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文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名31 誕生よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B100600c01
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本文  天保七年・八年という年は大飢饉年であって、連日土砂降り雨で作物はことごとく水浸しとなり茎は腐り葉はただれ、収穫皆無という悲惨な状態で、およそ食べられそうなもはみな食い尽くされて、しまいには畳表までも煮て喰ったほどです。金銭を持っていても買うべき食物がないで、みすみす小判をくわえたり、千両箱を枕にしたまま餓死するもがあったということです。
 こ大飢饉は日本全国にわたったもで、ために諸方農民が蜂起し、大阪では、か大塩平八郎乱が引き起こされました。それが天保八年二月出来事です。
 徳川時代末期は風俗紊乱し無秩序な性享楽からくる「減児」が公然と行われていました。こ堕胎行為に対する正しい判断力が麻痺していた上に、打ち続く水害凶作にブッつかったこととて、おびただしい可憐な赤子が闇から闇へと葬られました。
 丹波国福知山に桐村五郎三郎さんという方があって、家伝大工を業としておられました。以前は苗字帯刀御免御上大工、郷宿を兼ねて立派に暮らしておられましたが、五郎三郎さん代になって不幸つづきため家屋敷は売り払い、小さな家に住まっておられました。
 こ五郎三郎さん夫人は綾部町出口惣右衛門さん娘おソヨさんという方で、夫婦中に二人子が生まれ、天保七年飢饉真最中に三人目子が懐胎しました。
「こんな時に子供が生まれては乳も思うように出ないだろうし、みすみす子供を餓死させるようなもだから、可哀想ではあるが、背に腹は代えられぬ、いっそこ際堕胎した方がよかろう」
という話が夫婦間にひそびそ相談されていたところが、たまたまこ話が隣室におられた姑タケ子さん耳に入りました。タケ子さんは非常に腹を立てられ、
「折角神様から授った子供を生計ができぬからとて、闇から闇へと堕胎すというは実に浅間しことだ。昔から非常時に生まれる子は出世をすると云い伝えられているし、こういう年にお産をするもきっと何か因縁であろう。老先き短いこ婆が身に代えても育てるから、そ話はどうか思いたってもらいたい」
と熱心に反対されたで、堕胎一件は中止となりました。
 呪われた天保七年も暮れんとする十二月十六日朝。丹波山々が曙光りにほんりと染め出された頃、開祖・出口直子刀自は元気な産声をあげられました。
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