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文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名320 ご開祖帰神よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B124900c22
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本文の文字数2145
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本文  ご開祖帰神は、明治二十五年旧正月十日ということになっております。しかし私には、教祖ご帰神月日についてハッキリした記憶はありません。
 何しろ私は、そころ、三日一年九つでありますから、人こころ中におこったことが分かったり、こまかいことにまで行届いて見分けられるはずがありません。
 そ当時くわしいことは憶えておりません。
 旧正月もすぎて、まだお餅あるころでありました。夜中に私は、教祖さまから、大きな声で呼び起こされました。これが、私教祖ご帰神について実地目げきした最初であると思います。
 そことは、そ後教祖さまから聞かされたことであります。
 旧正月といいますと、梅ほころびるころでありますが、そころ綾部は、いまより寒いところであったように思います。
 出口家は、大きな榎木あるところに住んでいました。いまも綾部神苑にある榎木がそれで、こ榎木には、いろいろ思い出があります。
 正月がきましても、教祖さまにはご心配ごとがありました。
 西町およね姉さん神憑りがだんだんはげしくなって、正月から、荒れて荒れてしようがなく、教祖さまは、そ日も見舞いにゆかれました。
 そ間、私とおりょうさん二人は、下梅さんというろうあところへ遊びにいっていました。
 暗くなり、行燈をつけるころになりましたで、教祖帰りを今か今かと梅さん炬燵に入って待っていましたが、そうちに寝てしまいました。
 何時ごろでしたか、教祖が帰って来られ「すみや、起きて下され」と大そう威厳ある声で起こされたような気がいたしました。私は子供心にハッとなって眼がさめましたが、それでも、いつも教祖がおそく帰るときには、
「そーれ、饅頭買うて来たぞや」と言うて、待ち呆けて寝ている私達に草鞋もぬがずに、膝で畳上を這って来て、くれたもですから、そ時も、いつもように、
「饅頭買うて来てくれたか」とねとぼけて聞いたそうです。饅頭買えなかった時は、
「さア母さんが戻ったよ、ご飯たべえや」と言って、寝ているそばにすりよって来てくれる母が、こ夜はどうしたと言うでしょう。突然大きな激しい声で、
「ここあけい」と叫ばれるが響いてきました。
 それは、常へいぜいは優しい声母でありますに……、そ時は、まことに凛とした響きで、そういう声ことを、当時、“オ大将ヨウナ声”と言いましたが、そ声はお大将ように耳元に響いてきました。
 私は、これは、なんしたことかと、子供ごころにも惑うておりました。教祖さまはそうち家中に入ってこられた様子でした。じっとちぢこまっていた私は、それからしばらくして、さらに大きな声で呼び上げられました。
「バッシ(末子)おすみど、ちょっと起きて下され、西町へ行って三十六体燈明を供えて、ご祈念せい、と言うて来て下され」
 私はあまり大きな声で言われたで、びっくりしてとび起きました。夢中になって土間に下り、真暗ななかを下駄をさがしておりますと、教祖さまは「早よゆけい」と叫ばれるで、あわてて、手さぐりで下駄をさがし、手に下駄を持ったまま西町へ走ってゆきました。
「ああ、どうしよう、かあさんまでが気狂いになったらかなわんなア」
 そ、どうしようもない、灯も消えている闇町を私はこころに泣き泣き西町へ走りました。
 いまから思いますと、こバッシ(末子)おすみど、という言葉は、そち、筆先にたびたびでてきますが、こ時に私は初めて聞かされたであります。
 しかし、そ当時私に、母ことばが神がかりであるということは分かりません。ただ、そお声きびしかったこと、清々しく滲み透るような力で、呼び起こされたことが、思い出されます。
 ご開祖神がかりを、みられたことない人には想像できませんが、ふだんは、やさしい、もしずかな教祖さまが、神がかり時は腹底から凛とした、誰しも聞けば身緊まるような、輝くような力強いお声がほとばしり出たであります。
 とにかくそ私は、優しい母が別人ような厳しさに唯おそれをなし、こわいという一念で、母言い付けどおりに西町ところに行ったであります。
 西町にゆくと、前にも書きましたように、およね姉さんは家大黒柱へ後ろ手にガンジガラミにくくりつけられていました。私いったを見ると「おすみ来たかア」とひどい勢いです。そして「ハシリにある出刄持って来い」と私にどなりましたが、近所人も来ていて「そんなも持ってゆくことできんぞ」と止めてくれました。私が教祖さまから言い付けられたことを、鹿造に話しますと、鹿造は舌打ちをして、
「お母アもとうとう気が狂ったとみえる。よしよし、三十六燈明あげてお題目を唱えたから、安心しなと、帰ってお母アに言ったがよい」と申しますで家に帰りました。
 家に帰りますと、教祖さまは、
「ご苦労であった。寒いから風邪を引かぬようにして、早くこたつに入っておやすみ」と言われましたが、そお声はいつも母さん優しい、しずかなお声でした。
 教祖さまはご帰神前に、不思議な夢をみておられます。これは後で聞いたことであります。
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