文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3皇道と人類愛善よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ352
目次メモ
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本文
火は水の助けによって燃え、その気高く天に昇る。水はまた火の力によって横に流れ、広くこの土を潤す。天地間における生成化育は一つとして水火の交はり陰陽の結びに因らないものはない。
しかして人の心が火の如く縦に働く時、敬神、崇祖、尊皇、報国の皇道精神となり、水の如く横に流れる時、四海同胞、相互扶助の人類愛善の精神となるのである。故に如何に神を敬ひ君を尊ぶといへども真に人類愛善の大精神を忘れてゐたならば、それはあだかも既に水気を失った灰を熱するが如く遂に発火するには至らないであらう。
それと同様に、如何に四海同胞を唱へ相互扶助を云々しても、もしそれが皇道精神を基調とするものでなかったならば、あだかも熱の無い水が氷雪となって万物の成長を阻害するやうな結果に陥るものである。
今や我が国にもまた世界にも、国家主義と協調主義の対立抗争が日増しに激化しつつあるが、如上の如く愛善に基づかざる国家主義は必ず世を混沌より破壊に導き、皇道に悖戻せる協調主義はつひに人類を衰退より滅亡に陥れるものである。満州事変勃発と共に、我が国民が永年の退嬰追従の協調主義から進取独立の自主的精神に立帰ったことはまことに結構なことであるが、もし皇道即ち愛善の真義に徹することが出来なかったならば、国家をして弥栄の道に進ますことは絶対に不可能である。
しかして余の唱ふる人類愛善の精神とは、今日一般にいはれてゐる人類愛とははなはだしくその意義を異にするものである。即ち人類とは人群万類の意であって、この地上に住む二十億の人類はもちろんであるが、進んで禽獣虫魚、草木石土に至るまで、宇宙の万象をことごとく神より発する愛を以て抱擁する意なのである。
愛善は神より発する最高至大の真愛であって、人がその至善の愛を慕ひ求むる心、これに住する心を愛善の精神といふのである。故に物質に内在する愛善の力を正しく利用する道が真の科学なのである。たとへば今日の電気科学は水や火から発する愛善の力を応用したものであり、農業や牧畜や漁業は、動植物の愛善を人間の福利に供せむとする業なのである。また人の心に神ながらに内在する愛善の力を発揚せしめて、以て国家社会を正しくする道が政治であり経済であり教育である。
故に人類愛善とは天文、地文、人文の一切を正しくそのところに在らしむることであって、余はかかる意味において人類愛善のことを「宇宙の大本」「皇道の大本」といってゐるのである。しかして愛善を基調とせざる科学は愛悪科学であって、かかる科学は結局人類を真の幸福に導くことが出来ず、かへって科学文明の発達のために混乱と破壊をこの世に招来するものなのである。愛悪政治、愛悪経済、愛悪教育は利己心に基調をおいていたづらに人の心に競争心を誘発せしめるものであってその途は憎悪と闘争、その終りは永遠の破滅に至るものである。
今の世界を見渡すのに、平和を渇仰する者も闘争を礼賛する者も、ことごとく「人類愛善」の大義に立脚してゐない。もし世界がこのままで進んで行ったら、恐らく愛も善もこの地上から、永遠に消えてしまふであらうと思はれる。
余は十年前愛悪に沈んで行く世を座視することが出来ず、遂に人類愛善の大旆を掲げて広く世界の同志の蹶起を促したが、苦闘十年、今や内外に多数鉄石の同志を獲得した時、外に極端なる愛悪世界の出現を視て、いよいよ勇躍最後の「人類愛善」の雄叫びをここになさむと欲するものである。