王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術よみ(新仮名遣い)
文献名3植物園・こはなざくらよみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ1261 目次メモ
OBC B195402c8519
本文のヒット件数全 144 件/ノ=144
本文の文字数2794
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  花明山植物園建設構想は、三代直日提唱により、一九五一(昭和二六)年春から大本楽天社生活科学研究会重点事業として、そ具体案がねりはじめられた。そ造園計画については、研究会同人出口光平が、昭和二六年「木花」二月号に「大植物園建設要綱」として「日本文化に於きましては総て庭園は宇宙縮図、天界移写として、天地神明昇降される清浄、至聖地として、惟神に伝わって来たもでありまして、ことに、花明山天恩郷神苑は、天地創造主神が永遠に鎮まり給う霊園移写として、綾部神苑天国移写と相対して、天地相応理により最奥霊園荘厳をうつしまつり、そ荘厳を又、霊国に反映したてまつるべき霊場であることは、神示により明かなところであります。出口聖師は自著『庭園』論末尾に、『自分は大正十四年春より、意を決して亀岡城址にたてこもり、霊界移写工事を開設した。清爽なる大神苑をつくり、一方に花壇、温室等を設け、四季花を咲かせ、地上霊園を実地に建設せんとしている。又芸術都として楽焼窯を据え盛んに美器を作り出し、和歌文芸を奨励し、亀岡城祉を花明ケ同と改称したも、花によって神心をなぐさめ、求道者心を清め、役員信徒心身に爽快恵に浴せしめんとするためである』と明記されています。こように天恩郷神苑造園は神業として実践化され、完成されなければならない課題であります」とべ、つぎような具体案をしめしているが注目される。

1、万葉植物園 2、日本固有植物園3、日本にて発見された植物園 4、各地植物園(北海道より四国、九州まで) 5、古代より植物進化園 6、高山植物園 7、染料植物園 8、薬草植物園 9、製紙植物園 10、繊維植物園 11、有毒植物園 12、牧草植物園 13、伝説植物園 14、海岸植物園 15、湿地植物園 16、果樹園 17、茶花園 18、各科種別植物園(桜園、牡丹園、笹竹園、紅葉園等) 19、芝生園(含む花園) 20、材料園 21、採種園 22、温室

 右計画にしたがって、一九五一(昭和二六)年三月から、神苑造園事務所を開設し、植物蒐集、分類、標本作成、造園具体化がすすめられ、植物学者である竹内敬が専心ここれにれにたずさわることになった。竹内は「こ植物園造園は大変なことですから、これに専念します。私も永年植物研究成果として、大植物園完成に余命を打ち込んでやってみたい」と決意を披瀝している。
 三代直日植物にたいする愛情はふかく、ことに日本山野に自生する野草にはふかい関心をしめした。みずから「草帖」をしるして、おりにふれてはこまかい観察をおこない、はやくから亀岡天恩郷朝陽館敷地や照明館横空地に、各種日本野草をあつめた。また地方巡教さいは寸暇をさいて採集につとめ、おりにふれては、郷土に咲く四季植物や、日本国土にたいする関心をふかめるよう信徒指導・啓蒙がなされている。
 蒐集にあたっては、竹内をはじめ造園事務所から各地に採集にでかけるとともに、全国各地信徒に「蒐集植物目録」をおくって協力をよびかけた。信徒あいだにも「植物敬愛つどい」がもたれ、また同好者から本部よびかけにこたえてつぎつぎと各種植物がおくりこまれたため、三年後一九五四(昭和二九)年には、植物園として大体まとまりをみることができた。そ後も充実をかさね、今日では、各地から植物学者や植物園長など専門家来園もおおく、日本における異色ある植物園ひとつになっている。一方、綾部では、彩霞園を公園墓地とし、さらにそ一帯を大植物園とする構想がすすめられている。
 また、日本郷土を愛する運動一つに、楽天社が主催して全国各地郷土玩具をあつめ、そ展覧会をひらいて、地方にうずもれかくされていた「民芸品」発掘・啓蒙につとめたことを付記しておこう。

〈「こはなざくら」発見〉 一九五三(昭和二八)年四月一四日、三代教主によって発見された「桜」新種が、
(和名)こはなざくら
(学名)Prunus Jamasakura Sieb. var. Nahohiana Koidz. et K.Takeuchi
(発見者)出口直日(昭和二十八年四月十四日)
として世界植物学会に報告され、桜種なかに貴重な一頁をくわえた。
 こ古木は、天恩郷中島植物園水辺よりすとしはなれたところにおいたっていだが、昭和二八年春、三代教主がそ花を観賞しているうちに、山、さくら一種ではあるが、かつてみたことないそ形状に気づき、竹内敬にそことをつたえて調査を依頼した。竹内はさっそく調査にかかり詳細な観察をした結果、新種と予想をつよくした。こ山桜特徴は、普通は二花まれに三花繖房花序で、下むきに咲き、花は淡紅色をおび、上部辺縁はやや濃き淡征色、重瓣で約四五枚前後花片よりなる。果実は二個ずつむすんでおり、桜属(prunus)稀品である。奈良知足院にある「ナラヤヘザクラ」によくにた「サクラ」であるが、「コハナザクラ」には葉柄ならびに葉脈や、花梗に毛ないところがことなっている。竹内は、自分師であり、かつ植物学桜科世界的権威者である小泉源一博士に、資料をそろえて検定を依頼したところ、桜属新種であると断定がくだされるにいたった。前記学名とならんでつけられた変種名「Nahohiana」は、発見者出口直日を記念するため名づけられたもである。
 一九五三(昭和二八)年八月二一日、亀岡天恩郷月宮宝座前で、「こはなざくら」命名奉告祭がおこなわれ、ひきつづき中「こはなざくら」前で命名式がおこなわれた。そおり、教主、〝わがそ山桜やさしきはなびら八重なるをめでいしに新種なりといふ〟歌が朗詠された。新種発表記事は各新聞にも報道されたで、植物研究者はもちろん学生・知名人等見学もにわかにふえ、苗木分譲を、国内各地はもちろん海外からまで申しこんでくるようになった。全国各地大本本苑・分苑等にも移植する一方、静岡県大宮富士浅間神社、長野県浅間山神社、そ他各地神社から申込みにたいしても、これを寄贈した。一九五六(昭和三一)年二月、新種「こはなざくら」苗木は、海をわたってユーゴスラビア、オーストラリア等一〇数ヵ国へもおくられている。

〔写真〕
○花明山植物園は異色存在として注目されている 左から出口直日 出口新衛 竹内敬 p1261
○出口直日草花帖 一部  茎 葉 実一つ一つ末端まですこしも省略することなく美しい神経に磨かれた線でまとめられている p1262
○するどい観察と探究…… こはなざくら写生をされる教主と発見にちなむ自筆原稿一部 p1263
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki