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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第3章 >4 憲法擁護と軍備撤廃よみ(新仮名遣い)
文献名3人類愛善会よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-11-19 03:17:33
ページ1177 目次メモ
OBC B195402c8344
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本文  さきにべたように、人類愛善会は、人類愛善による絶対平和実現にむかって、精力的な活動を展開してきた。しかしそなかで、人類愛善精神普及を目的とする日常活動もまたたゆみなくつづけられてきた。運動をささえる自体組織強化ために、会員増加や組織整備に意をそそぎ、とくに愛善講演行脚や座談会、「人類愛善新聞」による啓蒙活動には血にじむような努力がかさねられた。人類愛善会員は、〝一枚愛善新聞売るさへも神国を救ふ神業なりけり〟〝愛善道を拡むる第一神器は愛善新聞なりけり〟と聖師教にしたがい、神業奉仕へ自覚にもえたっていたである。
 一九五二(昭和二七)年に人類愛善会出口すみ子二代総裁が昇天されたち、三代教主出口直日総裁就任か懇請されていたが受諾されなかった。一九五五(昭和三〇)年六月九日、綾部みろく殿で人類愛善会創立三十周年記念祭典および年次大会がおこなわれたが、そとき三代教主名誉会長推戴が発表された。総裁でなく名誉会長ならと快諾をえたからである。そ前日中央委員総会で役員改選がおこなわれ、出口伊佐男会長・嵯峨保二副会長は留任、出口栄二が副会長に新任されたか、人類愛善会相つぐ諸運動は、こころからいっそうもりあがってきた。
 再発会以来、総本部事務局長をつとめ、「人類愛善新聞」経営・編集をも担当してきた大国以都雄は、教団文書室長・総務部長に就任したで、一九五六(昭和三一)年四月からは伊藤栄蔵がそ後任をつとめた。そしてこ八月には、従来入会金一〇〇円を三〇円(バッジ付)にひきさげて入会制度を簡易化し、会員大幅な増加へみちがひらかれた。
 「人類愛善新聞」本社は亀岡におかれていたが、かねてより編集陣東京進出が要望されていたで、一九五七(昭和三二)年四月、東京銀座西七丁目北国新聞東京支社三階に人類愛善新聞東京本社を開設し、四月三日開設式当日には人類愛善会会長出口伊佐男・同副会長嵯峨保二(北国新聞社社長)をはじめ、人類愛善会地方代表ら六〇人が参列して編集室で鎮座祭がおこなわれ、午後、同会館四階ホールで、一般関係者を招待して祝賀パーティがなされた。主な出席者はつぎとおりである(五十音順)。

芦田均 赤城宗徳 赤松常子 浅井栄章 植芝盛平 遠藤三郎 大谷瑩潤 大須賀貞夫 大村謙太郎 大石秀典 大西雅雄 大庭さち子 小口偉一 尾崎行輝 風見章 貴司山治 菊池義郎 来馬琢道 草野一郎 黒田秀俊 小崎道雄 菰田康一 小秋元隆一 児玉呑象 佐々木盛雄 佐藤幹二 佐藤進三 下村寿一 須磨弥吉郎 関屋正彦 千家達彦 竹中勝男 高橋忠作 淡徳三郎 仲原善一 中濃教篤 中村武彦 庭野日敬 野々宮初枝 林屋亀次郎 藤懸静也 藤森成吉 堀江忠男 前尾繁三郎 松岡駒吉 松島栄一 松野奏風 御前茂樹 宮田道三 武藤貞一 矢田挿雲 山田節男 柳田秀一 芳村忠明 リビングストン(学習院教授) ホア(カオダイ教) ニエット(ホアハオ教)。

