動とか、反宗教運動とかが起つて、坊主が極楽を拵へて居るのを倒して地獄にしようとしてゐるのであります。
 世の中の形勢に就ても大正六年の私の雑誌に『金銀為本の政策は天下擾乱の基なり』と書いて置きました。然るに最近世界の金融を司どるもとである英国が金本位制を廃止し、米仏も早晩破れ、やがて日本もその通りやらねばならないやうな傾向であります。
 金銀為本の政策でなければ物々交換をやるかといふとさうでもない、日本には外に方法がある。これは日本の国のみの特権であつて外では出来ないことで、神界の肝腎な経綸であるから今は言はれないのであります。
 今日フランスは二十七億の正貨準備を持つてゐるが、フランスも世界戦争で非常に困つたのでありますが、漁業に目をつけてウンと儲けたのである。魚から得る所の油並に肥料は総ての国の必要とする有益なものであります。次で英米が之に倣つたがフランスに比して少額である。而も目下の処これは五十万噸より世界に出ないのであるが、実際は三百五十万噸要るのであります。
 日本はオホツク海の北に行くと三十万里の漁区があり、そこには魚が一ぱいつまつて居て、之を小口から捕つて行つても十年に一巡りする事が出来ない。之は捕る程魚が出来るのであつて、余り多いと互に喰ひ合つて大きくならないのであります。之を政府の事業としてやれば年に百万噸や二百万噸は訳はなく、全く無尽蔵であつて、年に五十億円や七十億円の収入は大丈夫であります。
 目下ロシヤは日本と漁業区の事で争つてゐるのであるが、之は近い所のもので、私の言つてゐるのはも一つ向ふのものであります。政府のあらゆる事業を民間に譲つて、これ丈を政府の事業とすれば税金を一つも取立てずとも国家の経済は立ち、六十億の借金も一年で直に払へるのであります。今までも私は某方面の人々に話したが危ぶんで実行しないのであります。之を知つてゐるのがロシヤと米国で、米国がアラスカから、ロシヤがカムチヤツカから汽車で取巻かむとしてゐるのはこの漁区を望んでゐるのであつて、日本の貿易を望んでゐるのではないのであります。
 この他にも神様からの政策があつて、之に従へば国民は鼓腹撃壌の祥代を来すことの出来る、日本には特別の神恵があるのであります。しかし今の処は日本は気がつかずポカンとしてゐて、米国とロシヤとが狙つてゐるので、恰もスツポンに尻を狙はれてゐるやうなものであります。
(昭和六・一〇・一八 旧九・八 於大祥殿 同六・一一・五号 真如の光誌)
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