文献名1その他
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3事件解決奉告祭挨拶よみ(新仮名遣い)
著者出口伊佐男
概要第二次大本事件解決報告祭終了後の出口宇知麿による挨拶
備考出典:『愛善苑』創刊号4~6頁
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事件解決奉告祭挨拶
(昭和二十年十二月八日綾部彰徳殿にて)
出口伊佐男
本日は戦争勃発の日として、国民の、全人類の忘るることのできない日でありますとともに、大本としても、天下の耳目を聳動せしめた大本事件の記念の日であります。昭和十年十二月八日朝まだき、全国一せいに大検挙を始められ、大本教団を絶滅せんと大嵐は吹きまくったのであります。明治二十五年の大本発端以来四十有余年、発展に発展を重ねました大本も一朝にしてすがたは変りすべての運動は中絶、綾部、亀岡の神苑は跡形もなく破壊せられ、全国の別院分院また同じ運命となり、数十万の信者達はいばらの道、遠い遠いいばらの道を歩まねばならなかったのであります。その間における感慨は筆舌に盡すことはできません。一日も早く明るい日の来ることをどんなに待ちこがれたことでありませう。遂にその日は来たのであります。
昭和二十年九月八日、大審院の判決により、天恩あまねく、関係の者一同白日の身とならして頂くことができました、この喜びを迎へますると直ちに山崎亀岡警察署長さんの御斡旋と亀岡町理事者がたの御決意によりもと天恩郷の土地を亀岡より無条件返還して頂くこととなり、次で当綾部町に於きましては、商工経済会何鹿支所長木崎さん、町会議員の廣田さん達、又樋ノ本綾部警察署長さん等の御盡力と赤見坂町長さん始め町並に町村長会の有力者の方達の御理解と絶大なる御好意によりまして、私どもの日夜念頭を去らなかったこの綾部神苑の地も無条件返還して頂くことになったのであります。
このやうに、十年を経まして瞬く間に、悉くの問題は解決いたしました。この喜びを神様に奉告感謝申上げますとともに、又私どもの不注意の為にかうした事件の起きましたことを神様にお詫び申上げたいと存じまして、本日ここにお祭をさして頂いたのであります。尚十年間の事件中すでに亡くなられ今日この喜びをともに迎へることの出来なかった関係の人々たち、その他多くの祖霊様をお慰め申したいといふ気持で、あはせて慰霊祭を行はして頂くこととなりましたが、此度のお祭は充分なる設備が出来ませんでしたため内輪だけでさしていただく積りでありましたので、全国への通知を差控へたのであります。然るにどうして聞き伝えられましたか、遠くは北海道、或は四国九州の端々からまでも、かうして堂にあふるるばかり皆様がお参り下さいました。その抑へ難きお喜びの気持を察し、私ども又感激に堪へない次第であります。
さて今後私どもはどういふふうに進んで行くべきであるか、この機会に簡単に申述べて見たいと思ふのであります。
今直ちに本格的に進むには色々の準備が要るのであります。先ず第一に必要な事は、形を作ることよりも魂を作り上げるといふことであります。私どもの心の準備、心の用意が出来なければ如何に形が元の如くなりましても、重ねて又神様にお詫び申上げなければならないやうなことになるのであります。過去の事件に対する黒白は、既に明かになりました。しかし私どもは当時の弾圧に対し当局を恨む気持は毛頭無いのであります。時の勢であったでありませう。私どもは之を天の試練、神様の試練として、どうしても経なければならなかった道であると考へなければならぬのであります。やはり私どもに注意の足りなかった所があったのでせう。神様のおぼしめしにそはない点が微塵でもあったとすれば神様はそれを許される筈はない。我々は他を責めるよりも深く自らを省みなければならぬ。神様は深い深い御心の下に私どもに実に尊い試練を与えて下さったのであります。今日この喜びを迎へて、有頂天になってゐては、折角の十年間の尊い神様のおぼしめしが無意味になってしまふのであります。自分では正しい、自分ではこれで誰よりも最も勝れた信仰だと考へてをりましても、未だそこに何か足りない所がありませぬか、考へ及ばなかった所はないかと深く省みて、成る程あれならばこそと他からも認められ、又どんな人がどう考へようとも、自分自身が神様の御前に耻しくないだけの信仰、之を内面深く掘下げ考へさしていただいて始めて本当のものが出来るのであります。その意味で、今日までは尊い準備の時代であったと思ふのであります。これからが本当の歩みの出来る時になったのであります。この機会に私どもは他をかれこれ申しますよりも、深く自らを省みて本当の歩みをさして頂かなければならないと思ふのであります。その準備の時代においては、皆様方の御信仰は自由の形式に於てして頂ければ結構であります。それですから従来の如き本部とか別院、分院、分所支部等の名称は用ひません。ただこの神苑は梅松苑と命名せられました。神殿は建設せられません。此度土地返還に当り町の非常な御好意によりまして当方に寄附していただきましたこの建物これは元武徳殿と称されてをったのでありますが、此度こちらで彰徳殿と命名せられました。この建物とこの下に弓道場の建物があります。この二つの建物を町から寄附して下さったのであります。これがありませんでしたならば、今日のお祭も野天でさして頂くより外なかったのでありますが町の御寄附により本日この喜びを此処に於て共に迎へることが出来るやうになったのであります。
信仰の上に於ては、自由な形式をとることになったのでありますが、近く亀岡を根拠として、愛善苑といふ世界平和を目標とする人類愛善運動を起されることになったのであります。愛善苑は、大正十四年六月に創立せられました人類愛善運動の趣旨をそのまま実地におこなって行かうといふのであります。その趣旨は改めて申すまでもないことでありますが、今日の国内の情勢、世界の情勢から見まして、この運動は最も切実に要求せられてゐるものであります。終戦後の国内情勢はまことに悲惨でありまして、一切の問題を互に敵視し闘争を以て解決しようとしてゐるのであります。さうした闘争の結果による解決といふものは、永遠の平和を得る道ではないと信ずるのであります。
世の中といふものはただ理論ばかり理想ばかりで片付くものではありません。そこには理論を超えた魂と魂のつながり、愛と愛との交りによって理屈で解決出来ないものが解決出来るのであります。私どもは一切の問題を愛善の心を以て解決して行き度いと思ふのであります。愛善とは最高の愛、最も高き最も深き大いなる愛であります。神様の御心、それこそ愛善そのものであります。神様の御心をそのまま心として我々の家庭の問題も、社会の問題も、今後は種々変転するであらう国際的な問題も、各々の立場立場を正しく理解し信じ合ひ、神様の御心に見直し聞直してすべてを解決して行く、これが永遠の世界平和を実現し得る唯一の道であるといふのが我々の信念であります。
そのためには私どもは宗教といふもの、信仰といふものを正しく理解しなければなりません。いづれの宗教も悉く救ひの大御心からその時代その所に応じて出現させられてをるものであります。それでありますから、すべての宗教は元は一つであり、万教は同根である、これが真理であります。この真理に目覚めてお互の垣を取外し互に手を握り合って平和日本の実現のために、平和世界の建設のために邁進しよう、これが我々の信念であり主張なのであります。ただいづれの宗団、いづれの宗派に属してをりましても、その宗教に於て正しき理解正しき信仰をつかむのでなければなりません。
故に私どもの主張は、いづれの宗教でも、それによって安心し得られるならば、その道によってお進みなさい。人間には信仰が必要だ、宗教的な情操、宗教的な信念なくしてはこの前途に横はる難関を突破することは出来ないといふにあるのであります。かういふ広々とした心、正しい自由な気持に於て、ともに手を取り合って平和の為に御奉公さしていただき度いと思ふのであります。
それですから愛善苑に於きましては、信仰の有無に拘らず、宗教宗派の如何に拘らず、牧師も僧侶も、どんな人達も愛善といふことに共鳴せられる方々は共に往来して大いに語り合はうといふのであります。さうして今後の行くべき道を明にしお互にしっかり協力して進んで行かうといふのであります。その愛善苑の主張、動きをやはり「愛善苑」といふ雑誌に載せ、それを明年春頃から発行さしていただきますから、皆様方にそれを見て頂き度いのであります。これを読んで行けば自らその精神が解るやうになる筈であります。なるべく色々の殻を作らないやうに、形式に捉はれないやうに、煩瑣な役員の顔などを並べないやうに、実質的に皆一家となって進まして頂かうと種々準備して居るのであります。
この運動は、先づ我々の心の中に愛善の世界を開き、又我々の家庭を愛善の家とし、我々の郷土日本の国を、更に全世界を愛善の苑と化するといふ大理想の下に進ましていただき度いのであります。これが深い神様の思召だと存じまして、皆様方にもそのお気持で、どうか今後の愛善苑の運動につき全面的なお力添へ、御活動をお願ひ致し度いと思ふのであります。詳しいことは「愛善苑」その他今後は種々通信等の連絡によって皆様方にわかって頂けるやうに致し度いと存じて居ります。
なほこの私どもの喜びを共に喜びとし度いといふ御好意から本日は綾部町長、或は商工経済会の木崎さんや廣田さん方が参って下さいました。私どもの今後の歩みが、一切の殻を破り、垣をとって、内とか外とかの区別を去って始めさしていただき度いといふこの気持が、綾部町全体の方々に反映し、又町民の方々達も綾部の町に再び還られるやうにといふ心からの願ひを以て迎へられて居るのであります。かうした町民の方々の御好意により、様々な点に於て準備不十分でありましたのに、色々とこれを補っていただくことが出来ましたことを、この席で町のお方に有難くお礼を申上げ度いと思ふのであります。それではこれを以て私の御挨拶は終りとさしていただきます。