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文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名310 母よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B124900c12
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本文の文字数981
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本文  母は栗柄糸ひきがすむと、綾部に帰ってきてくださいました。そうして屑買いをつづけられました。
 私はそころ上町ひょうじさんという茶製造をしているところにいって働きました。子供にでもできる茶撰りをさしてもらって、いくらもらっていたかは忘れましたが、日当をもらってかえりました。母さんは夜になって家に帰ってこられますと、よく私を背におんぶして歩いて下さいました。近所人に、「昼は茶撰りにやらしますで、夜にこうして負うてやりますんじゃ」と言われていました。そころは母さんと私二人暮らしでしたし、私はおッきくなってもこうして、しじゅうおんぶしてもらって歩いてもらいました。
 これは母が帰神におなりになるまえでありました。糸とり仕事もないころで、商売も思わしくなく、教祖さまも収入がないで困っておいで時でした。ある日袴をはいた人が家にはいってきました。役場人であります。そころ町役場役人は洋服をきている人はなく、みんな袴をはいていました。私家にきた役人は家中(士族やしき)ひらわさんという爺さんで町上納係りで税金督促にきたでありました。そ人を見ると教祖さまは小さな私蔭にかくれるようにして、そっと奥にゆかれました。
 しばらくして出てこられ「今できませんから」といって断わっていられました。そ母さん顔を私はおばえています。教祖さまはこことを後に警察で申されています。「今日生活ができぬ者に上納がおくれたと言って三銭ずつ足代をとって、それで酒を飲んでうまかったか」とえらいけんまくで役人やり方を怒られたであります。また「下者をいじめるより、大きなところに賊がいるではないか」と言われたも、そことがあって世ことを考えられたからでありましょう。教祖さまが帰神になられますまえは、なにか一つ大へん強いもが、あやさしかった母さんからチラチラと見え初めていたように思います。
 教祖さまはふだんは屑買いにはげまれ、ある時は糸ひきにでかけられました。また下駄鼻緒内職をされていることもありました。
 教祖さまなされた糸くりも鼻緒仕事も紙屑を集められたことも、みな神界から見れば大きな意味があったであります。
 ことに教祖さま“紙屑集め”と清吉兄さん“紙漉き”は神界から大きなお仕組みでありました。
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