文献名1大本史料集成 1 >第2部 出口王仁三郎の思想
文献名2第4章 道の栞よみ(新仮名遣い)
文献名3第1節 道の栞よみ(新仮名遣い)
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一 奥の測り知れぬ神の道、浅き心では酌み取れぬぞ。
二 心を低く持ちて、神の深き心を悟り、以て我が身を神によりて高くすべし。
三 本を固めて種子を蒔き、或は苗を植付けよ。
四 浅い植方は、雨風荒しなぞに倒さるゝ恐れあり、心を深く用ふベし。
五 見上げ居る間もなく、散りて踏まるゝは桜の花なり。浅き信仰は恰も桜の花の如し。
六 神の道にあるものは、漫りに口を開くべからず。唯神の言葉を取次ぐ事のみを守るべし。
七 神の言葉を取次ぐべき資格を与へられたる役員は、行状を第一とすべし。
(「神の国」大正十二年九月十日号)
八 行為を先にし、言葉を後にせざれば、神の御心に叶はずして、遂に亡びを招く、慎むべし。
九 伺ひが能く当りたとて、直に神と信ずる勿れ、邪神も又真実を告ぐることあり。
一〇 一時病気が癒りたりとて、直に之を神と信ずる勿れ。
一一 悪魔は人の心を読みて、人を驚かせ恐れしむ事あり、世の終りは偽救世主各所に現はるべし。
一二 病気を一時救ひて、其人の心を奪い、後に悪魔の仲間へ誘はんとすることあり。
一三 悪しき霊は悪しき姿にて現はれず、必ず善の仮面を被ぶりて来り、偽りの善をなし、偽りの誠を立つるものなり。
一四 心浅く愚かなるものは、心の眼なき故に、悪魔を善神と見誤りて、神に背くことあり。
一五 二つの眼を失ひたる人は憐れむべきものなり。其人は此の世の明かりを見ること能はず。明かき世の中に住みながら、暗きに暮すものなり。我指一本さへ見る事能はざるなり。
一六 是よりも優りて憐れなる人此の世の中にあり、如何なる人ぞ。心の眼を失ひたる人即ち是れなり、心の眼を失ひたる者は、神の御光を見る事能はず。高天原の神の国を開き見る事能はずして、根の国底の国に落ち行くなり。
一七 是等の亡者を救はんが為めに、天より瑞の霊を降して、光を知らしめんとし給へるなり。
一八 人の身は唯一つなり。一つの身を以て、二つの道に仕ふる能はず。神の光を認めなば、怪しき邪神の道を捨つベし。
(「神の国」大正十二年九月二十五日号)
九 世の中の人は近慾を知りて、誠の慾を知らず、虫喰い錆腐るベき宝のみを尊みて、永久に朽ざる誠の宝を貯ふる誠の慾を知らず。
二〇 金銀に仕ふる事を知りて、誠の神に仕ふる事を知らざるは、此の世の悪魔にして、金銭の番人なり。
二一 金銭を儲け蓄へ、其の金銭を以て国の為に使ふは宜しき事なり。されど金銭に仕ふるは悪くして、神の栄えを見る事能はざるものなり。
二二 神は今日生棲にありて、明日は鍋の中ヘ焼かれ喰はるゝ魚さヘも、その際まで全くして限りなし。
二三 人は皆神の子なり、神の子たるもの人たるの道を歩むときは、神の助けざる理由なし。
二四 信仰なき者は此世にありても、常に薄き氷の上を履むが如し、安心立命を得る事能はざるなり。
二五 万事を為すにも皆神の教によりて為すべし、着る物、食ふ物住む家なぞに心を案じ煩ふ事勿れ。
二六 今日の事は今日になすべし。必ず明日に延ばすべからず、神は一刻も休み給ふ事なければなり。
