文献名1出口王仁三郎著作集 第5巻 人間王仁三郎
文献名2第1部 自叙 野に生きる >故郷の二十八年よみ(新仮名遣い)
文献名3不幸の半生よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ最終更新日2024-10-20 18:47:34
ページ12
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本文
茅屋は破るるに任せ、擔廂は傾くに委し、壁は壊れて骨露れ、床は朽ちて落ちかかる悲惨の生活に甘んずるの止むを得ざるの小農あり、上田某の家庭是なり。長子奇三郎は、明治四年(旧)七月十二日を以て呱々の声を此の伏屋に挙げたのである。土地の人情は酷薄無情にして、利己と蓄財に余念なき里人は、上田某の貧家を睹ること、恰も塵埃捨場のその如である。
奇三郎が十歳の星を重ねたるの中秋、桐葉風に弄ばれて裸体の惨状を呈する頃、村内の大地主某に学校の帰途邂逅したのである。尊大にして傲慢不遜なる某は、何の容赦も無く、突然奇三郎を蹴上にしたのである。奇三郎は一種特別の徒ら小僧であった。下校の途次、山吹色の汚きもの路傍に湯気を立たせつつありけるを見て、面白半分に竹片を拾い乍ら、其の先に附着せしめて、女生徒の驚き迯ぐるを追い捲りつつ、乱暴をやつて居た。大地主某の娘も其の中に加わつて、頻りに泣き叫びつつあった。某は之を見て立腹の念むらむらと起こつたので、某は矢庭に奇三郎を蹴り倒したのである。
カも無ければ地位も無き貧家の奇三郎は、俄に態度を改めつつ怒りを強いて圧え乍ら、恭しく謝罪を述べたのである。高が十歳の腕白小僧、余り大人の相手にす可きもので無い筈だのに、剛腹頑陋にして常に世人を見下し、横暴跋扈到らざるなき某は、小僧に対して微塵の容赦なく、更に大喝して曰く、「汝は吉松の小伜だな。よしよし此方にも考慮がある、確固と聞けよ」と、左も憎らし気に頭上より怒鳴り付けたのである。小僧は地獄で鬼の金棒を見せ付けられた様に、戦慄して居るにも拘らず、某は「汝小僧小僧の分として頭が高い」と、乱暴にも拳を固めて前頭部を二、三撃、小僧は痛さ無念さを忍んで俯伏したまま熱涙に咽んで居る。
某は更に口汚く、「貴様の父は宮角力取り斗りさらしよって、肝心の百姓はそこ退けにしてけつかるから、此方が貸与てある大切な田園が荒れる斗りだ。小作人にあるまじき挙動だ。百姓に勉強せぬから何時迄も鉄槌の川流れで、どたまが上がらぬのだ。貴様の処は一体毎日何を食って生活して居るのだい」と、家内の生活状態までも途上に糺問する傍若無人のその挙動、傍らを通行する里人は何れも素知らぬ顔に見捨ててぞ行く。小僧は詮方涙なくなくも、「はい、麦飯を食べて……」。「何、貴様の家では麦飯はちと分に過ぎる、贅沢だ、干菜でも混ぜて薄い粥でもすすれ、夫れが家に相当して居る。又貴様とこの父も宮角力なんぞ止めないと、小作の田地も悉採り上げて仕まうぞ、早く宅へ帰って己がそう言ったと、父や母に確りと告げて置けよ」と、怒鳴り立てる其の有り様はえんまの如き面構え。
奇三郎は怖る怖る答うる様、「私に不足は言わないで、父に直接意見して下さい」と、言わせも果てず某は、「いや貴様の父は頑固一天張りの馬鹿者だ。己がいうよりも伜の貴様が言うことは却って聞くであろう。家を大事と思うなら、篤と両親に諫言せよ。また宮角力を取ることは一切相成らぬぞよ」と、言葉も荒らかに、奇三郎を尻目にかけ、睨み散らして帰つて行くのであった。喜三郎は初めて強食弱肉の社会の無情を味わうて、小供心に泣かされたのであつた。此の時深く刻まれた無念の印象は、今に猶歴然と心裏に往来しつつあるのである。
嗚呼社会は何ぞ不公平なる。貧家に生まる者何の罪科かある。富家に生まれし者果たして何の徳かある。父母は兀々営々して日夜稼業に励むと雖も、一家七人の生活費に窮すれぱ、血も無く涙もなき里人の軽侮嘲笑する所となりぬ。恰も貧富の懸隔は主従の関係を来たすが如き観あり。嗚呼父の家貧困なりとて、必ずしも卑賤ならざる可し。彼等富者なりとて必ずしも尊貴ならざるべし。暴戻惨虐、姦侫邪智の輩往々にして富貴の門より出で、忠臣孝子・義僕貞婦、却って貧者の破戸より出ずるあり。
何ぞ貧者の児たるを恥んや。
(「神霊界」大正七年五月一日号)