文献名1出口王仁三郎全集 第7巻 歌集
文献名2巻中よみ(新仮名遣い)
文献名3昭和六年(九百七十五首)よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグジンギスカン(成吉斯汗)
データ凡例
データ最終更新日2020-07-20 22:07:01
ページ114
目次メモ
OBC B121807c06
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本文の文字数26183
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本文
社頭の雪
神風の伊勢の宮居に降る雪のきよきは神のこころなるらむ
生くる幸ひ
天地にわれ生くるてふさちはひをひたにおもひぬ春立つ朝に
あたらしき希望に満ちて新年のはるをむかへぬ天恩の郷
あらたまの年は明けたり春日野のわかくさ山にうすがすみして
礼服のはげたるを着て田舎男がしるべを廻る新年の朝
霜柱
街道のつちは凍れり吾が乗れる駒のひづめのあやふさ思ふ
漬けおきし米は氷に閉されて炊ぐよしなし朝の寒きに
朝庭にも上りたるやは土を踏みてしみればみな霜ばしら
台湾航路
常夏の高砂の島に渡らむとトランクに単衣あまた詰めたり
船のまど開きて見ればわだなかにうかびて青き淡路島山
瀬戸のうみ船乗りゆけばみぎひだり波路はるかに霞むやまやま
ぼつぼつと月に浮ベる瀬戸の海の島山ひくし月夜あかりに
スクリユーの音たかだかと枕辺にひびきて船の夜は更けにけり
波の秀にまがひて浮ける白鳥の羽しろじろと陽に輝けり
昨夜あれし海とも見えずしづかなる波の秀に照る天津日の光
瀬戸の海波凪ぎたれど目路遠き御代ケ島根に白波の寄す
たそがれの五百重の波のはてとほく壱岐の灯台かがやける見ゆ
きのふより島かげ一つ眼に入らぬ大海原の船にわれあり
どさりどさりふなばたを噛むおほなみのうちくだけては又襲ひ来る
明日ははや高砂島に着くといふ夜更け目覚めて浪の音を聴く
台湾所見(一)
相思樹の生ひしげりたる丘の辺にあかき瓦の家一つ見ゆ
竹竿を手に握りつつ島人が家鴨を追ひてかへり行く見ゆ
桂竹のえだざわざわと風ありて台湾からす一羽とびゆく
水面にあまた浮べるあひるをば小舟に追ひて女かへりぬ
牧童に見まもられつつ清川に水牛あまたあそぶしづけさ
生蕃のやま焼くけむり炎炎と大空を焼くいきほひを見す
水牛と話しながら島人の家路にかへる黄昏しづけし
春はやも短冊蒔のあをあをと苗代田見るほうらいの島
あかき陽は椰子の梢に流れつつ風さやかなり台湾の冬
草山のこの谷のみはもみぢ葉の散りて裸木たち並ぶ見ゆ
はつはるの陽はうららなり草山の温泉のけむりしづかにのぼる
七星山峰よりおろす夜あらしにつれて吾が宿雨となりたり
七星山獅子頭山にくも湧きてあめ降り出でぬ草山のさと
曲水の庭の小池はうすにごり晴るるともなき草山のあめ
八丁笠着たるしもべのもくもくと池水汲めり雨降るにはに
七星屯面天獅子頭観昔の高嶺のこらずはれわたる朝
青山を四方にめぐらす草山の朝のながめは天国に似し
吾が軒をながるる小川に台湾娘の衣あらひ居り陽はうららにて
たそがれてまだ帰り来ぬわが友は草山の湯にほとびゐるらし
夜更けまで雨戸も締めず曲水の池に浮べる月にしたしむ
台湾所見(二)
霧ふかみ谷の向ふの崖道をとほる自動車の笛のみきこゆ
朝庭の千両の実はあかあかと目にしみ**宿にして
相思樹のはやしの梢吹く風に**硫黄温泉の庭
瓶に活けし椿のはなの一輪にこころ足らひて夕暮を居り
一月のはじめなれども草山の温泉の里はくつわ虫なく
わが舘にもしも温泉のひけるならばなどといくたび思ひ重ねつ
山羌の声暗の林に聞えつつ温泉の夜は静かに更けゆく
しろじろと泰山木の花にほふ二水の宿のあさなつかしも
ひろびろと流れしらけて濁水渓の果てはかくるる曇りの空に
東南の空を仰げば新高山いただきとほく雪に映えたり
老木の幹にからみしつたかづら紅きを見つつ登る阿里山
阿里山の宿のあしたの窓開けて谷よりのぼる雲に興じぬ
水仙のはななつかしも一月の高砂島の野辺しめて咲く
水牛の田を鋤くなべに白鷺のつぎつぎに群るる見つつあかなく
台湾所見(三)
蓬莱丸は海上のうす靄をきつてスクリユーの音勇ましく進んでゐる
台北市の宿の相思樹に清しい白頭鵠が鳴く、総督府の屋根が朝日に輝いて
天孫民族の俤が偲ばれる、生蕃人のたくましい顔
相思樹、なんといふ素的な名だらう、帰りたくない高砂の島
早春賦
雪の上に足あと乱れ残りあり若菜つみたる人あるらしも
一ノ瀬の梅はにほへり教の祖のつゆのいのちの奥都城どころ
池の辺にやなぎの枝を剪りさして若芽のもゆる春をわれまつ
南庭の葉蘭の雪はとけそめて下駄の歯あとに水溜りをり
なみ山の尾上にまだらの雪ありて何鹿平野かぜのつめたし
春といへど山に雪あり風さむみ山家の駅は冬ごこちすも
愛宕嶺の雪をながめて風冷ゆる神苑に鍬もち松植ゑにけり
鶯
鴬のささなきはつかに聞えけり籔かげの雪とくる真昼間
鴬の春をうたへるささ鳴きに軒端の雪は解けそめにけり
春の月
春浅き月ににほへる白梅の香にそそられて庭に立ち見る
梅ケ枝にかすみてかかる夕月の光なつかし春浅き庭
丘の上に清しくにほふ梅の香のしたしき夜なりおぼろ月かげ
夕飯もそこそこにして春の夜の月ながめむと庭面にいでぬ
入蒙追想
成吉斯汗は義経なリといふ説はしみじみ歓ばしかつた蒙古の旅に
味方の兵はつぎつぎに討たれる心細い蒙古野の敗戦だつた
閑日月
台湾ゆ持ち帰りたるガジマルの植木にこころおく霜のあさ
トラックに満載したる松の苗のこらず庭に植ゑてたのしも
幼児に幾つと問えば小さき手の指三つ折りて微笑めりけり
春雑詠
昨日見し田芹摘まむとゆきみれば鋤きかへされぬ一日のまに
一株の梅わが庭に移しけり花のつぼみのふくらめるまま
如月の暖かき日の十日つづきてぞ麦のはたけの青青と見ゆ
高土堤に去年のなごりの枯すすき青葉はだらにもえいでにけり
内濠の水はぬるみて枯芝の土堤に若草のぞきそめたり
里川の岸にほほけし猫柳折りてあそべりいとけなき児等
里川の水もぬるみてけぶるなり麦畑十里かげろふもゆる
つくづくし摘まむと出でし川土堤を土埃立てて自動車のゆく
むら雀むらがる春のひろ庭にあそびさざめく里の子のむれ
一本の松のみどりに朝日かげ照りて長閑けし春の神しま
幼児がすみれの花に相撲とらせゑらぎ遊べり春の日向に
わが植ゑし庭の小松は年ふりて小鳥の巣ぐふまでになりたる
ことりことり春の日ながを水ぐるま米搗く音ののどかなるかな
○
植ゑ痛みした松の木が土になじんで、春が来た
湯ケ島遊記(一)
目さむればわが急行車駿河野の焼津広原をただはしるなり
山高み今宵の三日のつきよみはかげさへ見えず湯ケ島の宿
つまらなきことはおもはず世を忘れ温泉に入り暮らす湯ケ島に来て
常磐木の松を流るる風の音いやさやさやに春さらむとす
天城嶺の渓渓つつむしらくもは雨をはらみて春さむきなり
天わたる月のましたにわれ立ちてしみじみたのし春の夕べは
湯の宿の玻璃戸すかして照る月を見つつし春の夜をひとり寝む
春あさき狩野の清瀬をすいすいと小鮎むらがり上りゆく見ゆ
温泉の湯気ほのぼのと立昇る朝の狩野川にうらら陽の映ゆ
狩野川の上を飛びゆくむら鴉わが目さそひて山を越えたり
狩野川のむかつ岸辺の杉ばやし朝晴れて啼くひばり幼し
川中の天然岩の湯のふねにひたれば射し来真昼陽のかげ
うばたまの小夜のくだちにただひとり温泉にひたりて心しづけし
狩野川の湯津石むらのしろじと陽に乾きゐて水あさき春
月明き狩野の川辺をわれ一人行く淋しみて友を誘ひぬ
狩野川のたぎつ瀬おとも聞きなれて友とひそかに春の夜を語る
日ならべてぬくき雨降り春庭の千引のいはね苔青みたり
春浅き杉生の森のしたかげにかぞふるほどの山蕗の薹
夕つ日は湯殿の山にかくろひてわが湯の窓にさむ風立ちぬ
すみきれるみ空の下に澄みきれる温泉をあびて思ふことなし
湯に入りて心のびのびくつろげば知らず知らずも口誦むうた
朝雨の降りしく庭のくれなゐのつばきの花は目にしみらなる
雨やまば西平橋のさくら見むとひたに思ひぬ湯のつれづれを
