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文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3出口王仁三郎氏に挙国更生を聞くよみ(新仮名遣い)
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ページ594 目次メモ
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本文 出口王仁三郎氏に挙国更生を聞く(一)
出口氏『ホウ、沢山来てゐるの。ハゝわしは此処か』(と椅子に腰を下ろされて)
出口氏『寒うなつたの……足がまだ癒らんで困るわ』
神本『それでは只今から「物を尋ねる会」を開かして頂きます。今度「昭和」一月号を挙国更生号としたいと思つております。この秋から挙国更生運動を全国的に行ふといふ事になつて居ります。就きましてはこれ等の指導に任ぜられる本部の主な方々に於かれても十分挙国更生の真意義を会得しておいて頂く必要があるので、今夕は「昭和」誌の編輯責任者と挙国更生運動の指導者の方々に集つて頂いて、総裁を囲んで御教示を仰ぎ速記録を「昭和」誌に発表し、読者の羅針盤とし全同胞八千万の燈台とも致したいと思つて居ります、挙国更生と申しますれば随分其範囲が広汎でありますので、各部門に分けて御話をお願ひしたいと存じます。尚時間が許しましたならば、その他の事柄に対しても御教示を仰ぎ度いと考へて居ります。政治、宗教、思想、経済、教育、法律、軍事(陸、海、空)国防、衛生、或は言語等、色々な方面に就いて皆様の御伺ひしたいと思つてゐられます事を、忌憚なく聴いて頂いて、それに対して、総裁の御解説を頂き度いと存じます。どうか宜しく御願ひ致します』
出口氏『挙国更生といふ事は今度初めて云ふけれども、大本の御筆先にある様に、明治二十五年から更生運動が始まつて居る・それで、政治、宗教、教育、芸術一切の立替ヘ立直しを、明治廿五年の旧正月から神様が叫ばれて居る。でこの更生といふ事は更に生れる、新しく生れる、新しく生きる、改めて生きる等の意味である。又生活を改める、変更の更であつて、今迄の一切の誤つて居る、矛盾した所の事を根本的に元へ、本当に惟神の道へ戻して生かすといふのが更生運動であつて、今迄の宗教は一切この自己の事計りを説き、又偶には蛍火の様な光りを放つて社会的の事業も義務的にやつて居るけれども、これは世間で色々坊主の生ぐさとかなんとか云はれるのを避ける為に、世間の耳目を糊塗する位のものであつて、真劔な活動をやつてゐない。宗教にも偶には国体を説いてゐるのもあるが、これは只規則の上、教規の上に於いて書いてある丈で、其実其主脳者に国体のなんたるかを知らぬ者が大部分である。××教や××教、××教、××教の如きは国家観念といふものは少しもない。
 それは表面では少し位云つて居るのもあるが、本当に信徒に向つて説いて居る所は、只下手な倫理学に神様をそこへもつて行つて煉薬を拵へて教を説いてゐる丈で、其中には仏教の説もあり、基督教の説もあり、儒教の説も入つて居るといふのであつて誠心誠意神の道を説いて居るものは一つもない。どうしても日本の皇道、所謂神道は宇宙に瀰漫して居る所の道を説くものである。其故に皇道とも云ふ。皇道は統ベる道である。
 此根本の教といふものは明治維新後神道宗教が出来、色々と当局者もやつて来たけれども本当の精神を失つて了つて今日の様な腐敗、堕落した世の中になつて了つたのである。それが為に経済も行詰り、政治も行詰り、教育も行詰り、芸術も行詰り、一切のものが行詰つて、恰度御筆先にある「石で手をつめた」といふ様に行きも戻りもならぬと云ふ様になつて居る。これは何であるかと云へば、矢張り日本皇国の道を忘れて、極浅薄な上皮計りの伏見人形の様な、表向きは立派で裏に廻ると素焼の土がその儘である。かういふ様な見掛倒しの香具師計りに幻惑されてやつて来たが為に、かういふ時代を招致したのである。これは神様が前以てさういふ事は御存じである。明治廿五年頃には腐敗したとは云へ、日本魂も今より余程しつかりして居り、生活状態も質素であり、政治も緊張して居り、宗教も謹慎して道を説いて居つたのである。けれどもその時代に今日の事を先達をして云はれたのであるから、その明治廿五年頃に更生するのではなくて、御筆先は明治廿五年に書いてあるが、今日の状態が書いてあるのだから、恰度今日から更生すればよい時期である。
