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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第7編 >第3章 >2 葬儀よみ(新仮名遣い)
文献名3一般的反響と信徒動向よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ816 目次メモ
OBC B195402c7323
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本文  終戦による社会情勢変化によって、大本にたいするマスコミ態度は好転し、新発足以来しばしば大本活動状況が報道されるようになった。とくに関西においては、愛善苑提唱した国際宗教同志会が発足して、各宗各派協力提携ができていたし、またこ会を代表する牧野虎次(同志社大学総長)や、日本宗教界唯一日刊新聞「中外日報」社主真渓涙骨が、愛善苑顧問として強くバックアップしたことなどから、関西における宗教者や識者あいだには、愛善苑にたいする理解がしだいに芽ばえつつあった。
 だが当時一般社会は、食うこと着ることが精いっぱいという状態であり、終戦直後混乱と虚脱状態から完全にぬけきってはいなかった。また用紙不足から新聞紙面は極度に制限されていた。そため第二次大本事件当時ぼうだいな紙面をつぎこんで連日報道された「大本邪教観」は、まだまだ払拭されていなかったし、「新生大本」にたいする認識と理解は、ひろく世間には浸透していなかった。そなかで聖師昇天をみたである。識者やマスコミ関係者が聖師昇天を知って、聖師なきあと「大本」にたいし、非常な関心をしめすようになる。とりわけ、聖師昇天をめぐる信徒熱烈な信仰凝集が、注目をあつめた。
 『朝日グラフ』は「喪服山越え十八里」と題して遷柩写真を特集したし、朝日・毎日・京都各新聞も、熱烈な信仰によるためしない遷柩として報道した。また『週刊朝日』(昭和23・2・22)には「百万円葬式・王仁三郎師昇天」見出しで、感激的な遷柩模様や、聖師昇天にいたるまで経歴などを記事として掲載した。こ遷柩報道はたちまちひろく喧伝されて、世人々にふかい感銘をあたえた。ことに信徒か聖師によせていた信頼おおきさが見なおされ、信仰集団熱烈な底力が注目された。大本はすでに解散していたと思っていたおおく人々が、こ記事によって、大本健在を知ったという。
 なお海外では、ドイツ白旗団機関紙、世界エスペラント協会機関紙、キリスト神霊主義機関紙等々に聖師訃報と愛善苑近況が紹介された。聖師存在が偉大であっただけに、そ昇天反響は社会的にもおおきく、生前聖師に接したことある綾部・亀岡一般町民なかにも、そ昇天を惜しむ声がすくなくなかった。反面一部では、「王仁三郎さんが死んだら愛善苑ももうだめだろう」と声がないではなかったが、すみ子夫人見事な態度と、昇天を期してさらに信仰をふかめた幹部・信徒行動によって、そうした懸念も一掃された。むしろ宗教人間では、そ信仰つよさと純粋性にふれて、今後日本宗教界先頭にたつだけ気迫と実力を、じゅうぶんにそなえているもこそ愛善苑であると、評価する声がたかまっだ。
 ながいあいだ、聖師指導教化によってつちかわれていた信徒は、いちように聖師を信仰かなめとあおいでいた。そして、聖師あって大本であり、聖師あって救世神業であり、みろく世を目標とする大本経綸主体は聖師であると信じきっていた。したがって、まだみろく世が招来されていない時点にあっては、聖師昇天はありえないことであり、神約神契破棄である。そうまで信徒は信じ、かつ思いつめて聖師に期待していた。大本事件による大弾圧に耐えしんできた信徒内面的ささえは、おおいなる聖師存在であり、それが力でもあった。大本神業はこれからいよいよ聖師によっておこなわれるもと信じていた。そ絶対的な信念が、聖師昇天によって裏切られたであるから、そ内面的な衝撃はおおきかった。直日夫人によって、〝みろく完成を信じ従ひて来し人等を思ふ父は死にたり〟と詠まれているが、信徒は天を拝し地にひざまずいて慟哭痛惜し、信仰的苦悩にとざされた。
 しかしながら、聖師昇天後二代苑主毅然とした態度と、神的現象に裏づけされた強力な指導によって、絶望にあえいだ信徒もたちなおり、暗黒は光明へと転換されていった。出口委員長によって「私達は現界に於いてこ愛善教を全人類に普及宣伝し、霊界に於いては聖師様が救神として御活動あそばされ、信仰篤き人々中に生き、よみがえり、それ等人々肉体をつかって御活動をなされるである」(二月四日節分祭で挨拶)と説かれているように、聖師にたいする肉体的信仰あやまりが反省され、各人か自己なかに、神的聖師をよみがえらせていったである。したがってそ衝撃も比較的短期間にとどまり、教団全般としては顕著な動揺はおこらず、むしろかたい団結が、すみ子夫人を中心にかたちづくられていった。二月四日には白雪ふりしきる彰徳殿に信徒二五〇〇人が参列して、二代苑主先達によって節分祭がとどこおりなくとりおこなわれたし、そ前日支部長・連絡事務所主任会議では、「二代苑主新任にともなう愛善苑機構、運営問題がいよいよ明確となり、今回を機に更に積極果敢な活動を互いにちかいあった」である。
 だが部分的には、わずかなから分派的な活動がおきた。三五教(中野与之助ら)働きかけが、信徒一部に混迷をあたえたり、井上功がみずからミカエル聖師と名り、聖師にあこがれる信徒を魅惑させた。そほか聖師が自分に神がかりしたと称するもが、二、三あらわれたりした。しかしそれも一時的な現象でおわり、教団としてはそ影響はきわめてすくなかった。全体からみると、それら分派的活動にかたむいたもは、数十人はこえない程度であった。予言や神秘主義に郷愁をいだいた一部人たちが、聖師昇天につまづいたである。しかしそれら分派者といえども、出口聖師をたたえ、そ偉大さを信ずる点においては、かわりはないだろう。そうけとり方相違が、これら人々を分派へはしらせた。むしろ聖師偉大さにたいする認識は、生前以上にたかまったである。

〔写真〕
○聖師昇天は国内外人々から惜しまれた 右から牧野虎次 出口委員長 出口直日夫人 p817
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