二七 明日の事は今日より思ひ煩ふ事勿れ。人の思ひによりて明日の日を雨となし日和となす事能はざるなり。
二八 其の曰くの事を神に祈り、其日の過ちを許されん事をのみ祈るべし。
二九 人は只神の正しき御心に叶はん事をのみ祈り奉りて其生業を勤しみ励むべし。
三〇 病の時は其罪を悔い、神の篤き慈しみによりて其身の苦みを許し玉はん事を真心になりて祈るべし。
三一 君の為め天下公共の為めに祈るは善し、其外私の慾にかゝはる願ひは罪の源本なり。
三二 我が眼暗きときは、我が目に横たはる太き柱も目に付かずして、却て人目にいと小さき塵埃の能く見ゆるものなり。我の過ちを棚へ上げて置きて、人の過ちを彼是云ふ人心すべし。
(「神の国」大正十二年十月二十五日号)
三三 我が口を清くし、我目を明かにし、我耳を敏くし、我手足を健やかにし、五体隈なく清まりて後、人の足らざるを諭し過ちたる所を懇に教ふべし。
三四 口許りの人となる勿れ、口許り大いなる人はぼうだらの如し。
三五 神の道にありて鼻を高くし、又其面を大いにする事勿れ。
三六 鼻の高きは野天狗なり、面の大なるは獅子舞なり、人と生れて面のみ大きく鼻のみ高きは化物なり。
三七 化物は神の前にも、人の前にも忌み嫌はるゝものなり。
三八 誠の神の道を宜べ伝へんとするものは、様々の忍耐を要す、石にて打たれ、棒にて擲ぐられ、嘲られ罵り笑はれる事は常の事なり。
三九 其度毎に魂練れて神徳を与へらるゝものなり。
四〇 神の道にありて様々の困難に出逢ふは、之れ神の国の試験を受くるものにして、神徳の備はる礎なり。
(「神の国」大正十二年十一月十日号)
四一 心に卑しき慾ある時は、直に其言葉に現はるゝものなり、如何に隠さんとすれども隠すべからず。故に心の奥底より清くせざるべからず。
四二 亜弗利加の或処に大なる洞穴ありて数多の蟹住めり、其蟹は一つも目のあるものなし。是常に暗き穴の中に棲みて、光を見る必要なき為なり。神を知らざるもの恰も此蟹に等し。
四三 目なき蟹は凡て世の中は斯の如く暗きものと思ひて、外に明かにして広き処あるを知らず、心小さき頑固なるものゝ心は亦この蟹に等し。
四四 故に瑞の霊の光を知らず、却て眩しく思ひて口々に罵りて其徳を破らんと勤め居れり。
四五 人の心より湧き出づる罪は沢山あれど大方は次の如し。
悪念 姦淫 苟合 盗窃 悪匿 兇殺 貪婪 好子 嫉妬 詭譎 謗潰 驕傲 狂妄
なぞ也、此等の悪しき行ひは、皆心の中より出でゝ清き其身を汚すものなり。
四六 世界万物を造り玉へる天帝の稜威は譬ふるに物無し。
四七 人たるもの神の力によりて造られたるを知りて、其厚き広き御恵みを忘るゝ事勿れ。
四八 其日の業を終りなば、直に神の御前に平伏して、其厚き広き御徳を慎んで感謝すべし。
四九 神の広大無辺の御力は、人々の容易に測り知るべき事にあらず。されど人は皆神の美はしき徳と敏き智慧との籠れる霊を分け与へられたれば、心鎮めて神に帰り伺ひ奉るに於ては、神の御力の如何なるものかを明かに悟り得らるべし。
五〇 剛柔流の三物を造り、八力の働きによりて我等の体を造り、之に四魂を与へ給ひし其深き智識と全き御徳を仰ぎ奉りて、朝な夕なに天帝始め万神に向つて感謝すべし。
(「神の国」大正十二年十二月十日号)