 更生運動をやる事は、これは一々政治がこうである、宗教がどうであると細かくは云ふ訳に行かんけれども今日の状態を見れば大抵分つて居る。一切万事、全部更生して行けばよい。みんな誤つて居るといふ事丈は確かである。今更生運動をやるといふ事は政府の仕事に関する事や、また時期の事やらあつて、余り今から云つて、その筋の御機嫌を損ふ様な事も出来て来るから、その事は云へないが、第一金銀為本の政策といふ事がこの世の中に災してゐる。日本の国は──外国は日本の様な万世一系の天立君主がないが為に勢を得ば君となり、或は主権者になるが、勢を失へば奴となり、家来となる。或は殺されて了つたりする。さういふ様な殆ど畜類に等しき政体をもつて居る国であるから、どうしても、金とか銀といふ様な形のものがなければ皆承知しない。けれども我が国は万世一系の神様直々の御系統の陛下が居られるのであるから、これより世の中に尊いものはない。神様が世界で一番尊い。その御系統であり、直系であるから陛下より尊いものは他にない。その陛下の御稜威といふものを元としてやつて行つたならば、日本の国は総てが──経済なんか心配はいらない。明治維新の時に兵馬の権を陛下に国民が奉て、愈々日本の国は強くなつて来たのである。けれども戦争を起さうと思へば第一金が必要である。この経済の全権を陛下にお返しせなんだといふ事が今日の災をなして居る。日本銀行でも、陛下の銀行であれば外国に色々な事を云つて内兜を見られなくても、自由自在に国運の発展が陛下の御名により御稜威によつて出来るのである。それでこれに就いては私も卅年間叫んで来たけれどもその時代の当局の忌諱に触れたりなんかして、はつきりと書く事が出来なかつたが、矢張り今日はそこ迄更生せなくては日本の国の皇祖皇宗の御遺訓通り、隆々として大八洲の国を安国と平らけく治める事が出来なくなつて居るのである。
 先づ一番がけに更生すべきものは経済の根本更生である。経済が豊でなかつたならば、宗教が何程あつても、これを聞く所に行かない。それ丈の余裕がないのである。だから人心は益々悪くなつて来る。政治家も経済の為に精神が悪くなり、悪化して来るのである。経済の根本を誤つて居るが為に、芸術家も心が卑くなつて、本当の芸術品が出来ない。第一自分の生活問題が頭に入つて居るから、昔の様に名作は出来ない。絵を書いても、彫刻をしても、何をしても、それは経済を度外視して、趣味一方でやる事が出来なくなつて居るから、碌なものが出来ない。
 その他農業で云へば──今迄の農業といふものは日本人の戸数の少ない時で、地面の沢山ある時の、何百年、何千年前からの、農業を踏襲して、年に一回で差支ヘなかつたが、今日の人口がこれ丈殖えて来てゐる。人口が殖えて却つて不毛の土地が沢山出来る。家を余計建てゝ行けば、そこに物が出来なくなる。そして喰ふものは余計必要が起つて来る。これはどうしてもその儘にして居つたならばいかんから、矢張り二度作をやる。一年に二度取る、三度取るといふ事を考へねばならぬ。陸地に稲が出来なかつたのもこれは陸地に稲を作る様に水田と同じ様に作つたならば山や畑に稲が出来る様になつて来る。更生といつても日本は農が国家の大本であるから農業から更生せねばいかん。で農は国家の大本であると共に、皇室が国家の大本であるのである。何故かと云へば大甞会の時にも、天皇自ら稲をお作り遊ばされる。皇后陛下は蚕を飼つて、機を織られる。これは農業の型を示されたのである。天照皇大神以来農業を以て国を建てられたのである。農は国家の大本といふ事は、皇室の大本であるといふ事である。農業といふのは皇祖皇宗が教へられて、皇室に伝はつてゐる所のものである農業がなかつたならば日本の国民及び世界の国民は一日も命を保つ事が出来ぬ。それから今日は生活費が沢山要るといふけれども、これは自分等の若い時分から云ふと非常に贅沢になつて居る、百姓といふものは働いても働いても麦飯が──麦飯だぞ、──喰へなかつた。現今では一日が十銭位にもならない。わし等の子供時分には一年を平均すると一日に八厘位しかならなかつた。それでも大根の葉を入れたり、赤葉を入れたり草も混ぜて喰ひ、喰へるものは木の葉も喰つて、そこに麦飯を入れてやつと百姓が生命を保つてゐた。