文献名1大本史料集成 2 >第1部 明治・大正期の運動
文献名2第1章 出口王仁三郎関係文書よみ(新仮名遣い)
文献名3随筆『神霊界』大正9年2月1日号掲載よみ(新仮名遣い)
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本文
教祖の御神諭の御警告は、日に月に一瀉千里の猛勢で実現されつつ在る今日に於て、「天変地妖の予言録」とも云ふべき「安政風聞記」の一節を掲載し、且つ略解を施こして見やうと思ふ。
安政風聞記 抜書
大火動 市土逃 地乱多 家気崩
(一)親地恐 (二)火中苦 (三)家行栄 (四)金賀入
住起裂 夢埋走 施止固 庫労倒
貸費新 暗毎寒 大非溢 紺大賑
(五)現金少 (六)昼夜動 (七)仁道導 (八)切屋売
借夥空 深驚光 水懲割 番慾栄
本贅賑 死芸治 長役儲 年世麗
(九)新宅建 (十)職人喜(十一)医者閙(十二)町者豊
仮行焼 疵閙蘇 貧閑泣 日直明
右第一の表を大八洲の形に読んで行くと、天災地変の予言が現はれて来る。則ち右の上から左の下に、斜に見ると天災地変の予言が現はれて、大地裂の三字が在る。大地震が起ると云ふ事である。近くは日本に於ける美濃と尾張の大地震、以太利の大震災、今回メキシコの大震害、其他数へ尽せぬ程、近代に於て大震災、大地裂があつた。今後も之に幾層倍とも知れぬ様な、大地裂が在る事は、神諭の示す所である。次に左の上から右の下に斜に見ると、住地動の三字が並ぶ。之も大地裂の為に、住宅を建て、千年も万年も大磐石の上に、安心に生活し得る様に思つて居ると、俄に大騒ぎに成り、安全なる地点を探して、転宅転住せんと、右往左往に狼狽すると云ふ事の予言である。次に右の中から横に左の中へ見ると、火地起ると云ふ三字が並ぶ。現に昨年の秋も、ハワイの大火山で、世界一と称ふるユナマナロア山が、大噴火を始め出し、地心から火が大洪水の如うに流れ、山から地上を火の川を為して、海に流入し、其山麓に放養してあつた九十頭の牛が、六十頭まで火に取り巻かれ、逃道を失なつて焼死したと云ふのは、現に大正八年九月の末から、二十日間程の出来事である。日本では磐梯山の破裂、桜島の噴火等は、既に顕現したのは、世人周知の事であるが、今後の火地に起ると云ふ事実は、予測する事が出来ぬ程の、大火地起があるで在ろう。又た現代の欧洲大戦争の如きも、地上と地下と水中の区別なく、迦具槌火神の大活動である。次に上の中より中の下ヘ直線に見下すと、親地恐の三字が並ぶ。親地恐とは大地に喰ひ付いて恐れると云ふ事である。如何に大地が裂けても、住地が動いても、地中から火が起つても、人間は地上を離れる逃げると云ふ事は出来ない。其れで何程地変があつても、結局は地に親しみ、大地の主宰神、国常立尊に、恐る恐るも御助を乞ふ様になるとの一大予言である。
第二の表を前同様に読んで見ると、市中走と三字並ぶ。次に夢中逃、次に火中苦、次に土中埋と云ふ字が並ぶのを見る。天変地妖突発して、市民は市中を右往左往に走り廻り、夢中に成つて、取るものも取敢ヘず、生命からぐ逃げ歩行き、周章狼狽して大火焔に包まれて苦しみ悶へ、終には大地裂、山岳崩解して、市中のみか、山家も田舎も、人家獣畜共に土中に埋没する。天下の惨状を予言したものである。
第三の表を見ると、弥々五六七神政の現実に近づき、大地の金神大国常立尊の、神代一代の千辛万苦の御経編も成就し、御神諭に現はれたる、巌に松の固き世に、修理固成されて、則ち地行固と成るのである。次に施行多とは、三千世界を改造さるるに付ては、世界の一切万事を、根本的に改良すべき大神業を施行さるべき事の、最も多き事を予言したものである。乱行止と云ふのは、神諭の示さるる如く、芸妓、娼妓、博奕、愉盗、殺人、放火等の一切の乱行は、根底より止まり、真の清潔なる神民のみの世に化り、家行栄も漸次に隆盛に栄へて、万民鼓腹、撃壌の、松の神代が出現すると云ふ事の予言である。
第四の表を見ると、家賀倒の三字が並で居る。之も風雨震災等の予言である。次に庫賀崩とある。庫とは宝物を蔵むる所であり、又クラと云へば、巌と云ふ意義である。何程立派に家庫を建て、石垣を堅固に畳み上げ、是で大丈夫と慢神して居ると、忽まちの刹那に破壊して了ひ、沢山の金賀入り、底止する所を知らず、亦た気苦労を重ねて、新たに築造するとも不徳満ち、神を敬はざる家は、忽ち土崩瓦解し、終には心神疲労して、気賀労の実現すると云ふ事である。御神諭に、田地求めて家倉を立派に建て、八重の玉垣引き巡らし、堅城鉄壁と誇つて何時迄も我の物じや、我の自由じやと申して居るが、今に天地へ引き上げて了ふぞよ。人民の物は此の世には、草履の裏に附いた塵も無いぞよ。皆神の昔から苦労いたして、創造へたものであるぞよ。夫れで天地の御恩も知らずに、神を放り出し、我儘に致して居る守護神は、今に目を覚して見せて与るぞよと、出てある通りに、大本には既に已に幾度も鏡が明白に出して見せられて在るのである。一時も早く日本神国の人民は改心を致さぬと、何んな不瑞祥事が突発するか解らないから、今の間に守護神も肉体も改らなさらぬと、足元から鳥が立ち、終には生命までも召上げらるる様な神罰を蒙るから、一時も早く神心に立返らぬと、末代取返しの成らぬ大変が出来するのである。イザ鎌倉と云ふ時に間に逢ふ様に、身魂も磨いて置かぬと、波に奪られた沖の船で、大本ヘも来られず、取付く島が無くなると云ふ事の、予言的諭告文である。
第五の表を見ると、貸金空、借金新、現金少、費金魑しと現はれて居る。之は説明する迄も無く、近々に来るべき経済界の大不振、大困難の襲来するに付いて、天下は火の消えた如く淋しく成り、不景気のドン底に落込むべき事の予言である。各自に驕奢を戒しめ、節約を旨とすべきを示し玉へる天の御声であつて、御神諭の一旦世界は火の消へた如くになるぞよ。金逼迫に成るぞよ。用意を致されよ。何時迄も世は持切りには致させむぞよと、御示しに成つて思る事を、注意せなければ成らぬのである。
第六の表を見ると、古事記本文に載せられたる、常夜往天の岩戸隠れの惨状である。乃はち暗夜光と云ふ事は、電光石火の光りが、四方八方から射して来て、雷鳴轟き渡り、又は大火災起り、神諭の所謂、地震雷鳴火の雨の実現である。次に深夜寒と云ふ事は、丑寅の刻限に、人の心胆を寒からしむるが如き、驚天動地の大悲劇が演ぜられ、天下騒蝿の実況を予言したもので在る。次に毎夜驚と云ふ事は、毎日毎夜警鐘乱打され、ヤレ大火事じや、ヤレ洪水じや、暴動じや、地震じやと、狼狽まわつて、一夜と雖も安眠する事が出来ず、昼夜動で夜も昼も人心動揺の極点に達し、山川草木皆動よむと云ふ事の予言である。日本神国の神民たるものは、一人にても多く、一日も早く、皇祖皇宗の御遺訓、天津誠の道を遵奉し、以て神と皇上に仕ヘ奉り、敬神と忠と孝との大道を歩み、斯の如く悲惨なる天災地害を未萠に防ぐ事に、尽力せなければならぬ時である。
第七の表には、大道割、水道溢とある。人の通行する大道路が破潰し、諸川溝渠充溢して、人馬の往来を断ち、且又汽船、汽車、電車、自動車等の運転不可能となり、世は全く太古の泥海と化する事ありとの予言であり、又た之を一方より精神的に解釈する時は、大道割と云ふ事は、天地人道悉く割け、善人少なく、悪人多数にして、仁義道徳地を払ひ、混濁汚穢、実に言語に絶する、餓鬼畜生、修羅無間地獄が出現するから、斯かる不祥の濁世を清め、清潔無比の神代に復帰せしむべく、仁愛の神の御魂の宿り玉へる一大真人が現れて、惟神の大道を宣伝し、世界万民をして至仁至愛の善道に導き、且つ極悪非道にして、少しも改心の実なき悪人を懲らし戒しめ以て水晶の松の世を樹立さる可しとの、諭示警告であると思ふ。
第八の表は、紺屋栄と番屋賑である。世俗の諺にも、紺色の衣服が流行し出すと、世の中が万事不景気風に襲はれ、人気は沈淪し、貧困者、乞食路頭に充つると云ふて在る。世の中が段々と生活難に襲はれるに付ては、気力の無きものは、自殺を為たり、乞食になつたりするが、稍意気地の強い奴は、強盗でも何んでも構はず、胃袋主義や太短主義を発揮して、所在悪業を為し、終にはデモクラチツクや、同盟罷工や怠業は愚、世の乱に乗じて、火事泥坊的の悪事を企むものも沢山に出来るから、其処で人民保護の職にある警官なり、監獄の看守なりが殖て来る。何程増員しても不足を感ずると云ふ有様である。故に番屋賑と予言して在るのである。切屋売と云ふ事は、自分の持家なれば、半分を切つて人に売却するとか、借家なれば四間ある家なれば、二間の住居権を売つたり、老舗なればシニセを付けて売り飛ばすと云ふ事に成る。軽薄なる人間斗りが沢山に殖て来て、田舎を捨てて都会ヘくと集中するから、都会は住宅難で苦しみ、其結果は終に借家賃の高低に頓着せず、各自に争ふて借家する。其処で強慾無慈悲の家主が、貧慾心を起して、際限も無く家賃を高く取る事になつて来る。故に大屋慾と曰ふ予言が為てあるのである。現今は都会のみならず、田舎の小都邑までも家賃の値上げで、住宅難の声が喧ましく成つて来たのである。
第九の表は、本宅焼、仮宅賑、新宅建、贅宅行と読める。今日の成金連中の境遇、並びに心理状態を、具さに予言されたものである。併し乍ら神諭にも、世は持切りには致させぬぞよと現れてある以上は、金銀や物質斗りの権力では、何時迄も続くものでは無い。一日も早く成金の夢を醒まし、贅を尽した新宅などを建並べて喜んで居るよりも、足下の明るい中に、其金を以て、天下公共の事業に尽すとか、神社に寄附して、第一に祖先の霊の参集せる産土の宮を立派に造営する方が、本人の為にも、子孫の為にも、社会風教の為にも、大なる利益であると思ふ、土地の産土の大神の御宮殿は、真の形斗りの粗末なお宮に、塵だらけにして置いて、専任の神職もおかず、敬神の念は毫末も無し、妾宅などに立派なものを持へて、体主霊従、色食住の身魂と成り切つて了つて居る現代に於ては、何処の端にも神国らしい気配は、一つも為て居ない。外国の神無国よりも劣つた、今日の我国の状態である。日本広しといえども、真に敬神尊皇報国の至誠を涵養し、以て君国に身命を捧て、日夜大車輪の活動を続けて居る所は、綾部の皇道大本、地の高天原の、聖なる団体より外には、薬に為たくても絶無なる事を断言する次第である。
第十の表は、死人蘇、疵人治と並んで在る。是は決して形体的に人が死んで蘇り、人の負傷が治療されると云ふ事斗りを示したのでは無い。精神的の死人や疵人が蘇り、又た治ると曰ふ事である。現代の人類は十中八九迄も、体主霊従、四ツ足主義の獣容器である。天地経編の司宰者としての人間の人格も、将又神格も既に已に死滅して了つて、只単に色食の為に蠢動しつつある我利々々亡者斗りで、悪魔の住宅同様である。之を称して、精神的死人と云ふので在る。又た仮令死人にならず共、天賦の霊性を傷け破つて、外国思想に沈溺して居る人間は、精神的疵人で在る。彼の平田篤胤翁の歌に、