天城嶺は雲にかすみて湯ク島の温泉のさとに春日かがよふ
ひとり寝の癖のつきたる吾ながら春の夕べは友ほしと思ふ
岩ケ根にからす羽ばたきなしてをり濡れし翼の水はらひつつ
たかぎしの田の畔ゆけばあをあをと野蒜の若草萌え出でて居り
西平の高原に立ちてしみじみと萌ゆる麦生の春を親しむ
水車小屋軒をならぶるにしびらのこの高原に水ひかる見ゆ
(以上四首 狩野川)
ほのぼのと春日かがよふ湯ケ島の湯にわれありて君おもふかな
天城颪うすらさむけき湯ケ島の春をちらほらさくら匂へる
庭すみにただひとところしろじろと小米桜の月に映えたる
大空はうすら曇れど庭の面は桜あかるし湯ケ島ここは
オーと呼べばオーと応ふる山彦の谷吹く風にさくら花散る
春雨に風をまじへし高岸の小米ざくらの花いたましも
大方の春を桜に明け暮れて思ふことなしうつつごころに
高らかに温泉の街のゆふぐれを唄ひゆく人の声の冴えたる
湯殿山あなたこなたのはだか木は目に立つほどに若芽ふきをり
湯ケ島の湯にひたりつつまださむき川の流れを見守りてゐる
山笑ふ春とはなりてをちこちの谿間あかるき山ざくら花
真夜中の温泉に浸りここちよさにひとりごといふ吾を笑ひぬ
湯のやどにしのびて病養へるわがありか知りて友の文来る
朝庭の露を跣足に踏みながら心すがしも蒲公英のはな
雨けぶる湯殿の山の尾根ちかくつばさたわわに飛ぶ鳥のかげ
隣室におそはれなやむ人のこゑよびさまさむと咳一つしぬ
湯に入りて心やすけきこの夕べわがふるさとのよき便りきく
湯ケ島遊記(二)
縁側に春陽のひかりさしそひて玻璃戸の外に蟆子群れり
木爪の花あしびの花にしたしみて雨そぼつ庭にしばしたたずむ
ふのりにて洗ひおとせし長髪のかわきがてにて春の雨降る
天城の山夜をどよもして吹く風にたえだえきこゆ瀧津瀬の音
天城嶺に夕陽のこして暮れにけり湯殿山根の湯ケ島の里
せきれいは水に飽きけむ藤だなの上に来りて夕暮を啼けり
琴平の山の崩れのあかはだに暮れのこりたる夕つ日の光
石走る水のしぶきのしろじろと朝陽にはゆる見つつ湯に入る
白白と春陽かがよふひとすぢの道の辺に咲く蒲公英の花
夕月夜花のこかげによそながらほのかに見たる人を忘れず
熊ざさの刈りたるあとにあをあをと細き筍もゆる庭くま
河鹿の音すがしき雨の湯ケ島をこころしづけく湯にひたりゐる
われ行けば足近きおどろより羽ばたき強く雉子の逃げたる
狩野川のたぎつ瀬音をよそにして梟啼けり小夜更けの杜
ほととぎすあちこちに聞く川沿ひの山根に咲けるやまぶきの花
ふねうけて友とあそべば島かげにわがうつしゑをとるとすらしも
山かげにはつかに咲けるやまぶきの一重の花を淋しみにけり
定まれる泊りの日かずもなかば過ぎて心せはしき春の湯の宿
のびのびと手足のばしてはるさめの音にしたしむ朝の湯槽に
春の夜のすみにすみたる月かげをなつかしみつつ夜半の湯に入る
筑波嶺の双児のみねは常陸野の桑畑のはてにたかくかすめり
筑波嶺はほのかにかすみ下野の那須野ケ原にはるさめの降る
筑波嶺はかすみの幕にとざされて常陸大野に麦かをるなり
(以上三首 筑波山)
春ふかみ伊佐田の川のかはぐちに白魚あさる漁夫の人垣
師のきみをはるばる訪ひて三保ケ浦に心清しく不ニケ嶺を見る
(以上二首 静岡三保ケ浦に長沢師を訪ふ)
谷あひのトンネル出づれば嬉しもよわが高殿の灯はまたたける
(以上一首 天恩郷帰途)
桜花
わが軒の一本桜咲きしより人足しげくなりしこの頃
贈られし忍冬のさけ友と飲みて桜かざしみぬからの徳利に
街燈のあかりをうつしてひとところ桜の枝のあかるかりけり
うら山の桜手折りて病めるきみの心慰さむと床にさしけり
嫩葉
朝まだきそよぐ嫩葉の下かげにたちて天地のささやきを聞く
嫩葉もゆる銀杏の梢たわたわと鴉もろとも風にゆれをり
春探し
うらやまに春はたけたり岩梨の花のむらさき葉のあひだゆ見ゆ
むらさきの花にまじりて白き花のまれには見ゆる紫雲英の畑
山のはらひらきつくれる麦畑のかをりゆかしも春ふかき風
うすらかすむみ空の奥にオリオンの星かげ遠し春の夜更くる
庭隅にひともと立てる桐の木の花むらさきに匂ひそめたり
肝むかふこころのなやみ夕潮の海に語らむ春ふかき浜
老梅の幹にふくれし土くれをのぞけば中より羽蟻むれ出づ
大平山尾の上の雲のあしはやみ夕ベをかけて春雨の降る
植ゑいたみせしにやあらむ木犀の芽ぶくともせず春はくれつる
鶴山
長生殿の礎石工事のはじまりてつちの音冴ゆる綾の鶴山
砂利はこぶトラツクのおと頻繁に穹天閣のまどにきこゆる
つるやまの工芸舘に機を織るをみないそしく山のぼり来も
かみぞのの雨降るにはをどよもして工芸舘の機の音たかし
吾妹子が機織る音をききながらわれ庭に立ち松を揃へつ
神山のはやしひらきて機織場たてし今年の春はにぎはし
牛
川水に浸しやらむと牛ひきてつつみを行けばしろし夕月
ひねもすを厩につなぐ牛の仔を夕べ放てばよろこびはしるも
保津川下り
浅き瀬に舟のゐざれば水夫たちは川に下りたち舟押してをり
雨雲の空に心をかけながら保津の渓間を舟にてくだる
保津の渓くだる左右の岸のべに河鹿鴬きそひてなくも
ふぢなみの花はあとなく散りはてて保津の渓間をほととぎす啼く
保津川を舟にくだれば岸の辺のおどろが中に萌ゆるいたどり
渓川の岩と岩とをよけてゆく水夫の水棹のたくみなるかな
右によけ左によけつ渓川の岩間舟やる水夫のなれたる
あはや今岩にあたるとおもふ間に水棹たくみに舟やる水夫は
神苑逍遥(天恩郷)
おほぞらに月を残してあけがたの濠のおもてに霧たちまよふ
濠の面に架け渡したる筧の水に袖ぬらしけり船くぐらせて
月宮殿のかげさかしまにうつりたる濠に舟やる朝のすがしさ
五位鷺の羽音どよみて朝明の濠のおもてをむれたちにけり
いちはつの花のつぼみのむらさきののぞける見つつ夕庭にたつ
風なきに睡蓮の花さゆれをり池の小魚の根をつつくにや
月の宮うづの寳座のさざれ石しみらにあをく苔むしにけり
木も草も萌黄そめたる山くまになく春蝉のこゑのをさなき
柔竹のこずゑなびかせ吹く風をしづごころなく庭に立ち見し
外濠の水鳥のつばさかがやかせいまか落ちゆく入つ日のかげ
向つ山杉の大樹はしづもりてゆふべのそらのほの明りかも
むかふ岸のいなりの祠濠水にあかく映えつつ夕陽落ちたり
並山の尾上にわける白雲は風にちぎれてゆふべさむしも
並山の尾上ことごとしらくものたちこもらひて神苑に雨降る
愛宕山ケーブルカーの電燈の灯かげは見えず山けぶらひて
アカシヤの木立ならべる国見峠を君と行く夜に風かをるなリ
小夜ふけの神苑めぐればほのかなる青葉のかをり親しかりけり
いくたびかめぐれどあかぬ花明山は常世に浄き神の苑かも
神苑逍遥(綾部)
椎の木の梢の露のきらめきて穹天閣のあさ晴れすがし
たいりんの泰山木のはなしろじろと桶伏山の朝をにほへり
新芽ふく樫の木ぬれゆはらはらと去年のふる葉は風に散りつつ
汝こそは野山に生ふるたらの木か厳めしくして寄りもつかれず
傘さして雨降る庭をめぐりつつ緑もえたつ夏をすがしむ
小雨ふる椎のはやしの下かげに初夏をいろどる山つつじ花
こんもりと常磐木しげるつるやまの吾が高殿をこむる夕雲
一つ星かすかにひかる空をみつつ心淋しもひとりゐの軒
鶴山のわが高殿は風たてどふもとの町はしづかなりけり
金竜海池のつつみに鶴山のひのき植ゑたりみづぬるみつつ
穹天閣まどをひらけばあけがたの綾部の町の灯はかすかなり
車窓雑景
東の窓はほのぼのとうす明りはや山の端に月の出でけむ
乗降の人かげさむく和知の駅にとまれる汽車の窓に雨降る
鉄橋のしたにしろじろ一筋の和知の流れは夜目にもさやけし
硝子窓たちまちくもる喫煙室のそとながめむと指もて拭きぬ
文殿の夜
文殿にうた詠みながら濠の田の蛙聞く夜はしづかなりけリ
春陽亭歌に夜更けてまど見れば大枝の山ゆ月はのぼれり
半国山尾の上に落つる月かげをまちのぞみたる若き日もあり
青訓の喇叭ふつりと鳴り止みておぼろの月は傾きにけり
身辺雑唱
街に出て煎餅買へば新聞紙のふくろにがさがさ入れてくれたり
たまさかに街に出づれば要らぬもの許許多買ひたくなりし吾かな
エンヂンの音聞きながら自動車の動き待つ間のもどかしきかな
片減りの下駄穿ちつつ砂利道を歩みあゆみて歩みなれたり
