文献名1幼ながたり
文献名2思い出の記よみ(新仮名遣い)
文献名32 神火よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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明治三十二年の節分頃、平蔵さんは永らく御無沙汰していたというので、久し振りで鷹ノ栖の自宅を出て、そのころ裏町の土蔵に住んでおられた教祖さまを訪ねて来られました。
そのころ、教祖さまの書かれる筆先には、しきりに先生のことが出てきておりました。
教祖さまとしては、先年、八木のひさ子姉さんが、園部にいられた先生を連れて来たおり、教祖さまの神様を見わける因縁の人は東から来るとかねて神様から示されておられたのですが、年も余り若いし、それに教祖さまの大嫌いであった稲荷講社の人だというので、まさかこの人がと思っておられたのでありますが、「やはりあの人が因縁の人で、教祖さまに懸っておられる神様を見分けて表へ出される方であるから、あの人を早く迎えて一日も早く神の道を開くように」という意味の筆先が次々に出まして、先生を早く迎えにゆくように頻りに神様がお急ぎになったのであります。
教祖さまは、訪ねてみえた四方平蔵さんにその筆先を示されまして相談されますと、平蔵さんは、これはほっとくわけにゆきませぬと早速、
「田の植え付けが済み次第、出口教祖のお使いでご相談に参りたいから……」という封書をしたためて送ったのであります。そのあと、夜遅くまでいろいろと話がはずんで、とうとう鷹ノ栖村まで帰れぬような時間になりました。それで教祖さまが、
「平蔵さん、今晩は泊ってゆきなはれ」と勧められるままに、平蔵さんもその気になり、一晩泊めてもらうことになりました。
その晩は特に寒さが厳しかったので、教祖さまは自ら薩摩芋を切り、暖い芋粥を炊いて、
「平蔵さん、このお土から取れたお米を、日の大神様の御火と、月の大神様の御水で炊いたお粥ぐらい結構なものはありません。ご膳をいただく折りには、必ず天地の大神様に御礼を申し上げてから、頂かねばなりませんぞ」と話されながら芋粥をすすめられるのでした。平蔵さんは心から教祖さまの暖かい心づくしと、神様への感謝を捧げて、それを頂かれるのでした。
夜も更けて来たので、平蔵さんは教祖さまの入れておかれた炬燵で温もった布団に這入りましたが、外は吹雪らしく、壁に吹きつける風音の激しさは炬燵で温もっていても身にしむようです。裏畑の桑の裸木が風に震える音を聞いている中にいつしか、眠りに入ってしまったということです。何時頃であったか、ふと平蔵さんが目を覚すと、井戸端でしきりに水を浴びる音がしています。一きり水音が止んだかと思うと、また水を浴びる音が響いてくるのです。
教祖さまが水行をされていることは聞いていたが、「この寒中にお寝みになる間もない荒行だ、もったいないことだ」と、心中恐縮しながらも寝込んでしまいましたが、また再び目が覚めると、相変わらず水を浴びる音がしています。
平蔵さんが井戸端に面した障子の隙間から覗いて見ますと、暗中であるにもかかわらず、土蔵の入口の方に髪の毛の半分白い教祖さまのお姿が見えるのです。あまりの不思議さにフト振り返って見ますと、御神前にものすごい勢いでバッ、バッ、バッと火がもえ上がっています。それは丁度硫黄を燃やす時のような炎でありましたが、教祖さまの方へ眼をやって、もう一度御神前を振り返った時には、何時の間にか火は消えて、教祖さまのお姿も拝することが出来ませんでした。ただ水を浴びていられるザアッ、ザアッという音のみが暗中から響いてくるだけでした。
平蔵さんは何だか総身が引きしまるような気になり、頭から布団を引き被ってみたものの、その夜はとうとう眠り切ることが出来ませんでした。そしてその後夜明までに、二、三回は水を浴びていられる気配がしていました。翌朝、起きあがるなり祭壇に燃え上がっていた火のことを教祖さまにお尋ねしますと、
「あれは神界で松明を焚いて、私の水行しているのを、御守護して下さっているのや」
と申されました。平蔵さんは更に、前夜のことを思い浮かべながら、
「一体昨晩は何べんほど水を浴びられたのです」
と訊きますと、
「七へんほど行をさしてもらいました」
と言われますので、平蔵さんが井戸端へ行って見ますと、ちょうど氷が七重の層をなして井戸端に氷結していましたので、いっそう吃驚してしまったのでした。更に、教祖さまから、
「水行の時は、水を浴びても、神様のお守護で少しも寒いことはありません。一回の水行に十三杯水を浴びると、神様は“もうそれで良い”と言われるのですが、もう一杯頂きますと言って、ツルベの水を頭からかぶっても、不思議に顔にも体にも、一しずくの水もかかりません。頭の上で、水がパッと飛び散ってしまうのです」
と、水行のおりの詳しい模様を聞かされまして、平蔵さんは昨夜の神火と思い合わせ、心の底から信仰の徳の偉大さを思わずにはおれませんでした、と話されています。このことが機で、平蔵さんの信仰は一層深くなったと言うことです。
もともと平蔵さんは、人の世話など引き受けて、よく面倒をみるような親切な人でありましたが、神様の方は、もう一つというところだったらしいですが、しかしこのことがあってから、今までとは打って変わって熱心に信仰するようになりました。
そして、春が過ぎ、田の植えつけが終わるとその当時、他の役員らは挙って反対していたにもかかわらず、教祖さまのお使いとして、先生を迎えに行く御用を果たされたのであります。この時は神様も大変お歓びであったとみえて、わざわざ、お筆先が出て「四方平蔵殿、抜群の御手柄」と、その功績を、たたえられたのであります。