五一 人々は泥水の如き罪穢の中に漂ひて、誠の生命を失はんとす。
五二 天帝之を憐み玉ひて、厳の御霊と瑞の御霊を此土に下し給ひて、救ひの船と現はし玉ふ。
五三 救ひの船は現はれたり。生命の水は湧き出でたり。来りて乗れ、集まりて飲め。
五四 瑞の御霊を天津高御座より下津国に下し玉ひて、罪に穢れたる人々の魂を洗ひ清めさせ玉ふ。天津神の高き広き御恵を感謝して其御旨に背かざらん事を勉むべし。
五五 瑞の霊は神代の昔天津罪国津罪の贖ひ主となり玉ひしが、二度此世に来りて罪人の贖ひ主となり玉へる、其厚き広き御恵を忘るべからず。
五六 罪を救ふにも道あり、贖ふにも道あり、其道に由て救ひ、其道に依て贖ひ給ふなり。
(「神の国」大正十三年三月二十五日号)
五七 其道は瑞の霊の此の教なり、斯の教に因りて救はれ斯の教に因りて贖はるゝなり。
五八 罪を救はれて天国に上げられん事を願ふものは、斯の道の栞を心に掛て忘るゝ勿れ。
五九 道の栞に現はれたる言葉は、皆神の国の言葉なり教なり。
六〇 神の子たるものは、神の言葉を守り神の御教に従ふベし。
六一 神の言葉によりて人を救ひ、神の御教によりて迷へる人を明かに導くべし。
六二 神の為道の為には、其身を犠牲となすも撓まず屈せず、一筋に真理に従ひ、救ひの道の栞を広く世に宜ベ伝ふベし。
六三 神はいと高き処に坐しませと、慎み深き卑り下りたる優しき人の心に天降り、其身を光り輝かせ給ふなり。
六四 教御親の神の霊は、いと高き神の位より下りて、普く世を救はんとなし玉ふ。
六五 故に汝等其深き御心を伺ひ奉りて、其身も共に来り喜び祝へよ、其徳を誉め称へ奉れよ。
六六 神の御徳を得んと欲する者は、赤子の如くなるベし。
六七 赤子が乳を慕ひ尋ぬるが如くに、神を慕ひ奉るべし。
(「神の国」大正十三年四月十日号)
六八 譬て言へば神は母にして教は其乳なり。
六九 母と母の乳なきときは、其子育ち難し。
七〇 故に汝等赤子の如くになりて、母と乳とに離れざる様心を尽して、神を慕ひ求むべし。
七一 地震雷火の雨荒し等一つになりて来る事ありとも、神の懐に抱かれし身は別に恐るべき事非ざるなり。
(「神の国」大正十三年四月二十五日号)
七二 瑞の霊の御恵は、束の間も変る事なく、千々に心を砕き玉ひて、罪科を救ひ贖ふの道を開き玉へるなり。
七三 罪重き者よ来りて其罪を我の前に下ろし其身を軽くせよ。
七四 軽き者は天に昇り、重きものは根の国底の国に落つるものなり。
七五 神は悪きもの穢れたるもの、罪深きものゝ道に逆らひたるものゝ為めに、救ひ主を下して救ひの道を宜ベ伝ヘさせ玉ふなり。
七六 稲荷下げ、あすさ巫子、口寄せ巫子等の怪しき者に迷ふ勿れ。
七七 奇しき怪しき教を捨てゝ生ける神の教の道を信じ、誠の神を敬いて、神徳を受くる事を修行すべし。
七八 年若き人を見て軽んずる勿れ、老たる人の過ちを責むる勿れ。
七九 年若き者は弟の如くにして、之を敬ひ愛すベし。
八○ 年老たる人は之を我が父母の如くにして、心の限り敬ひ愛すべし。
八一 取次等よ、汝等清き言葉と清き行状と誠の親と誠の智と誠の愛とを以て、信者の鏡となるベし。
八二 物事を広く知るを以て、誠の智慧と為さず、小賢しきを以て誠の智慧となさず、誠の智慧は学ばずして神より与へられたる智慧にして、直日の霊の光なり。
(「神の国」大正十三年五月十日号)
八三 世の中にも、何事にも能く亘りて知りたる人あれども、そは神の真の智慧にあらず。勇と親と愛と伴なはざれば真の智慧と云ひ難し。
八四 人の智慧は悪より出づるもの多し、神の智慧は皆善より出でざるはなし。
八五 ソヒヤの曰く、智識に貴ぶ所は、其量にあらずして其質にありと、神の道にあるものは最も味ふべき事共なり。
八六 人の出世や栄ゑを嫉み羨むは、日本人の最も忌はしき癖なり、此の癖を改めざれば、何事を為すにも成り遂ぐる事なし。
八七 神は嫉み妬みを懐くを、忌み嫌はせ給へばなり。
八八 されど又人は影も形もなき事を作りて譏るものはいと少し。譏られ笑はるゝは幾分か此方に落度あればなり、烟のある所には必ず火あるものなり。
八九 智慧なきものは誠の信神を知らず、又道徳の重んずベきを悟らず。
九〇 智慧のみありて徳なきものは、針の如く茨の如し、神に忌まれ人に嫌はれ、遂には我と我身を損なひ破るに至るべし。
九一 智慧あり信仰あり徳あるものは、何処となく穏かにして湯の如し、真綿の如し、神に喜ばれ人に慕はれ、遂に其身を知らず知らずの間に高きものとせられん。
(「神の国」大正十三年五月二十五日号)
九二 人に好かるゝものは神に好かれ、老たる人幼き子らに慕はるゝものは神の御徳を得たる人なり。
九三 誠の神に願ひて霊験なきは不思議なり。誠の神は霊験を与へ玉ふべき筈なり。
九四 若し祈りて霊験なき時は、我の心と行ひを省みるべし、神より霊験を与へられざる理由を見出し得らるべし。
九五 何ぼ頼んでも信神してもお蔭なしと呟やく人あり、是等は我身の事の明盲目なり。
九六 神の御恵は、ヒマラヤ山よりも遙かに高く、伊勢の海よりも遙かに深し、人々の浅き智識にては窺ひ知る事難し、一心に神にもたれよ。
九七 酌めども酌めども尽きざるは神の愛なり。
九八 霊魂の餌に餓え渇きたる人の身を憐れみて、情の雨を降らし、其生命を繋がせ給ふ。
(「神の国」大正十三年十月十日号)
九九 永久に生ける神は、永久の生命を汝等に与ヘ給ふ、心の酒杯を以て生命の清水を酌み取るべし。
一〇〇 神の言葉と神の御恵とは巌の如く、堅くして動く事なし、風に砕けず波に流れず、千代も八千代も変り給はず。
一〇一 浜の真砂は数へ尽すべき時ありとも、神の限りなき力と恵は、数へ尽す事能はざるなり。
一〇二 神の言葉によりて動くもの、弱き身魂は力を与へられ、弱き体は健かとなるべし。
(「神の国」大正十四年三月二十五日号)
一〇三 心も強く体も強き人は、如何なる事に逢ふもひるむ事もなくして、安く楽しき中に凌ぎ得べし。
一〇四 悪に強きものは、其心何となく弱し、吾に強きものは、何となく其心強し、善によりて強き心は真の強き心なり。
一〇五 神は人々の寝たる間も心を用ひて守らせ給ヘり。
一〇六 故に人は束の間も神を思ひて神の為に尽さざる可らず。
(「神の国」大正十四年四月十日号)
一〇七 神は瑞の霊の手を通し、口を通して人の行く手を照らし玉ヘり。
一〇八 力の限り光の後に従ひて、真理の為めに進むべし。
一〇九 神は瑞の霊によりて暖かき御手を延ばし給ひて、迷ひ苦しめる身魂を抱き救はんとして、千々に心を配り給ふ。
(「神の国」大正十四年四月二十五日号)