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文献名1大本史料集成 2 >第1部 明治・大正期運動
文献名2第1章 出口王仁三郎関係文書よみ(新仮名遣い)
文献名3随筆『神霊界』大正9年2月1日号掲載よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ我が在る(ガガアル、ガガール、ハザール) データ凡例 データ最終更新日2020-02-27 22:53:47
ページ83 目次メモ
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本文  教祖御神諭御警告は、日に月に一瀉千里猛勢で実現されつつ在る今日に於て、「天変地妖予言録」とも云ふべき「安政風聞記」一節を掲載し、且つ略解を施こして見やうと思ふ。
    安政風聞記 抜書
   大火動    市土逃    地乱多    家気崩
(一)親地恐 (二)火中苦 (三)家行栄 (四)金賀入
   住起裂    夢埋走    施止固    庫労倒
   貸費新    暗毎寒    大非溢    紺大賑
(五)現金少 (六)昼夜動 (七)仁道導 (八)切屋売
   借夥空    深驚光    水懲割    番慾栄
   本贅賑    死芸治    長役儲    年世麗
(九)新宅建 (十)職人喜(十一)医者閙(十二)町者豊
   仮行焼    疵閙蘇    貧閑泣    日直明

 右第一表を大八洲形に読んで行くと、天災地変予言が現はれて来る。則ち右上から左下に、斜に見ると天災地変予言が現はれて、大地裂三字が在る。大地震が起ると云ふ事である。近くは日本に於ける美濃と尾張大地震、以太利大震災、今回メキシコ大震害、其他数へ尽せぬ程、近代に於て大震災、大地裂があつた。今後も之に幾層倍とも知れぬ様な、大地裂が在る事は、神諭示す所である。次に左上から右下に斜に見ると、住地動三字が並ぶ。之も大地裂為に、住宅を建て、千年も万年も大磐石上に、安心に生活し得る様に思つて居ると、俄に大騒ぎに成り、安全なる地点を探して、転宅転住せんと、右往左往に狼狽すると云ふ事予言である。次に右中から横に左中へ見ると、火地起ると云ふ三字が並ぶ。現に昨年秋も、ハワイ大火山で、世界一と称ふるユナマナロア山が、大噴火を始め出し、地心から火が大洪水如うに流れ、山から地上を火川を為して、海に流入し、其山麓に放養してあつた九十頭牛が、六十頭まで火に取り巻かれ、逃道を失なつて焼死したと云ふは、現に大正八年九月末から、二十日間程出来事である。日本では磐梯山破裂、桜島噴火等は、既に顕現したは、世人周知事であるが、今後火地に起ると云ふ事実は、予測する事が出来ぬ程、大火地起があるで在ろう。又た現代欧洲大戦争如きも、地上と地下と水中区別なく、迦具槌火神大活動である。次に上中より中下ヘ直線に見下すと、親地恐三字が並ぶ。親地恐とは大地に喰ひ付いて恐れると云ふ事である。如何に大地が裂けても、住地が動いても、地中から火が起つても、人間は地上を離れる逃げると云ふ事は出来ない。其れで何程地変があつても、結局は地に親しみ、大地主宰神、国常立尊に、恐る恐るも御助を乞ふ様になると一大予言である。
 第二表を前同様に読んで見ると、市中走と三字並ぶ。次に夢中逃、次に火中苦、次に土中埋と云ふ字が並ぶを見る。天変地妖突発して、市民は市中を右往左往に走り廻り、夢中に成つて、取るもも取敢ヘず、生命からぐ逃げ歩行き、周章狼狽して大火焔に包まれて苦しみ悶へ、終には大地裂、山岳崩解して、市中みか、山家も田舎も、人家獣畜共に土中に埋没する。天下惨状を予言したもである。
 第三表を見ると、弥々五六七神政現実に近づき、大地金神大国常立尊、神代一代千辛万苦御経編も成就し、御神諭に現はれたる、巌に松固き世に、修理固成されて、則ち地行固と成るである。次に施行多とは、三千世界を改造さるるに付ては、世界一切万事を、根本的に改良すべき大神業を施行さるべき事、最も多き事を予言したもである。乱行止と云ふは、神諭示さるる如く、芸妓、娼妓、博奕、愉盗、殺人、放火等一切乱行は、根底より止まり、真清潔なる神民世に化り、家行栄も漸次に隆盛に栄へて、万民鼓腹、撃壌、松神代が出現すると云ふ事予言である。
 第四表を見ると、家賀倒三字が並で居る。之も風雨震災等予言である。次に庫賀崩とある。庫とは宝物を蔵むる所であり、又クラと云へば、巌と云ふ意義である。何程立派に家庫を建て、石垣を堅固に畳み上げ、是で大丈夫と慢神して居ると、忽まち刹那に破壊して了ひ、沢山金賀入り、底止する所を知らず、亦た気苦労を重ねて、新たに築造するとも不徳満ち、神を敬はざる家は、忽ち土崩瓦解し、終には心神疲労して、気賀労実現すると云ふ事である。御神諭に、田地求めて家倉を立派に建て、八重玉垣引き巡らし、堅城鉄壁と誇つて何時迄も我物じや、我自由じやと申して居るが、今に天地へ引き上げて了ふぞよ。人民物は此世には、草履裏に附いた塵も無いぞよ。皆神昔から苦労いたして、創造へたもであるぞよ。夫れで天地御恩も知らずに、神を放り出し、我儘に致して居る守護神は、今に目を覚して見せて与るぞよと、出てある通りに、大本には既に已に幾度も鏡が明白に出して見せられて在るである。一時も早く日本神国人民は改心を致さぬと、何んな不瑞祥事が突発するか解らないから、今間に守護神も肉体も改らなさらぬと、足元から鳥が立ち、終には生命までも召上げらるる様な神罰を蒙るから、一時も早く神心に立返らぬと、末代取返し成らぬ大変が出来するである。イザ鎌倉と云ふ時に間に逢ふ様に、身魂も磨いて置かぬと、波に奪られた沖船で、大本ヘも来られず、取付く島が無くなると云ふ事、予言的諭告文である。
 第五表を見ると、貸金空、借金新、現金少、費金魑しと現はれて居る。之は説明する迄も無く、近々に来るべき経済界大不振、大困難襲来するに付いて、天下は火消えた如く淋しく成り、不景気ドン底に落込むべき事予言である。各自に驕奢を戒しめ、節約を旨とすべきを示し玉へる天御声であつて、御神諭一旦世界は火消へた如くになるぞよ。金逼迫に成るぞよ。用意を致されよ。何時迄も世は持切りには致させむぞよと、御示しに成つて思る事を、注意せなければ成らぬである。
 第六表を見ると、古事記本文に載せられたる、常夜往天岩戸隠れ惨状である。乃はち暗夜光と云ふ事は、電光石火光りが、四方八方から射して来て、雷鳴轟き渡り、又は大火災起り、神諭所謂、地震雷鳴火実現である。次に深夜寒と云ふ事は、丑寅刻限に、人心胆を寒からしむるが如き、驚天動地大悲劇が演ぜられ、天下騒蝿実況を予言したもで在る。次に毎夜驚と云ふ事は、毎日毎夜警鐘乱打され、ヤレ大火事じや、ヤレ洪水じや、暴動じや、地震じやと、狼狽まわつて、一夜と雖も安眠する事が出来ず、昼夜動で夜も昼も人心動揺極点に達し、山川草木皆動よむと云ふ事予言である。日本神国神民たるもは、一人にても多く、一日も早く、皇祖皇宗御遺訓、天津誠道を遵奉し、以て神と皇上に仕ヘ奉り、敬神と忠と孝と大道を歩み、斯如く悲惨なる天災地害を未萠に防ぐ事に、尽力せなければならぬ時である。
 第七表には、大道割、水道溢とある。人通行する大道路が破潰し、諸川溝渠充溢して、人馬往来を断ち、且又汽船、汽車、電車、自動車等運転不可能となり、世は全く太古泥海と化する事ありと予言であり、又た之を一方より精神的に解釈する時は、大道割と云ふ事は、天地人道悉く割け、善人少なく、悪人多数にして、仁義道徳地を払ひ、混濁汚穢、実に言語に絶する、餓鬼畜生、修羅無間地獄が出現するから、斯かる不祥濁世を清め、清潔無比神代に復帰せしむべく、仁愛御魂宿り玉へる一大真人が現れて、惟神大道を宣伝し、世界万民をして至仁至愛善道に導き、且つ極悪非道にして、少しも改心実なき悪人を懲らし戒しめ以て水晶世を樹立さる可しと、諭示警告であると思ふ。
 第八表は、紺屋栄と番屋賑である。世俗諺にも、紺色衣服が流行し出すと、世中が万事不景気風に襲はれ、人気は沈淪し、貧困者、乞食路頭に充つると云ふて在る。世中が段々と生活難に襲はれるに付ては、気力無きもは、自殺を為たり、乞食になつたりするが、稍意気地強い奴は、強盗でも何んでも構はず、胃袋主義や太短主義を発揮して、所在悪業を為し、終にはデモクラチツクや、同盟罷工や怠業は愚、世乱に乗じて、火事泥坊的悪事を企むもも沢山に出来るから、其処で人民保護職にある警官なり、監獄看守なりが殖て来る。何程増員しても不足を感ずると云ふ有様である。故に番屋賑と予言して在るである。切屋売と云ふ事は、自分持家なれば、半分を切つて人に売却するとか、借家なれば四間ある家なれば、二間住居権を売つたり、老舗なればシニセを付けて売り飛ばすと云ふ事に成る。軽薄なる人間斗りが沢山に殖て来て、田舎を捨てて都会ヘくと集中するから、都会は住宅難で苦しみ、其結果は終に借家賃高低に頓着せず、各自に争ふて借家する。其処で強慾無慈悲家主が、貧慾心を起して、際限も無く家賃を高く取る事になつて来る。故に大屋慾と曰ふ予言が為てあるである。現今は都会みならず、田舎小都邑までも家賃値上げで、住宅難声が喧ましく成つて来たである。
 第九表は、本宅焼、仮宅賑、新宅建、贅宅行と読める。今日成金連中境遇、並びに心理状態を、具さに予言されたもである。併し乍ら神諭にも、世は持切りには致させぬぞよと現れてある以上は、金銀や物質斗り権力では、何時迄も続くもでは無い。一日も早く成金夢を醒まし、贅を尽した新宅などを建並べて喜んで居るよりも、足下明るい中に、其金を以て、天下公共事業に尽すとか、神社に寄附して、第一に祖先参集せる産土宮を立派に造営する方が、本人為にも、子孫為にも、社会風教為にも、大なる利益であると思ふ、土地産土大神御宮殿は、真形斗り粗末なお宮に、塵だらけにして置いて、専任神職もおかず、敬神念は毫末も無し、妾宅などに立派なもを持へて、体主霊従、色食住身魂と成り切つて了つて居る現代に於ては、何処端にも神国らしい気配は、一つも為て居ない。外国神無国よりも劣つた、今日我国状態である。日本広しといえども、真に敬神尊皇報国至誠を涵養し、以て君国に身命を捧て、日夜大車輪活動を続けて居る所は、綾部皇道大本、地高天原、聖なる団体より外には、薬に為たくても絶無なる事を断言する次第である。
 第十表は、死人蘇、疵人治と並んで在る。是は決して形体的に人が死んで蘇り、人負傷が治療されると云ふ事斗りを示したでは無い。精神的死人や疵人が蘇り、又た治ると曰ふ事である。現代人類は十中八九迄も、体主霊従、四ツ足主義獣容器である。天地経編司宰者として人間人格も、将又神格も既に已に死滅して了つて、只単に色食為に蠢動しつつある我利々々亡者斗りで、悪魔住宅同様である。之を称して、精神的死人と云ふで在る。又た仮令死人にならず共、天賦霊性を傷け破つて、外国思想に沈溺して居る人間は、精神的疵人で在る。彼平田篤胤翁歌に、
  これはしも人にやあると能く見ればあらぬ獣畜が人皮被る
と歎じられた如く、実に現代物質慾と、利己主義に捉はれたる人間は、気骨も無ければ、節操も無く、信仰なく、忠孝仁義なく、全く豺狼群である。天下悪鬼邪神は、皆斯かる不徳な人間を衣服とし、住宅とし、以て万物霊長たる大神神子を道具に使つて、世界を汚し、魔界を盛ならしめむと、日夜に企画しつつあるである。故に表面は横目竪鼻直立歩行し得る人体でも、邪悪なる副守護神住宅に、何時間にやら化して了つて居るから、人三化七製糞器で、真人として生命が消亡して居るから、之を死人、疵人と云ふである。其死人や疵人を、惟神大道と云ふ神薬を与へて、蘇生せしめ、復活せしめ、健康体に全治せしめむとして、昼夜奔走しつつある、天下名医は、国御先祖なる大国常立尊と、坤金神豊雲野尊神力であり、其妙薬は、即ち右二柱神諭、乃ち皇道大本教理である。故に死人蘇、疵人治と予言されたもである。次に職人喜、芸人閙と在るは、右等死人や疵人を収容して、之を復活せしめ、疵人をして全治せしめ、神御子として活世界に活動せしむる様に、神界より皇道大本と云ふ、世界無二一大病院を建設されねば成らぬ。第一に大神壮厳なる宮殿を始め、幽斎場、講演場、五六七殿等、年百年中不断経営を為さねば成らぬ。
 夫れには、大工、左官、石工、土工、木挽、畳屋、瓦屋、指物屋、手伝、表具屋、飾屋、鍛冶工、其他諸種職人が、夫れ夫れに御用を仰せ付けられ、日々繁昌を重ね、以て欣喜雀躍すると予言である。亦た芸人閙と曰ふ事は、何事にまれ、美術工芸に秀れたる人は、各自神界御用を頂ぎ、彫刻に、絵画に、印版に、製本其他諸般芸術に繁忙を極ると云ふ事予言である。世界一般予言は、全部皇道大本出現を予示して居るも実に妙である。否な妙どころで無い。三千年神界御経綸から見れば、当然事実で無ければならぬである。
 第十一表を見ると全然今日社会状態と適切に合致して居るである。長者泣、貧者儲、医者閙、役者閑文句が現れて有る。長者とは大臣有司百官、並に大資本家大地主等総称である。則ち普通選挙案期成運動やデモクラチツクや、サボタージユや、労資問題、時間短縮問題、賃金値上げ問題、華士族廃止問題、共産主義、社会主義など、不合理な問題を提げて長者に威迫し、一つ間違ヘば、如何なる椿事を惹起するやも解らぬ。否現に海外某々国には既に実現して居る。我日本国民は此際充分に自重して、斯る馬鹿気切つた問題に深入りせず、皇祖依さし玉ひし雄心、日本心を振り起し、天下悪潮流を喰ひ留め、否な根源より払拭せなければ、神国臣民として、一天万乗我大君赤子として、人格も神格も保維する事が出来ぬである。総じて日本国政治は、天下政治を地上に移されたる、神建て玉ひし神国であるから、此神国に住む人民は、神国行ひを遵守せなければ成らぬは当然である。天上国には大君、大臣、小臣、民四階級が、儼然として立てられてある。其政体移写たる我日本国民は、外国伝来悪平等思想は、絶対に駆逐して、大義名分を明かに守らねば成らぬ所、天賦的大責任が、各自双肩にかかつて在るで在る。兎角下が上を犯し、従者が主人を困しめると云ふ事は、天地大道に違反した大逆罪である。併し今日日本人は、何も胃袋万能主義者が大部分を占め居るから、中々一通りや二通りで、長者言に耳を領けない。何しても帰順しない処まで腐敗して居る。そこで詮方尽果て、長者泣予言が的中する次第である。実に吾人は国家前途を思つて、紅涙臆辺に伝ふを禁ずる能はぬである。次に貧者儲とあるは、現代下級民労働者は、日々賃金値上げを迫りつつ飽く事を知らず、値上げに次ぐに値上げを以てし、女工でさへも一日に数円賃金を得るやうに成り、運送馬車夫如きは、日当拾円以上、人力車夫が一日五六円から七八円収入と云ふ現況である。是では今日迄貧者たりし下級労働者は、却つて奏任官以上収入を得、天下不景気風は何処を吹くかと云ふやうな鼻息である。従つて購買力旺盛なる事、古今未曾有現状で、物価は日を追ふて、騰貴に騰貴を重ねても、下級者は少しも痛痒を感じない。大に困るは、只無産中流階級官吏、則ち社会的長者である。又た大資本家や大株主は、日に月に困難な場合に陥つて来るで、長者泣、貧者儲と云ふ予言が実現したである。次に医者閙とあるが、一昨年以来世界風邪から、今日に掛けて、種々悪疫が流行するため、ドンナ籔井竹庵でも、山井妖仙さんでも病客が門前市を為すと云ふ盛況である。医者成金、僧侶成金、葬式屋成金、薬種屋成金が、世界を通て津々浦々までも湧出すると云ふ、不祥なる現代大予言である。
 何にしても、安政頃に斯う云ふ事を書いて置いた人は普通人間では有るまい。何か神界に特別深い因縁在る人作為であろうと思ふ。次に役者閑とあるは、今日如く、都鄙到る処に流行性感冒や、悪性肺炎横行を恐れて、面部にマスクを宛て歩行く様に成つては、演劇場へ通ふ男女も、日夜に減る一方である。
 御神諭目も鼻も口も開かむ事が出来するぞよと、示されて在る通り、目は皆老眼や近眼者みで、色眼鏡をかけ、鼻と口にはマスクを附け、殆んど顔全部は隠して了はねば、他出も出来ぬ様に成つて居る。御神諭にある、世界へ天晴れ顔出して歩行けぬ様に成るぞよとある警告が、一部分実現して来たやうにも感じられるである。
 第十二表は、年者明、日者麗、町者豊、世者直とあり。艮金神大国常立尊が三千年経綸、一度に開き、梅五六七神政成就すべき事予言であり、又松代五六七神代、瑞祥を示したる神文であると思ふ。
    △
 珍妙不可思議中と成つて来た。蛙飛ばし蚯蚓切り糞握み土百姓ドンと、今迄軽侮念を以て市中人々から冷遇されて来た、杢兵衛や田五作は、米高きを喜びて鼓腹撃壌し、天晴れ天下御百姓振りを発揮し旦雇者其日暮し、鉄槌川流れと定評あつた労働者は、賃金値上げに歓喜し、月給取細民は、手当増加を欣こぶ斗りで、物価騰貴為、約り収支相償はず、妻子眷属飢に泣き、政治家は何処からか黄金蔓を引張り出して豪奢を極め、官吏権威は日々に下落し、芸術家は腰が抜け、文学者は骨を失なひ、三文価値も無い軟文を以て成金と成る。斯んな工合にして、世中が進展して行くならば、遂に社会は崩壊し、人類は滅亡より外に途は無いである。況や此風潮最も濃厚なる、我日本国如きは、正に世界各国競走場裡より駆逐されむに於てをや。実に危ぶむべきは、我国前途である。ヤレ普通選挙促進だ、自由平等だ、労銀値上げだ。労働者人格生活向上問題、八時間制だ、貴族廃止だなど、盲目滅法に天下騒蝿を繰り返し、日本国体精華たる、敬神尊皇報国、子孫愛護大道を没却し、我も人なり彼も人なり、政治に参与するは、国民権利なりと、猫も杓子も国家前途を忘れて、目前虚栄に没頭し、貴族階級は淫逸怯懦にして、一片敬神報国念なく、只単に製糞器用を為す而已。貴族は下級民を侮どり、下級民は貴族を敵視す。斯る心得違がひ為に、国家大本に亀裂を生せざらむ事を、日夜神明に祈つて止まざる次第である。
    △
 邪神界最も畏るるもは天津祝詞である。綾部大本地高天原は、日夜熱心なる教信徒奏上する諄辞に由て、天地も震動せむ斗言霊威力は、金竜神苑に、最も荘厳に、最も清澄に鳴り響き、真高天原霊場を現出しつつあり、然るに我皇道大本威力を畏怖し、且つ嫌忌しつつある悪鬼邪神は、何とか為して此権威ある祝詞奏上を中止せしめむと、百方焦慮結果、終に大本に二十有余年間、日夜奉仕せる○○○○氏口を籍りて、近所安眠妨害を名とし、同氏に通じて同氏より之を○○局に通じ、同局は直ちに祝詞禁止張り紙を数ケ所に為したり。然るに王仁は、斯かる不届なる事出来せるを気付かずして、神務に忙殺され、原稿作製や、来訪者応接にて寸暇なく、旬日余りと云ふもは、一歩も他出せざりしを以て、注意を与ふる事能はなんだである。然るに去る十八日夕方、俄然身魂異状を来たし、王仁守護神、忽ち○○○○氏を呼び出し、其不都合を戒め、直に金竜苑内張札を除去せしめ、青年隊より各宿舎に通告せしめ、再び神苑内は天津祝詞諄辞に包まれ、荘厳霊気が漂ふ事となつたである。大本神苑内に住居し乍ら、祝詞声が嫌いになる如うな守護神や肉体は、一日も早く神苑内を退去されるが、神界に対して不敬に成なくて好い。斯守護神は二十年来瑞御魂教と行動に反対した逆霊であるが、中々根底から改心は出来ないもである。烏羽根は幾度洗つても白く成らぬと同様で、如何とも仕方が無い。
 眼無い千鳥手鳴る方へと曰ふ事がある。今日現状は、果して眼有る者が在るであろう乎。精神界盲目時代は、今日より甚しきは在るまい。政治家も、教育家も、実業家も、法律家も、経済学者も、宗教家も一般民衆も、一日先き天下出来事が判らないも斗りであるから、天下大勢に順応せむとして、彼方ヘヒヨロヒヨロ、此方ヘヒヨロヒヨロと、兵糧つき廻つて、是と云ふ一本思想的真柱がないである。
 斯かる国家現状で、何して我祖神、以て天壌無窮と依さし玉ひし、神国を保持し、進展せしむる事が出来るであろう乎。上守護神も下守護神も、十中八九までは、皆四ツ足に成り下つて了ひ、飯綱狐、一名管狐、又は尾崎狐と曰ふて、手品師懐に居つて、種々悪業を為す豆狐守護神が、汽車中で今日デモクラシーに反対する如うな団体こそ、危険思想団体であると吠えて居る。実に吾人は呆れて物が言へぬである。共和二言で、高い処から引き落された様な守護神は、何時に成つても落ちぬと見へる。是は大本鎮魂術でも容易に落ちぬ。
 慢性的狐愚病者であるから、斯う言ふ狐憑病者に魅せられた天下愚蒙者が、尾八尾振り行く雄に盲従して、普選問題を担ぎ廻はり、デモクラ酒に泥酔して、千鳥足に大地を迂路つき、終には泥溝ヘ陥落する迄は、気が付かぬとは、実に情け無いではないか。最早今日と成つては、在来宗教でも、教育でも、倫理学でも駄目だ。皇祖皇宗神霊を信じ、且つ千古不磨御遺訓を奉戴し、以て神教を遵奉し、皇大神大前に拍手敬礼を怠らざる、至誠、至忠、至敬、至真大本団体神力に依拠せなければ成らぬ、国家危急存亡秋である。夫れ故に、昔から「眼無い千鳥手鳴る方へ」と云ふ俗謡が、誰れ云ふとなく伝はつて居るは、我が皇道大本出現を予告したもであると思ふ。
    △
 体主霊従無差別的平等主義が、忌々しくも発展して、猫も杓子も、普通選挙とやら叫び声は、小田鳴く音よりも熾烈を極て来た。
 今度大阪に於る労働団体、大々的示威運動に対して、尾崎氏、今井博士等は実に素晴らしい勢であつた。右両氏等指導は、真に苦境にあると称する労働階級を、幸福なる生活に導かむとする、良心とやら閃か。それ共、資本家特権階級を叩き潰して、彼等横暴とかを匡正するが目的か。何にしても、上下通じて好調に進ませて貰いたいもで在るが、稍ともすれば、利己主義、四ツ足主義を発揮して、他人はどうでも能い、労働階級だけ幸福を増進させるが、目的らしくも在るやうだ。果して斯な工合に成つて来ると、労働者と資本主と対抗で、一番極端に成ると、○乱が起らぬとも云へぬ。今にして何んとか双方から妥協互譲途を講じ無ければ、労資共倒惨事を招来せなければ止まぬであらう。皇道大本信者中にも、多少労働者も在るであろうが、諸君等は、常に神様教を遵奉して居られる、忠実なる臣民であるから、滅多に取違いは在るまいけれ共、万々一にも右等問題や運動に没頭する様な不都合が、仮にも在つたとすれば、神界と国家に対して、一大叛逆であるから、充分に御注意を願ひます。夫で無くても、世立替、立直しを唱導しつつある、大本を誤解して、社会主義だとか、共産主義だとか謂ふ、分らず屋がある社会だから飽く迄も言行を慎んで欲しいもで在ります。
    △
 平田篤胤曾て午頭天王暦神辯を著はして曰く、世に午頭天王と申すは建速須佐之男命に坐し、暦法家に謂ゆる天道神も須佐之男命、歳徳神は稲田姫命、八将神はこ二神御子に坐すなど言へども、皆家相方位家人惑しにして、片腹痛きことなりと謂へるは、最もなる所説と言ふべし。午頭天皇とは言霊学上、午頭天王と成るである。世俗謬り伝へて、午頭天王を素盞嗚尊と為すは、大神に対し奉りて、実に不敬甚だしきもである。古伝に曰く、
 午頭天皇、竜王娘頗梨采女を妻とし、以て八王子を得たり。其一は総光天王大歳神、二は魔王天王大将軍、三は倶摩羅天王大陰神、四は得達神天王歳刑神、五は良侍天王歳破神、六は侍神相天王歳殺神、七は宅神相天王黄幡神、八は蛇毒気神豹尾神、以上は八将軍。(八尾八頭)也。
 そ眷属八万四千六百五十四神あり。午頭天王、后妃及び八王子諸眷属を率ひて、広遠国(日本国)に到り、彼鬼館に入り、諸眷属と共に乱入して巨旦を滅ぼすとあるは、大日本国国祖、艮大金神を征伐した事意義である。天地開闢大初より、八頭八尾と邪鬼と、金毛九尾悪神が現はれ、天下を魔世界に為として、天大神ヘ種々奏問を成し、終には根国へ神退ひに退ひ、猶飽き足らずして、艮鬼門大神神館に乱入して、巨旦大王(艮金神)屍を切断し、各々五節に配当し、神事、仏事共に、艮金神調伏儀式を行ひ、広遠国をソミコンに預けておいて、誓つて曰ふ、我末代に疫病を流行する神と成らむ。併しソミコン(抹損眷属)子孫と曰はば、妨碍すべからずと、「がが在る」味方みを助け、他種族は之を疫病にて滅ぼすと云ふ、虫良い誓言である。又た彼は末代衆生が寒熱二病を受くるは、則ち午頭天王眷属行為であるから、若し此病を退けむと欲せば、則ち外に五節祭礼を違へず、内に二六秘文を収めて、須らく敬信せよと言つて、天下衆生を、一々「我が在る」好策に曳き入れ来たつたである。「二六秘文とは、ソミコン子孫と唱へることである」
 今日までに、神事、仏事に五節祭礼を執行して居たは、甘々午頭天王悪神に誑惑されて居つて、気が附かなかつたである。五節祭礼一なる正月元旦赤白鏡餅は、巨旦(艮金神)が骨肉也。三月三日蓬來草餅は、巨旦が皮膚也。五月五日菖蒲結粽は、巨旦が鬢髪也。七月七日小麦索麺は、巨旦が継也、九月九日黄菊酒水は巨旦が血脈なり。又た鞠は巨旦頭なり。弓的は巨旦眼なり。門松は巨旦墓験なりと唱へしめ、威是れ艮金神調伏儀式として、今日まで神仏儀式に用ゐて来たで在るから、天下に真守護が絶無となり、悪魔横行濶歩したも無理はないで在る。然るに有難き事には天運ここに循り来つて、艮金神大国常立尊が、地高天原に、変性男子身魂に依りて顕現せられ、天下悪鬼邪神を言向和し玉ふ神代が到来したで在るから、今迄五節祭礼も、自然に改め無ければ成らぬ事に成て来たであります。
 附言午頭天王を素盞嗚尊なりと唱へ出したは、吉備公が唐より帰朝際従ひ来りし、金毛九尾、白面悪狐に何時間にか我精霊を魅せられて、途方も無き説を暦法に加ヘられたが、日本人マツソン霊魂に誑惑された初めである。
 午頭天王邪鬼神奸計甘々と成功し、弥々節分夜を期して、巨且大王、即ち艮金神大国常立尊は隠身となり玉ふさへ、気毒に堪へざる次第なるに、午頭天王暴悪無道なる巨旦霊魂を、根本的に滅亡せしめむとし、節分儀式にも又調伏行事を敢てせり。乃ち巨旦大王眼を潰さむが為に、鬼眼突きと称して、柊鋭きを、戸壁に刺しかざさしめ、巨旦頭を梟すベく、鰯頭を串刺と為して門戸に挿し、加之煎豆を人家内外に撒きて、鬼眼潰しと称し、鬼は外福は内へと、年男に謳はせ、煎豆に花が咲く迄は、日本国には入る可らずと言ふて、日本人民が知らず知らずに、地先祖大神を、悪魔邪神呼ばはりをして来たである。思ヘば思ヘば実に勿体なき次第であつた。然し知ぬ神に崇り無し、大神広き厚き大御心にて、今日までは見直し聞き直し詔り直して赦して下さつたであれども、最早時節到来して、艮大金神御教示を聞かして頂いた以上は、今迄不調法を全部御詫して、一切万事を五六七神政行り方に改復せなければ成らぬである。それで皇道大本節分祭は、国祖大神御大難記念日を追懐して、従来知ずく御無礼と、御気障り御詫を申上ると同時に、過去一年間御礼と、来る一年間神様御守護を願ひ、天津罪、国津罪、許々多久罪穢を速川瀬に流し捨つる大神業である。又た第一に君が代栄えを祈り、国土を清め奉る大神事であります。
 就ては天下一般に施行する節分祭礼儀式なり、沿革なり、節分祭に対する社会一般態度を、世人参考為に、左に記述する事としました。是を見ても、如何に艮金神様に対して誤解しつつ在つた事が、窺知されるであらうと思います。

節分
 一、立春前、一日称「せつぶん」ともいひ、其夜を「としこし」(年越)といふ。冬季節を分れて、春季節に移る意にして、毎年二月二日、三日、若くは四日中にて、いづれか一日に相当す。此日民間にては、門戸に柊枝、鰯頭などを挿みて、厄除表事とし、黄昏に至れば、煎豆を室内に撒きて疫癘を撰ひ、これを豆打、又は豆撒といふ。豆を撒くもを歳男といひ、一家内事を執るも、これを司る、三方上に斗量を載せて、これに煎豆を入れ、室内にて歳徳神方位に向ひて「福は内」と唱へ、又歳徳神方位に背きて「鬼は外」と唱へ、手づから豆を撒きて福を迎へ鬼を逐ふ。豆撒を終へし後、老幼男女「厄落し」ためとて、歳数ほど煎豆に、年豆一粒を加へて、これを食するもあり。或は同じ数煎豆を紙に包み、全身を撫でて厄をうつしたりとなし、厄払「御厄払ひませう」と呼びて過ぐるを招き、これに銭若干を添へて与へ、祝寿駆邪辞を唱ヘしむるもあり。或は四つ辻にこれを棄てて、厄を攘へりとするもあり。其他地方によりて其風を異にす又此日痰を根治する呪を称へ、長蕪蓄葉に姓名と生日とを認めたるを懐にして寝ね、翌朝これを水に流し三年がほどこれを続くれば、病根を絶つと云ひ、又煎豆を貯へ置きて、初雷に食すれば、雷除呪となるなど云ひ伝へたり。
 旧徳川大奥に於て、此夜厳重なる儀式を催さるるを式例とし、歳男は筆頭留主居これを勤め、子持筋熨斗目長上下を着けて、酉刻に大奥広座敷に出仕す。表使待受けてこれを年寄に報じ、年寄これを御台所に披露したる後、表使に命じて歳男を案内せしめ、御台所、次間に於て目見を賜ふ。歳男進みて「今年は別して静なる年がらにて、殊更恐悦申上奉る」と述べ、静に座を退きて入側に出て、長袴をくくり上げ、桝に盛りたる熬豆を、三方まま表使より受け、椽を下りて福草履を穿ち、まづ吉方に向ひて煎豆三粒を歳徳神に供へ、拝して三歩を退き、吉方を背にして、御台所居間椽に近く進み「福は内」と声を張上げて、三たび煎豆を撒き、(「鬼は外」と呼ばず)二たび次間に至りて、御台所数ほど豆を撮み、これに一粒を加へて白紙に包み、年寄を経て御台所に捧ぐ。かくて歳男は箕に盛りたる煎豆を攫み出し、万々歳三字を、畳上に書きて祝儀を陳べ、左手に箕を携ヘ、一礼して御前を退き、長局一側に至りて「お年寄衆おめでたう御座る」と云ひ、年寄は「御留主居衆おめでたう御座る」と答ふ。さて歳男は大音に「福は内」と呼ながら、煎豆を部屋内に撒き、足早に隣部屋に至りて豆を撒き、広座敷に立還りて、節分祝儀畢りぬるよしを述べて座を立たんとするとき、女中二十余人納戸より出でて留主居を捕ヘ、調子を揃ヘて「御代はめでたき此君様よ、鉄土台腐るまで、おめでたや。鉄土台は愚なことよ、石土台腐るまで、おめでたや。これは此方大黒様」と唄ひながら、三度胴上げ戯を行ひて、静にもと座に直し、万々年と称ふる料理を賜ふ。此夜長局各部屋にては、厄落と称して、齢数ほど豆と、応分金子とを白紙に包み、広敷玄関に至て敷台に投げ、下男待受けて、一包を投出す毎に、一人づつ敷台中央に進みて、厄払詞を述べ、はては好に応じて声色、茶番余興に夜更くるを忘るるを習とせり。
 諸家にて行はるる式は、いづれも大同小異なりと雖も、独り九鬼家式は、甚だ奇にて、同家にては「福も内、鬼も内」と囃し、外にひかヘし黒鬼が玄関戸を排きて入り来れば、歳男出迎へて、か鬼と酒宴をなし、互に祝して後、鬼は青緡三貫文を受けて退出するなりと云ふ。蓋し韓愈が送窮文意に拠りて行ふもならん。抑々節分に煎豆を撒きて、疫癘(注 ライ病)鬼を攘ふこと、もと追儺公事より転じ、又支那制を移したるにや。追儺は桃弓、葦矢を以て悪鬼を逐ふ状をなす儀式にして、除夜に禁中にて行はれし公事なるを、いつしか民間にてもこれを象りて、節分夕に行ふこととなりしなるベし。
 又大豆を用ふる事、後漢書に漢旧議を引き「以赤丸五穀播濫之以除疾疫」と見え、又本草綱目に「大豆辟攘時気」又「主治殺鬼毒」と見え、又嵩山除夜詩に「暗中信手頻抛擲打着諸方鬼眼睛」と云へるなどに拠り、疫鬼眼睛を打潰して、これを逐ひ攘はんとなるべし。
 其俗果していつれ代に濫觴(注 物事起こり)せしかは、未だ確証なしと雖も、応永頃より所見あれば、古くより行はれし風なりと見ゆ。後世にてもなほ除夜にこれを行ふことありしにや、羅山文集に「民間除夕至今所存者、挿杢谷樹於門戸壁間此国所謂比々良木是也。其葉有稜角如刺、蓋禦邪鬼也。又爆豆撒乏屋内、唱日鬼兮外福兮内」と見ゆ。又室内に豆を撒きて、「鬼は外、礼は内」と唱ふることは、始めて臥雲日件録(文安四年十二月二十二日条)に見えたれば、これも古き風なるべし。
 又門戸に柊枝、鯔頭を挿すことは、寛平、延喜代既にこれありし事、土佐日記に「小家なよし頭ひひらぎ」と見しにて知られたり。鯔を鰯に代ふる事、中古以後に起りしにや、貞応三年百首、藤原為家歌に「世中は数ならずともひひらぎ色に出てもいはしとぞ思ふ」と見えたり。
 二、(能)狂言名、其梗概次如し。
 節分夜、亭主が出雲大社へ年参りに行て、女房独り留主居する家あり。かかるところヘ蓬來島より鬼出で来る。此登場は宛も謡曲如く、次第名乗道行ありて、さてか家に来かかり、余り饑ゑたればとて、家内を覗ふに、柊にて目を突かれたれば、まづこれをかき落し、改めて案内を乞ふ。女房は留主中なれば、戸は開けじと云ふを、近所急用なりと云ひて、漸く開かせたれど、隠れ簑、隠れ笠を着たれば、女は何者も居らぬことと思ひて、直ぐ戸を鎖すに、鬼も心付いて、簑笠を取り、再び戸を開かしむ。女は鬼姿に驚いて大声を立つるに、鬼も亦肝を潰して、これは蓬來鬼なれば、さして怖しきもにあらずと弁護しつつ、何か食ふ物を得させよと乞ふ。女荒麦を与ヘて立去らしめんとするに、鬼はいかにして喰ふべきかを知らねば、これを打棄てなどする間に、つくづく女房美しさ見惚れて、頻に女房に寄添ひ、小唄などを調ひて、切なる情を示しつつ、女無情なるを見て泣き出す。女は斯様子を見て、鬼を欺いて宝物たる隠れ笠、隠れ簑、打出小槌等を出さしめ、鬼が安心して横臥しつつ、草臥れたれば腰をうつてくれよと云ふ暇を覗ひて、時分はよしと盛に「福は内、鬼は外」と唱ヘつつ、鬼に向つて豆を打つ。鬼は「許せ許せ」と叫びて、女に追はれて退場す。
 鬼は仕手、女はあどなり。
 昔から『爰まで御座れ甘酒呑まそ』と云ふ事を、能く言ふもであるが、皇道大本節分祭は、煎豆儀式を全廃して、其夜に信者一般に甘酒を餞する事に成て居ります。本年は参会者数に於ても、非常に増加傾向がありますから、一石一斗糀で甘酒を沸す事に成り、先月下旬頃から、夫れ夫れ準備をして居りますから、教信徒方々は、髪即ち綾部大本五六七殿まで参詣して、神に御供へ申した甘酒を頂戴し、身魂邪気を払ひ、追儺行事に加つて、本年も来年も来々年も、幸福は充満して、お多福さんに月日を送り、天地経綸主宰者たる、人生本分を尽されんことを祈ります。糀を一石一斗沸した意味は、一国一統と国音相通ずる所から祝つた次第であります。
 紀元節は皇国三大節一であつて、毎年二月十一日禁中に於て行はせらるる公事である。皇祖神武天皇天下を平定し大和橿原宮に帝位に即き玉ひし吉日を祝する儀式である。日本書紀に、
『辛酉歳春正月庚辰朔天皇帝位に橿原宮に即く是歳を以て天皇元年と為す、正妃を尊んで皇后と為す、(中略)故古語称之日畝傍橿原下津岩根に宮柱太知立高天原に搏風峻峙始取天下之天皇を神日本磐余彦火々出見天皇と号す。初めて天皇天津日継を草創たまふ日也』と見えて在る。初めてこ日を祝日と定め給ひしは明治五年一月廿九日であつた。同年十一月九日より太陰暦を廃して太陽暦を頒行せられ、天下に令して神武天皇御即位歳を紀元元年と定め正月朔日を祝祭日と為し、神武天皇即位日と呼んだである。去れど此時旧暦正月朔日は太陽暦一月廿九日に当つたで、一月廿九日は神武天皇御即位日と成つたである。明治六年三月に至り之を紀元節と改称せられたであるが、其当時又た旧暦正月朔日を紀元節として祝ふは如何と議起り、同年十月十四日に八大祭を定められ、辛酉歳正月朔日を太陽暦に換算し、七年以後二月十一日を以て紀元節と改められたである。此日は天皇皇霊殿に於て親祭を行はせられ、又群臣に酒宴を賜ひ、群臣参賀を受けさせ玉ふ公事である。
 扨て御親祭次第は午前九時式部職官員着床して、皇霊殿を開扉し、神饌及び幣物を供し、次で親王、王、大勲位、親任官、従一位、勲一等、一等官、侯爵、正二位、二等官、麝香間祇候、錦鶏間祇候着席す、同十時天皇出御、王串を奉り告文を奏し給ひ次で賢所に出御畢りて入御し給ふ、次に皇后玉串を奉り、御拝畢りて入御し玉ふ。次に皇太子同妃玉串を奉りて退下せられ、次で親王、王、以下着床諸員宮内省奏任官掛判任官拝礼ありて幣物及び神饌を撤し閉扉す、正午式部職官員再び着床して開扉し午后二時迄百官参拝を許され、午后五時より更に夕祭典あり、当日又皇族諸大臣外国使臣其他を豊明殿に召し御宴を催さる、天皇親臨してまづ勅語を賜はり内閣総理大臣は我臣僚を代表して奉答し尋で外国使臣首席者は外国使臣を代表して奉答するを恒例とす。右如く紀元節は暦都合上二月十一日と定められたけれども、実際は正月朔日である。然して本年正月朔日は二月二十日に相当し、戊申日にして先勝鬼、母倉宿日であります。
