文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名310 母の背よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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母は栗柄の糸ひきがすむと、綾部に帰ってきてくださいました。そうして屑買いをつづけられました。
私はそのころ上町のひょうじさんという茶の製造をしているところにいって働きました。子供にでもできる茶撰りをさしてもらって、いくらもらっていたのかは忘れましたが、日当をもらってかえりました。母さんは夜になって家に帰ってこられますと、よく私を背におんぶして歩いて下さいました。近所の人に、「昼は茶撰りにやらしますので、夜にこうして負うてやりますんじゃ」と言われていました。そのころは母さんと私の二人暮らしでしたし、私はおッきくなってもこうして、しじゅうおんぶしてもらって歩いてもらいました。
これは母が帰神におなりになるまえでありました。糸とりの仕事もないころで、商売も思わしくなく、教祖さまも収入がないので困っておいでの時でした。ある日袴をはいた人が家にはいってきました。役場の人であります。そのころの町役場の役人は洋服をきている人はなく、みんな袴をはいていました。私の家にきた役人は家中(士族やしき)のひらわさんという爺さんで町の上納係りで税金の督促にきたのでありました。その人を見ると教祖さまは小さな私の蔭にかくれるようにして、そっと奥にゆかれました。
しばらくして出てこられ「今できませんから」といって断わっていられました。その時の母さんの顔を私はおばえています。教祖さまはこの時のことを後に警察で申されています。「今日生活ができぬ者に上納がおくれたと言って三銭ずつ足代をとって、それで酒を飲んでうまかったか」とえらいけんまくで役人のやり方を怒られたのであります。また「下の者をいじめるより、大きなところに賊がいるではないか」と言われたのも、その日のことがあって世の中のことを考えられたからでありましょう。教祖さまが帰神になられますまえは、なにか一つ大へん強いものが、あのやさしかった母さんからチラチラと見え初めていたように思います。
教祖さまはふだんは屑買いにはげまれ、ある時は糸ひきにでかけられました。また下駄の鼻緒の内職をされていることもありました。
教祖さまのなされた糸くりも鼻緒の仕事も紙屑を集められたことも、みな神界から見れば大きな意味があったのであります。
ことに教祖さまの“紙屑集め”と清吉兄さんの“紙漉き”は神界からの大きなお仕組みでありました。