文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第3節よみ(新仮名遣い)
文献名3第3節 昭和神聖会台湾地方本部・台北支部発会式に於る挨拶よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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本文
昭和神聖会統管出口王仁三郎氏
昭和十年三月十二日於台北鉄道ホテル
拍手。
我々の神聖運動なるものは政党政派の拡張でも無く、又、宗教の延長でも無いのであります。本会は既に発表致しました如き、主義、綱領、宣言に基く処の日本固有の皇道によりまして、新しき日本を産み出さんとする処の運動であります。
畏くも明治三年正月三日、明治天皇が下し賜はつたる大教宣布の詔勅を拝しますと、
『朕恭惟天神天祖立極垂統列皇相承継之述之祭政一致億兆同心治教明于上風俗美于下而中世以降時有汚隆道有顕晦矣今也天運循環百度維新宜明治教以宣揚惟神之大道也因新命宣教使布教天下汝群臣衆庶其体斯旨』
と、かく有難き詔勅を我々国民に賜つたのであります。明治維新の天業は此の御詔勅の精神により駸々乎として旭日昇天の勢で、進展して参りましたが、明治四年の末つ頃より、海外の文物制度が輸入さるゝにつれ、個人主義自由主義の思想が我が、国に流れ込みましてより、折角の明治天皇陛下が国民に賜うたところの御詔勅の精神は、次第々々に薄らいでしまひ、行はれなくなつてしまひまして、明治五年、早くも神祇官が廃され、明治八年には、此の皇道宣布の機関たる教部省迄も、廃止されるのやむ無きに立至りました。其処で神仏合併院たる大教院を興され、又皇道の宣布に従事せしめられつゝありましたが、之も間も無く、外来思想の為に廃止されるに立ち至つたのであります。若も此の御聖慮にして、今日迄行はれて居りましたならば、現在の如き海外に行き詰りもなく、超非常時も無く、又、我国の超非常時なるものも招来しなかつたと思ふのであります。何故なれば此の道は古今に通じて誤らず中外に施して悖らざる天地の大道なるが故であります。今日は実に、我が国にとりましては非常なる難局に立つて居りまして、其の中にも、政治、宗教、教育、思想、国防、外交、色々ありますが、最も憂ふベきものは、思想の混乱であります。我々は、此の思想の混乱を鎮定なし、一つに統制するには、どうしても皇道精神でなくてはならない事を固く信ずる者であります。
畏くも、一昨年三月二十七日の御詔勅を拝し奉りますと、
『方今列国ハ稀有ノ世変ニ際会シ帝国亦非常ノ時艱ニ遭遇ス是レ正ニ挙国振興ノ秋ナリ爾臣民克ク朕ガ意ヲ体シ文武互ニ其ノ職分ニ恪循シ衆庶各其ノ業務ニ淬励シ嚮フ所正ヲ履ミ行フ所中ヲ執リ協戮邁往以テ此ノ世局ニ処シ進ミテ皇祖考ノ聖猷ヲ翼成シ普ク人類ノ福祉ニ貢献セムコトヲ期セヨ』
と、かく有難ぎ御詔勅を、再び我々国民に賜はりました。我々は国民として、此の詔勅を拝しましてより晏如たるを得ず、六十五才の身を起し青年となつて、昨年の七月二十二日、東京の九段坂の下の軍人会館におきまして、神聖運動の呱々の声を挙げましてよりは、東奔西走南船北馬、殆ど文字通りに、津々浦々を巡回致しまして、皇道精神の徹底に務めてまゐりました。幸にして、地方の本部の数は二十四箇所に及び、地方支部の数は三百余箇所、会員及賛同者の数は八百万を越えんとする盛況であります。御当地に於きましても、此処に本部、並びに支部が、設置されました事は、皇国の将来の為に、実に慶賀の至りに堪へない次第であります。我々は此の時局に処して、新しき日本の誕生の為に一身を捧げて活動を始めました以上は、不退転の信仰を以つて、何処迄もやり徹す覚悟であります。如何なる艱難に遭ふも、妨害に遭ふも、狂乱怒濤がおし寄せて来るとも、たゆまず屈せず、勇往邁進し、必ず主義綱領宣言にある通り、所期の目的を達成しないでは止まない覚悟をもつて起つて居ります。どうか満場の諸君!!我々の微衷を御推察下さいまして、我々の運動をして、有終の美をさしめるべく、十二分の御指導と、御援助を賜はらん事を希望致します。
甚だ簡単ながら、之を以つて本日の御挨拶と致します。拍手
(「講演集」所収、昭和神聖会編)