文献名1その他
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大本教の不敬事件と当局者の責任よみ(新仮名遣い)
著者今村力三郎
概要
備考『中央公論』大正10年(1921)6月号
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本文
大本教の不敬事件と当局者の責任
今村力三郎
治国の要諦は責任を明かにするにある。憲法政治は責任政治に外ならぬ、もし当局者が自家の責任を糊塗し負ふべきものを負はず、徒らに国民の責任のみを追窮すれば、国民も亦反省すべきことを反省せず、却て反抗心を煽り、乱階茲に開かれるのである。
問題の眼目を読者に会得せしむる便宜として、先づ論点を提示する。
大本教の幹部たる出口王仁三郎、浅野和三郎に係る、大正十年五月十日の予審決定は、神霊界と称する大本教の機関雑誌に、大正六年十月一日より大正八年八月一日まで約二年に亘り、意志継続して前後八回、刑法第七十四条に該当する不敬の記事を掲載したりとの事実を認定されたのである。が、二ケ年間、八回も継続して不敬罪を犯すものを、大正十年まで寛暇したのは、抑誰の責任であるかを論究し、将来斯る過を再びせざるやうにと、警戒するのが執筆の主眼である。
東京地方裁判所検事局が、出口王仁三郎を浅野和三郎に対する不敬並に新聞紙法違反事件、及び吉田祐定に対する新聞紙法違反事件に付、新聞の記事差止を命令したるは、大正十年二月十二日にして、此命令を解除したるは、大正十年五月十一日である。而して同時に世上に発表せられたる事実は、三百の警官が本部を包囲したの、十数班に分れて家宅捜索をしたの、刀剣数百口を発見したの、竹槍を用意したの、金銀貨二百万円を秘密室から発見したの、命を的に二ケ年に亘りて探査したのと、吾輩の如き小胆者は、見出しを読んだだけで腰を抜かしかねないほど大袈裟のものであつた。夫れに検事正、警保局長、主任警部の苦心談や、巧名話まで景気を添へてあるので、定めて予審決定は世人を驚倒するに足るものであらうと、怖いもの見たさに読んで見ると、決定書の内容は、豈図らんやと喫驚するほど、吾輩の予想に遠きものであつた。読者諸君は、予審決定書を一読せられたであらうが、本論文の骨子であるから煩を厭はず、時の関係と不敬の回数に関する事実のみを抜粋する。
予審決定書は、被告等が雑誌神霊界に、不敬の記事を掲載せんことを共謀し、第一、大正六年十月一日、同雑誌第五十二号に、第二、大正七年三月一日、同雑誌第五十七号に、第三、大正七年三月十五日、同雑誌第五十八号に、第四、大正七年五月一日、同雑誌第六十一号に、第五、大正七年十二月一日、同雑誌第七十五号に、第六、前同号第十頁に、第七、大正八年一月一日、同雑誌第七十三号に、第八、大正八年八月一日、同雑誌第九十一号に、犯意を継続して不敬の記事を掲載したりと云ふにある。不敬罪の場合に於て、其所謂不敬の文章を、予審決定や、公判の判決書に詳記すると、不敬行為を繰り返すに等しいから、文章の内容は、勉めて省略するのが例となつてゐる。本件の予審決定も、前例に従つて、云々、云々で、内容を省略してあるから、不敬罪を構成する事実を詳細に知ることは出来ない。が検事が起訴し、予審判事が有罪の決定をしたのだから、雑誌神霊界に不敬罪に該当する記事ありしものと肯定して、再び予審決定書を顧みると、其処に多くの疑問を生ずる。即決定書に依れば不敬行為のありしは、大正六年十月一日に初まり、大正八年八月一日まで、八回に及んでゐるのであるが、此約二年間、継続して不敬の記事を掲載したる、雑誌神霊界を何故に放任したか。新聞雑誌は、内務省と、検事局と、司法警察官とが、其職責として毎号検閲して、厳酷なる取締をするのが、日本政府の遣り方であるのに、是れ等の当局者は、何故に二年間放任したか。吾輩の狭き見聞にては、文書に依り、犯意継続して、八回に亘り、不敬罪を犯したる前例は無いと思ふ。若是等の官吏が、最初の大正六年十月一日の記事を告発して、之に制裁を加へたならば、其後の七回に亘る不敬罪の発生する事は、絶無であつたであらう。彼等は自己の怠慢に依り、不敬罪を継続重複せしめたと云はれても、弁解の辞は無からう。