 こように宗教宗派・政党政派をこえて各界知名人二〇〇余人が参集し、それぞれ祝意をべ各界から祝電数十通が披露された。また「人類愛善新聞」五月上旬号を東京本社開設記念号として特集し、一〇万部を発行して一部売りをおこなった。こころから、「人類愛善新聞」専売制こころみや、年間とおして定期購読者募集にも力を入れ、新聞拡張へ努力がはらわれた。
 一九五八(昭和三三)年には大本総長更迭がおこなわれ、出口栄二が新総長に就任して教団統合刷新が急速にすすめられた。これを機会に出口伊佐男は人類愛善会会長に専念し運動はいっそう充実された。まず、八月七日中央委員総会で、「一、世界は一つであり、人類は同胞であることを信ずる。二、人権を尊重し、人類愛善実践に努める。三、宗教、思想、民族、階級等偏見を除き、平和社会を実現する。四、戦争と暴力を否定し、軍備撤廃を期する。五、原子力そ他あらゆる科学は人類福祉増進ためにみ利用さるべきである。六、民族固有文化を尊重しつつ、人類大家族的世界機構実現を期する」と活動綱領を決定し、地方組織再編強化がはがられた。会員を正会員(会費年間三六〇円)・維持会員(年間一二〇〇円)・特別会員(一時金一万円以上)三種にわけ、支部は会員二〇人以上、そうち維持会員五人以上を必要とし、支部三ヵ所以上ある都道府県に連合会をおくこととした。東京には一九五〇(昭和二五)年七月にはじめて東京事務所をもうけ、そ後東京出張所としていたが、昭和三三年一〇月には東京本部に昇格して、本部長は出口伊佐男会長が兼任した。こ機会に人類愛善新聞社東京本社も大本東京本苑(台東区池之端七軒町)にうつされ、本苑を拠点として東京で活動が継続された。
 一九五九(昭和三四)年八月には、教団大本における外廓団体統合整備をおこない、信徒即会員として教団と人類愛善会関係はさらに一体化され、人類愛善運動はいっそう強力に推進されることになった。それと同時に株式会社天声社・社団法人愛善みずほ会・社会福祉法人信光会、およびエスペラント普及会を人類愛善会外廓団体とし、そ機会に三代教主は、大本はじめ関係諸団体を教主立場で総攬することとなり、名誉会長を辞任された。
 こ年は、人類愛善会が戦後に再出発してから十周年目にあたっていた。刻々変動する内外情勢に即応して、八月六日委員総会では会則をおおはばに改正し、機構簡素化と責任体制確立によって総本部指導体制が強化された。最高議決機関として評議員会をあらたにもうけ、北海・東北・関東・北陸・東海・四国・九州各区から各一人、近畿区・中国区から各二人と、会長委嘱七人、計一八人評議員が選出された。執行機関としては、従来常任委員会制にかえて、少数による理事会制を採用し、そもとに文書室・宣伝部(組織宣伝・国際・編集・青年・婦人五課)・社会部・管理部をおいて事務を分掌することとした。機構改革にともなう人事として、名誉会長に出口伊佐男、会長に出口栄二、副会長に出口虎雄が就任し、東京本部長は会長兼任となった。
 こうして体制をととえた人類愛善会は、「人類幸福は物質的文明繁栄みによるもではなく、人間性確立、人類愛自覚にまって初めて真世界平和、人類幸福がもたらされる」として、「一人一人個人生活と密接した人間愛確立」を重点目標としてとりあげ、一九六〇(昭和三五)年以降さらに地道な運動を展開した。そ六月には支部設置条件を緩和して単に会員二〇人以上とし、地方組織拡大がはかられている。
 「人類愛善新聞」執筆は、総本部役職員ばかりでなく、平和運動第一線に活躍している各宗派宗教家・学者・文化人・ジャーナリスト・平和主義者、一般民衆おおくが網羅され、広汎な人たちつよい支持協力をうけていた。したがって、たんに人類愛善会機関紙たるにとどまらず、全国平和運動共通機関紙たる観があった。
 「人類愛善新聞」は、中立立場で真実をつたえる新聞として、一九六一(昭和三六)年一月からは、毎号新聞巻頭に「愛善精神に基づき─人間を尊重し、貧困と社会悪をなくそう。暴力を否定して、世界軍備を撤廃しよう。憲法を守り、平和力を盛りたてよう。人種差別をなくし、民族独立をはかろう。国籍、宗教等を超えて、一つ世界をつくろう」モットーをかかげた。一九五二(昭和二七)年一〇月、従来週刊二頁を、月三回(旬刊)四頁とし、重要な運動展開にさいしては、たびたび特集号を発行した。また、新年号は昭和三二年以来、毎年一六頁だて編集がなされた。
 人類愛善会活動として社会福祉活動、とくに災害救援をみがすことはできない。五編四章でくわしくべたように、第二次大本事件前においてもそ活動はきわめて活発かつ迅速であったが、戦後に再出発してからは、二代教主提唱された「愛善米」奨励趣旨にそって、ふたたび活発となった。
 記録によって主なもをあげると、一九五二(昭和二七)年鳥取大火、一九五三(昭和二八)年九州・和歌山・近畿・北陸大水害、一九五四(昭和二九)年洞爺丸沈没、一九五五(昭和三〇)年新潟大火と南九州水害、一九五六(昭和三一)年北海道冷害、一九五八(昭和三三)年台風二三号による伊豆半島災害、一九五九(昭和三四)年伊勢湾台風による東海・近畿大水害、一九六〇(昭和三五)年チリ地震津波による北海道・三陸地方災害、一九六一(昭和三六)年第二室戸台風による近畿・北陸大水害および三陸地方台風災害と八戸大火など、つぎつぎと頻発した災害にたいしては、人類愛善会は教団本部や大本婦人会・大本青年会などと協力して対策本部をもうけ、慰問使派遣、義捐金・救援物資送達、復旧へ協力など組織をあげて活躍した。こうした総本部活動に呼応して、現地およびそ近隣地方機関が積極的奉仕をおこなったことはいうまでもない。とくに一九五三(昭和二八)年大水害にたいしては六五万円義義捐金をおくり、また、四〇年ぶりといわれる北海道冷害・凶作には、「人類愛善新聞」北海道救援特集号を発行して一部売りを行ない、義捐金二〇万円と二石五斗米や救援物資をおくった。伊豆半島罹災者には二四万六〇〇〇円救援金と五万二〇〇〇点物資を現地対策本部へ寄託した。伊勢湾台風さいは、教主みずから現地におもむいて罹災者を激励し、一二〇万円義捐金や数多く救援物資かおくられ、信徒だけでなく一般人々にもはげましとなった。
 こうして人類愛善会では、地上天国建設ため、平和へ諸運動を強力に推進しつつ、一方日常生活なかにあって、社会愛善化へ地道な努力かつみかさねられてきた。こ実績と、伝統ある人類愛善精神に立脚して、人類愛善会は、今後さらに組織と力を結集して、現実社会事象にみとらわれることをいましめ、神子として人間主体性を確立し、あたらしい人間観・社会観観点から、社会に内在する「ひずみ」をただしつつ、平和問題に真剣にとりくんでゆくである。

〔写真〕
○愛と信義に根ざし平和運動史に輝かしい実績をこした人類愛善会はたゆみなく前進しつづける 第12回会員大会 綾部みろく殿 p1178
○街頭で……現地で…… 災害救助活動に奔走する会員と信徒 p1181
○一人生命は地球よりもおもし…… 世界平和万霊慰霊祭 昭和37年 綾部梅松苑 右から大本教主出口直日 清水寺貫主大西良慶 キリスト教牧野虎次 p1182
○平和なる世を祈りて…… 昭和26年 出口直日筆 p1183
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