これはしも人にやあると能く見ればあらぬ獣畜が人の皮被る
と歎じられた如く、実に現代の物質慾と、利己主義に捉はれたる人間は、気骨も無ければ、節操も無く、信仰なく、忠孝仁義なく、全く豺狼の群である。天下の悪鬼邪神は、皆斯かる不徳な人間を衣服とし、住宅とし、以て万物の霊長たる大神の神子を道具に使つて、世界を汚し、魔界を盛ならしめむと、日夜に企画しつつあるのである。故に表面は横目竪鼻の直立歩行し得る人体でも、邪悪なる副守護神の住宅に、何時の間にやら化して了つて居るから、人三化七の製糞器で、真の人としての生命が消亡して居るから、之を死人、疵人と云ふのである。其死人や疵人を、惟神の大道と云ふ神薬を与へて、蘇生せしめ、復活せしめ、健康体に全治せしめむとして、昼夜奔走しつつある、天下の名医は、国の御先祖なる大国常立尊と、坤の金神豊雲野尊の神力であり、其の妙薬は、即ち右二柱の神の神諭、乃ち皇道大本の教理である。故に死人蘇、疵人治と予言されたものである。次に職人喜、芸人閙と在るのは、右等の死人や疵人を収容して、之を復活せしめ、疵人をして全治せしめ、神の御子として活世界に活動せしむる様に、神界より皇道大本と云ふ、世界無二の一大病院を建設されねば成らぬ。第一に大神の壮厳なる宮殿を始め、幽斎場、講演場、五六七殿等、年百年中不断の経営を為さねば成らぬ。
夫れには、大工、左官、石工、土工、木挽、畳屋、瓦屋、指物屋、手伝、表具屋、飾屋、鍛冶工、其の他諸種の職人が、夫れ夫れに御用を仰せ付けられ、日々繁昌を重ね、以て欣喜雀躍するとの予言である。亦た芸人閙と曰ふ事は、何事にまれ、美術工芸に秀れたる人は、各自神界の御用を頂ぎ、彫刻に、絵画に、印版に、製本其の他諸般の芸術に繁忙を極ると云ふ事の予言である。世界一般の予言は、全部皇道大本の出現を予示して居るのも実に妙である。否な妙どころで無い。三千年の神界の御経綸から見れば、当然の事実で無ければならぬのである。
第十一の表を見ると全然今日の社会の状態と適切に合致して居るのである。長者泣、貧者儲、医者閙、役者閑の文句が現れて有る。長者とは大臣有司百官、並に大資本家大地主等の総称である。則ち普通選挙案の期成運動やデモクラチツクや、サボタージユや、労資問題、時間短縮問題、賃金値上げ問題、華士族廃止問題、共産主義、社会主義などの、不合理な問題を提げて長者に威迫し、一つ間違ヘば、如何なる椿事を惹起するやも解らぬ。否現に海外の某々国には既に実現して居る。我日本国民は此際充分に自重して、斯る馬鹿気切つた問題に深入りせず、皇祖の神の依さし玉ひし雄心の、日本心を振り起し、天下の悪潮流を喰ひ留め、否な根源より払拭せなければ、神国の臣民として、一天万乗の我大君の赤子としての、人格も神格も保維する事が出来ぬのである。総じて日本国の政治は、天下の政治を地上に移されたる、神の建て玉ひし神国であるから、此の神国に住む人民は、神国の行ひを遵守せなければ成らぬのは当然である。天上の国には大君、大臣、小臣、民の四階級が、儼然として立てられてある。其政体の移写たる我日本の国民は、外国伝来の悪平等思想は、絶対に駆逐して、大義名分を明かに守らねば成らぬ所の、天賦的大責任が、各自の双肩にかかつて在るので在る。兎角下が上を犯し、従者が主人を困しめると云ふ事は、天地の大道に違反した大逆罪である。併し今日の日本人は、何も胃袋万能主義者が大部分を占め居るから、中々一通りや二通りで、長者の言に耳を領けない。何しても帰順しない処まで腐敗して居る。そこで詮方尽果て、長者泣の予言が的中する次第である。実に吾人は国家の前途を思つて、紅涙臆辺に伝ふを禁ずる能はぬのである。次に貧者儲とあるは、現代の下級民労働者は、日々賃金の値上げを迫りつつ飽く事を知らず、値上げに次ぐに値上げを以てし、女工でさへも一日に数円の賃金を得るやうに成り、運送馬車夫の如きは、日当拾円以上、人力車夫が一日五六円から七八円の収入と云ふ現況である。是では今日迄の貧者たりし下級労働者は、却つて奏任官以上の収入を得、天下の不景気風は何処を吹くかと云ふやうな鼻息である。従つて購買力の旺盛なる事、古今未曾有の現状で、物価は日を追ふて、騰貴に騰貴を重ねても、下級者は少しも痛痒を感じない。大に困るのは、只無産中流階級の官吏、則ち社会的長者である。又た大資本家や大株主は、日に月に困難な場合に陥つて来るので、長者泣、貧者儲と云ふ予言が実現したのである。次に医者閙とあるが、一昨年以来の世界風邪から、今日に掛けて、種々の悪疫が流行するため、ドンナ籔井竹庵でも、山井妖仙さんでも病客が門前市を為すと云ふ盛況である。医者成金、僧侶成金、葬式屋成金、薬種屋成金が、世界を通て津々浦々までも湧出すると云ふ、不祥なる現代の大予言である。
何にしても、安政の頃に斯う云ふ事を書いて置いた人は普通の人間では有るまい。何か神界に特別の深い因縁の在る人の作為であろうと思ふ。次に役者閑とあるは、今日の如く、都鄙到る処に流行性感冒や、悪性肺炎の横行を恐れて、面部にマスクを宛て歩行く様に成つては、演劇場へ通ふ男女も、日夜に減る一方である。
御神諭の目も鼻も口も開かむ事が出来するぞよと、示されて在る通り、目は皆老眼や近眼者のみで、色眼鏡をかけ、鼻と口にはマスクを附け、殆んど顔全部は隠して了はねば、他出も出来ぬ様に成つて居る。御神諭にある、世界へ天晴れ顔出して歩行けぬ様に成るぞよとある警告が、一部分実現して来たやうにも感じられるのである。
第十二の表は、年者明、日者麗、町者豊、世者直とあり。艮の金神大国常立尊が三千年の経綸の、一度に開き、梅の花の五六七神政成就すべき事の予言であり、又松の代五六七の神代の、瑞祥を示したる神文であると思ふ。
△
珍妙不可思議の世の中と成つて来た。蛙飛ばしの蚯蚓切りの糞握み土百姓ドンと、今迄軽侮の念を以て市中の人々から冷遇されて来た、杢兵衛や田五作は、米の高きを喜びて鼓腹撃壌し、天晴れ天下の御百姓振りを発揮し旦雇者其日暮し、鉄槌の川流れと定評のあつた労働者は、賃金の値上げに歓喜し、月給取細民は、手当の増加を欣こぶ斗りで、物価騰貴の為、約り収支相償はず、妻子眷属飢に泣き、政治家は何処からか黄金の蔓を引張り出して豪奢を極め、官吏の権威は日々に下落し、芸術家は腰が抜け、文学者は骨を失なひ、三文の価値も無い軟文を以て成金と成る。斯んな工合にして、世の中が進展して行くならば、遂に社会は崩壊し、人類は滅亡より外に途は無いのである。況や此の風潮の最も濃厚なる、我日本国の如きは、正に世界各国の競走場裡より駆逐されむに於てをや。実に危ぶむべきは、我国の前途である。ヤレ普通選挙促進だ、自由平等だ、労銀値上げだ。労働者人格生活向上問題、八時間制だ、貴族廃止だなど、盲目滅法に天下の騒蝿を繰り返し、日本国体の精華たる、敬神尊皇報国、子孫愛護の大道を没却し、我も人なり彼も人なり、政治に参与するは、国民の権利なりと、猫も杓子も国家の前途を忘れて、目前の虚栄に没頭し、貴族階級は淫逸怯懦にして、一片の敬神報国の念なく、只単に製糞器の用を為す而已。貴族は下級民を侮どり、下級民は貴族を敵視す。斯る心得違がひの為に、国家の大本に亀裂を生せざらむ事を、日夜神明に祈つて止まざる次第である。
△
邪神界の最も畏るるものは天津祝詞である。綾部の大本地の高天原は、日夜熱心なる教信徒の奏上する諄辞に由て、天地も震動せむ斗の言霊の威力は、金竜の神苑に、最も荘厳に、最も清澄に鳴り響き、真の地の高天原の霊場を現出しつつあり、然るに我皇道大本の威力を畏怖し、且つ嫌忌しつつある悪鬼邪神は、何とか為して此の権威ある祝詞奏上を中止せしめむと、百方焦慮の結果、終に大本に二十有余年間、日夜奉仕せる○○○○氏の妻の口を籍りて、近所の安眠妨害を名とし、同氏に通じて同氏より之を○○局に通じ、同局は直ちに祝詞禁止の張り紙を数ケ所に為したり。然るに王仁は、斯かる不届なる事の出来せるを気付かずして、神務に忙殺され、原稿作製や、来訪者の応接にて寸暇なく、旬日余りと云ふものは、一歩も他出せざりしを以て、注意を与ふる事能はなんだのである。然るに去る十八日の夕方、俄然身魂の異状を来たし、王仁の守護神、忽ち○○○○氏を呼び出し、其不都合を戒め、直に金竜苑内の張札を除去せしめ、青年隊より各宿舎に通告せしめ、再び神苑内は天津祝詞の諄辞に包まれ、荘厳の霊気が漂ふ事となつたのである。大本神苑内に住居し乍ら、祝詞の声が嫌いになる如うな守護神や肉体は、一日も早く神苑内を退去されるが、神界に対して不敬に成なくて好い。斯守護神は二十年来瑞の御魂の教と行動に反対した逆霊であるが、中々根底からの改心は出来ないものである。烏の羽根は幾度洗つても白く成らぬと同様で、如何とも仕方が無い。
眼の無い千鳥手の鳴る方へと曰ふ事がある。今日の現状は、果して眼の有る者が在るであろう乎。精神界の盲目時代は、今日より甚しきは在るまい。政治家も、教育家も、実業家も、法律家も、経済学者も、宗教家も一般の民衆も、一日先きの天下の出来事が判らないもの斗りであるから、天下の大勢に順応せむとして、彼方ヘヒヨロヒヨロ、此方ヘヒヨロヒヨロと、兵糧つき廻つて、是と云ふ一本の思想的真柱がないのである。
斯かる国家の現状で、何して我祖神の、以て天壌無窮と依さし玉ひし、神国を保持し、進展せしむる事が出来るであろう乎。上の守護神も下の守護神も、十中の八九までは、皆四ツ足に成り下つて了ひ、飯綱狐、一名管狐、又は尾崎狐と曰ふて、手品師の懐に居つて、種々の悪業を為す豆狐の守護神が、汽車中で今日のデモクラシーに反対する如うな団体こそ、危険思想団体であると吠えて居る。実に吾人は呆れて物が言へぬのである。共和の二言で、高い処から引き落された様な守護神は、何時に成つても落ちぬと見へる。是は大本の鎮魂術でも容易に落ちぬ。
慢性的狐愚病者であるから、斯う言ふ狐憑病者に魅せられた天下の愚蒙者が、尾の崎の八尾の玉の振り行く雄に盲従して、普選問題を担ぎ廻はり、デモクラ酒に泥酔して、千鳥足に大地を迂路つき、終には泥溝ヘ陥落する迄は、気が付かぬとは、実に情け無いではないか。最早今日と成つては、在来の宗教でも、教育でも、倫理学でも駄目だ。皇祖皇宗の神霊を信じ、且つ千古不磨の御遺訓を奉戴し、以て神の真の教を遵奉し、皇大神の大前に拍手敬礼を怠らざる、至誠、至忠、至敬、至真の大本団体の神力に依拠せなければ成らぬ、国家危急存亡の秋である。夫れ故に、昔から「眼の無い千鳥手の鳴る方へ」と云ふ俗謡が、誰れ云ふとなく伝はつて居るのは、我が皇道大本の出現を予告したものであると思ふ。
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体主霊従の無差別的平等主義が、忌々しくも発展して、猫も杓子も、普通選挙とやらの叫び声は、小田の蛙の鳴く音よりも熾烈を極て来た。
今度の大阪に於る労働団体の、大々的示威運動に対して、尾崎氏、今井博士等は実に素晴らしい勢であつた。右両氏等の指導は、真に苦境にあると称する労働階級を、幸福なる生活に導かむとする、良心とやらの閃か。それ共、資本家特権階級を叩き潰して、彼等の横暴とかを匡正するのが目的か。何にしても、上下通じて好調に進ませて貰いたいもので在るが、稍ともすれば、利己主義、四ツ足主義を発揮して、他人はどうでも能い、労働階級だけの幸福を増進させるのが、目的らしくも在るやうだ。果して斯な工合に成つて来ると、労働者と資本主との対抗で、一番極端に成ると、○乱が起らぬとも云へぬ。今にして何んとか双方から妥協互譲の途を講じ無ければ、労資共倒の惨事を招来せなければ止まぬであらう。皇道大本の信者の中にも、多少の労働者も在るであろうが、諸君等は、常に神様の誠の教を遵奉して居られる、忠実なる臣民であるから、滅多に取違いは在るまいけれ共、万々一にも右等の問題や運動に没頭する様な不都合が、仮にも在つたとすれば、神界と国家に対して、一大叛逆であるから、充分に御注意を願ひます。夫で無くても、世の立替、立直しを唱導しつつある、大本を誤解して、社会主義だとか、共産主義だとか謂ふ、分らず屋がある社会だから飽く迄も言行を慎んで欲しいもので在ります。
△
平田篤胤曾て午頭天王暦神辯を著はして曰く、世に午頭天王と申すのは建速須佐之男命に坐し、暦法家に謂ゆる天道神も須佐之男命、歳徳神は稲田姫命、八将神はこの二神の御子に坐すなど言へども、皆家相方位家の人惑しにして、片腹痛きことなりと謂へるは、最もなる所説と言ふべし。午頭天皇とは言霊学上、午頭天王と成るのである。世俗謬り伝へて、午頭天王を素盞嗚尊と為すは、大神に対し奉りて、実に不敬の甚だしきものである。古伝に曰く、
午頭天皇、竜王の娘頗梨采女を妻とし、以て八王子を得たり。其一は総光天王大歳神、二は魔王天王大将軍、三は倶摩羅天王大陰神、四は得達神天王歳刑神、五は良侍天王歳破神、六は侍神相天王歳殺神、七は宅神相天王黄幡神、八は蛇毒気神豹尾神、以上は八将軍。(八尾八頭)也。
その眷属八万四千六百五十四神あり。午頭天王、后妃及び八王子諸眷属を率ひて、広遠国(日本国)に到り、彼の鬼館に入り、諸の眷属と共に乱入して巨旦を滅ぼすとあるは、大日本国の国祖、艮の大金神を征伐した事の意義である。天地開闢の大初より、八頭八尾と邪鬼と、金毛九尾の悪神が現はれ、天下を魔の世界に為として、天の大神ヘ種々の奏問を成し、終には根の国へ神退ひに退ひ、猶飽き足らずして、艮の鬼門大神の神館に乱入して、巨旦大王(艮金神)の屍を切断し、各々五節に配当し、神事、仏事共に、艮の金神調伏の儀式を行ひ、広遠国をソミコンに預けておいて、誓つて曰ふ、我末代に疫病を流行する神と成らむ。併しソミコン(抹損の眷属)の子孫と曰はば、妨碍すべからずと、「がが在る」の味方のみを助け、他の種族は之を疫病にて滅ぼすと云ふ、虫の良い誓言である。又た彼は末代の衆生が寒熱の二病を受くるは、則ち午頭天王の眷属の行為であるから、若し此の病を退けむと欲せば、則ち外に五節の祭礼を違へず、内に二六の秘文を収めて、須らく敬信せよと言つて、天下の衆生を、一々「我が在る」の好策に曳き入れ来たつたのである。「二六の秘文とは、ソミコン子孫と唱へることである」
今日までに、神事、仏事に五節の祭礼を執行して居たのは、甘々午頭天王の悪神に誑惑されて居つて、気が附かなかつたのである。五節の祭礼の一なる正月元旦の赤白の鏡餅は、巨旦(艮金神)が骨肉也。三月三日の蓬來の草餅は、巨旦が皮膚也。五月五日の菖蒲の結粽は、巨旦が鬢髪也。七月七日の小麦の索麺は、巨旦が継也、九月九日の黄菊の酒水は巨旦が血脈なり。又た鞠は巨旦の頭なり。弓の的は巨旦の眼なり。門松は巨旦の墓験なりと唱へしめ、威是れ艮の金神調伏の儀式として、今日まで神仏の儀式に用ゐて来たので在るから、天下に真の神の守護が絶無となり、悪魔の横行濶歩したのも無理はないので在る。然るに有難き事には天運ここに循り来つて、艮の金神大国常立尊が、地の高天原に、変性男子の身魂に依りて顕現せられ、天下の悪鬼邪神を言向和し玉ふ神代が到来したので在るから、今迄の五節の祭礼も、自然に改め無ければ成らぬ事に成て来たのであります。
附言午頭天王を素盞嗚尊なりと唱へ出したのは、吉備公が唐より帰朝の際従ひ来りし、金毛九尾、白面の悪狐に何時の間にか我精霊を魅せられて、途方も無き説を暦法に加ヘられたのが、日本人のマツソンの霊魂に誑惑された初めである。
午頭天王邪鬼神の奸計甘々と成功し、弥々節分の夜を期して、巨且大王、即ち艮の金神大国常立尊は隠身となり玉ふさへ、気の毒に堪へざる次第なるに、午頭天王の暴悪無道なる巨旦の霊魂を、根本的に滅亡せしめむとし、節分の儀式にも又調伏の行事を敢てせり。乃ち巨旦大王の眼を潰さむが為に、鬼の眼突きと称して、柊の針の鋭きを、戸壁に刺しかざさしめ、巨旦の頭を梟すベく、鰯の頭を串刺と為して門戸に挿し、加之煎豆を人家の内外に撒きて、鬼の眼潰しと称し、鬼は外福は内へと、年男に謳はせ、煎豆に花が咲く迄は、日本の国には入る可らずと言ふて、日本の人民が知らず知らずに、地の先祖の大神を、悪魔邪神呼ばはりをして来たのである。思ヘば思ヘば実に勿体なき次第であつた。然し知ぬ神に崇り無し、大神の広き厚き大御心にて、今日までは見直し聞き直し詔り直して赦して下さつたのであれども、最早時節到来して、艮の大金神の御教示を聞かして頂いた以上は、今迄の不調法を全部御詫して、一切万事を五六七の神政の行り方に改復せなければ成らぬのである。それで皇道大本の節分祭は、国祖大神御大難の記念日を追懐して、従来の知ずくの御無礼と、御気障りの御詫を申上ると同時に、過去一年間の御礼と、来る一年間の神様の御守護を願ひ、天津罪、国津罪、許々多久の罪穢を速川の瀬に流し捨つる大神業である。又た第一に君が代の栄えを祈り、国土を清め奉る大神事であります。
就ては天下一般に施行する節分祭礼の儀式なり、沿革なり、節分祭に対する社会一般の態度を、世人の参考の為に、左に記述する事としました。是を見ても、如何に艮の金神様に対して誤解しつつ在つた事が、窺知されるであらうと思います。
節分
一、立春の前、一日の称「せつぶん」ともいひ、其夜を「としこし」(年越)といふ。冬の季節を分れて、春の季節に移る意にして、毎年二月二日、三日、若くは四日の中にて、いづれか一日に相当す。此日民間にては、門戸に柊の枝、鰯の頭などを挿みて、厄除の表事とし、黄昏に至れば、煎豆を室内に撒きて疫癘を撰ひ、これを豆打、又は豆撒といふ。豆を撒くものを歳男といひ、一家の内事を執るもの、これを司る、三方の上に斗量を載せて、これに煎豆を入れ、室内にて歳徳神の方位に向ひて「福は内」と唱へ、又歳徳神の方位に背きて「鬼は外」と唱へ、手づから豆を撒きて福を迎へ鬼を逐ふ。豆撒を終へし後、老幼男女「厄落し」のためとて、歳の数ほどの煎豆に、年豆一粒を加へて、これを食するもあり。或は同じ数の煎豆を紙に包み、全身を撫でて厄をうつしたりとなし、厄払の「御厄払ひませう」と呼びて過ぐるを招き、これに銭若干を添へて与へ、祝寿駆邪の辞を唱ヘしむるもあり。或は四つ辻にこれを棄てて、厄を攘へりとするもあり。其他地方によりて其風を異にす又此日痰を根治する呪を称へ、長蕪蓄の葉に姓名と生日とを認めたるを懐にして寝ね、翌朝これを水に流し三年がほどこれを続くれば、病根を絶つと云ひ、又煎豆を貯へ置きて、初雷に食すれば、雷除の呪となるなど云ひ伝へたり。
旧徳川大奥に於て、此夜厳重なる儀式を催さるるを式例とし、歳男は筆頭の留主居これを勤め、子持筋の熨斗目長上下を着けて、酉の刻に大奥の広座敷に出仕す。表使待受けてこれを年寄に報じ、年寄これを御台所に披露したる後、表使に命じて歳男を案内せしめ、御台所、次の間に於て目見を賜ふ。歳男進みて「今年は別して静なる年がらにて、殊更恐悦申上奉る」と述べ、静に座を退きて入側に出て、長袴をくくり上げ、桝に盛りたる熬豆を、三方のまま表使より受け、椽を下りて福草履を穿ち、まづ吉方に向ひて煎豆三粒を歳徳神に供へ、拝して三歩を退き、吉方を背にして、御台所の居間の椽に近く進み「福は内」と声を張上げて、三たび煎豆を撒き、(「鬼は外」と呼ばず)二たび次の間に至りて、御台所の齢の数ほどの豆を撮み、これに一粒を加へて白紙に包み、年寄を経て御台所に捧ぐ。かくて歳男は箕に盛りたる煎豆を攫み出し、万々歳の三字を、畳の上に書きて祝儀を陳べ、左手に箕を携ヘ、一礼して御前を退き、長局一の側に至りて「お年寄衆おめでたう御座る」と云ひ、年寄は「御留主居衆おめでたう御座る」と答ふ。さて歳男は大音に「福は内」と呼ながら、煎豆を部屋の内に撒き、足早に隣の部屋に至りて豆を撒き、広座敷に立還りて、節分の祝儀畢りぬるよしを述べて座を立たんとするとき、女中二十余人納戸より出でて留主居を捕ヘ、調子を揃ヘて「御代はめでたき此君様よ、鉄の土台の腐るまで、おめでたや。鉄の土台は愚なことよ、石の土台の腐るまで、おめでたや。これは此方の大黒様」と唄ひながら、三度胴上げの戯を行ひて、静にもとの座に直し、万々年と称ふる料理を賜ふ。此夜長局の各部屋にては、厄落と称して、齢の数ほどの豆と、応分の金子とを白紙に包み、広敷玄関に至て敷台に投げ、下男待受けて、一包を投出す毎に、一人づつ敷台の中央に進みて、厄払の詞を述べ、はては好に応じて声色、茶番の余興に夜の更くるを忘るるを習とせり。
諸家にて行はるる式は、いづれも大同小異なりと雖も、独り九鬼家の式は、甚だ奇にて、同家にては「福も内、鬼も内」と囃し、外にひかヘし黒鬼が玄関の戸を排きて入り来れば、歳男出迎へて、かの鬼と酒宴をなし、互に祝して後、鬼は青緡三貫文を受けて退出するなりと云ふ。蓋し韓愈が送窮文の意に拠りて行ふものならん。抑々節分に煎豆を撒きて、疫癘(注 ライ病)の鬼を攘ふこと、もと追儺の公事より転じ、又支那の制を移したるにや。追儺は桃弓、葦矢を以て悪鬼を逐ふの状をなす儀式にして、除夜に禁中にて行はれし公事なるを、いつしか民間にてもこれを象りて、節分の夕に行ふこととなりしなるベし。
