文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3天地自然の大法よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ142
目次メモ
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本文
明治天皇詔曰く、
「斯ノ道ハ実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス、朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」
ああ畏くも皇祖皇宗の御遺訓皇典古事記の明文は、上は天津日嗣天皇が治国平天下の大道より、下は国民が修身斉家の大基本を指示し玉へる、千古不磨の神勅である。
皇国の大道これを皇道といふ。そもそも皇道は高道である。皇道の霊徳を形容讃美する時は、その高きこと究極する事が出来ませぬ。皇道また広道と国音相通ず。その広大無辺なる事は、測知する事が出来ませぬ。皇道また光道に通じ、厚道に通じ、公道に通じ、その厚きこと定め難く、その高き事は九天の上に位し、卓然としてその意識に超絶し、その広きこと大洋も比すべからず。渺茫として人の観測の外にあり。その厚き事は地の団々として坤徳を保が如く、克く造物を容るるに足る所の神明の大道であります。しかも皇道なるものは、国民一般に遵守尊重すべき天下の大道であって、かの神仏耶の各宗教教法の如き私設の道ではない。皇道の光は常に煌々として宇内六合に照徹し、過去現在未来に一貫し、天道の本意ここに存し、地道これに当り、人道の本源ここに発生するのであります。
皇道はもと天地自然の大法であって、大虚霊明なるが故に無名無為である。実にスミキリである。故に天津日嗣天皇の皇室を中心として団結せる大和民族の当然遵守すべき公道であって、天地惟神の大経たるが故に、かの宗教教法の如く人為的の教ではなく皇祖天照皇大神の神勅に源を発し、歴代の聖皇これを承継し玉ひて、天武天皇の詔せ玉へる如く「斯乃邦家之経緯王化之鴻基焉」である。これを一国に施せば一国安く、これを万国に施せば万国安く、一家これによって隆え、一身これによって正を保つの大経である。
上御一人としては、万世一系天壌無窮の宝祚を継承し皇祖皇宗を崇敬し、大日本国に君臨して、世界を統治し以て皇基を鞏め給ひ、下臣民の翼賛によりて、国家の隆昌とその進運を扶持し玉ひ、しかして祖宗の恵撫愛養し給ひし所の忠良なる臣民を親愛し、以てその福祉を増進し、その懿徳良能を発達せしめむ事を期し玉ひ、臣と倶にこれを遵守し、拳々服膺して、その徳を一にせむことを庶幾はせ給ふ所の御道たることは明治天皇の大勅語に示され給ふ所であります。
下臣民としては皇祖天神地祇を崇敬し、皇室を尊び、祖先を鄭重に祭祀し、かつ祖先の遺風を顕彰し、克く忠に克く孝に、義勇奉公の至誠を以て天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、国体の精華たる公道を体して、億兆その心を一にし、拳々服膺して、以て克くその徳を一にせむことを期し、必ず実践躬行すべき天地の大道であります。
大量は測るべからず、大度は尺すべからずとは、その容無くその究りなきを以てである。皇道は冲なり虚なり。玄々として、乾天の位の如く、淵乎として万物の宗たり。虚中に電気ありて、自然の妙用を具ふ。虚なるが故に能く他を容れ、能く他を化すのである。名は無けれど世と倶に進み、容無けれど時と倶に移りて万教を同化し万法を摂養す。虚中の虚、霊中の霊、神妙不可測の聖道である。
また皇道は神州の精気であって、日本民族の血液である。皇国上代のすべては純朴高雅にして、蒸々たる皇民は、敬神尊皇報国の念深く、その人となりや天真爛漫にしてその行動自然の法規に敵ひ、諸外国の未開野蛮極まる風習と相隔ること雲泥の相違である。これ全く神代以降列聖の皇道を遵奉して、国民の教養に神慮を煩はせ玉ひし、御余光に外ならないのであります。