王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1惟神
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3信仰異同よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考「神国」大正一四年五月二五日号「信仰は異なるとも」とほぼ同じ
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ132 目次メモ
OBC B123900c042
本文のヒット件数全 63 件/ノ=63
本文の文字数1103
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  宗教は芸術を生み、芸術は宗教を生む。芸術は人生花である。人生に宗教及び芸術無き時は、世中は実に寂寥な、そして無味乾燥なもである。そして変愛と信仰とは人生に欠くべからざる真実果実である。
 神仏やそ宗教を信仰すると云ふも、要するに恋愛を拡大したもであつて、宇宙元霊たる独一真神を親愛するを信仰と云ひ、個人を愛するを恋愛と云ふ。ゆえに、恋愛と信仰とはそ根底を同じうし、ただ大小区別があるみである。
 いづれ宗教も、社会人心改良とか、人類愛実行とか、霊肉救治とか、天国楽園を地上に建設するとか云ふ趣旨外に出づるもでない。故に古往今来、幾多宗教が現はれても、人生に光明を与ふるを以て目的としないもはない。期する所は同一目的に向つて流れて居るもである。
  あめあられ雪や氷と隔つれど 解くれば同じ谷川
と古人が歌つたは至言だと思ふ。いづれか宗教を信じ一つ信仰を持って居る人は、どこともなく物優しく懐しみがあり、そして一種光明に包まれて居るやうな感じがするもである。
 それ故自分は、宗教宣伝使を以て自認して居るが、同じ宇宙唯一大神霊に向つて同じ神霊愛に浴せむとする目的をもって居る宗教である以上は、眼目点さへ同じければ、枝葉にわたる宗教的儀式や説き方などは次次である。宗派および信仰を異にする人々と対立した場合自分心持は、春花見に行つた時、一方には上戸が居つて酒に浸り「酒無くて何己がさくらかな」と云うて一日歓楽を尽す人と、竹握り飯を開いて食つて居る人や、芸者など手を引いて花下で他愛なく戯れて居る人があるやうに、いづれも目的は花見にあるである。そ人々嗜好によつて、千種万様自由自在歓楽を尽して居るやうなもで、そ目的さへ一つであれば別にいやな感じもせず、春風駘蕩として面をやはらかに吹くやうな感じがする。また同じ共同風呂に入つて、温かなゆつたりとした気分に浸り、一人は詩吟をやり、一人は浪花節を唸り、一人は浄瑠璃を語り、一人は端歌を唄つて居る。いづれも同じ風呂中でありながら思ひ思ひ事を云つてゐる。
 しかし人々嗜好は変つて居つても、温かい風呂に浴し、身体垢を落し、爽快気分を味はふ点においては一つである。また詩吟、浪花節、浄瑠璃、端歌など何を聞いても余り気分悪いもでない。そやうな感じを自分はいつも持つてゐる。宗教を持たず、信仰無い人に接した時は、たとへ自分兄弟であらうが、親であらうが、妻であらうが、何とも云へぬ淋しみがあり、また自分と間に薄い幕が張られて居るやうな気分がするもである。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki