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。(2023/12/19)
文献名1
大本史料集成 2 >第1部 明治・大正期
の
運動
文献名2
第1章 出口王仁三郎関係文書
よみ
(新仮名遣い)
文献名3
随筆『神霊界』大正9年1月1日号掲載
よみ
(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日
2021-04-13 10:54:08
ページ
73
目次メモ
OBC
B195502c110709
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本文の文字数
5975
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本文
金烏燦燗として東穹に輝き、瑞気靄々天地に盈てる、大正庚申
の
元旦に際し、筆硯を清め、神祇に祈誓を篭め、以て皇道を宇内に宣伝せむと欲し、所懐を述べて、年頭
の
辞に代ヘやうと思ふ。
「梅で開いて常盤
の
松で、世界治める神
の
国」と曰ふ安来節は湯川貫一先生
の
作歌である。
三千世界一度に開く梅
の
花、開いて散りて実を結び、ス
の
種を守るぞよとは、国祖国常立尊
の
神諭である。
又神諭に梅
の
局と松
の
局
の
御脇立と云ふ事がある。松
の
局とは決して人名では無い、地
の
高天原、竜宮館
の
松
の
大本
の
教壇であり、梅
の
局とは皇道宣伝発揚
の
教壇
の
在る、地場
の
名称である。松
の
大本は、神界経綸
の
基礎が稍固まつた
の
で、弥々梅
の
局
の
経綸に着手せねば成らぬ時期に向うて来ました。亀は鏡である。鏡は言霊学上
の
梅である。又透明無欠
の
神教である。故に皇道大本
の
神教を普く天下に宣伝するため、三百余年
の
昔、天正
の
十年に明智光秀が天下を治めた、亀山城趾に道場を開設する
の
は、国魂
の
関係上、最も適当なる神策である。天
の
時と地
の
利を占め、人
の
和を得たる要務である。実に亀山は万代不易
の
皇室擁護
の
活動地である。昔から、鶴は千年、亀は万年と祝ひ来る。此
の
亀
の
名に負ふ亀山
の
万寿園に審判庭なり、修行場を設くるは、神界所定
の
真事業である。明智将軍
の
後には松平侯
の
居城であつた。松平とは、松
の
大本
の
経綸に就ても、何か
の
因縁が在るやうである。次に松は祭政一致
の
標徴で、天下統一
の
神意である。万世不易
の
神政成就
の
神義で、三種
の
神器に配すれば、八坂瓊
の
曲玉である。故に松
の
大本は、万世一系、天壌無窮
の
皇運を扶翼し奉る、忠良無比
の
神民
の
集る、神聖なる霊地である。而して神界と現界と
の
真釣り
の
中心点であります。
斯
の
中心点なる地上
の
高天原下津岩根に、秋津島根
の
根を固め、幹を太らせ、美はしき枝を四方に繁らせたる皇道大本は、弥々清き芳しき、花
の
咲く春が来た
の
である。則ち梅に因縁深き亀山
の
万寿園に、教
の
園を開設するは、実に神政経綸上機宜に合したも
の
である。宜なる哉、本年
の
勅題は田家早梅である。田家と国語之をイナカと謂ふ。水火
の
反はイ也。キはかみ又はくに又はきみ
の
反しである。則ちイ
の
言霊は息也生也。キ
の
言霊を合すれば生国生神である。○次にナ
の
言霊は中
の
反である。
の
あ
の
反である。又た─(水)と│(火)と
の
結びである。数
の
上から十である。十は十曜
の
神紋で十方世界
の
中心
の
意がある。○次にカ
の
言霊は神霊活動
の
意義である。約言すれば神国
の
生神
の
大活動である。故に諺にも田舎は神が造り、都会は人が造ると謂ふてある。丹波
の
片田舎から神霊顕現して、皇威を八荒〔紘〕に輝し奉る真人等
の
、共同一致
の
大活動を、一度に開く梅
の
花と曰ふ、田家
の
早梅とは、皇道大本
の
大活動
の
神示となる
の
であります。国祖
の
神諭に天理、金光、黒住、皆大本
の
先走りに出してあるぞよと示されてあるが、天理教
の
標紋は梅
の
花である。金光教
の
標紋は八並
の
鏡である。鏡は即ち前に述べた通り、矢張り梅
の
八方に開いた形である。黒住教
の
標紋は日
の
丸である。太陽
の
形象である。太陽は年百年中東ウ
の
方より昇る。ウ
の
方より、ミエるから矢張是もウメである。(ミエ
の
反メ也)又教は前述
の
如く鏡である。故に日
の
丸
の
中心に教
の
字を入れて標紋と為せる黒住教は、惟神
の
神理に合致したも
の
であります。
本年は弥々庚申さん
の
廻り年であつて、庚申さんは俗神道家より、猿田彦神だと唱へられて居る。真偽は兎も角もとして、猿田彦神は邪悪を退け、善に導く神様である。天照大神、高木神
の
神勅を奉じて、皇孫二々岐命が豊葦原瑞穂中国
の
主として降臨あらせられた時に、天
の
八衢に出迎へ奉り、日向
の
奇振る
の
峯に天孫を導き玉ひ、又た伊勢
の
大神
の
先導に立ち玉ひし忠勇無比
の
神様である。就ては斯
の
大本も思想界
の
天
の
八衢に立ちて、上は高天原を照らし、下は豊葦原
の
国を照らし、真心つくし
の
日向
の
立花
の
小戸なる、アオウエイ五大父音
の
言霊を以て、世界統一、主師親
の
神様
の
先導に、仕へ奉らねば成らぬ時機に立到りました。 猿田彦ならぬ未申
の
金神、豊雲野神
の
御魂が現はれて、神様
の
御尾前に仕へ奉る可き世が、循環して来た
の
であります。
或る大本信者
の
中には、神主
の
二代さんが弥々神示
の
通り、教主
の
位置に直られたに就ては、今後
の
神諭は二代さんから現はれねば成らぬ筈である。然るに依然として、教主補
の
王仁さんから筆先が出る
の
は、不思議だと謂つて、疑問を抱て居られる方々が在るさうですが、一応御尤も
の
御考へで在ります。然し教祖
の
廿五年以来
の
神諭に、出口純子は二代目
の
御世継であれども、何事も口で言はせるぞよと出て在ります。亦た出口王仁三郎は一旦斯世が治まりて、五六七
の
神代に立直るまで、神が憑りて筆先
の
御用を致さすぞよと、現はれて居りますから、今後神界
の
必要に応じて、時々御神諭
の
御用を命ぜられる事と信じて居りますから、疑うて居られる方々
の
疑問を解く為に、爰に一筆書き誌して置きます。
△
綾部
の
大本は、御神諭に、地
の
高天原と定まりたぞよと現はされてある。天
の
高天原は、即ち天津日嗣天皇
の
堅磐に常磐に鎮座坐ます、清浄無垢
の
霊場を奉称する
の
である。天
の
高天原は天下を統御し給ふ、主師親
の
三大神徳を永遠無窮に具有し玉ふ、至尊
の
御経綸
の
中府であります。
地
の
高天原は、天下万民に皇道
の
大本を教へ諭し、天地神明
の
御稜威を輝かし、世界を救済し、道義的に世界を統一する、神界経綸
の
大中心地点であり舛。昔大国主命が豊葦原瑞穂国を統一し、之を皇孫命に奉還し給ひし美事は、君臣
の
大義名分明らかなる国体
の
精華であります。地
の
高天原は、臣系
の
神なる国常立尊、素盞嗚尊等
の
活神が出現され、現代
の
乱れ果たる世を清めて、五六七
の
神代に復活し、以て世界大統御
の
神権を惟神に有し給ふ上御一人に奉り、麻柱
の
大道を明にする、忠勇なる神人
の
集合地点であります。世界統御
の
御天職と、大本
の
世界統一
の
経綸とは、元より根本的に於て使命が違つて居る
の
で在ります。大本
の
祝詞にも、本末内外を過たず、茂鉾
の
中執持ちて大御前
の
事白さしめ玉ひ云々と在る如く、我皇道大本教は、本末、自他、公私、君臣等
の
名分を明にする
の
が主眼でありますから、或る一派
の
脱走者
の
中傷する如うな、不謹慎なる教ヘを、夢にもする所で無い事は、賢明なる会員諸氏
の
御了解
の
事と思ひます。然れ共未だ入信してから間
の
無い方々は、動もすれば反対者
の
毒言に惑はされないとも限りませぬから、王仁
の
老婆心より万一を遠慮して、茲に一筆誌して置く次第であります。
△
又た神諭に大
の
字逆様
の
世で在るぞよと示されて在る
の
を態とに乎知らずに乎曲解して何か大本は不敬
の
言辞を弄して居る如うに或る反対者が言つて居るさうですが、大
の
字とは一人と云ふ事である。神は万物普遍
の
霊にして人は天地経綸
の
司宰者である事は大本神諭所示
の
通りである。人は大宇宙に対して小宇宙であり、天地
の
神明に対して人は小なる神であります。そ
の
小なる神とは大
の
字なる一人
の
意義である。現今
の
人間は日日
の
行為と云ひ心性と曰ひ、一切万事天地
の
真理に反して居る
の
を警戒するために大神様が今
の
世は上から下まで、山
の
谷々まで大
の
字が逆様に成つて居るぞよと仰せられた
の
であります。仏祖
の
所謂天上天下唯我独尊とは完全なる人間
の
人格を指したも
の
である。現今
の
日本神国には遺憾乍ら一人として真
の
人格者が現はれず、人面にして獣魂なる反道者斗りが天地間を汚して居ると
の
神示であります。天
の
字が逆様と曰へば或は不敬に渉るかも知れぬ(それも解釈次第で)大
の
字逆様
の
神諭には一つも批難すべき意義は絶対に無い事を私は茲に言明して憚らない
の
で在ります。
二千年
の
昔に於て天国は近けり悔ひ改めよ、とナザレ
の
耶蘇は絶叫され、三千年
の
古に印度
の
釈迦は欣求浄土と唱へられ、孔孟は治国安民
の
大道を説かれた。併し乍ら耶蘇以后に耶蘇現はれず。釈迦以後に釈迦現はれず。孔孟以后に孔孟出現せざる為折角
の
賢哲
の
至誠も訓戒も水泡に帰して了つて今日
の
世界
の
現状であるが、之には何事か古より深く深く秩序的に妨害を成し来つた悪神
の
潜み居れる事は御神諭に示されて在る通り、悪魔
の
計画も弥々公表される機運が到達した
の
である。然るに今
の
人民は盲目聾斗りであるから、何程に実地
の
証拠を見せて与りても誠に致さぬ暗り
の
世に成りて居るぞよと示されたる如く、公論誌上
の
記事を見ても、幽霊雑誌
の
記事を見ても未だ疑うて真実と思はないで、際物的小説
の
如うな考へを以て遇しつつある
の
は実に国家
の
為慨嘆措く能はざる次第であります。
△
昨年
の
神諭に医者と坊主と葬式屋
の
豊年が来るからと曰ふて警告されて在つたが、弥々実現し出したとは実に残念な事である。世界は兎も角として日本内地に於ける恐るべき流行性感冒は漸く猖獗(注 はびこって勢いが盛んであること)
の
兆を現はし、現に綾部から目と鼻と
の
間に在る新舞鶴町にさへ、日々十人平均
の
死者が出来るやうに成つた。今後気候
の
激変に連れて益々蔓延と共に悪性化せむとするで在らう。国民は益々衛生上
の
注意を怠らざると共に正しき浄き神
の
信仰に依りて、心身
の
健全を計らねば成らぬ
の
である。政府当局では愈々となれば今度こそは総て
の
興行物を停止し、学校も休校を断行し積極的に防遏(注 ふせぎとめること。防止。)
の
手段に出られたいと共に、敬神的
の
行動を国民が採る如うに注意して欲しい。
△
天地混沌として常暗
の
現代は山川草木皆動よみ、所謂古事記
の
天岩戸隠れ
の
現状である。外国
の
惨状は勿論我国に於ける資本家と労働者
の
争ひ、普通選挙期成同盟会
の
示威行列、電車従業員
の
同盟罷業、鉄道従業員
の
大不平は情け無くも一月
の
餅代廃止に起因し、高等官連までが共鳴して、万一当局が要求を容れねば怠業を断行すると云ふ鼻息である。加ふるに各種学校
の
昇格運動等数へ尽せぬ程不祥事が続出して国家は将に風前
の
灯火に等しき状態である。当局者も大に心配されて各地に民力涵養講演会を起したり浪花節を奨励したり、侠客連中を集めて国粋会を結ばせたり、十二分
の
注意を周らして天下
の
狂瀾怒涛を治め、平和を招来せむと
の
焦慮
の
跡は吾々愚者
の
鈍眼にも歴然と映じて居る
の
である。
併し何程苦心しても画策しても到底人間
の
力や智慧では今日
の
天下
の
濁流を清めると曰ふ事は不可能である。今日は人間以上
の
神格を具ヘた一大真人が現はれて、天
の
安河
の
水を逆さまに流す天
の
尾羽張
の
神
の
再来的活動
の
力に依らなければ、何人が現はれても今日
の
始末は付くも
の
では無い
の
で在る。霊より肉より光輝を放射する如き天使が現はれて、天地神明
の
表現と成つて活動する一大偉人を何処か
の
山奥にでも探し出して始末を付けて貰ふより外に方法は無い
の
である。何れ神々
の
守り給へる神国である以上は日本国は安心だと言ふも
の
の
今日
の
如き不心得な国民斗りでは如何に神人
の
徳と雖も楽観は出来ない。日本国民は今こ
の
際大に覚醒して敬神尊皇報国
の
至誠を徹底的に実現実行せねば国家
の
安危云ふに忍びざること
の
出来する程
の
大問題であらうと思ふ。
△
一代凡正と云ふ書籍を見ると大正三年から計算して今後九年
の
後には(当大正十一年)世界が立替ると云ふ事が誌して在つて、同書
の
四十六頁から四十七頁には左記
の
予言が載つて在つた。
今日以後世に何事哉ある、そ
の
時に一人好かるるも
の
があると知れ、是は天
の
使なり。これを言ふておく、又是より一切万事速座速明
の
者一人出るなり、これは同く天使にして、必ず不思議を為す、万事わかるとなれば世は幸福にして何
の
苦しみも無しとなる、これ程よき事は世には在るまいぞよと、天は宣ふて置くなり。又これより世に戦争がある、これとても別に心配苦労にあらず。此
の
天使を以て聞かば天は一切を告げ給ふ。それ勝利うたがひ無し、それで此
の
天使がいま日本国にあるなり、これを天より
の
御与へなりと此
の
日本国
の
人々方々思召されよ。今に出ますよ。
●大正
の
時は大正
の
者あらはれて、国
の
帝に尽す事哉
●此
の
者は五十齢にして盛りなり、百万千万
の
敵を恐れざるも
の
●此
の
先に八方より責め来るなり、そ
の
時此
の
者一人にてすむ事なり云々
然るに茲に大正十一年
の
七月に成つて満五十齢に成る化者男あり、此
の
者は大正十七年二月を以て満五十六年七ケ月に齢達す。世
の
立直し
の
暁こそは五六七
の
神
の
松
の
世とこそ知られたれ。
△
日本は天地開闢
の
太初より神国と称へ来つた清浄なる国土である。神人一系君民一致を以て宇内に冠絶せる天国
の
移写である。此神国に生を亭け、斯
の
国
の
仁慈無量なる万世一系
の
天立君主を奉戴し、斯国
の
美はしき粟を食み以て仏者
の
所謂極楽浄土に安養されし国民は純朴正直にして敬神尊皇報国
の
至誠を自然に具有する君子国である。然るに現在我神国上下
の
状態を視る時は、慄然たらざるを得ざる次第である。何んとなれば神国とは名斗りで其実は一千五百年以前から仏教国に堕して了つて居る。国民
の
九分以上は皆仏教信者であつて、宗派を立つる事六十有余、大僧正
の
管長坊主も之に準じて六十有余頭顱並んで居るにも拘はらず、仏祖
の
本願たる極楽浄土も即身成仏も来らざる而已ならず、世は段々と餓鬼道畜生道に墜落たでは無いか、大僧正や上人さん
の
仏力で今日
の
日本を造り上げたかと実に有難ふてナミダが腮(注 人
の
顎(あご)
の
両はし。)
の
辺に伝ふ
の
を禁じ得ない
の
である。形体上から見ては実に立派な仏教
の
力も今日
の
世を救治する事が出来ぬとすれば、仏教は全く無用
の
長物では無いか、内務当局も仏教徒等
の
思想界を救治する
の
権威絶無なるを悟られたか、三教合同
の
御本尊なる床次氏も終に浪花節
の
方が国民指導
の
上に遙に効能が多いと自覚され、奈良丸に対して奏任官
の
待遇を与へたるは今曰
の
宗教家に対する皮肉なる良い訓戒である。或る意味に於ては宗教家に対する一大侮辱である。然るに今日
の
宗教家なるも
の
は残らず無能無識
の
徒斗りであるから、ソンナ事は少しも介意しないで仏心を妙な処に発揮して、只亡者を墓所まで送つて行つて布施を頂戴したり、愚夫愚婦とやらを誑らかして自分
の
懐中を暖め、妙な虎穴ヘ埋葬する位より外に功能が無い
の
である。穴賢穴賢掛巻もかしこき神
の
教を天下に宣伝する十三派
の
神道管長殿は今日
の
思想界
の
混乱に対してして、如何なる活動を為しつつある乎、杏として其消息を聞かぬ。彼れ等神道家は果して暖かき血液が体内に流れて居るで在らう乎。不思議と謂つても天下に是位な不思議は無いでは無いか。今日
の
大教正とか称へられて居るエライ生神さんは皆気楽さうに長夜
の
夢を貧つて御座る
の
ではあるまいか。何れにしても皆大正
の
奇蹟である。
(「神霊界」大正九年一月一日号)
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