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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第2章 >3 諸団体活動よみ(新仮名遣い)
文献名3大本婦人会よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
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ページ1067 目次メモ
OBC B195402c8232
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本文  梅花運動やみろく殿建設、保育事業へ協力を通じて婦人役割がおおきくなり、婦人運動が活発になるにつけ、大本愛善婦人会組織もまた充実され、会員も四〇〇〇人にたっした。そこで、一九五二(昭和二七)年九月には規約を改正して、あらたに会長をおき、中央委員会を審議機関とした。そして会長に出口八重野、中央事務局長に小高美沙子が就任し、一一月からは機関誌「婦人会だより」を発行して、婦人会中央と地方と連絡を密接にした。一九五三(昭和二八)年には、三代教主から、婦人会紋章を「三つ梅」とさだめられ、会員はこれを紋服にもちいてもよいこととなった。
 またこころには宗教婦人連盟を通じて、他宗教団体と友好関係もふかくなってきた。一九五三(昭和二八)年五月一四日、近畿宗教婦人連盟総会では、京都府代表として大国清香・兵庫県代表として野上比奈子が、大本婦人立場から意見をべ、「信仰による真実喜びを具現し、人類平和に努力する」ことを誓い、戦犯者慰問をおこなうなど、大本愛善婦人会員地域活動もみられた。昭和二八・二九年には、教養向上と生活改善、青少年育成・社会福祉活動・地域婦人会と交流などが運動方針としてとりあげられているが、こ線にそって日常活動がたえずつづけられ、婦人運動分野も拡大されてそ基礎もしだいにかためられていった。
 一九五四(昭和二九)年ビキニ環礁における水爆実験反対署名運動には、人類愛善会・青年会と協力して活躍した。ビキニ被災者家族見舞には、婦人会中央事務局次長大山美子を婦人代表として派遣した。そ生々しい報告は婦人会員におおきな刺激をあたえ、原水爆実験反対署名運動にたちあがらせた。そしてそ後ひきつづいて教団が展開した水爆問題講演会や、世界連邦アジア会議へ参加となり、また原水爆禁止世界大会へ毎年代表を派遣するなど、平和運動へ自覚と意識をたかめた。
 農繁託児所開設は、一九四九(昭和二四)年から農繁保育所としてとりあげられ(七編四章)、一九五三(昭和二八)年には大本愛善婦人会事業として、地域婦人会と協力して穴太で開設したにつづいて、昭和二九年には穴太をはじめ、京都伏見区納所、八木、綾部、鳥取吉岡など、各地婦人会でつぎつぎと実施された。中央事務局はこれら施設に経費助成をするとともに、大本社会事業団と協力して、保育所指導者講習会をひらき、具体的な指導をおこなった。こ事業は、ちに農繁託児所必要性について社会関心をめざめさせ、農村有志や自治体によって開設されるようになるまでつづけられた。また一九五四(昭和二九)年から展開された食糧自給国民運動に、婦人会は青年会とともに協力し、農事講習会参加呼びかけをおこなうなど、各地で積極的に活動した。同年八月五日には、京都宗教婦人連盟主催万国戦没者慰霊祭が、大本愛善婦人会世話で亀岡天恩郷でおこなわれ、来苑した神・仏・基各教宗派代表と交歓がなされた。ついで八月九日第一一回中央委員会において、大本愛善婦人会名称は「大本婦人会」とあらためられた。これよりさき、昭和二七年から一月一五日「成人日」に、本部奉仕者成人祝をおこなっていたが、会員子弟信仰育成ため、昭和二九年からは、これをひろめて全国会員子弟成人式を天恩郷でおこない、記念品をおくることとした。こ成人式は地方連合会でも漸次おこなわれるようになり、二世信仰を啓発し、交流をふかめる機会になった。
 こうした活動なかで、一九五三(昭和二八)年四月基本婦人会長会議で決議した婦人会館建設は、総工費二九一万九二〇一円で、一九五五(昭和三〇)年八月六日には天恩郷苑内に完成し、三代教主から「瑞月舎」と名づけられた。こ婦人会館には中央事務局がおかれ、会員宿泊・会合に利用されたが、さらに、建物すくなかった天恩郷では、教団活動各方面にこ施設が提供されて、おおきな役割をはたした。
 宣教や個人家庭にとって、もっとも重要なこと一つは女子青年育成である。婦人会はこ要望にこたえ、教団と協力して、一九五六(昭和三一)年五月から二ヵ月間、大本女子教修所を婦人会館で開設した。また、本部女子奉仕者研修にも力をつくし、料理教室・和裁教室などもあわせて開催した。また青年会と協力して、少年育成に力をそそぎ、毎年各地で開催される少年夏季学級に援助をおこなった。
 節分大祭に婦人が奉仕する瀬織津姫行事服装についても研究がおこなわれ、三代教主意向にそって、昭和三一年基本婦人会長会議で白衣・紫花帯服装を制定し、翌年から実施した。これを機会に、婦人会ではこれら服装を調整して保管し、節分大祭における瀬織津姫行事奉仕いっさいを、一九五七(昭和三二)年より毎年担当しておこなうこととなった。また、こ年には教団宣教方針にもとづいて、本部修行者送り出し運動に積極的に協力している。昭和三二年八月には、大本婦人会は全面的な規程改正をおこない、従来中央事務局は本部事務局とあらため、中央委員会を廃して、連合会長会議を審議機関とし、地方基本婦人会は婦人会支部と改称した。
 こころには平和運動へ意識もたかまって、一九五六(昭和三一)年からは被爆者救援運動をおこし、全国会員にたいして一円募金をよびかけた。これら募金は原水爆禁止日本協議会を通じて被爆者団体に寄付され、ちに被爆者援護法が制定されるまでつづけられた。原水爆被害者救援運動とともに、「人類愛善新聞」原水爆禁止世界大会特集号一部売りも全国で実施され、婦人会も各地で熱心にとりくんだ。また各地で世界連邦都市宣言運動に協力するなど、平和運動をはじめとして、婦人団体連合会へ加盟、全国母親大会へ参加など、一九五七(昭和三二)年以降には婦人会運動対外的進出も積極化した。さらに大本婦人会は人類愛善会婦人部立場で世界連邦運動を推進し、一般婦人集まりとして全国数ヵ所に結成された世界連邦婦人有力メンバーとなり、一九五八(昭和三三)年二月に結成された全国世界連邦婦人連絡協議会には、東京・京都をはじめとする大本婦人会員が重要な役割をはたしている。
 一九五八(昭和三三)年四月、出口八重野辞任にともない、五月二七日付で出口向江が会長に就任した。こ年は社会活動とともに、生活なかに信仰を生かす実践面に力をそそいだ。これは八月第二回連合会長会議で決められた、「みろく実現は、まずわが家からみろく家とすること─これこそ婦人に課せられた最も大きな使命であります。それには精神面が大切なことは申すまでもありませんが、婦人務めは生活体的な面をあずかることにあります。私たち日ごろ家庭生活が教えを生かしたもでなくてはならないと思います」(「愛善苑」昭和33・9)と運動方針にもみられる。
 また青年会と共同で機関誌「大本婦人・青年」を発刊し、冬期特別宣教として婦人派遣講師磯部八重子を、一九五九(昭和三四)年二月中旬より1ヵ月間北海道に派遣し、婦人問題について研修した。
 また同年八月八日には第一回大本婦人会幹部研修講座を三日間にわたって天恩郷でひらき、「大本使命」「現代家庭教育」「教典よりみた婦人おり方」などを講題に研修をおこなった。こうした婦人講師派遣や研修会を通じて、自己内修と家庭愛善化へ気運をたかめた。
 一九六〇(昭和三五)年には、教団宣教方針である「家族ぐるみ信仰」と「分苑・支部家づくり」に協調して、全国総合研修会を宣教部・青年会と一体になって推進し、本部事務局からは小高・磯部・細田よしを等が出向した。研修会では家庭や地方機関・地域における婦人役割について話し合いがおこなわれ、家庭を基盤に婦人運動へ積極的意欲をたかめた。
 ついで一九六一(昭和三六)年には、教団・人類愛善会・婦人会・青年会総合運営もとに、開教七十年特別宣教体制が確立され、神教宣布活動が強力に展開された。婦人会員はこ特別宣教なかで、あたらしい信徒みちびきに活躍し、おおきな成果をあげ、会員数も五五〇〇人となった。婦人会はまた、そ後も一円募金運動をつづけ、毎年風水害や冷害など災害救援基金にあてたり、「愛善米運動」とあわせて社会福祉面にも活動した。さらに人類愛善会諸運動にもおおきく貢献したが、それらは第三章平和運動で言及されている。

〔写真〕
○大本婦人会機関紙 p1067
○紋章 三つ梅 p1068
○農繁託児所がつぎつぎに開設され社会関心をよびおこした p1069
○大本婦人会館 瑞月舎 昭和36年移転直前 亀岡天恩郷 西光館北東側 p1071
○大本婦人会全国連合会長会議 真剣な討議をへた実践は教団発展原動力となった p1072
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