文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名39 紙屑買いよみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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開祖様はこれまでのようなやり方では、到底一家の糊口をしのいでゆくことはむずかしいので、比較的資本が要らずに利益の多い商売をお考えになった。それが紙屑買いボロ買いという商売です。
紙屑ボロ買いという商売は、御承知の通り外へ出て働かねばならぬ商売ですから、病人と子供を内に残してお出掛けにならねばならなかった。開祖様は、いつも必ず病床にある夫に向かって、
「何なとお好きな物は御遠慮なくおっしゃって下さい、何でも買って参りますから」
と云われて、夫の望まれる品はどんな無理をしてでもきっと買って来ておあげになりました。ですから、ついにはさすがの無頓着な政五郎さんも、開祖様の情けがしみじみと身にこたえたと見え、
「私はたしかに罰が当たったのじゃ。これまで、余り仕放題、気随気儘ばかりして居った報いで神罰が当たったのじゃ。それを恨みもせずに大切にしてくれるお前の親切を考えると、勿体のうて涙がこぼれる」
と云って、いつも商売に出て行かれる開祖様の後ろ姿を、病床から伏し拝まれたそうです。
あるとき看病しておりました三女・久子さんが、開祖様の御苦労を察して、
「お父さんもあんなに生きとってよりは、いっそのこと死んじゃった方がええのになあ」
とつぶやかれますと、開祖様は日頃の温顔にも似ず、襟を正し恐ろしい顔をされて、
「お前は何という勿体ないことを云うのじゃ。世界中鉄のわらじで捜し回っても、お前のお父さんという方は、この病床に寝てござるお父さんより外にはない。病人は看護が第一である。看病する者がそんな気でおっては直る病気も直りはしない。お前は看病に飽いたかも知らないが、私はまだまだお世話には飽いて居ない。いやそれどころか、どうしたらお世話がし足るかということばかり心配して居るのだ」と云ってきびしくおしかりになりました。
久子さんはそれほどでもありませんが、頑是無い竜子さんと澄子さんは、開祖様が商売に行かれたお留守中は、淋しくて一日がそれはそれは長かったことを今もって覚えていると申されています。開祖様がお帰りになられませんと夕飯の支度が出来ないので、お帰りが遅い時は、夜になっても御飯も食べず、二人が抱き合って寝床へもぐり込み、空腹のまま泣寝入りに寝入られることも少なくなかったようです。
明治二十年、開祖様五十二才のお正月の如きは、他所の家では皆お雑煮を食べて居るから、うちもお雑煮が食べたいと云って、無心な子供からせがまれましたが、そのお正月のお餅さえ、買って愛児に食べさせることができませんでしたので握飯を拵えて、お雑煮の代わりにされたということです。
毎朝久子さんが草粥のようなお弁当をこしらえて開祖様に渡されますと、
「私は要らないから、お前達おあがり」
と云っていつも置いて行かれました。置いて行かれないときは、外で遊んでいる当時六才のお竜さんと、四才の澄子さんにソッと与えられました。御自分では何も食べずに商売に出て行かれるものですから、普甲峠という急坂にさしかかった時、雪は降るし腹は減って来るし、峠は大きいし往くことも戻ることも出来なくなり、ついに谷底へ落込んで飢と寒さで死にかけられたところをやっと通りがかりの人に助けられたこともあります。
夜は子供達を寝させてから、買って来られた紙屑やボロの整理をされて、夜の目もロクロク寝ずに一心不乱の御活動をなされました。