それでもウンともグウとも云はず、其が為に又死ぬ者もなく、痩せ衰ヘるものもなかつた。今日は世の中が文明のお蔭で非常に結構になつてそんな事はせなくてもよいけれども、もう少し生活費の倹約といふ事を考へ実行する事が、これが第一更生だと思ふ。農家を更生させるには取入れの事を考へる事も大切だが、冗費を省くといふ事が非常に大切である。一方には収穫を多くする事、一方には冗費を省く事を考ヘたならば、農村の更生は数年の間には幾分かよい方に向ふと思ふ。個人の家で云つても貧乏になるのと金持になるのとの境はどこにあるかと云へば只一日の事である。明日働く金で今日喰ふ人は貧乏である。昨日働いて得たものを、今日喰ふ人が金持である。それ丈で金の延びる者と延びないものが出来る。
働かん先に明日働くものを今日喰ふのは、これは貧乏になる分水嶺である。昨日働いたのを今日喰ふのが、これが金持になる分水嶺である。なんでもない。一寸の心得様で、どうでもなつて来ると思ふ。此の更生運動もさういふ小さい所にあると思ふ』
鴛海『政治の所で御話を承はり度いのですが、今日の金融資本家を背景にする独裁政治が天皇親裁政治に移る過程──移り方はどんな風になるのでせうか』
出口氏『そんな事はチヨツト云ヘんわい。これは手のひらがかヘると云つて置けばよいな。お筆先にも「手のひらがかへる」と書いてある。これは雨か風か、さもなければ地震かじや。それで出て来んと解らない。人間の頭が鈍重になつて居るから、吃驚する事が出来て来ると、変つて来る。「ひつくりかへる」といふ事は「びつくりかへる」といふ事である。だから吃驚する事が出来なければならない。然しな、或る時代には資本家も必要があるのである。これは愈々今から金が要るといふ時に、あつちこつちの零細な金を集めてゐるといふ事は出来ない。そこで固まつたのを資本家から出さして仕事が出来る(笑声)一所に集めて置くといふ事は、今日の様な過渡時代に於ける神界の経綸だらうと思ふ。俄にまに合はんからな。皆が同じ様にもつてゐて「お前もこれ丈出せ、そしてお前の方もこれ丈」……と云ふのだつたら手間が取れて叶はんからな」
神本『日本の宗教の更生といふ事に就いて、先程皇道──惟神の大道といふ事に就いて御話下さいまして判らして頂きましたが、少し気持が小さいのかも知れませんが、日本ではもう外から伝はつて来た教は、日本人には要らぬと、この頃強く感じますが、どんなもので御座いませうか』
出口氏『それはな、国家意識のない宗教は自然消滅しなければならぬ。今に神の政治になつてくるから、これは自然に自滅して来る、国家意識のないものは人間が相手にしなくなる。皆が更生すればさう成つて来るが、然しそれをやつつけて了ふのはいけない。一人あればみんなついて来る。大本も今は沢山ゐるが、元は教祖さん一人だつたからな。一人が八ケましく叫ばれた事がかうなつて来るのだから、矢張りこれは一人でもよいが、これ丈の団体が出来て、それが叫ぶといふ事は大変な力である、大変な効力がある事だと思ふ。愛善会を唱導して居つて余り外の宗教がどうだとか、かうだとか云へないけれども、国家意識のない宗教は総て何教によらず、日本に於ては成立しない。自滅する事は定つて居ると信ずる』
神本『この頃大変日本人自身が目覚めて来たと共に、外の宗教を信じて居ると、その国には矢張り頭が上らんといふ様な事がありまして、頗る不都合な事が多い様で……』
出口氏『矢張り然し、人類愛の上から見ても、世界に対する所謂人類愛と、国家に対する愛と、郷里に対する愛と、家族に対する愛と、個人に対する愛といふ様に、段々小さくなつて来る。日本国民としては国家に対する愛が必要であり、又広汎的に云へば世界一般の人間に対する愛が必要である。焦眉の急を要する問題として一番どれが主であるかと云へば、自分の祖先の墳墓の国である。これを愛するのが一番急務であり、大切な事であると思ふ』
神本『吾々としてはこんな気特をもつていゝかと思ひますが……。世界宗教聯合会も出来て居まして、日本人としては外の宗教を指導してやらねばならぬ立場にあるから、その指導する必要上、外の宗教はなくてもいゝと思ひますが……』