不敬罪は、刑法上重大犯罪の一つで、毫も仮借するを許さない罪質を持つてゐる、不敬罪で起訴猶予になつた例は無い、然るに二年間、前後八回に亘る不敬罪を、其当時に於て処分せず、加之、最後の大正八年八月一日より一年有半の後なる、大正十年二月に至り、漸く其研究に着手するとは言語に絶へたる怠慢である。
大本教は最近に起つた宗教で、官民共に注意を払つてゐるのであるから、其機関雑誌神霊界の記事を見落とす筈はない。然るに内務司法の両当局者が、其不敬事件を適当に取締らざりしは吾輩の深く怪しむところである。
不敬罪は、刑法典中にありても定義の困難なる犯罪で、従つて其範囲も判然としないから、時としては無意識に之れに触るることが無いとも限らぬ。殊に宗教は、絶対を標的とするところより、往々神と人との関係に、妙な結論を生ずることもあり得るのであるから、被告の主観に於て、不敬になると意識せぬことがあるかも知れぬ。併し不敬罪の成立は、犯人の意識すると否とを問はぬから、当局者としては、苟も不敬の行為あれば、迅速に検挙すべきことは勿論である。然るときは犯人も自己の行為の非を覚知して、恐るべき不敬罪を反復するが如きは決してあるまい。之に反し、若当局が検挙を怠るときは、犯人は或行為は罪にならぬものとの誤解を生じ、茲に同一又は類似の行為を重複することとなり、終には今回の如き未曾有の事件を惹起するに至るのである。
文章犯は、文章其れ自身が犯罪であり、且犯罪の證拠であるから、検挙は実に容易である。他の犯罪の如く起訴前に捜査に努力する必要は無いのであるから、神霊界の発刊と殆んど同時に検挙し得るのである。然るに当局者は何を苦んで一年半を徒過し、漸く大正十年二月に至つて起訴したのであるか。
予審決定の発表に先ち、正常に発表したる事実の大袈裟なると、予審決定が之に副はざることとを対比して推測するときは、或は官憲の大騒が、予審決定に照応しないので、国民の注意を転ずる為め、態と発表したり、検事や、警察官の巧妙話をして聴かせたのでは無からうかと疑はれる。
森戸事件、青木事件、帆足事件、野村事件、賀川事件、木村事件、其他最近一二年間に文章犯で起訴された事按は頗多い。然るに一木村事件が不敬罪たるの外は、悉く新聞紙法違反事件である。当局者は斯くも多くの文章犯を起訴せるに拘はらず、何故に雑誌神霊界の記事にのみ緩慢であるのか、殊に夫れが不敬罪であるでは無いか。
内務大臣や、検事総長が、自ら雑誌の記事を検閲せざることは言を俟たないが、配下の怠慢が、社会的に影響あるときは、其軽重、大小に応じて責任を負ふべきは当然である。津田三蔵の大津事変に際し、県知事の沖守固氏は懲戒免官と為り、内務大臣(芳川氏と記憶する)は進退伺を出した。警保局や、検事局に直接の責任者はあるにしても、不敬罪を放任して二年間八回に亘り重複せしめた責任は、内務大臣と、検事総長が負担すべきであると信ずる。
諸君は実に忠君愛国の権化である。然るに諸君の部下の怠慢からして、不敬罪を再三のみならず、前後八回に及ぼさしめたることは、諸君の哀心実に恐懼措く能はざるものがあると信ずる。諸君平生の言動に徴して然かあるべきことである。
吾輩は、前段に於て不敬罪の内容が、予審決定のみにては詳知することが出来ぬと述べて置いたが、若神霊界の文章が、一読して犯罪を構成するや否やを断定し難いほどのものであつて、直接の検閲者が犯罪を構成するものたることを解せず、夫れが為め、大正六年の十月より、大正十年の二月まで、検挙を怠りしと仮定せば如何。検事局や、内務省の図書課には、専門的智識ある人々が其局に当るのであるから、素人が判断し能はぬ事でも、彼等は明白に断定を下し得べき筈である。然らば彼等は雑誌神霊界発刊の当時、問題の記事を見て如何に判断したか、不敬罪を構成せずと見たのか、或は一応問題としたが、遂に不敬に非ずと決定したのか。若くは初めから何等の問題に上らざりしか、吾輩は彼等の内部に於ける当時の事情は勿論之を知らざるも、大正十年に至りて、大正六年に遡り起訴されたる事実に顧み、先きに空々然として何等の措置を執らざりし当局に、大なる責任を負担せしめたることを否むことは出来ない。
政治上の責任は人類道義の観念に基くものであるから、法律上の無責任を理由として政治上の責任を回避するは陋とすべきである。左らばとて道義の責任は他より強制するを得ない、一に責任者の自発を尊としとする。上にあるものが進んで責任を明かにし、国民をして責任観念を深く、且、強からしむることが、軈がて憲法政治の美を済す所以である、吾輩は当局者の責任観が、吾輩と軌を一にせんことを希ふ。