文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名37 浮かれ節よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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OBC B100600c07
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御結婚当時の出口家は相当な暮らしで、結婚早々新築までされたくらいでしたが、前述のように政五郎さんの極めて無頓着な性格のために、家計は追々ひっそくいたしまして、開祖様はそれはそれは一方ならぬ御苦心をなさったのです。借金はますます増えるし、ついには住みなれた家屋敷を売って借家へ入られました。
やがて小さな飲食店を開業され、かたわら饅頭の内職をはじめられましたが、夜分には四女・竜子さんを背中に負い、末女の二代様をふところに入れて、四升の米を石臼で粉に挽かれるのが毎日のお仕事でした。出来た饅頭は三女の久子さんや、次男の清吉さんが箱に入れて売りに歩かれました。
政五郎さんはと申しますと、相変らずお酒は召し上がる、芝居や浮かれ節は三度の御飯よりもお好きで、開祖様に弁当を詰めさせてはプイと家を出てしもうという有様で、ある時は綾部の町を軒別に回って歩く浮かれ節が面白くて、どこまでもそのあとをついて回り、町だけでは済まされずに村々まで追いかけて、二十日間も家をあけられたことがあったそうです。
こういう風でしたが、開祖様は非常に夫を大切にされ、どんな無理な云いつけでも素直に聞かれ、子供を養育しつつ夜の目も寝ずに働かれ、昼は昼で身を粉に砕いて生活難と戦われ、夫がたまたま普請などに行かれる場合には、一緒に行って壁下地やら瓦持ちやら、土運びなどをされたことも珍しくありませんでした。
このように家計は苦しかったが、家庭の和合は近所の模範でした。また裏の畑にいろいろな野菜を作り、芝居が来ると弁当をこしらえて持たせてやるのが嬉しくて、政五郎さんの帰幽後も時折、
「世が世であれば、四斗樽を買うておいて飲ませてあげたいといつも思うた」と述懐されていました。