女のみ集へる家をはばかりてあわただしくも帰る夕ぐれ
絵を描きて軽き疲れを感じつつ臥床に入りぬゆたけき宵を
人形をいだきてねむる幼児のこころになりて吾も生きたし
黙黙と十脚の椅子ならび居て人待ち顔なるあさの事務室
ひもときしあとだに見えず円本にうすぐろく積む埃さびしも
国おもふ心のなやみはらさむと絵筆歌筆もてあそぶわれ
千早振る神のこころに叶ひつつ老いずまからず生きむとぞ思ふ
ねもごろに返しの文をかきにけり君のみ文のうれしき夕ベに
○
人間に死後の生活ある劇を見ながら何か背筋がこそばゆくなる
追懐
父さんもすき母さんもまた好きと顔見くらべて幼子がいふ
乳汁貰ひ帰る夕べの雪道にもの云はぬ子とかたるさみしさ
背なの子に椿の花を折りやれば手に持ちし菓子捨ててつかめり
日常吟
親しかる友のしたしみつづけむと心ひらきてわが居るものを
男子てふものの力のありたけを尽せしわれに悔ゆることなし
誤解多き人の世なればただただに黙して生きむ唖にあらねど
いたらざるひとに対するあらそひを恥ぢらひて黙し幾年来けむ
藤なみの花
早蕨は早くもたけてふぢなみの花むらさきににほふ山の辺
ふぢなみの花なつかしみ夕まけて友とのぼりぬ月照の山
ふぢなみの花ながながと垂れてをり出雲の宮の庭のかたへに
新舟を濠のおもてに浮べつつ藤波のはな見つつ酒くむ
藤なみの花にそぼふる雨さむみ玻璃戸をしめてきみと語らふ
かきつばた
山吹のはなはあとなく散りはてて池のみぎはにかきつばた咲く
かきつばたむらさき匂ふ朝庭にわが立ち居れば山鳩のこゑ
神苑のアカシヤ
アカシヤの苗植ゑしより六年経て窓べ小暗きまでにしげりぬ
神苑のかのもこのもに咲きみつるアカシヤの花に風かをる朝
アカシヤの花咲く庭のまどあけて雨降る今日を歌にたのしむ
なみたてる軒のアカシヤしろじろと花匂はせて朝風かをる
アカシヤの梢さゆれて小雨降る庭にしたてば風のひゆるも
アカシヤのしげみすかして濠の面にかがよふ月の見のあかぬかな
筍
親竹を伐りはらひたるたけやぶにあまた伸びたつ筍ほそし
薮あとにすくすく生ふるたけのこの細きをかごにみたして帰る
土じめり
神苑の芝生のつゆをふみしめて初夏のあしたの心すがしも
わが植ゑし黄いろつつじの花咲きぬ雨はれの庭の土もかをりて
雨はれの土のしめりをよろしみとコスモスの苗をわが植ゑにけり
庭土のしめりを素足に踏みながら草ひきて居る朝の清しさ
夏来向ふ
山遠み雨ぎらひつつほのかにも五月の空はせまり来にけり
若竹のこずゑに残る夕陽かげさゆれすがしく初夏はいたりぬ
春桑の刈りあるあとにやはらかき若芽もえつつ夏は来向ふ
桑伐りしあとのはたけにやはらかきあかざの若葉もゆる初夏
中島の岸に生ひ立つ枇杷の木のこずゑをのぞく青きつぶら実
まさかりの平戸つつじのうつくしさ見のあかぬまま朝庭に立つ
種はまだかたまらねども庭の面の梅のつぶら実紅さしてをり
檪生のわか葉のうれに夕月のかかれる見れば夏は来にけり
吹く風に若葉ゆらげど夏木立葉ずれの音のやはらかきかな
しらじらとまひるの風に檪生の木ぬれの若葉そよぎひかるも
ひともとの太幹の桑庭の面にこずゑ茂りて黒き実なれり
岩梨の実はうれたりとふるさとの友の来りてわれを誘ひぬ
夏の野のあを葉をわたる夕風をすずしみひとり高台に立つ
たかどのに友と語ればそよそよと銀杏わか葉の風窓に入る
麦
麦の穂のかをりしみじみ匂ふなり露の夏草刈るわが袖に
麦の生に穂波たてつつ渡りゆく初夏の夕べのひややけき風
野路ゆけばげんげの豆のくろぐろとうれてありけり麦刈る秋を
子供四題
薮あとのほそきたけのこ争ひてぬく子等の声居間に聞えく
若松のみどりの花のけむらへる花粉ちらすと子等ゆすり居り
朝はやみいちごの畠にささやける子等のおもては輝けるなり
青草のうへに芭蕉の葉をしきてままごとしてる子のいとけなさ
山時鳥
鶴山の椎のしげみのあさゆふをさやかに啼ける山ほととぎす
卯の花のむらがり咲ける裏山にゆふべを来なくやまほととぎす
白百合
大輪の白百合の花わが床に活けてたのしも雨のゆふべを
歌に絵に疲れ果てたる夕暮のわが目にしたし白百合の花
朝戸出の庭のおもてにしらゆりの花うつむけり露ふくみつつ
山百合の散りたるあとのあをき茎に小さき黒き実のなりてをり
清しき朝
われ寝間に起き上りつつ配り来し新聞をみる朝の楽しさ
長髪をくしけづりつつ縁側にあを葉の風をしみじみあみゐる
よべの雨くまなくはれし朝庭にきそひ囀る雀子のこゑ
つゆしげき神苑の芝生素跣足にふみつつゆけば朝風かをる
インクの匂ひ
自費発行の処女歌集が出来た朝、墨汁の香が親しい五月!
沈黙につぐに沈黙をもつてした、沈黙の大雄辯者たる事を悟つた、今
飛行機から飛び下りて自殺を企てた男がある、五月の空はすばらしく青い
自分の上京を待つてゐる沢山の人がある、ひようひょうと軽い気持ちになる
青あらし
高殿の窓をゆすりて青あらし吹くおとたかし朝の鶴山
朝あらしはげしく吹けばわが窓をなでつつなびく若竹の枝
製糸場の煙突のけむり地にひくくはへる真昼を青あらし吹く
楽焼の窯場のけむりよこなびき檪生ゆりて青葉風ふく
たかどのの窓をゆすりて青嵐吹きに吹きつつ雨となりけり
なかぞらの風をつよみか高台の銀杏の上枝さゆらぎやまず
アカシヤの梢をあふる雨風にあわただしくも窓を閉ぢたり
たきつ瀬の音にまがひて高台の銀杏のこぬれ青嵐ほゆ
あをあらし過ぎゆくあとの石段に銀杏の青葉ここだ散りをり
日常余戯
五六日旅してかへれば裏畑の菜種の花は筴となりをり
檪生の梢の毛虫あさゆふにとれどもとれどもとりつきなくに
蕗の葉に包みもて来し山紅葉の幼きをわれ庭に植ゑたり
わが植ゑしもみぢの苗はさみだれのしめりに小さき芽をふきにけり
神苑に風ありとしもおもはねど楓わか葉のゆれやまぬかも
わが植ゑし庭の向日葵やうやくに土になじみて立ち直りたり
蕗畠ひととこゆれて大いなる蛙一匹飛び出しにけり
中島にみのれる枇杷の熟れたるも知らずに過ぎぬ忙しきままに
旅枕
蔵王山ゆふ陽は落ちて温泉の宿の日覆をたたむ湯女の声すも
かじかなくこの川すぢに糸たるる人は岩魚を釣るにやあらむ
(以上二首 宮城県青根温果)
みち汐の寄するとみれやたちまちに高田松原に霧かかりたり
まつばらの松の老木の梢とほくつばさゆたかに鷹わたりゆく
夕凉みせむとはるばる吾が来つる高田まつばらみち汐の寄す
(以上三首 高田松原)
スクリユーの波きる音に眼さむれば玄海灘の夜は明けてあり
荒波のよするたびごとうちあぐるはなれ島根の潮けむり白し
(以上二首 玄海灘)
天竜峡橋のたもとに陶つくるいへのならびて老鴬の啼く
(一首 天竜峡)
初夏の日の海風なぎし岩かげに餅をひさげる人のありけり
(一首 四国室戸岬)
武蔵野の薄ケ原に月冴えて秋近みかもうまおひの鳴く
(一首 武蔵野をよぎりて)
信濃路や田毎の月の名どころと窓開けぬ間に汽車ゆきすぎぬ
(一首 長野旅行中)
落葉松の森を左右に眺めつつ吾みちのくの旅をすがしむ
山と海とほく渡りて古の神の御跡にわれは来にけり
みちのくの旅の心をなぐさむる鳥海山は神さびにけり
鳥海の尾根は晴れたり一筋の谷間の雪はかがやきにつつ
和田の原波のあなたに沈む日の名残りをとめてあかき雪雲
みちのくの雪積む野辺になやみてし状こまごまと妹に書く文
(以上六首 陸奥旅行中)
兎和野原わが訪ひゆけばひとのかほかくるるまでに躑躅のびたり
(一首 兎和野原)
○
伯耆大山のすがたのたしかさ、晴れたゆきぞらに肌を刻んで
(一首 鳥取伯耆大山)
旅の後
楽しんで旅から帰れば草苺かげもかたちも無くなつてゐる
五月雨
日ならべて雨ふりつづき吾が居間の障子襖のおもくさびしき
今日もまた雨の降れれば木匠の手斧のおとも聞かなく淋し
日並べて降るさみだれにあさがほの支へ要るまで蔓のびにけり
四十八石の宝座に苔むして神苑しづかに五月雨の降る
湯にゆきし友は待てども帰り来ずわれ高殿に雨の音聞く
五月雨の降りしく夜半のひとり寝のさみしき吾は歌になぐさむ
電燈のもとひそやかにもの書ける夜更け淋しき梟のこゑ
芭蕉葉のひろ葉をたたく雨のおとききつつ眠る夜はわびしも
梅雨晴
天津日はのぼりたるらしさみだれの雲ひとところほの明りつつ
