文献名1幼ながたり
文献名2獄中記よみ(新仮名遣い)
文献名3一本の桐の木と蝉よみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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こうして明け暮れを達磨のように面壁して、念うこともなく未決監房に馴れ染めようとした何日目、私の瞳に、一本の桐の木がうつり初めました。
それは、かつて丹波の山野に眺めたような、すくすくと伸びた樹の姿ではありませんが、監房のかたい庭の一隅に、年々秋には枝をきられながらいたいたしく生きている一本の桐でありました。しかしその時の私には──今、この同じ地の上で、常に冒と目を合わせて生きているたった一つの生き物──という懐かしい──私とお前──というような仲間を得た喜びを感じました。ことに単調なコンクリート色の四面の小さな窓枠の間から、青いものが見られるということは、私の心の中からあるものを甦らせてくれるのでした。
──とにかく心の慰めといったら、この一本の桐の木だけで、その木の緑の色を見るということは、夏の日の旅人が、清水の湧きいでる泉を見つけて走りよる時の喜びのようなものです。
世間におれば、山も見られる、川の流れに立つこともできる、吹く風にそよぐ野草の路を行こうと自由自在であります。しかし未決監というようなところに入れられると、自分の自由意志のきかぬことは想像の他であります。そんな時、この一本の桐が、どれだけ私の心を慰めてくれたか分かりません。
私は毎日々々桐と話をしていました。秋になると──桐一葉落ちて天下の秋を知る──という言葉のように、大きな桐の一葉が風もないのに落ちるのをじっと見つめることができます。裸木になるころは冬の枝の美しさや樹膚が目に染みてきます。春になると角芽を吹き、やわらかい葉が一日一日のびて、葉の姿ができ、形が大きく進むにつれて、緑の色が濃くなり、夏には、こもごも葉を重ねて茂り合います。こうして毎年々々春夏秋冬が過ぎ幾度か、この感傷を繰り返したのです。私は春になると桐の木にいいました。
「昨年の秋、お前の葉が散ってゆくのを見たとき、来年は、再びお前の新しい葉をつけて陽を吸っている顔を見ることは出来ぬであろうと想っていたが、また今年の春のお前の晴れ姿を見ることが出きてのう……」と自分の生きていることをしみじみと話しました。夏の初めのある日、この桐の木にも蝉が鳴き出していました。幼い声の蝉が桐の木の幹にとまって鳴いているとシィーンとした空気がただよい、その中で桐が自分の大きな呼吸づかいをこらしながら、幼い蝉をとまらせているように思えていじらしく、また自分の何十倍もある樹の幹にとまって、無心に啼いている蝉をみていると、私も一つ心になって、呼吸をしずめて聞き入り、万物が愛し合って生きているいい知れんなぐさめを感じ喜びにひたったものであります。