出口氏『国家意識のある宗教といふものは知識階級──魂の向上した人でないと分らん。牛に米計り喰はしたら腹を壊して死んで了ふ、馬には馬の食物があり、猫に猫の食物があり、人間には人間の食物がある。恰度霊魂の食物といふものがそれと同じで、米を喰ふ人種には米が必要であり始終麦計り喰はされたり、野菜計り喰はされて居れば、たとヘ瑞穂の国の日本人でも、俄に米を喰ふと腹が下つたり脚気になつたりする。それはさうした生活になれきつて居るからそんな結果が起るのである。雪隠虫は糞壷の中に住んで居つて、それに安心し、満足して居る、それをあんな臭い所に置いてをくのは可哀想だと言ふので、米の中に雪隠虫を入れてやつても直ぐに死んで了ふ。天国にも第一、第二、第三の段階がある如く、身魂相応である。矢張り人間の霊魂にも階級があり、信仰の程度にも階級があつて、俄にそんな事をしても死んで了ふ。それはその宗教で安心して居り、それを信じて居つて成仏するから。今も云つた様に雪隠虫から糞を取つて了ふと死んで了ふのだから、糞でもなんでもよいから人類愛の上から助けてやらねばならぬ』
鴛海『近頃ギヤングとか五、一五事件といふ様なものが頻々として起り、将来も起ると思ひますが、かういふ風に帝国の治安が乱れてから、これに対しては独裁政治といふものは発展する見込があると思ひますが』
出口氏『これは仁者──勇智愛信の揃つた英雄が出て来たら独裁政治でよい。が然しおかしな者が出て来て独裁政治をやらうものなら堪らない。なほひどい事になる。殷の紂王といふ様な具合になつて来るとなQそれに日本は陛下の独裁政治であるから、其外の中途半端の奴が色々な事をやつて居るけれども、元に返しさヘすれば独裁政治になる。例ヘば議会の開会式に「朕ハ国務大臣ヲシ××××ノ事ヲ提出セシム、爾等慎重ニ審議シ朕ノ意ニ具ヘヨ」とかういふ御詔勅を賜まつて居るのに多数決によつて否決する様な不臣行為がある。これが正に違勅である。これ丈乱れて居るのである。神代の議会は今の議会と違つて主権者が色々な問題を出される。「これをかうせい、あれをどうしてくれ」丈である。それをどうしたら最善の方法でよく出来るかといふ事を審議するのである。今日のは根本から間違つて居る。それをひつくりかへして居る。これは非常にわしは或る意味に於ては──法律はどうか知らんけれども──違勅になると思ふ。兎も角日本の国は実際云つたら天立君主の国であり、陛下の知食す国であり、独裁の国であるけれども、あゝいふ西洋の風が入つて来てこんな状態が現出したのである。憲法に於いても陛下の御意志に叛いた決議をする時は直ちに解散といふ罰を喰ふ事がある。解散を喰ふのは陛下の御怒りに触れた事になつて居る。それだから皆が更生したらよい。本当の日本に帰つたらよいのである』
神本『御筆先に「今の様なやり方を続けて居たならば、先には警察の云ふ事迄聞く者は一人もない」といふ事が出て居りますが、あれは法律の改正といふ事に解していゝでせうか?』
出口氏『何もかも立替へる、法律も変ヘると書いてある』
神本『法律の一番理想的なものはどういふ風になればよいのでせうか』
出口氏『それはな──兎も角日本は徳治国であるのに、法治国にして居るから。──余り法律による国は治らない。三ケ条の法律で思ふ様に治める様にならなければならぬ。昔の法律は三種の神器が法律であつた。玉は陛下で、悪い者は剣をもつて打懲らす。又弱い者は剣で守つてやる。そうして鏡の如く綺麗な心になれ。──これが法律であつた。この三種の神器が法律であつた。それが今では色々な法律を造り、その法律を又潜る者が出て来るから、又新な法律が出来るといふ様な具合で、今日の様な尨大なものが出来上つたのである。これはどこから来るかと云ふと、教育が悪い、国体教育がしてないから。それから神といふ事の観念がないからだ。法律を作らんでも、各々に徳義を重んじて、天を畏れ陛下を尊ぶ様に成つて来たならば、こんな法律は要らない。さうすれば皆が各々愛善の心になつて来る。人間は誰でも生れ乍らに愛善心や善良なる心をもつて居る。猫でも黙つて鰹節を盗んだ時には逃げよる。鼠を取つて来ると家の手柄をしたといふので、大きな顔をして家人の前へ持つて来て褒めて貰つて喰ひよる、あんな動物でさえも善悪の区別はよく知つてゐる。
 法律といふものは道徳の最低率を制限したものである、法律の中には善を勧めるといふ事は一つもない。こういう法律であつたならばいけない。徳教の入つた法律でなければ駄目だ。どうしてもさういふ風に変へねばいかん」(以下次号)
(「昭和青年」昭和八年一月号)
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