文献名1暁の烏
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3(二)顕幽出入自在よみ(新仮名遣い)
著者井上留五郎
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前述の霊眼だけでも非常に便利でありますが、さらに随時霊界に入って直接見聞することが出来れば、ますますその能率が完全になるわけであります。聖師様の精霊に自動的にこの現象が起こったのは、大正十二年大本春季大祭の前でありました。(高熊山ご修業のときもそうでありましたが、この時は神様より否応なくさせられたのであって、いわゆる他動的であります)その時の状況をかいつまんで申し上げます。
早朝でありましたが、聖師様危険状態との大本よりの急務に接し、周章て駆け付けたところ、聖師様はお床の中で煙草を吹きながら十五、六人の人々とお話をしておらるるので何が何だかサッパリ判らなかったのでありましたが、聖師様より「今霊界へ行って来たところだ。様子が判らぬから皆が心配したとみえる。しかし参考のため一度診察をしておくがよかろう」と種々説明していただいて、始めて顕幽出入の始まったことが判ったのであります。その後ほとんど毎晩霊界行きがあって、多い晩には二、三度もあったのであります。その際における聖師様の自覚的状態としては、最初身体が非常に軽くなりちょっとした空気の動揺にも空中に浮揚する感じがするので、ご自分でもシッカリと布団をお掴みになり、そしていつも宇知丸様にだけお手を握りしめさせておらるる間に、精霊は霊界へ上らるるのであります。他覚的には先ず脈が次第に緩徐となり、呼吸もこれと伴い、後には脈拍呼吸共に暫時休止してしまうのであるが、ここに矛盾せることは、お顔色は鮮花色となり何か面白い愉快なものを見ているというご容子であって、霊学上の見地からでなくては全く信ぜられざる不思議な溶体であることは、私以外二、三の医師も実験しているところであります。当時高熊山参拝後、亀岡において初めてこの現象を見た信者諸氏の如きは、泣くやら叫ぶやら大騒ぎをしたほどでありました。
初めはかなり長時間で十五分も二十分もかかりましたが、だんだん圧縮され熟達され、その歳の末頃には人と面談中にでも或いは途中でも霊界行きが自由となり、この際よほど注意しておらねば他覚的には判らぬほどになったのであります。
この顕幽出入について当面最もご便利であり、また私どもとしてお懐かしく感ずるのは、随時開祖様と直接ご面談が出来るようにおなりになったことであります。
だいたいこの顕幽出入(交通)は、生死の真理、死後の状態を会得し、生命の執着心がなくなれば誰にでも出来得るのであって、この域に到達して初めて神様のため世界人類のためには身命を惜しまぬ底の言行一致が出来るのであると、説示さるるのであります。現に信者ではないが東京後藤某氏の如きも顕幽出入が出来るそうであって、心霊研究家の好材料となっております。また場合によっては肉体も共に行くことが出来ますが、しかし精霊だけで充分でありまして、むしろ人としてはこれが本当であります。かく霊界行きの際その人自身には自分が精霊だけであることには無論気が付かないのであります。
未だ霊界の存在に気付かぬ人々は、荒唐無稽の憶説として一笑に付し去るでありましょうが、しかし人が失神仮死に陥りた際、種々なところを見聞したという実例は、よくあることでありまして、これはその人の精霊が一時霊界行きをしていたためであって、その真相は霊界物語に詳述してあるところであります。霊界の消息が判れば顕幽出入は不可能でないことが、誰にでも気付かるるのであります。太古の黄金時代にはこれが極めて容易であり、普通事であったと承りております。