又大豆を用ふる事、後漢書に漢旧議を引き「以赤丸五穀播濫之以除疾疫」と見え、又本草綱目に「大豆辟攘時気」又「主治殺鬼毒」と見え、又嵩山の除夜の詩に「暗中信手頻抛擲打着諸方鬼眼睛」と云へるなどに拠り、疫鬼の眼睛を打潰して、これを逐ひ攘はんとなるべし。
其俗の果していつれの代に濫觴(注 物事の起こり)せしかは、未だ確証なしと雖も、応永の頃より所見あれば、古くより行はれし風なりと見ゆ。後世にてもなほ除夜にこれを行ふことありしにや、羅山文集に「民間除夕至今所存者、挿杢谷樹於門戸壁間此国所謂比々良木是也。其葉有稜角如刺、蓋禦邪鬼也。又爆豆撒乏屋内、唱日鬼兮外福兮内」と見ゆ。又室内に豆を撒きて、「鬼は外、礼は内」と唱ふることは、始めて臥雲日件録(文安四年十二月二十二日の条)に見えたれば、これも古き風なるべし。
又門戸に柊の枝、鯔の頭を挿すことは、寛平、延喜の代既にこれありし事、土佐日記に「小家の門のなよしの頭ひひらぎ」と見しにて知られたり。鯔を鰯に代ふる事、中古以後に起りしにや、貞応三年百首、藤原為家の歌に「世の中は数ならずともひひらぎの色に出てもいはしとぞ思ふ」と見えたり。
二、(能)狂言の名、其梗概次の如し。
節分の夜、亭主が出雲の大社へ年参りに行て、女房独り留主居する家あり。かかるところヘ蓬來の島より鬼出で来る。此登場は宛も謡曲の如く、次第名乗道行ありて、さてかの家に来かかり、余り饑ゑたればとて、家の内を覗ふに、柊にて目を突かれたれば、まづこれをかき落し、改めて案内を乞ふ。女房は留主中なれば、戸は開けじと云ふを、近所の者の急用なりと云ひて、漸く開かせたれど、隠れ簑、隠れ笠を着たれば、女は何者も居らぬことと思ひて、直ぐ戸を鎖すに、鬼も心付いて、簑笠を取り、再び戸を開かしむ。女は鬼の姿に驚いて大声を立つるに、鬼も亦肝を潰して、これは蓬來の鬼なれば、さして怖しきものにあらずと弁護しつつ、何か食ふ物を得させよと乞ふ。女荒麦を与ヘて立去らしめんとするに、鬼はいかにして喰ふべきかを知らねば、これを打棄てなどする間に、つくづく女房の美しさ見惚れて、頻に女房に寄添ひ、小唄などを調ひて、切なる情を示しつつ、女の無情なるを見て泣き出す。女は斯様子を見て、鬼を欺いて宝物たる隠れ笠、隠れ簑、打出の小槌等を出さしめ、鬼が安心して横臥しつつ、草臥れたれば腰をうつてくれよと云ふ暇を覗ひて、時分はよしと盛に「福は内、鬼は外」と唱ヘつつ、鬼に向つて豆を打つ。鬼は「許せ許せ」と叫びて、女に追はれて退場す。
鬼は仕手、女はあどなり。
昔から『爰まで御座れ甘酒呑まそ』と云ふ事を、能く言ふものであるが、皇道大本の節分祭は、煎豆の儀式を全廃して、其夜に信者一般に甘酒を餞する事に成て居ります。本年は参会者の数に於ても、非常に増加の傾向がありますから、一石一斗の糀で甘酒を沸す事に成り、先月下旬頃から、夫れ夫れ準備をして居りますから、教信徒の方々は、髪即ち綾部の大本の五六七殿まで参詣して、神に御供へ申した甘酒を頂戴し、身魂の邪気を払ひ、追儺の行事に加つて、本年も来年も来々年も、幸福は充満して、お多福さんに月日を送り、天地経綸の主宰者たる、人生の本分を尽されんことを祈ります。糀を一石一斗沸した意味は、一国一統と国音相通ずる所から祝つた次第であります。
紀元節は皇国三大節の一であつて、毎年二月十一日禁中に於て行はせらるる公事である。皇祖神武天皇天下を平定し大和橿原の宮に帝位に即き玉ひし吉日を祝する儀式である。日本書紀に、
『辛酉歳春正月庚辰朔天皇帝位に橿原の宮に即く是歳を以て天皇元年と為す、正妃を尊んで皇后と為す、(中略)故古語称之日畝傍の橿原の下津岩根に宮柱太知立高天原に搏風峻峙始取天下之天皇を神日本磐余彦火々出見天皇と号す。初めて天皇天津日継を草創たまふの日也』と見えて在る。初めてこの日を祝日と定め給ひしは明治五年一月廿九日であつた。同年十一月九日より太陰暦を廃して太陽暦を頒行せられ、天下に令して神武天皇御即位の歳を紀元元年と定め正月朔日を祝祭日と為し、神武天皇即位日と呼んだのである。去れど此時の旧暦正月朔日は太陽暦の一月廿九日に当つたので、一月廿九日は神武天皇御即位日と成つたのである。明治六年の三月に至り之を紀元節と改称せられたのであるが、其当時又た旧暦の正月朔日を紀元節として祝ふは如何との議起り、同年十月十四日に八大祭を定められ、辛酉の歳正月朔日を太陽暦に換算し、七年以後二月十一日を以て紀元節と改められたのである。此日は天皇皇霊殿に於て親祭を行はせられ、又群臣に酒宴を賜ひ、群臣の参賀を受けさせ玉ふ公事である。
扨て御親祭の次第は午前九時式部職官員着床して、皇霊殿を開扉し、神饌及び幣物を供し、次で親王、王、大勲位、親任官、従一位、勲一等、一等官、侯爵、正二位、二等官、麝香間祇候、錦鶏間祇候着席す、同十時天皇出御、王串を奉り告文を奏し給ひ次で賢所に出御畢りて入御し給ふ、次に皇后玉串を奉り、御拝畢りて入御し玉ふ。次に皇太子同妃玉串を奉りて退下せられ、次で親王、王、以下着床の諸員宮内省奏任官掛判任官の拝礼ありて幣物及び神饌を撤し閉扉す、正午式部職官員再び着床して開扉し午后二時迄百官の参拝を許され、午后五時より更に夕の祭典あり、当日又皇族諸大臣外国使臣其他を豊明殿に召し御宴を催さる、天皇親臨してまづ勅語を賜はり内閣総理大臣は我臣僚を代表して奉答し尋で外国使臣の首席者は外国使臣を代表して奉答するを恒例とす。右の如く紀元節は暦の都合上二月十一日と定められたけれども、実際は正月の朔日である。然して本年の正月朔日は二月二十日に相当し、戊申の日にして先勝鬼、母倉の宿日であります。
又来年は神武天皇御即位の辛酉の歳で、恰度四十四回目の紀元節であります。五六七神政に就いて最も皇室の御隆盛を来させ玉ふ御年廻りである事を祝福し奉る次第であります。
大正九年度の天下は実に諸種の出来事が突発する事は神示に依つて略承知する事が出来るけれ共、吾々としては之を公然発表する事は見合せねば成らぬ、却つて人民を惑乱させる恐れが無いとも限らないし、悪くすると流言浮説を逞ふし、人心を誑惑するものと其筋から御目玉を頂戴するも、臣子の本分で無いと思つて可成的予言めきた事は避けて居るのであります。併し左記の予言は大本の予言では無く、松山の出身で電気予言を発明した三谷大命堂主人が恒例に依つて、一月元旦電気盤に向つて大正九年の国運に就き感応を需めた其結果を愛媛新報紙上に発表したる大要であります。要するに本年の国運は政界財界共に破乱曲折多く、亦た天変地異の虞あるを示し社会外交共に多事を示すと共に要路の重任者は勿論国民共に自重すべき年柄であると思はれる。
大本の神示に現はれたる予言と電気盤の感応とは固より同一視する事は出来ぬ。且又大変に違つた点もあるが、大体に於て酷似の箇所も沢山ありますから、左に三谷氏の予言月別概要を紹介致して置きます。
一月 南支方面に於て或る事物の得失あるを示すと共に某方面に対する戦争準備とも云ふべき処置に出づとの象を現はす。
二月 妄言浮説流布され、政府狼狽するの虞れあり、亦政府として他の謀略嵌穽に陥るの象あり。
三月 国家として骨肉相食むが如き象あると共に、内閣に動揺起るべく、亦他に国民として悲しむ可き事あるが如し。
四月 内閣の一部或は全部の改造変換の象あり。又国家として継続事業に蹉跌を生ずるの象あり。尚当月は食糧品に対し官営説起る可し。
五月 天変地異あるを示す、激震或は火山の大爆発其他国民として災害を受く可き象あり、一面に於ては漁業に対する豊漁の意あり。
六月 外交内政共に多事なるを示し、又た妄言虚説に雷同して国民の動揺を起すが如く、且つ軍隊を動かすが如き象を示す。
七月 某国に合併亦たは同盟説の起るべき象なるも実行せず、却つて不良の結果を生ずるが如し、当月は諸物価大下落の象あり。
八月 西南方面に大動乱起るの象あると共に軍隊の出動を見るが如き象あり、内地としては関門方面を示し朝鮮満洲及び沿海洲にも注意を払ふべき出来事あるの象なり。
九月 天変地異あるが如く、殊に気候に於て八月及び当月共に冷熱極端なるの象あり、外交として言質を取られ困惑する事あり。
十月 政府として出費多く、且つ同盟或は親交国の背反行動あるが如く、亦官界の同盟罷業起るの象あり、裏面に於ては帰順的同盟する国出来の象ありて破乱多き月柄の如し。
十一月 某国の無法に起因する出来事に於て日本帝国として看過し能はざる或る種の準備あるが如し。
十二月 国際裁判に連座するが如きこと、又は外国使臣の往来あるが如く、国民として或種の動揺を醸すの象あり。
須らく記して後日に徴せむと思ふ。
皇道大本に出現した事は必ず何処にか出現すると云ふ事はる々神諭の示す所である。昨冬以来大本にては乗馬隊を組織して馬上高声に日本は神国なり人は天地経綸の司宰者なり、神代は近づけり、悔い改めよ各自の天職を覚れよと騎馬の勇士は三丹の野に咆哮怒号したのである。然るに今日露都に於ける宗教運動は非常な熾烈を極め馬上高声に悔ひ改めよと絶叫し、さしもの過激派も畏怖すると云ふの有様である。其基督教青年会西伯利亜総支部幹事長、河合亀輔氏の談に「西伯利亜各地にある教会が多数の人を惹き付け同時に諸国民の宗教心が漸次向上して来た事は著しき現象である。之が動機は露国の宗教運動及び其宣伝の状況が乞食に化けて昨年露都から浦塩へ帰つて来た浦塩正教監督セエフ氏に依り伝へられたが、其談によると、露都に在る正教の総監督は戦線だろうが何所だろうが何時も馬に乗つて馬上声高に悔ひ改めよと叫んで居る。何も言はず只悔ひ改めよと簡単なる言葉であるが、其声が国民を動かし、荒び切つた兵士まで馬上神の如き監督の姿と見ると跪き礼拝する、監督の放つた大きな声は巨鐘の如く全露に響き、過激派も其声に非常に怖れ警戒せりと云ふ。私はチタ滞在中某国兵が燦然たる銀製の靴を持来たり相当の代価を以て引取つて呉れとの相談を受けた、固より買ふなどの事は出来ず、いい加減に断つたが、其靴はアフ寺院にある聖マリヤの聖像に付いて居たのを抜取つた事が解つた。教会は破壊され、マリヤの聖像は台ナシにされた有様であるから、正教徒が声に応じて起つは当然である。
教会の集りが大きく成つて来たのも其為めである。露国の此宗教運動が今後如何に発展するか疑問であるけれども、彼等が正しい事を為せと叫んで居るので、露国改造に其宗教の力が与つて大なる事は無論であろうと思ふ」云々。
其所等の基督牧師さんも大本の隆盛を嫉視して隣人の証明を為て居るより、一つ奪発して浦塩方面なりと朝鮮へなりと御出張になつては如何、殊に朝鮮には日本の内だけに卿等の味方が沢山に居つて非国民的の行動を内々行つて居るそうであるから。
(「神霊界」大正九年二月一日号)