文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名316 不思議な道づれよみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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八木の虎之助さんから──ひさが大病になりたゆえ、すぐにお越し下され──という手紙が綾部の教祖さまのところへ参りたのは、明治二十三年七月十八日でありましたので、明けて十九日、暁立ちで教祖さまは八木へ急がれました。手紙では大病とあるだけで詳しいことは分からず、教祖さまは人の子の母として産着も届けてやれなかったこと、産後の病いの恐いことを想われながら、心を痛めつつ道を急がれたそうです。
八木も間近くなり、八木の島の手前にこられると、男の声がして、
「あんた、えろう急いで、どこへ行きなさる」と声をかける人があるので、後をふりむかれると、四十七、八と思われる、どことなく品のある男の方が追いついてこられるので、
「私は八木にいる娘が病気じゃという手紙がきましたので急いどりますじゃ」と教祖さまが答えられますと、
「それはお気の毒な!ワシも急ぎますので、道伴れになりましょうかい」と言いながら、その品のよい男の方がズット教祖様のそばにより、教祖さまの顔をジイッと見ていましたが、驚いたように、
「何とソナタは不思議な女人でござるのう……目は男性の目なり、今は婦人であるがソナタは本来男でござるがのう。めずらしき女人ざ。そなたは七人の女でござるのう」と言うので教祖さまは、これはまた、妙なお方と道伴れになったものだと思いながら、
「あなたは易でもみられる方ですか」と聞かれると、
「ワシは易は見ぬ」とぽっつりと言うので、それにしても不思議な方と、
「あなたにちょっと伺いますが、私には八人の子供がありますが、そのうち長男が家出をして、未だに行方が判らず、心配しております。その子もいつかは戻ってきましょうか。私はそのことが心配で、その子は大変酒の好きな子供ですので、戻ってきたらタントタント酒を呑ましてやりたいと思っています。それで私のおりょうという女の子に今から酒屋をさして長男が戻ってきたら、好きな酒を飲ましてやりたいと思っています」
と言われると、その男の方は無雑作に、
「その男の子は、そんなことは嫌いじゃわい。それから言うておくが、ソナタは嫁の世話にはならぬ女じゃわい、茶一ぱい嫁からは汲んでもらえん女子じゃ」
とこんな風に言われ、教祖さまは、その頃まだ自分の因縁性来については何もご存知ないころで、「自分はなぜにそのような業の深い女なのだろう」とつくづく自分が恥ずかしく、肩身のせまい思いをしたということを、私に話されたことがあります。
それから、しばらく行かれると、その男は
「今日はこれで失礼するが、ソナタにはまだゆっくりと話したいことが、山ほどある」
と別の広い道に一人でスタスタと進んで別れたかと思うと見えなくなったと言うことです。
後年、教祖さまが、その男の方の進んでゆかれた道はどこであったかと探されましたが、そのような道はその辺りにはどこにもなく、全く不思議な道伴れであったと申されていました。
福島の家のそばまで来られると、ひさ子姉さんの大声で叫ぶ声がきこえてきたと言うことです。私はその時の教祖さまの驚きと深い悲しみはどのようであったかと、母の胸のうちを想わずにはおれません。
教祖さまが福島虎之助の家にたどりつかれると、発狂した姉は、座敷牢に入れてありました。
姉はその時のことを私に言ってくれたところでは、
「あの時、ワタシの耳のそばで神様同志が話される声が聞こえ、また目には立派な装束をつけた神様やら、髪の長い気高い神様が見えて、そこへ王子からこと子(註=教祖さまの第二女栗山こと子)が亀岡の金光教の先生を伴れてきて、その先生が天照皇大神、日の大神、月の大神などとご神名を唱えだしたのを聞いて、ああ自分が見ていた神様がそう言う方であったのかと感じた」
ということでした。
八木のひさ子姉の神憑りは教祖さまとしても初めての体験で、非常に驚かれたようであります。
明治三十三年閏八月二日の教祖様の直筆に、
「出口の因縁は中々六カ敷なれど、元からの因縁は昔からなり、この世の因縁も元は八人の血筋で手分け致して間配りて、仕組が為て有るぞよ。明治二十三年の七月十九日に八木の福島のひさが大病で、暁立でなおが参りて八木の島の手前で出口に追付いて、お前は珍しき婦人じゃと申したのは人民では無かりたぞよ。お前は婦人に生りて来ては居れど婦人ではない男子じゃと申してあろうがな。七人の女じゃと申してあろうがな。その因縁も分かりてくるぞよ」
とありますが、この不思議な道伴れは教祖さまのこころによほど深いものをのこしましたようです。
その後、西町のおよね姉さんが神憑りになったというので、教祖さまが見舞いにゆかれた時、教祖さまご自身の腹の中から、
「オーこの女、この女、八木の島であったのはソナタであったわい」
という声がでてきて、教祖さまは何じゃ判らず心配されて、
「アナタは一体どなたですか」
と尋ねられると、
「この方は三千年世に落ちていた艮の金神じゃワイ」と、また腹の中から声が出て来たので、教祖さまは、これはいよいよ自分も大変なことになった、困ったことになったものじゃ、艮の金神さんと言えば悪神の崇り神と言われているどえらい神さんじゃが、どうしてこう言うことになったのだろうか、どうしたらよいのであろうか、と途方にくれたと言うことであります。そうしてこの時も、八木の島で会われた上品な男の言葉がハッキリと頭に浮かんできたと言われました。
ズッと後になって信者さんに、「ワタシの目は七人の女の目じゃと神様がおっしゃるが、どんな目をしとりますかい」と話されながらホンヤリ笑われて、非常に懐っこい慕わしい目をされました。教祖さまの眼は優しい眼でありましたが、またある人には、ジッと見つめられると恐い眼であったそうです。
ひさ子姉さんの神憑りも、教祖さまがゆかれて二三日するとすっかり鎮まりましたので、教祖さまも安心して綾部に帰られました。
その後、虎之助さんは大病をされ難儀されたということですが、丁度百日目におかげを頂かれて治られました。