大空に雲むらがりてさすがにもさみだれどきをおもはする朝
降りかねし雨朝方に少しありて小歇みのあとの風冷ゆる入梅
雨はれしあしたの庭面に風もなく照らふ朝日のむし暑きかも
つゆの雨霽れしあしたの神苑にはつかににほふつゆくさの花
紺青の空のいろなしてつゆくさの花は神苑の真昼をにほへり
よべの雨はげしかりしか庭の面のいちごの青葉うちふして居り
よべの雨あとなくはれし庭の面に笑めるが如し霧しまの花
五月雨の降りあがりたる庭の面に淋しく桐の花の散りをり
雨はれの露にかがよふ卯の花のしろじろ咲ける垣根親しも
苗代の上につりたる鳥おどし黒きからすの翼のみなる
たまさかに雨はれたれば木匠の垂木打ちつくる音のせはしも
檪生の林にこもる木匠の槌の音かるく梅雨はれにけり
梅雨ばれの空に消えつつ煙突のけむりますぐに立ちのぼる見ゆ
植ゑつけし稲田の面をわたりゆくゆふべの風のしめらへるかな
麦を打つ音のせはしき梅雨ばれをわれふるさとに一日過せり
やり水の音もしづかにきこえつつ風ひとつなき夕暮の庭
南桑原野展望
光秀が築城の石を掘りしとふ金岐の山ははげところどころ
若葉吹く風をあびつつ高殿のおばしまに見るちぎれ綿雲
高殿のまどあけ見ればふたすぢのけむり流れて汽車ゆきちがふ
くつきりと山のいただき見えながら中腹にまよふちぎれ白雲
曇らへるみ空の奥のひとところあかるは月のこもりゐるらし
梅雨雲のあひまをもるる天つ日のかげ一ところ向つ尾に映ゆ
南桑の野によこたはる大堰川のながれしろじろ夕日に照れる
稲荷山松の木立のひとつびとつ目にさえにつつ陽は山に入りぬ
医王山はざまにくものわくみえてまなく丹波は雨となりけり
愛宕山尾根にしらくもただよひて天恩郷にきりさめの降る
権現山電燈雨にきらめきてあたりをぐらく風まどを打つ
高殿の窓をゆすりて音たかく大社がよひの汽車真夜をゆく
夏茱萸
濠ばたの水田の畔を夏ぐみの枝もたわわにみのりたるかな
里の子の見つけしものかぐみの枝折りたるがここだ散らばりてあり
夏茱萸のあかあかみのる神苑に町の子供らあつまりあそぶ
王余魚瀧に遊ぶ
わが友は先にゆきけむやまみちの二股道に小石積みあり
王余魚瀧ちかくまつれる轟きの神社すずし瀧しぶきして
舟遊
濠の面に舟を浮かせてたそがれを友とあそびぬ歌作りつつ
岸の辺に魚つる人をはばかりて濠の真中にわがふねやりぬ
舟やれば濠の水草にとまりたる小さき蜻蛉飛びたちにけり
濠の面に舟漕ぎやれば菱蔓の艫に縺れつつはかどらぬかな
中島に舟漕ぎよせて松の間のさやけき月を見つつ酒くむ
濠水にかげをうつして飛びかひし蛍火まれに小夜ふけわたる
父母を憶ふ
ありし日の父を思ひて涙しぬ月に酒くむこの夕ぐれを
われよりも先に死ぬなと母上は何時も宣らせり弱きわが身に
咲き残る躑躅
くさまくら旅ゆかへれば吾が庭のつつじの花は散りすぎにけり
丹躑躅の匂へる庭の松かげにたてば夕べのほのあかリかも
憶開祖
神去りしをしへみおやの御霊はこの世に生きて道守らすも
詣でみればなみだのつゆの奥都城の松にかかれる夕月のかげ
ただ一人この地の上に捨てられしこころいだきて神の道行く
大前にこころ清めてぬかづけばつつましきこころ自らわく
白雲のゆくへ
大山の尾根にわきたつしらくものゆくへ果なきわが恋心
樺太の大野に立ちてえんえんと燃えたつ野火を君と見しかな
雨の日の松葉牡丹の花に似てうらさびしもよわが恋心
夕靄にほのめく軒の一つ灯を力に一人通ふ野の路
君待ちて川べに立てば小夜ふけの千鳥乱れて鳴く声かなし
あひ見れど足らはぬ思ひしみじみと身に迫るかなくちなしの花
いたづきに瘠せたる君の面ざしに故知らぬ涙こぼれ落つるも
わが庭のひともと松に風たちてしづ心なし君待つ夜半は
砂利をふむ足駄のおとのきこゆなりこの小夜更を君の来にけむ
ひそやかに裏戸を出でて帰りゆく君を送りぬ夜嵐の音
人の世の定めあらそひがたくしてわが思ふ君は嫁ぎたまひぬ
生垣のかげにしろじろ茶の花の匂ふ夕べを君は来ませり
稲刈りて帰る夕べの野の辻に契りし君はいまや世になき
指折りて別れたる日をかぞふれば余りにながきなやみなるかな
高熊にかよふ山路の芝原を見ればなつかし昔ごころに
一本の老樹の松は今にあり昔なつかしふるさとの山
朝夕におもひなやめど何時までもあきらめがたし君のおもかげ
夏清新
朝の陽の玻璃戸ななめにさし入るにまぶしくゐたり文机のまへ
のびのびて窓辺をぐらき月桂樹のこずゑ払へばかをる朝風
庭の面に夾竹桃のあかあかと花咲きみちて窓辺あかるき
むし暑くみ空曇れり朝庭の芝生かわきて露だにもなし
移し植ゑし若苗向日葵まひるまを萎へうつ伏すひた土の上に
半夏生はやちかづきて南桑の麦生の小田はみづ田となりぬ
天地は寂然としてかすみたり水田の蛙たか鳴きに鳴く
百日紅の庭木は地になじみけむ今年の夏はこずゑしげきも
青葉かげに夏を凉みし庭の面の檪はあはれ伐られけるかな
青葉ひかるくぬぎ林に風もなく夕やけぐものあかきしづもり
うつろ木の花親しみて朝庭にわれ立ちをれば老鴬の声
城跡の高石垣をとざしつつ夏を匂へるさくだみの花
白うさぎ庭にはなてば若萌えの木賊はつひに食はれたりけり
庭土にくまなく生ひし青苔も土もろともに真陽に割れ居り
銅屋根を叩き葺くおとさやさやに響かひ来るさやにさやさやに
噴水をみつつ立てれば風ありてつめたき雫わが面におつ
虎杖の高く伸びたる下道ゆ空を仰げばかかるおほたき
むくむくと砂ふき上ぐるわきみづの浅き清水に親しむ真昼
トマトーのかをりゆかしき朝ばれの畠に立ちて夏を親しむ
わが庭の南瓜の花に蜜蜂のとまりてうなる朝は凉しも
水打てば庭木のかげに網はれる宿蜘蛛ひとつ飛びいでにけり
高殿に清水をひきてこの夏をわれ楽しもよ思ふことなし
真昼間を鶺鴒来りてあそび居りわが庭めぐるやり水のそばに
外濠のつつみに立てば夕つ風そよろに吹きて夏はすずしき
大いなる虹をみ空に描きつつ夕陽静かに山におちたり
独り寝の高殿の夜は更けにつつ庭木の梢に梟の啼く
水害のあとつくろひし堤防のかがやきしろし青田のなかに
雲の峰むらむらたちて遠浅の海のおもてのうす濁りつつ
○
ひしひしと迫る凉味、夕べの農園を去りがてにゐる
月
一日の汗をながすと桶風呂にひたりて窓の月を見て居り
湯上りのわが頬なでてわたりゆく月の夕べの風は凉しも
濠の面を包める菱のきれまより浮びかがよふ夏の夜の月
高殿の窓あけはなち蚊帳ごしに月を見ながら寝る夜楽しも
一と本の銀杏のかげに月を仰ぐわが眼かすめて渡る五位鷺
蚊帳ごしに月を眺めて独りぬる夜はしづかなり歌など思ふ
月ははや傾きにけむわが居間の玻璃戸しらじら明らみにけり
野の月
せせらぎの音したしみてひとりたつ土橋凉しき夕月のかげ
夕暮の神苑に友とたたずめばわか篁に照れる月かげ
水の面にうつれる月をゆりにつつわが船はゆけ濠のふかどを
夕月の光をやどして高台の一本銀杏のこずゑかぐろき
青葉ごしに月をすかして眺むれば夕吹く風に露おもに落つ
流星
夕暮の門辺に立てば星一つ君住む空にながれたるかな
あれあれと空うち仰ぐたまゆらに消えてあとなき流星のかげ
月見草
夕暮の濠端ゆけば草むらにはつかに咲ける月見草の花
夕月の光をあびつつ君とゆけば土手に匂へる月見草の花
たそがれの川ぞひゆけばほのぼのと月見草の花風にゆれつつ
還暦
若がへりわかがへりまたわかがへりみづ児となりし更生の秋
真夏の雨
たかむらにそよぐを見れば間もあらずわが窓ななめに叩く夏雨
地の上の森羅万象むしむしてさつと降りくる夕立の雨
銅の屋根に音たかく降る雨を西瓜きりつつききゐたりけり
大粒の雨ばらばらと芭蕉葉をたたくとみればはや霽れにけり
夕立の降りやみしあとの庭くぼに水たまりゐて雲をうつせり
夕立の名残りすずしき高殿にわれ妹とゐて夏をたのしむ
夕立の雨来るらしアカシヤのこずゑもみつつ風すぐるなり
迦具槌の神たむろせる愛宕嶺に雲わだかまり夕立のふる
わが庭の木木のこずゑのさわ立つやよこなぐり来る大粒の雨
道のべの蓬の下葉よごれをり土をたたきて降る夕立に
明日はまた雨にやあらむ溝川のうへを立ち舞ふ蚊とんぼの群
石段にほしたる草履かわくまもあらず昼雨またふり出でぬ
明日はまた雨なるらむか谷川のせせらぎの音高くきこえ来
