王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1惟神
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3皇道は神に基くよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ348 目次メモ
OBC B123900c103
本文のヒット件数全 69 件/ノ=69
本文の文字数1380
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  余は明治三十一年から約四十年に亘って、終始一貫皇道精神発揚ために身を捧げて来た。
 そ間、外尊内卑高調が堤を決して押寄せる真っ只中に、全身に飛沫を浴びながらそれを防がうと血みどろに闘った時代もあった。或ひは爛漫と咲き誇る欧米物質文化花園から静かに退いて地一角に生命種子を蒔き、そ若芽を育んだ時代もあった。豪雨狂ひ疾風荒ぶ覇道文明激浪に、方舟を漕いで神救ひ御手に来たれと絶叫した時代もあった。
 かくして或ひは幾度か刺客白刃を潜り、或ひは万人馬詈と嘲笑を一身に浴びて冷獄人となり、或ひは蒙古荒原に囚はれて死刑宣告を受けた。しかしこ数奇を極めた吾が半生を一貫して導いたもは、ただ神に事へる真心と皇国を思ふ純情以外に何ももなかったである。
    ○
 満州事変突発と共に、日本精神に還れ、皇道精神に目覚めよ、叫びが高らかに唱へられた。しかして皇道研究が卒然として起り、日本主義読物がたちまち店頭を埋める偉観を呈した。そ有様はこれを譬ふれば、春風に梢を鳴らす桜花ともいふべきか、遠く離れてそれを眺める者も、樹下蔭に花衣を着る人も、今を盛り色に酔ひ、過ぎにし冬寒さを忘れ、明日にも来たらむ嵐を知らぬ風情であった。
 まことに、学者教ふる惟神道、思想家説く皇道精神、そして軍人叫ぶ日本主義、総てそ内容は精細を極め巧妙を尽しまた精力溢るるもがあった。四十年間脇目も振らず、あらゆる試練を潜って皇道一本に突き進んで来た自分でさへも、今さらやうに思はず目を見張らなければならなかった。
 しかし余は、かく皇道を叫ぶ人々多くが最も肝腎な一事をゆるがせにしてゐるやうに感ぜられた。然らば最も大切な一事とは何か、皇道は神より発する道であるといふことである。故に皇道に関する百理論よりも、大切なるは敬神一事である。神ながら言挙げせぬ国が日本本然姿である。だからして神社参拝を実行しない者に皇道が判るはずはない。神様をわが家に斎かざる者に神ながら道を説く資格はない。神に一切を捧げ、神心に融け込んでこそ、始めて皇道真諦に触れることが出来るもである。神無い皇道は稔る事なき徒花である。たとへ五色に色香は咲いても、稔らぬ花は栄えない。余が長い間、
「三千世界一度に開く梅花、開いて散りて実を結ぶ」
と云ったはここことである。開いて散りて実を結ぶ、開いた花は散らねばならぬ。そして散った後において始めて徒花と実花が判ってくるもである。
    ○
 満州事変直後、皇道潮が澎湃として高鳴る時、今にも昭和維新が眼前に実現するか如き勢ひを示した。実にここ数年間に、皇道旗を掲げて革新日本前線に躍り出た人々は無数である。
 しかし、開いて散りて実を結ぶ、開いた花は散らねばならぬ。今や皇道運動者に立別嵐が吹いてゐる。それは一度は通過せねばならぬ必然運命である。余は一面、これが早く来ることを待望してゐたである。国家大事をなす者は、如何なる時代においても金も名も生命も要らぬ赤誠士でなければならない。故に真に神を信ずる者みは、いよいよ辛酸が加はりますます試練が重なるにつけて、完成日近づけりと心に歓喜を覚えるもである。永遠に栄え実を結ぶ者は、ただ神を信じ神御心に生きる者みである。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki