王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編
文献名2第3篇 国教論よみ(新仮名遣い)
文献名3第2章 信仰堕落よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ134 目次メモ
OBC B121801c22
本文のヒット件数全 262 件/ノ=262
本文の文字数4885
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文    (一)

 基督教は、現時、欧米各国五億五千万人精神を支配する宗教である。過去二千年来惰カで、人心根底に深く浸潤し、牢乎として抜くべからざる慨がある。無論、今西洋文明には希臘、羅馬思想が余程加味されて居るが、基督教影響は更に有力で、更に深遠である。法律も、政治も、風俗も、習慣も、文芸美術も、其他社会万般事々物々、一として之と没交渉なる事は出来ない。
 近世に於ける国家と教会と関係は、余程薄らいだように見受けられるが、それでも帝王即位式には、其王冠をば誰が捧げるかと言えば、基督教僧侶が行うではないか。ラファエル絵画、ダンテ『神曲』、ミルトン『失楽園』等は、世界を動かすに足る美術文芸ではあるが、基督教精神を会得せざる者には、其趣味を充分理会、翫味する事が出来ないではないか。又何為め安息日か、何為めクリスマスか、何為め復活祭か、基督教を知らぬ者には、到底欧米風俗習慣を理会する事は出来まい。やれ赤十字、やれ宗教戦争、やれ新旧二派争、基督教を知らぬ者には、欧米歴史は何事やら分らない。然り而して、此基督教本源は何れに在るかと言えば、他でもない猶太教である。
 イスラエル民族は、由来憫むべき民族で、団結力鞏固ならざる十二支族より成り、しぱしば分裂瓦解し、軍隊は国独立を保つ能わず、法律は国平和を保つ能わず、其結果、神に縋って保護を求め、救済を願った。其惨状は実に目も当てられざるもであったで、随って宗教意識も非常に強烈を極めた。これが猶太教出来た根本理由である。尚お其前後状況を考うるに、当時猶太民族は、バビロン、エジプト、ギリシャ等諸国為めに取り囲まれて居たであるが、是等諸国は、皆多神教を奉じて居た。多神教徒は種々雑多神々に奉事する結果、其信仰は概して動揺不安定に流れ、一心不乱堅固なる信仰に入る事が出来ない。かかる周囲状態下にありて、モーゼがシナイ山頂でエホバ神から一神教的訓戒を受けたと言って、之を其同族に伝えたは、民族自衛点から極めて必要事であったに相違ない。此信仰は周囲圧迫が激烈なるに連れて益々強烈に赴いた。神降したと称する戒律が峻刻を極めたもであった事が、これが又他面に於て信仰を強烈ならしむるに与つて大に力あった。其戒律中にば斯ういう事が言うてある。
「汝我面前に、我外何物をも神とすべからず」。
「汝、自己為めに何偶像をも刻むべからず」。
「又上は天にあるも、下は地にあるも、ならびに地中にあるも、何形状をも作るべからず。之を拝むべからず。之に事うべからず。われエホバ、汝神は嫉む神なれば、我をにくむもに向いては、父罪を児にむくいて三、四代に及ぼし、我を愛し我が戒を守る者には、恵を施して十代に至らんなり」。
一寸考うれば、中々面白い。真神は宇宙に只一柱より外に無いという一面真理だけは、よく表われて居る。又モーゼは、独り此戒を其同族に示したばかりでなく、世界人類一般に示したも様である。併し乍ら、爰に出る所「神諭」は、全大宇宙主宰神示としては、余りに偏狭に傾いて居るように見受けられる。
 「エホバ」と唱える名称は、いかなる神を指すか。一部人士には分りにくく、中には単に外国ように思って、余所事に聞き流すもあろうが、「エホバ」というはヘブルー語で、昔も在り、今も在り、又将来も在る所根本神、「宇宙本体」という意義である。して見れば、取りも直さず日本民族が、太古に於て天御中主神とたたえた神を指すに外ならぬで、我等が為めには、極めて大切な国祖である事が判るである。只此神神徳説き方が、甚だ人為的で不備偏狭を免れぬという欠点があるである。

   (二)

 前段述ぶるが如く、我が天御中主神ことを、アブラハムも、モーゼも、其他すべてイスラエル人も、エホバと崇め唱えたらしいが、天御中主神は、全霊界統治神であると同時に、全現界統治神である。独りイスラエル民族が専有すべき神でなく、実に又、我日本統治神であり、各個人保護神である。かかるが故に、か降したと称する戒律は、よしや人為的、偏狭不備臭味を脱せぬにしても、其裡には、幾分神意伏在するもが無いではない。吾々とても、単に異邦事、シナイ山嶺事と聞き流す訳には行かない。神一部が、幾分吾々耳底にも響く感がするである。
 わが『古事記』には、宇宙開闢第一神様として、天御中主神御名を出してあるが、其広大無辺神徳、そ全智全能神性をば、毫も録して無いから、誰一人として此神明瞭なる観念を有たなかった。尤も此神神徳は余りに大きく、到底筆舌を以て言い尽し得ぬもであるから、神典にも、単に御名を称えたに止めたであろう。わざと書かぬでなく、書き得なかったである。
 天御中主神神徳は、空間的に観れば広大無辺である。時間的に観れば永劫不滅である。其神性は不変不易であると共に、其神業は千変万化して窮極がない。其まします所は、極めて近くして、又極めて遠く、とても人心小智窺知すべき限りでない。
 天御中主神は、第一着手として、理想世界を造営せらるるが為めに、第二位神と成って顕現された。これが霊系祖神高皇産霊神である。こ理想世界は即ち神霊界で、無論凡眼観る能わざる所、凡智察する能わざる所である。ただ霊眼、霊智を以て之にぞめば、天分に応じて程度大小高下はあるが、其一端を窺知せしめられる。次ぎに天御中主神は、第三位神となって顕現し、物質世界を造営された。これが体系祖神神皇産霊神である。『創世記』には、神を称するに単に「エホバ」とみは言わず、「エロヒム」語を用いて居る。エロヒムは即ち神々という事で、根源は一神だが、幾種にも顕現するから、こ複数語が必要なである。

   (三)

 天御中主神は、三種顕現を以て、先ず其神徳を発揮されたが、無限神徳は、無論こような簡単な事で顕わし切れるもでない。そこで此大天地鎔造神は、ミタマを分けて、随所随時に顕現して、次第に複雑完備域に進ましめられたが、天照大御神時に至って理想世界は完成した。次ぎに、此理想世界姿を、地上に写し出すが為めに、天孫瓊々岐命を日本国に降して地上主宰者地位を確定し、同時に神子神孫を世界万国に降して、之を経営せしめられた。
 往時偏狭固陋な国学者などは、、此日本ばかりが神国ように考えて居た。これはイスラエル民族どもが、自分ばかりが神選民であると思惟し、エホバ神はイスラエルばかりを守護するように考えたと同じような僻見と言わねばならぬ。そういう片贔負をする神様ならば、須らく世界戸籍から除名して仕舞うべきである。『古事記』には、「神皇産霊神が少彦名命を遣わして、常世国を経営せしめた」と記載されて居るではないか。常世国は外国である。神眼からは、日本もない、外国もない。只各国をして、其天賦職責性能を発揮せしめんとせらるるみである。
 此世界経営神業は、今日とても依然として継続されて居る。こ後とても其通りだ。であるから、天御中主神神徳を知ろうと思えば、日本神代史研究は勿論事、希臘、羅馬神話も、基督教も、回々教も、婆羅門教も、支那道教も、儒教も、西洋諸学術も、悉く調べて見て、そして造化宝蔵を敲いて見ねばならぬ。無論これは、一人や十人では出来ない。一宗派、一専門士では不足だ。苟くも霊智霊能あるも、誠心誠意あるも全部が、総懸りで取懸らねばならぬ問題である。それ丈努力討究しても、尚お僅に神大業百千万億分一を想見する事しか出来ぬである。

   (四)