土用雨かぜのひゆれば檪生のはやしさびしもひぐらしの鳴く
神苑の新篁に風立ちてゆふぐれさびし小雨そぼ降る
いかづちも雨もやみたる夕ぐれを濠の葦間によしきりの鳴く
若き日の思出
すげがさを顔におほひて田の畔に大の字に寝しむかしなつかし
稲草のあをあを茂る田の畔にたちて思ふも若き日の夏を
家居
ほととぎす啼く音もまれになりにけり家居ふえたる天恩の郷
あさ漬の茄子の色をすがしみつつ夕餉の膳にわれ向ひ居り
夕顔のしろじろ咲ける庭の面に蚊やりたきつつ二人夕餉す
鶴山に帰るべき日の近づきてわが業あまた残る花明山
つるやまや掬水荘の庭の面にわれをむかふる提灯ゆらげり
山と雲の外に見るものなにもなきこの山里はしづかに暮るる
山の端を月は今しも出づるよとあわただしくも妹は叫べり
生鮎のかをり親しき夕べなり家族つどひて夕餉をとるも
人馴れし直美はニ歳に満たざれどはきはきものをいふ児なるかな
毀たれし宮居の跡にたたずみてなみだにくるる信徒あはれ
園丁のむしりて来る初茄子のつやほのにほふ朝のすがしさ
花明山
東雲の空に棚引く棚雲をうるはしみつつ窓あけてみし
四方の山あまぎらひつつかみぞのの木木に風なき朝のしづもり
葉桜のかげにあかあか丹躑躅のかをるをみれば春まだありぬ
のぼり来る汽車の煙のきれぎれに並木の松にかかるあさ晴れ
かちかちと石工の石を割るつちの音ちからあり御苑の朝を
土はこぶトロの音たかくひびくなりわが高殿の窓吹く風に
千引岩そろりそろリと引いてゆく力みなぎれるウインチの綱
医王山尾根に湧き立つ雲の峰は人の姿となりて崩れぬ
半国の尾根にむれたつ雲の峰のくづれそめたり夕近き風に
焼きあげしこの楽焼のいろの冴え見ればいみじくほほゑましかり
青垣山四方にめぐらす花明山はそよふく風もかむばしき夏
夏雑歌
カナリヤの清しきこゑに朝のゆめ呼びさまされて静心なき
鉄道草花しろじろと咲きにつつ土用次郎の真昼あつきも
薮小みち出づれば青田の面わたる風の涼しもわが汗肌に
紫陽花のはなのうてなに蜜蜂のくろきが舞へる夏の日ざかり
松葉ぼたんいろいろ咲ける庭の面の暑きまひるを子らの遊べる
鶴山の椎の下かげ小暗くて昼も薮蚊のおそひ来るなり
うちつづく暑さに堪へずありにけむセキセイインコは篭に死にをり
蔓蔦の高いしがきを絡みつつ夏のなかばも過ぎにけるかな
むしあつく苦しきままにくたぶれて珍らしく吾はひるねしにけり
栗の毬彙小さき枝にさゆれをりあめふりやみし神苑のにはに
枝うつと松の木陰にたちよれば足長蜂の巣をかけて居り
夕暮の花壇を一人さまよへば庭の面あかきサルビヤの花
水うてどたちまちかわく日盛りの庭の面あつしあぶら蝉なく
夕暮を雨降るごとき蝉のこゑ聞きつつ空の澄みきらふ見し
朝冷えの稲葉の上に置く露のしろきを見れば秋の心地す
神苑をめぐりてみれば珍らしもまだ夏ながら萩のはな咲けり
日並べて雨の降れれば風冷えてまだ夏ながらすずむしの鳴く
風冷ゆる夏の夕べをぢぢと鳴く鈴虫のこゑは幼なかリけり
長良川
鵜飼するふねのかがり火またたきて蚊柱たちぬ堤のくまに
鵜縄干す鵜飼のやどのここだならび夏のあしたの静かなるかな
木曽の旅
日本ライン速瀬くだればわがふねの日覆をきりて波の秀高し
川舟に春さむ顔のをみなゐてころも洗へり日本ライン川
小夜更けて霧のながるる飛騨の町の人のゆききのしづかなるかも
苔の花にほふ山みち杖つきてのぼりゆくかな修験者のむれ
岩ケ根にもたれてきけばさわさわと霧のながるる音きこゆなり
夏ながら木曾の御嶽は二つの池の堤のくまに雪ののこれる
ややややに瀧のひびきの近まさりなれぬ山路を急ぎてのぼる
叡山
僧房のあさげの膳にいむかひて精進料理こころ足らはず
夏木立小暗きまでにしげりたる比叡の高山蚊のこゑもなし
叡山に登り来てさびし路のべに山紫陽花の咲けるを見たり
われゆけばつぎつぎ来る山駕篭の淋しくくだる雨の坂道
駕篭よ駕篭よ駕篭に召せよとかごかきがわが行く道にたちふさがりぬ
さつと吹く風に杉生の露散りて僧房の窓をななめにたたく
木木の花みな散りはてし山路に山紫陽花のはなをゆかしむ
まだ雨の降りやまぬらし鉾杉に這ひ上りたるひとすぢの蛇
白きシヤツ着たる男子の三四人林間学校の庭掃きて居り
ゐながらに琵琶の湖水をながめやるこの僧院の夕ベすずしも
校正につかれしわが目のころころと痛む夕べを僧院にねむる
大沢の瀧の真下の広池におよげる鯉のしづかにひれふる
きらきらと夕陽に映ゆる洛陽の街を真下に見つつ佇む
鴬の啼く音すがしき坂の辺にうぐひす笛を売る店のあり
ヴエランダにわれ立ちをればアカシヤの梢そよぎて蝉時雨すも
ケーブルを出づれば比叡の山なみをつつみて白く霧のながるる
叡山の夏のすずしさしみじみとこころ落ちゐて歌に楽しむ
吾がまなこ冴えにさえつつ宿院の小夜のくだちを雨ききてをり
よごれたる煎餅ぶとんにくるまりて寝る宿院の夜のさむさかも
洛陽にかへらむ道をきらら坂なかばのぼれば山雨の降る
延暦寺大講堂のにはの面は夕雨そぼちてしづもれるかな
宿院の窓おそひ来る山霧のはるる間もなく夏雨いたる
夏ながら比叡の御山の宿院にタベを寒み重ね着をする
宿院のあした清しみわが一人さまよふ庭に老鴬の啼く
比叡山尾上に雨はふりながら鳰の湖の面真陽にかがよふ
宿院の雨ふる庭にしろじろと山紫陽花の花うつむける
毒もつといへる馬酔木のつぶら実を山の小鳥の来てついばめる
踊りたく音頭とりたく思ふかな比叡の高嶺の月下の庭に
大杉のこずゑになける夏蝉の声かすかなり雨さむき山
竜王の瀧のしぶきはうすものの衣を透して凉しかりけり
苔むして神さびたてる大杉の木かげ凉しみ駕篭のりくだる
七面鳥
ぶくぶくと尾羽打ひろげ迫り来る七面鳥は雄猛びすらしも
親羽を地に擦りながらいかめしく七面鳥のせまり来るかも
君ゆゑに
国国の玉をつらねてくびかざり勾玉つくりかけて見しかな
君ゆゑにこころは苦しきみゆゑに心はたのしおもひ絶えねば
かがやける君がおもてのみだれ髪ただひとすぢに命つなぐも
しほなはのはかなき恋と知りながら君とあふ夜の楽したまゆら
酒を飲むわれにしあらば君の前にたわけて見たく思ふ此頃
訃を聞きて
この上は詮術なけれかにかくにみたまのふゆを祈るのみなる
現世のことは思はずひたすらに神の御国に栄えませ君
来るべき運命と知れど天津国に昇りし君の惜しまるる秋
(一首 内藤宣伝使の帰幽を悼みて)
松かさ人形
老ゆるとも死ぬは惜しけれ末の子のまだ嫁がずてあるを思へば
あがなひし松かさ人形荷にならぬ手軽きものも幼らがため
わが笑くぼわが子にもあり孫にさへ同じくあるを見いでたりけり
熊山(吉備)
山駕篭にかつがれ吉備の熊山にこはれ果てたる戒壇を見る
四国にて
つんもりと行手にあたる讃岐富士のおもて明るしうらら陽のかげ(讃岐)
祖谷渓の吊橋渡ればあかあかと初夏を匂へる山つつじ花(阿波)
鏡川にかがよふ清き月かげを君のみたまとおもひ清しむ(土佐)
若鮎の宿あちこちにならびつつ夏風すずし大歩危の里(伊予)
山・海・湖
瀞の子は素裸になつてくずの花頭にかざし水およぐなる(紀伊)
愛鷹の山のみ見えて白雲の富士を包める夕べさびしも
並びたつキヤンブの上はたそがれて富士の高嶺に暮れのこる雪
弓ケ浜渚に立ちて浦人の曳くさばあみを見つつたのしも
宍道湖の汀にたちてすすけたる障子を洗ふはした女のかげ(出雲)
テープ
なげてもなげても思ふ人が握つてくれない、もどかしいテープだ
デツキから投げつけたテーブを確かり握つた対手の顔を見つめてゐる
出雲不二の姿が次第に崩れて、わが汽車は鳥取に向つてゐる
淡黄色の稲田が、自分の視野を明るく朗らかにする九月!
国籍を持たない蒙古の女だ、牛馬と交換されるあはれな風景
宗教家の塗料
宗教家の塗料がすつかり剥げて、庫裡の裏から壁下地が覗いてゐる
何も彼も行詰つた世の中だと云つてゐる、俺は自由に展開して行くのだ
人の顔をじろじろ見てゐる女に何か淋しみを感ずる萎れた月見草の花だ
秋草の上にどつかりと胡坐をかいて、空の色を眺めてゐるすがしい朝
朝ぞらの青さが身にしみて、なにかつつましくなる秋!
躓いた石をかへりみて、腹立ちまぎれに蹴つてみる自分が、ふとをかしくなる
三年前に作つた眼鏡が利かなくなつた、老眼の淋しい秋!
硝子窓に頭をぶつつけてゐるやんまの淋い翅の音をぢつときいてゐる
初秋
秋立ちて澄みきる遠き空の奥にちぎれ白雲一つ迷へる
庭の面にふるすずむしのすずの音にゆられて秋はうごきそめたり
さらさらとアカシヤわたる初秋の風は凉しも高殿の窓
初秋の風吹きわたるおばしまに小鳥の篭をつりてたのしき
アカシヤの梢そよぎて初秋の風にひかれる天つ日のかげ
もろこしの赤毛やうやくしなびつつ初秋の風吹きそめにけり
初秋のま陽てる庭のかたすみにあかあか匂ふひより草の花
初秋の夜はくだちたり五位鷺の声聞きにつ濠端を歩む
初秋の風たちそめて庭の面の蛙のこゑのまれになりたる
外濠のゆふべに舟をうかべつつ友とむしりぬ菱のわかき実
蟷螂の小さきひなを見つけたり庭ぎくの下の草むしりつつ
蟋蟀の鳴く音かすかに聞こゆなり秋さりしてふ今宵の庭に
コスモスの梢に蕾みえそめてわが花明山に秋は来にけり
松を吹く風の音さへ変りけりおのづからなる秋のしらべに
穂芒のしげみをのぞく桔梗の花ほの見えて秋さりにけり
踊り
吾が庭に月の輪つくりて信徒がをどる太皷のおと冴えにつつ
鶴山の秋をとどろく太皷の音につれて踊りの輪のひろがるも
紅提灯あまたつるして踊りの輪見つつたのしく音頭とるわれ
萩
ちらほらと萩のこずゑに花見えて道もせきまで露にたわめる
わか萩の枝はのびつつ階段のうへに枝垂れて花持ちにけり
秋されど去らぬ暑さや神苑の萩の梢花咲きなやみをり
わか萩のこずゑあちこち花持ちてあしたの神苑に秋は来にけり
若き日のわがいたづらを偲ぶかな萩にみだるる風のゆふべを
咲きそめし萩のやさしき花のいろに昔こひにし妹をおもへり
鶴山の秋
椎の実のまばら落ちたる鶴山に朝な夕なを子の集ひ来る
鶴山に霧立ちこめて風もなくこころ清しき朝のしづもり
向つ山谷のはざまにひとところ白雲わきて秋晴れにけり
大江山いただき靄につつまれて鶴山青し秋はれにけり
四尾の山のいただきむらむらと照らひかげらひ雲まだらなる
ひえびえとあしたの霧の〓れつつ椎の実拾ふ子の声寒し
吾妹子のすさびなるらむ朝まだき筬の音さゆる手織機場に
鶴山の椎のこずゑのひと葉ひと葉秋陽かがやきしづかにゆるる
鶴山の吾が高殿に真清水をひきてたのしき秋ばれの庭
山駕篭にゆられてのぼる鶴山の夕べさびしくかなかなの鳴く
たなばた星
山川を幾つへだててさかり住むたなばた星のわれならなくに
稚比女の神にならひて吾妹子は綾の高天に神機織るなり
御祖を偲ぶ
背を出せば教御祖は子のごとく喜びてわれに負はれ給へり
わが御祖せなに負はれつ変りゆく世のありさまを語りたまへり
うぶごゑ
数萬年歴史のすゑにかをるらむ皇大神のうぶのおんこゑ
荒鷲(追想)
未決監のわれに送りし友がきの絵はがきに心なぐさめにけり
荒鷲のいむれつどひてあめつちのみあらか破りし其の日を思ふ
秋日和
オートバイの音たかだかと砂けむりたてて道ゆく秋日和なり
松の葉のひとつびとつに秋の陽は輝きわたり山風涼しも
文机のうへに紫苑のはな活けて秋をすがしく客とかたらふ
紫苑の花つかみさしたる床の辺に歌かきにつつ日は暮れにけり
石たたむ石工の槌の音さえてみそらすみきる秋日和なり
白きあかきコスモスの花に月冴えて夜半の神苑はすがしかりけり
竹薮のしげみを伐りてわが庭のながめ清しき秋日和なり
秋ばれの今日の真昼を吾妹子と濠のおもての菱の実をとる
百日紅の花の白きが池水にうつりてすがし秋風かをる
聖観音
伊都能売の聖観音のおん前にかしは手ひびく雨はれの庭
雨も風も知らぬ顔なる露天仏の聖観音のみ姿すがし
神苑の朝
大祥殿あしたの庭をどよもして天津のりとの声ながれくる
銅葺の屋根に白じろ置く霜を照らしてのぼる朝津日のかげ
よべの雨くまなく霽れし朝苑にトロツコの音ひびき渡れり
透きとほる空の清しさ見つつあれば神苑を低う鵲わたる
鵲の声すみきれる朝庭の霜を照らして日は山を出でぬ
明光殿庭のおもてに斑鳩のこゑさわやかに啼きわたる朝
朝庭をながるる霧にぬれながらダリヤの花はうつむきてをり
芦の葉に朝風たちて濠の面にうすうす霧の流るる秋なり
菊
神苑の枯れたる菊の根元より青くのぞける若萌えの色
しらぎくの花のつぼみのふくらみて虫の音しげき秋の神苑
漸くに花は咲けども下葉枯れてしみじみ淋し病持つ菊
観菊の御宴ひらかす砲の音あしたの靄をゆりてとどろく
蝦夷菊の花をめぐりてぶんぶんと羽音をたつる蜜蜂のをり
庭
この庭の土やせたるかわか松の幾年経るもおほきくならず
松植うる季節ならねどやむをえず土堤の若松植ゑ移したり
大空にはばかりもなくのびてゆく大王松の針葉ながきも
干竿のかげ一文字にうつり居り乾ききりたる庭のおもてに
寝苦しきこの真夜中を起き出でて庭のおもての露ふみ歩む
蟋蟀
花明山の神苑楽しも秋されば昼夜わかたず蟋蟀の鳴く
降りしきる雨のおとさへ知らぬがに夕ベの庭をこほろぎの鳴く
電燈をしたひてきたる蟋蟀の畳の上に落ちて飛ぶ宵
奥都城に立てば涙のした草のかげにかなしきこほろぎの声
月さゆる神苑あゆめば風寒みきれぎれに鳴く蟋蟀の声
小夜更の神苑あゆめば月おちて萩むら暗く蟋蟀の鳴く
夕雲をもれてかがやくにぶき陽のかげさびしもよこほろぎのなく
秋雨
おもおもと栗のこずゑのたわみつつ雨ふる朝を傘さしてたつ
日並べて雨は降りつつ釣瓶なはちぢめても水にとどきあまるも
日ならべて雨のふれれば飲井戸の水にごらひて汲みがてにゐる
雨やみしあとの神苑のひと時を声をかぎりにかなかなの鳴く
秋雨のふりにしあとのわが窓の明るさにゐてうたの筆もつ
たそがれて雇人等は帰りゆきし雨後の神苑の秋のしづもり
蝦夷の旅
しらくもは伊吹の尾根にあつまりて小雨降りしく琵琶の湖
ゆで栗の皮のかたさにわが義歯はづれむとする旅のさびしさ
さやかなる心をもちてこの秋をわれ北国のたびに立つなり
わが友は満洲の野にはたらけり日日のたよりを待ちつつ旅す
満蒙の空おもひつつ草枕旅なるわれはしづごころなき
鳥海の山に白雲あつまりて出羽のくにはら村雨のふる
草まくら出羽の大野の宿にしておもひはるけし満蒙の空
わが舘は小松の丘にかこまれてあしたゆふべの風涼しみ渡る
焼山のひとつ家すぐれば奥入瀬の川辺の道に人の家も見えず
うち仰ぐ金屏風岩のまおもてを鷹の舞ひゐて風さむき湖
高山はみなしらくもに包まれて湖にか青き波ぞただよふ
夕日かげ尾上に落ちて奥入瀬の山路大きくかげりたるかも
藤崎ああらら松原下かげをわれさまよひて秋をたのしむ
浪のおと松のささやき朝夕にきくもすがしき藤崎の宿
津軽不二のいただきに雲はたむろして秋風すがし旅を行きつつ
しづかなる山部のさとの旅まくらわれ芦別の山を恋ひつつ
水松のあかきつぶら実ながめつつ蝦夷ケ島根の秋をあぢはふ
蝦夷ケ島秋の朝風冷ゆれども妹としあればこころゆたけし
秋ふかみ蝦夷ヶ島根の並山のいろあからみつ霧けむるなり
野桔梗の花のむらさき目にしみて蝦夷の島根の秋はしづけき
白萩のはなはこぼれて別院の庭にさし入るにぶき陽のかげ
芦別の峰吹く風にあふられてからすむれとぶ別院の庭
もみぢ照る山のけしきをしのびつつ蝦夷ケ島根をたつは惜しきも
見わたせば空知平野の並山にやうやく秋のいろただよへる
狩勝の峠のけしき眺めむと思ひつつ今日も暮れてしまへり
あどけなく老若男女あつまりて今日の園遊会は暮れたり
吹く風は冷たかれども秋日和さやけき庭に餅まきするも
人を思ふ
鳥海の山の吹雪にあふられて出羽の大野に道説く君はも
目路の限り雪の大野をわけてゆく汝が宣伝の旅に幸あれ
仔猫
をさな児のしひたぐるまま猫の仔はかすかになきておとなしく居る
町人に貰ひし仔猫なきながらわが朝餉するそばにあまえつ
文殿に雨の音きくゆふぐれを一人さびしく猫とたはむる
親猫を忘れたるらし吾が膝にこころおきなく眠る仔猫は
秋の日
曼珠沙華の花は萎れて田の畔に秋陽さびしくさしそひて居り
更生館あかがねの甍秋の陽にかがよふまひるをかなかなの鳴く
一二りん色あせたれど庭の面にむらさきにほふ桔梗の花
鈴かけの実はぶらぶらと大木の梢にさがり風にゆれをり
濠端の蒲の青葉のさやさやにすれなびかせつ風出でにけり
雨霽れの愛宕山脈幾谷をかけてましろく雲のながるる
朝
窓の外にあけ近き鳥のこゑききて漸くわれはねむりたりけり
ほの軽きつかれ残りて今日もまた朝寝の床のはなれ難きも
カナリヤの啼く音すがしくうつらうつら寝床に聞きて朝の静けさ
南桑の野空一面靄たちて霜おく朝のしづかなるかな
向つ山ただひとところしろじろと霧かたまりて東雲めにけり
牛松の峰のひととこ一筋の雲ながらへて夜はあけにけり
かささぎの声のみにして庭の面をつつめる朝の霧ふかきかも
朝霧にしめれる土を踏みしむる素足の裏のこころよきかな
東雲の空ほのあかる間もあらず尾上をはしる霧のあしはやし
この部屋の玻璃戸てらして朝津日は秋の尾上をのぞきそめたり
松雀なきてあしたの高台をつつめる霧は霽れなむとすも
野の道をくぎりてたてる松並木朝の霧にぼかされて見ゆ
木犀の花の香清き朝庭にこころ静けくわれひとりたつ
朝つゆの庭を素足にふみながら木犀の花の香にひたりゐる
朝庭の木立に雀チンチンと友呼び交せり空晴れにつつ
鳰のうみ見えつかくれつ雨ぎらふ朝のしじまを頬白の啼く
高台に立ちて
釣人のかげながながと濠の面にうつして夕陽山にうすづく
むかつ尾の段段畠の赤土に日は暮れのこりて人のたつみゆ
たそがれし大枝の坂をくだり来る自動車の灯かげ真向ふに見ゆ
汽笛の音近く聞えて女学生の停車場道をあわただしくゆく
神苑の檪生の林ひらきたるあとに夕べのこほろぎ鳴けり
外濠のひろき水面をてらしつつ月は大枝の山をのぼれり
明智光秀
そとぼりに啼く五位鷺を光秀も夜のしじまにききたりにけむ
石田三成
人の身の運命も尽きてとらはれし三成もまた世の常の人か
十和田湖
子の口やうち寄す波のたかだかと十和田の湖は黄昏れむとす
虫の声しみじみときく旅の夜の更くるがままに独りもの思ふ
大空を包める雲の幕あけて日かげさしけりただひとところ
夕日かげ五色の岩にたださしてこの大き湖の水底そまれり
ゆく道は谷に添ひたり原始林の木もれ陽あはき奥入瀬の川
みづうみの面をかすめて鵜の鳥の羽ばたき強く飛び渡りゆく
湖際にこんもり立てる老松の肌あかあかと夕陽に照らふ
コスモスの花の細きがさびしげに十和田の宿の庭に咲きをり
朝明の風さむざむと十和田湖の波のおもてに薄霧流る
けふ一日すぐれば明日は帰らむと思ひつくづく十和田の湖見る
さすがにも秋なりにけり十和田湖に陽はかがやけど風のつめたさ
もみぢにはまだ早けれど十和田湖の島のながめは見のあかぬかも
月夜
高殿のまきに夕べの風いれて十四夜の月あかなく見るも
月の光きよく流るる秋の夜の江川のみづはすみきらひたり
鉾杉のかげくつきりと地に這ひて十五夜の月山を離れつ
秋の夜の澄みきる月を眺めつつ幸深き世ぞとつくづく思ふ
月桂樹の木かげ小暗き庭の面に月を待ちつつ友と酒酌む
天心に月すみきりぬわが居間の障子に描く庭松のかげ
小夜更けの窓にさし入る月かげに一人ものいひ一人をかしき
訪ふ人々
わかれたる人にはあれど訪ね来るこころ思へば憎からぬかも
狂ひたる人のつぎつぎたづね来る夕べはわびしいたづける身に
訪ふ人のなき日は淋し訪ひきたる人の多きも苦しかりけり
ぼつぼつと小さき声にてものをいふ人のうるささ忙しき身に
歌を詠むいとまほしけれ終日を訪ひ来る人の絶えぬわが身に
ひねもすを訪ひ来る人につかれはて話しながらに眠りたりけり
過ぎし日
過ぎし日のこと思ひ出てけふの日のわれを偲ベば夢なりしかな
故郷に帰りておもふ高熊の山に入りたる若かりし日を
月も雪も花さへめづるいとまなく貧しさゆゑにわれ働きし
ゑらぎつつ泣きつつ長き秋の夜を君と明かせし昔なつかし
すぎし日の恋を語りて得意気に笑へるわれの老いにけるかも
ままならぬ恋に悩みし若き日を思ひ浮べて君といむかふ
いにしへの竹馬の友の大方はわがふるさとにあらず淋しも
三十年を神の大道につくしつ百の試しにあひて来し吾
葛の花咲きみだれたる下かげにむかし通ひし瀧道のあり
法被着しわが若き日の写真見つつおもひいづるはふるさとの山
暮れなづむ半国山の入つ陽にむかへば恋しすぎし日のこと
思ふことなかば成らずに人生のわれはなかばを過ぎ去りにけり
日記帖より
湯あがりの鏡の前に長髪を梳きてくくりて心すがしき
かくのごとわれ肥えたりと諸肌を脱ぎて見せたり吾妹子の前に
銀杏のつぶら実梢に黄ばみつつ初秋のかぜ凉しく吹くも
南洋のポナペの島を拓かむと人遣はしぬ楽しも今朝は
ひさびさに訪ひ来し友を夕暮の汽車に送れば月山を出づ
菊の花にほへる秋をわが魂はよみがへるなり若かりし日に
菊の花咲きさかる日を待ち佗びてわれは朝夕花園に立つ
独りごといふ癖つきぬ高殿の窓辺夜な夜なたたく嵐に
土掘れば城の石垣つぎつぎにあらはれ来るに昔をぞ思ふ
小遣をねだるわが子にたはむれて搾取階級とよばはりてみし
鶏頭の花の鶏冠の大きくなりて朝夕に食む飯のうましさ
冨士の山のうつしゑ見つつ駿河なる吾が師の君の安否を思ふ
わが旅に立つべきよき日近よりて神苑の萩は咲き出でにけり
にべもなき花にはあれど稲の穂の匂へる朝は清しかりけり
ささやけき怒り押へて尖りたるひとのことばを黙し聞きをり
海中に立てる巌に大いなる亀の居るゆめ見たりよき夢
浪花より来りし友のみやげものまつまへずしの味のよろしさ
四年まへにかけし眼鏡のぼんやりとわが眼弱りてかすみそめたり
温室の草花いろいろ文机におきたらはして花の歌詠む
叔母のちちのみたる操子元気よく今日も神苑を靴はきて走る
偶感
浅ましき思ひするかな女子の酔ひてすべなきことを言ふ時
わが植ゑし松は神苑にしげれども老いまさる身を思へば淋しも
年さびし吾にはあれど翁てふたたへことばは心にさはる
速川の瀬瀬を流るる水のごと清くすがしく歌は詠みたき
たのむべき人なき世にも穂芒の誰を招くらむあしたタベを
大寺に木魚の音の響くなり穀つぶし奴が叩くにやあらむ
はてしなきこの天地のなかにゐてゆきつまれりとなげく弱虫
かりごものみだれ果てたる世を思へば老を安らふ心になれず
瀧津瀬の音にもそぞろ天地の生ける御神の声を聞くかな
天地は巡りめぐりて果てしなし元津御神の尽きぬ力に
知らぬ間にわれ六十年を越えてをりほしいままなる夢を見つつも
つつましくわが絵を描く室内を礼なき人ののぞきてゆくも
紅葉
朝日照る山の紅葉は露霜にかれてさみしき色となりけり
和知の山ははその紅葉照しつつ釣瓶落しに秋日暮れゆく
秋深み柿のもみぢ葉あかあかと庭に散りしく朝は寒しも
秋の色四方の峰より迫り来て天王平にもみぢ照るなり
松山の緑の中にあかあかともゆる紅葉の見の飽かぬかも
秋寒
朝夕は秋風冷えて窓外の田の面のかはづ声ひそめたり
今日もまた雨いたるらし朝冷えの愛宕の山に雲ただよへり
よべの雨けさはれたれど山山の谷間にいまだこもる白雲
あかあかとわが眼に野火のはしるなり夕吹く風に冷えを覚ゆる
コスモスの花はまばらになりゆきて銀杏の梢黄ばみそめたり
あまりにも月のひかりの清ければ夜寒の庭にしばし佇む
たらちねの母のことなど思ひつつ月下の神苑を一人歩めり
ひともとの銀杏にかかるゆみはりの月の光りの青みたるかな
夕風のさむざむ渡る神苑にふところ手して虫をききをり
朝のヴエランダ
塗料の匂ひが異様に鼻をつく、霧の丹波の朝のヴエランダ
枯野の日を見ながら、靴の紐をしめてゐるさびしさだ
障子のつぎ張りをしてゐる妻の顔に、何かかがやかしさがある
夕鴉が産土の杜に啼いてゐる、ああまた今日も暮れるのだ
硝子障子が微塵になりさうな嵐の礫だ、わづかに自己を支へてゐる
逝く秋
逝く秋の名残りとどめてただひとつ梢に残る柿は淋しも
しぐれ雲山の尾上にかかりつつ庭の常磐木風笛を吹く
かさこそと朴の落葉を踏みて行く渓間にかかる白糸の瀧
たわたわと鴉は止りあぐみ居り野辺のポプラの細き梢に
東の山のなぞへに雲のかげ一つおとして夕陽照らへり
庭の面のひともと松に西陽さして時雨のあとの露は光れり
たまさかに窓をひらけば嬉しもよアカシヤ散りて彼が家見ゆ
ぶらぶらと梢にあかき柿の実のさゆるるなべに鶲の声すむ
空銃に驚きにげしむら雀ややありてまた稲田に飛び来
東路の旅
満蒙の記事の新聞ひらきつつこころ忙しき東路のたび
冨士といふ名を聞くさへもすがしきを今朝は車の窓に見るかな
内外の国の騒ぎを思ひつつわれはひそかに東京に来し
東京に上りて十日たちにけり思ひたること半ならずて
今は世に立つべき時にあらねども御国の上に心はなれず
来るべき運命なりとわれはただ神にまかせて心いそがず
満蒙事変を国難来と誰かいふ我が日の本の更生の秋
満州の空にとどろく飛行機の爆音きこゆる心地する秋
やすらかにふしどにありて鶏の声聞きつつ思ふ北満の空を
さまざまの事思ひつつ暁の鶏鳴くまでも眠らずにゐる
初冬の空くもらひて昨日今日富士の高嶺の見えなく淋し
大空は澄みきらへきも初冬のせまる思へば何かさびしき
武蔵野に夕日はおちてほんのりと初冬の空は静かなりけり
大和男子わが立つ時の近めりと雲の流れを見つつ思へり
かかなべて暖かなれば初冬の庭の桜はほほけて咲けり
人類愛善主義
武力で鎮めた後をどうするつもりか、支那の巨大な胴体が眼の前にある
満洲の悲惨な鮮人を救つてやり度い心が自分の老躯を鞭つ
人類愛善主義の為に荒凉とした満洲に行かうといふ悲壮な心だ
人類愛にもゆる自分の懐はいつも氷点下だ、何といふ矛盾だ
タベの雨戸をくる音を聞きながら、何か安らかな心がおこる
深甚の考慮と言ふことは躊躇逡巡の畑から生れたのだ
青空の日
ほがらかな青空の日だ、呼びかけて話したいやうな気がする
捨てた煙草の吸がらを、つつましげに信者が拾つてゐる
朝からの校正に、疲れた眼にゲラ刷のインクの色のなまなましさ
自然の意思のままに、自分は楽しい朗かな生活をしてゐる
日溜りの土手にたんぽぽが咲いてゐる、花の揺らぎが私をいたはるもの
何といふ淋しさだ、来る者も来る者も皆私を騙さうとする
新築の画室の壁がぷんぷん匂つて、私に新しい慾情を感じさせる
草の上にタオルを敷いて、彼女と空をみた若い日が今日も私に来る
壁ぎはの白い水仙の花が私をほがらかにしてくれる朝
ドアを叩かれてはね起きた寝台、あわただしく羽織を着る
何か物足らぬ感じがする夕ベだ、三味線の音が聞きたくなる
ルンペンらしい冬の檪林が風に囁く夕べだ
淋しい村落にも堂堂たる小学校の建物が聳えてゐる
次から次へ煙突男が現はれる世の中だ、天地はくすぼつてゐる
栄養不良の青ざめた教員が体操の号令をかけてゐる淋しさだ
濠から吹いて来る冷たい風だ、五位鷺の羽の匂ひがぷんとくる
やがて桜が笑ふだらう、去年のやうに今年も君と行かうよ
一匹の蛆虫にも神の精霊のはたらきを感じてゐる
上棟式の棟梁が槌を使ひながら唄はぬ淋しさだ
夜店をひやかして買つた植木鉢、根のない松がさしてあつた
智者学者、そんなものがどこにあるか、盲千人のこの世の中に
彼の面
とある日の憂欝な彼の面ざしが、訳もなく自分の心をゑぐるのだ
間伐の杉丸太が皮をはがれて白じろ光つてゐる、四月
温泉宿の女中の赤い頬べたに自分の若い日が思ひ出される
スバルが大空を行く、あとからオリオン星座が鋤のやうに曳かれて行く
煙の行方を見て楽しむ癖が自分をして煙草を静かに楽しましめる
感傷的な彼女の眼に歓びと淋しさを感じてゐる、夜!
しとりしとり季節はづれの雨がこぼれる、真冬の夜の独り居!
高い煉瓦壁をみつめながら未決にをつた昔の日を思ひ出してゐる
なれなれしく膝にのぼつてくる仔猫にもひそかな愛を感じてゐる
バットの箱のやうな冬晴の空、大日蓮峯はプラチナのやうに光つてゐる
久しぶりに友と語らふ冬の日の陽あしが迯げるやうに山に沈む
蜂の巣をつついたやうな満洲の騒ぎをぢつと見てゐる自分は心が苛立つ
夕陽は山に入る待ちくたぶれた自分の心が尖る
雲の幕の破れ目から宝石のやうな星が覗いて暖かい冬の宵
内閣の更迭で田舎まで役人の首が飛ぶ物騒な冬だ
たつた五分間の遅刻に社長の眼が異様に光る
自分等を人間と思つてゐるのだらうか、あの冷たい社長の眼に
毀されたお宮の趾に建つた神声碑に教祖の姿が目に躍る
天地の歓喜に浸りながら今日も彼と歌をかいてゐる
公衆の前に琴を弾ずる耻かしさうな彼女の姿が自分の心をチヤームする
議曾解散になつた一月の空に不安な顔が並ぶ役所の事務室
北国の旅から帰つた朝の神苑に霜ばしらがたつてゐる
久しぶりに故郷へ帰つた寂しい日だ、小学校の新しい棟のみが光つてゐる
冬枯の萩の林を伐りとつた夕、明るい朗かな神苑だ
何といふこの静けさだらう、竹やぶの竹の梢は微動だもしない
何程おさへられても頭をあげねばおかぬ筍のやうな俺だ
半円タクにさへ乗り手のない不景気の町だ、寒雨が降つてゐる
霜の夜に響く拍子木の音がかちりかちりと自分の胸にぶつつかる
疑ひ深い税関の眼に無雑作に封をきられた満洲帰りの土産の煙草だ
義歯の腮の下を潜つた鰡の子だ、番茶をくくんでゆすり落してゐる
マツチ箱のやうな郊外電車が走つてゐる、人の頭が二つ三つ見えて
神経のにぶい自分は牢獄の中も苦痛を感じない幸をもつてゐる
わからない奴に弁解する必要はないのだ、只俺は微笑で済しておいた
涙よわい女の顔に何時もたましひをひきつけられてゐる
暖かい冬晴の縁の障子に羽のよわい蝿が毬をつく真昼
バラスの一つ一つに月が宿つてゐる、雨はれの夕べの神苑だ
冬雑歌
わがゆかむ旅の夕べを雨降りてさびしさとみにいやまさる冬
冬されば雪降る里の山も野もひよどり啼きてさみしさまさる
初冬のタベの宿の雨はれて旅ゆく心おちつきにけり
銀杏も萩の梢もきばみつつ風にちりしく初冬さびし
暮れやすき冬の日ながら金とりと語らひ居れば長かりにけり
どことなく寂しき冬の庭の面に南天の実の赤きが映ゆる
敷島の煙もうもうと室内にとぢてうごかぬ独り居の冬
薄曇るみ空の奥に冬の夜の月ぼんやりとかすみたりけり
冬たちて松の梢はあからみぬ去年のかたみの古葉ことごと
竹籔を伐りたるあとに細ぼそと竹にまがへる冬木たちをり
雨戸くれば玻璃戸とほして牛松の山なみさゆる冬のあけぼの
破れたる障子の穴をつくらふと庭に落ち来る雪を見てをり
庭の面の石をめくればふくれたる蛙出でたり風寒き冬
花一つなき冬の日の庭の面にあかあか実る萬年青は床し
郊外を走る電車のかげ寒くあられ降るなり千葉の葛野に
冬ふかみ刈田の畔の榛の木に鵯啼きて吹雪するかも
葛もみぢ残らず散りて岩ケ根を絡める蔓の淋しき冬なり
大方の草は冬枯せし野辺にたんぽぽ青くつぼみもちをり
湯を飲めば薪のけむりのしみてをり雪にうづもるこの山の家
上つ瀬は月にきらめき川下のゆるき流れに千鳥なくなり
鈍き陽は半国の尾根におちゆきて霰まじりの雨降り来る
裏山にひよどり啼きて向つ山尾上の松に雪ひかり見ゆ
雪の夜
静かなる夜なりと門に立ち出でて佇む空ゆ粉雪ちり来ぬ
大空にぼんやりかすむ月かげを見上ぐる面に粉雪の降る
川の音遠くきこゆる真夜中をしづかに降れる庭の白雪
冬の夜の静けさに居て地震もやとうすらおそれを抱きつついぬる
向つ丘かすみたなびき初冬の陽はあたたかに静かなる町
四国の旅
年の瀬を前に控へていそがしく冬の二名の旅に立つかな
真夜中の甲板に立ちて荒れ狂る浪にかがやく月を見にけり
風さむき重信川の長橋ゆ吾をまつやまの城のかげ見ゆ
松山の松のこずゑにこもりたる風は霰を誘ひ来にけり
湯を上り火鉢によればあわただしく屋根うつ霰の音の高しも
ちらりちらりと雲間にさせる星かげを湯より上りて見るが親しき
星のかげ一入さえて二名島の夜を吹き過ぐる凩のおと
松風の音ききながら湯のやどにしづ心なく冬の夜をゐる
この冬は雪多からむ茶畠の茶の木の花はうつむきてをり
白妙のゆふつげ鳥を聞きにつつ暁までも君とゐしかも
くもらへる空のひととこほの明く冬の陽光のうすぼけて見ゆ
見はるかす土佐路は広しぼんやりと冬の山山かすみたるかな
同じかげながら道後の温泉の空照る月はゆかしかりけり
石槌の山のいただき雪降りて新居浜わたる風のさむきも
煙突のけむり海空を閉しつつ吹く風さむし四阪島の冬
春の日の心地しながらあたたかき二名の冬の雨を聴きをり
巡礼の唄の静かに流れつつ冬の徳島たそがれにけり
木蓮の広葉は散りてこの冬をつぼみもちをり別院の庭
向つ丘霞たなびき初冬の陽はあたたかに静かなる町
高山のいただき雲に包まれて風静かなる土佐の国はら
南海の二名の旅の冬にゐて雪の丹波をおもひつつ眠る