 又来年は神武天皇御即位辛酉歳で、恰度四十四回目紀元節であります。五六七神政に就いて最も皇室御隆盛を来させ玉ふ御年廻りである事を祝福し奉る次第であります。
 大正九年度天下は実に諸種出来事が突発する事は神示に依つて略承知する事が出来るけれ共、吾々としては之を公然発表する事は見合せねば成らぬ、却つて人民を惑乱させる恐れが無いとも限らないし、悪くすると流言浮説を逞ふし、人心を誑惑するもと其筋から御目玉を頂戴するも、臣子本分で無いと思つて可成的予言めきた事は避けて居るであります。併し左記予言は大本予言では無く、松山出身で電気予言を発明した三谷大命堂主人が恒例に依つて、一月元旦電気盤に向つて大正九年国運に就き感応を需めた其結果を愛媛新報紙上に発表したる大要であります。要するに本年国運は政界財界共に破乱曲折多く、亦た天変地異虞あるを示し社会外交共に多事を示すと共に要路重任者は勿論国民共に自重すべき年柄であると思はれる。
 大本神示に現はれたる予言と電気盤感応とは固より同一視する事は出来ぬ。且又大変に違つた点もあるが、大体に於て酷似箇所も沢山ありますから、左に三谷氏予言月別概要を紹介致して置きます。
 一月 南支方面に於て或る事物得失あるを示すと共に某方面に対する戦争準備とも云ふべき処置に出づと象を現はす。
 二月 妄言浮説流布され、政府狼狽する虞れあり、亦政府として他謀略嵌穽に陥る象あり。
 三月 国家として骨肉相食むが如き象あると共に、内閣に動揺起るべく、亦他に国民として悲しむ可き事あるが如し。
 四月 内閣一部或は全部改造変換象あり。又国家として継続事業に蹉跌を生ずる象あり。尚当月は食糧品に対し官営説起る可し。
 五月 天変地異あるを示す、激震或は火山大爆発其他国民として災害を受く可き象あり、一面に於ては漁業に対する豊漁意あり。
 六月 外交内政共に多事なるを示し、又た妄言虚説に雷同して国民動揺を起すが如く、且つ軍隊を動かすが如き象を示す。
 七月 某国に合併亦たは同盟説起るべき象なるも実行せず、却つて不良結果を生ずるが如し、当月は諸物価大下落象あり。
 八月 西南方面に大動乱起る象あると共に軍隊出動を見るが如き象あり、内地としては関門方面を示し朝鮮満洲及び沿海洲にも注意を払ふべき出来事ある象なり。
 九月 天変地異あるが如く、殊に気候に於て八月及び当月共に冷熱極端なる象あり、外交として言質を取られ困惑する事あり。
 十月 政府として出費多く、且つ同盟或は親交国背反行動あるが如く、亦官界同盟罷業起る象あり、裏面に於ては帰順的同盟する国出来象ありて破乱多き月柄如し。
 十一月 某国無法に起因する出来事に於て日本帝国として看過し能はざる或る種準備あるが如し。
 十二月 国際裁判に連座するが如きこと、又は外国使臣往来あるが如く、国民として或種動揺を醸す象あり。
 須らく記して後日に徴せむと思ふ。
 皇道大本に出現した事は必ず何処にか出現すると云ふ事はる々神諭示す所である。昨冬以来大本にては乗馬隊を組織して馬上高声に日本は神国なり人は天地経綸司宰者なり、神代は近づけり、悔い改めよ各自天職を覚れよと騎馬勇士は三丹野に咆哮怒号したである。然るに今日露都に於ける宗教運動は非常な熾烈を極め馬上高声に悔ひ改めよと絶叫し、さしも過激派も畏怖すると云ふ有様である。其基督教青年会西伯利亜総支部幹事長、河合亀輔氏談に「西伯利亜各地にある教会が多数人を惹き付け同時に諸国民宗教心が漸次向上して来た事は著しき現象である。之が動機は露国宗教運動及び其宣伝状況が乞食に化けて昨年露都から浦塩へ帰つて来た浦塩正教監督セエフ氏に依り伝へられたが、其談によると、露都に在る正教総監督は戦線だろうが何所だろうが何時も馬に乗つて馬上声高に悔ひ改めよと叫んで居る。何も言はず只悔ひ改めよと簡単なる言葉であるが、其声が国民を動かし、荒び切つた兵士まで馬上神如き監督姿と見ると跪き礼拝する、監督放つた大きな声は巨鐘如く全露に響き、過激派も其声に非常に怖れ警戒せりと云ふ。私はチタ滞在中某国兵が燦然たる銀製靴を持来たり相当代価を以て引取つて呉れと相談を受けた、固より買ふなど事は出来ず、いい加減に断つたが、其靴はアフ寺院にある聖マリヤ聖像に付いて居たを抜取つた事が解つた。教会は破壊され、マリヤ聖像は台ナシにされた有様であるから、正教徒が声に応じて起つは当然である。
 教会集りが大きく成つて来たも其為めである。露国此宗教運動が今後如何に発展するか疑問であるけれども、彼等が正しい事を為せと叫んで居るで、露国改造に其宗教力が与つて大なる事は無論であろうと思ふ」云々。
 其所等基督牧師さんも大本隆盛を嫉視して隣人証明を為て居るより、一つ奪発して浦塩方面なりと朝鮮へなりと御出張になつては如何、殊に朝鮮には日本内だけに卿等味方が沢山に居つて非国民的行動を内々行つて居るそうであるから。
(「神霊界」大正九年二月一日号)
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