 然るに、現代日本国民、神霊に就いて知識及び信仰程度は如何。神代史知識を全然欠如し、天御中主神神徳を知らぬも多きは勿論、第二流、第三流神さまさえさしおきて、種々雑多低級神々ばかり拝んで居るもが多い。これでは、日本は浅ましい迷信教国と言われても仕方がない。さもなければ、浅薄愚劣な無神論に堕して、半可通新知識を振りまわして居る。どちらにしても困り者である。
 ギリシヤ信仰なども、随分堕落して居た。ギリシヤ神々は、森中や、山上や、谷や、野原に於て、よく血を流して闘ったり、鎬を削って争ったりした様であるが、敵を殺したり、欺いたりするという事は、神神たる所以尊厳を汚すも、遂に戦に敗北して仕舞って、敵に降参するに至っては、誠にもって言語道断である。神話と軍談とを取違えて、「希臘神話は詩趣が饒多である」などというは、誠に片腹痛き癡人寝語である。
 日本も余り大きな顔は出来ない。地方に行って見ると、あちらにもこちらにも、能く稲荷祠があるが、其所には狐が祭ってある。何故狐を祭るかというに、「稲荷は『ミケツカミ』である。『ミケツカミ』は三狐神である。故に狐を此処に祭るだ」というに至っては、信仰堕落極点で、折角宗教は道徳性を失い、却て不道徳道具となって仕舞う。赤飯をたいて、油揚をあげて、余計な鳥居をいくつも建てて、それで御利益強要をする。近来は、地方ばかりでなく、東京お膝元まで其風が蔓延し、相場師、投機商、少し山気ある商人は、よく羽田穴守稲荷などへ出掛ける。わけて芸者、芸人などという連中所謂信心は、すさまじいもだ。「其目的は那辺にあるか」ときいて見ると、狐魔術的保護によりて、客をたらかし、相手を騙すためだという。誠に噴飯至りである。
 実を言えば、稲荷神は「飯成神」という事で、宇迦之御魂神である。即ちこ神は、豊受神で、五穀生育を司り、万民食物源を養う神様であるから、又名を「御膳津神」というである。とりも直さず、豊受神は、造化第三位神から遣わされた物質世界神なである。天照大神は造化第二位神から遣された理想世界統治神である。豊受神は物質世界住民に食物を恵みて、そして天照大神神業を助くるである。さればこそ、こ二柱姫神は、内外両宮に祭られて、万民信仰中心となって居る。
 日本「創世記」によれば、天御中主神はエホバであるが、其神徳は隠れて見えない。樹木に譬うれば、地中に隠れたる根如きもである。こ根はやがて地上に顕現して、第二位、第三位神と成った。第二位神は即ち幹である、枝であるから、高皇産霊神事を「高木神」と謂い、又「カンロギ命」という。次ぎに第三位神は花である、実であるから、神皇産霊神事を又「カンロミ命」という。又「産霊」ということは、即ち「ムスブ」義である。第二位神は理想を結んで、之を天照大神に委ね、第三位神は物質を結んで、之を豊受大神に托したである。
 か万有神教というは、物質的有形庶物を祭る所宗教である。動物、植物、鉱物、山川、森林等を、そまま神として祭る所宗教である。かく「自然個物」を崇拝すると、勢い肉欲的、物質的に堕落する。又か偶像崇拝というは、「抽象的概念」を神として拝むもである。抽象的概念には形が無いから、勢い之を現すに偶像を用いる。仁王や、帝釈天や、毘沙門天や、比々として皆抽象的概念具象的表現である。近代科学に用うる名称とて、外形こそ異なれ、其真相に於ては敢て変りはない。エネルギー、エーテル、引力、潜在意識等、偶像ではないが、気きいた偶像代理である。かかるもは人間作ったもで、一心理作用に外ならぬから、到底信仰をつなぐ力はない。
 吾々は、どうあっても此国民信仰堕落を済わねばならぬ。健全なる信仰を復活せしめ、やがて世界宗教統一を実現すべき使命は、どうあっても、我日本に在らねばならぬ。目下は正にそ秋である。最早一日を延べる事は出来ぬ。世有識者奮起を望む。
(「神霊界」大正六年二月号)
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki