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文献名1二名日記
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名35月13日 於沖洲支部よみ(新仮名遣い)
著者家(出口王仁三郎)
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-08-19 19:23:35
ページ71 目次メモ
OBC B117500c09
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本文の文字数2972
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本文  朝早くより天晴れ地澄み風そよぎ陽はうららかに阿波国原を照して、吾出で立ちを守るが如く思はれぬ。午前九時十分自動車三台に分乗して国幣中社天之日鷲命を祀りたる勢見ケ丘忌部神社に詣で行く。数百階段、息もせきせき上り詰むれば、当社禰宜、白衣を着用して吾が参着を待ち迎へ居ませり。無言礼を交はしつ大鳥居前に進めて当社主典狩衣を着け、祓戸席を設け、大幣を手にして待構へ居たり。然れど峻坂を刻み上りたる吾身には、呼吸促迫動悸昂進して直ちに神前に祝文を唱ふる事難ければ、一先づ勢見貴賓館に入りて休憩する事とはなりぬ。東北阿波平野は限りなく展開し、風景美はしく、原野を劃する二條水流は一入眺めにして、恰も草山より台北原野を瞰下する思ひありき。東方は勝浦川、西方は吉野川本流にして、河面水は太陽に照り映えて銀河如く、二川流、海辺近く合するあたり美はしさ、暫時吾を忘れて見惚れたり。名にし負ふ阿波鳴戸川口真帆片帆行き交ふ眺めはいと珍らしくして、心魂を洗ふ思ひありき。禰宜案内にて中門を潜り玉串を大神に献り、宣伝使信徒等異口同音に大本祝詞を奏上し終るや、宮司大木清人氏に案内されて、再び貴賓館に入り、一服茶や菓子饗応を受け、大木宮司より、親しく神社由緒や淵源を聴かされ、参詣者名簿に吾名を記入し、次で大前に立ち吾小照を撮り、重ねて一同と共にレンズに向ふ。太陽は晃々として大空に暉きたまひ、単衣身にも汗 瀧如く流れ落つ。やがて宮司其他神職に厚く礼を述べ、好意を謝して袂を別ちぬ。

午前九時過ぎて分所を出立し忌部神社に詣でてぞ行く。
数百階段上り勢見山国幣中社大前につく。
階段を上れば左側岩壁に霊鷲像現はれてあり。
大前に幣帛料を献り禰宜案内で中門に入る。
玉串を榊御前にたてまつり謹み一同太祝詞る。
貴賓室案内されて茶を呑みつ阿波平原見おろす清しさ。
吉野川 勝浦合ふあたり風光一入妙にかがやく。
参詣者名簿に吾名を署名して後記念となしにけるかな。
大木宮司忌部神社起原などいと細々と語り聞かせり。
義経軍勢を見し勢見山に国幣中社建てられしとふ。
大前に立ちて小照とりにけり阿波に渡りし永久記念と。
大鳥居前に宣信一同と再び記念小照をとる。
神苑ゆ西南空ふさぎつつそびゆる眉山眼新しきかな。
大瀧山も眉山につらなりて常磐山姿現はしにけり。
裏坂を下りて名高き金刀比羅庭へと進みけるかな。
金刀比羅望楼より徳島市見れば国秀かがやき渡る。
金刀比羅階段下れば自動車は三台並びて吾待ち居たり。
徳島市を走せつつ富田川富田橋を渡る凉しさ。
上流に両国橋 新町橋徳島市中に三橋架かれり。
旧城趾猪津山麓公園に進めば千花艶をきそへる。
常磐木茂り合ひたる城山景色は殊更市誇りなる。
市をはなれ田圃路わたり吉野川長大橋を進む愉快さ。
徳島ゆ三里隔てし撫養町に正午十二時着きにけるかな。
十二社前に到れば宮崎氏吾一行を出迎へて立つ。
十二社ほとりに最とひろき競馬場こそ開かれてあり。
もう三町行けば鳴戸海岸と聞けど見に行く時は到らず。
鳴戸鯛 鳴戸若布よさ日本一と誉れ保てる。
土地名物凧大きさは蓆五十枚連ぬるときく。
例年になき此頃時化龍神吾を迎ふるならん。
千年苔生す老松茂りたる宮斎庭に弁当開けり。
宮崎氏庭おもてに児手檜葉一本静に立ち栄えけり。
昼飯を一同座敷や森影に坐して沢山よばれけるかな。
鳴戸鯛其味はひは他とても及ばぬ珍味なりけり。
十二社外陣近く参入し大本祝詞奏上せしかな。
拝礼も首尾よく済みて一同と社前に記念小照を撮る。
競馬場横切り麦生畑縫ふて自動車待てる辻堂につく。
文明橋渡れば撫養田舎町並べる中に天理教あり。
天理教大教会建築はあたりに見られぬ壮観なりけり。
三里余道を苦もなく乗り越えて吉野川なる大橋渡る。
吉野川長さ六百六十間古川橋荘厳なるかな。
助任橋渡れば猪山公園地樹々緑さやけし。
午後四時沖洲町に自動車を乗り捨て沖洲支部に向ひぬ。
支部長を始め宣信数十名吾行待ちて路傍に立てり。
支部に漸く着きぬれば酔ひしれし人吾道塞ぎぬ。

 勢見山忌部神社を後にして、憧憬阿波徳島市中を車上馳走しつつ、古城趾、今は公園猪津山は中央に蒼々として老樹聳え、風光絶佳、神仙境にある心地なしぬ。
 公園を出でて石造新らしき助任橋を打渡り、吉野川本流古川橋を三台自動車は進み行きぬ。橋長さ六百六十間、十一丁に亘ると聞くも珍らし。それより吉野川支流を二つ三つりこえて撫養町に入る。此処には天理教撫養大教会なる宏壮なる殿堂あり。役員邸宅左右に美はしく立並び見るも羨ましき構なるかなと或る人囁けるも無理ならざるべし。石造文明橋を打渡れば妙見山勝地ありて、此処よりは道幅狭く自動車通行最もなやまさる。良馬産地とて競馬場さへ開かれ、山腹には人丸神社老松森に建てられてあり。途中若布吊乾し等旺なりき。宮崎氏に迎へられ村氏に案内されて、十二神社側宮崎正氏邸に入りて休らひ、昼食饗応一行と倶にあづかる。阿波鳴戸紙鳶に蛤貝、若布なぞ最も知られたり。此際鳴戸見物を勧められしも、未だ天時到らずとして見合せにける。

吾こそは瑞御魂内命を受けしと詐る贋宣使あり。
三五誠一つ御教ぞ秘密使者有る道理なし。
霊陽や小原天狗や徳風や霊城小中副守忌々しき。

 ○二名島旅行閑暇雑誌神為にもしたる道歌なれど、是も今回添物として書きしるしおくになむ。

天地広きが中に誰も知らぬ一輪花埋もれて咲く。
五十鈴川源遠く水清く流れて百草生かす御代かな。
五十鈴川清き流れに浮びたる桃実こそは世宝なる。
現し世隠れし宝現はして神国を照らす貴月光。
実は忽ち割れて月となり天に上りて闇を照らさむ。
選まれし神苦しさは如何なる小事も隠す術なし。
愛と信御代松ケ枝に三五月照り渡る御代ぞ待たるる。
大空月をあし以て蹴り乍ら大樹枝に天狗寝るなり。
月を足蹴に為し乍ら草褥に寝る乞食かな。
蟹が行く邪さ道を寝て見れば正しく立ちて往く如く見ゆ。
為大君為人為誠を尽す人ぞ神なり。
渡せる橋に夜は更けて霜白々と襲ふ闇世。
耀ける人面は天つ神霊魂宿る証しなりけり。
かがやける天津御国をまあたり綾高天庭に見るかな。
君が為御国為に惜まざる生命も道為にばさむ。
かんながら恵露を浴びながら魂涸れたる曲人もあり。
底に落ちたる種も春されば新に萌ゆる天地則。
足蹴され踏蹂られし玉草芽生え初めたる麻柱道。
三千年岩戸も明烏啼き渡りつつ世をさますなり。
国魂草にかくれし世中は月日重ねて曲たけぶなり。
国魂眠り醒めぬれば世は永久天国なりけり。
外国言霊草茂り豊葦原にまが風おそふ。
国々国魂やしろに詣で見て御国前途に涙せしかな。
国と云ふ国は数々世にあれど神ます国は日国。
衣手は涙露にぬれにけり昼夜を守る神し偲びて。
心して読めよ霊界物語みろく胎蔵神言。
曲津神主神命をおかしつつ誠信者に煮茶浴びせる。
三五内に白蟻巣ぐひつつ神名かたりて信徒苦しむ。

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